表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月光館の令嬢と残高ゼロの錬金術  作者: ダッチショック


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/11

第三話 鶏皮の錬金術と予期せぬ遭遇

月光館に戻ったのは、夜の帳が降りる直前だった。自転車のサビの音と、私の整然とした靴音が、冷たい玄関ホールに響く。


私はすぐに電気のスイッチには手を伸ばさない。光熱費を節約するため、夕食の準備は、自然光が完全に失われるまでのわずかな時間と、最低限のローソクの明かりで行う。これが私のルールだ。


今日の「収穫」は、交渉の成功と、五百八十円相当の節約。そして、スーパーの閉店直前に確保した、半額シールの貼られた鶏の皮二枚だ。


(完璧よ。この鶏皮で、今日のメインディッシュと、明日のスープの出汁が取れる。さらに、油の消費もゼロにできる)


私はガウンに着替え、台所へ向かった。月光館の台所は広く、プロの料理人も使用できる設備が整っているが、私が使用するのは、電気を使わないガスコンロの最小のバーナー一つだけである。


私の節約ディナーの準備は、一種の錬金術だ。


まず、鶏の皮を丁寧に広げ、一切の油を使わずに、弱火でじっくりと炒めていく。すぐに皮から大量の油が抽出され始めた。この工程が肝心だ。市販の油は高価だが、鶏皮はただの「廃棄物」とみなされやすい。この油こそが、私の財産となる。


私は小さな瓶に、透明で純度の高いその油を一滴残らず集める。これは、**チーユ(鶏油)**として、炒め物や風味付けに使う。これで、しばらくサラダ油の消費を大幅に抑えられる。私はこの油を「黄金のエッセンス」と呼んでいる。


油を取り終えた後の、カリカリになった鶏皮は、塩胡椒で味付けし、そのままメインディッシュの「鶏皮のクリスピー焼き」となる。肉そのものを食べるよりも、皮の脂質と旨味を最大限に抽出して利用する方が、何倍も効率的だ。


次に、鶏皮を炒めたフライパンに、昨日から水に浸しておいた乾燥ワカメと、畑の隅でこっそり栽培しているネギの青い部分を入れ、少量の水で煮立てた。鶏の旨味とワカメのミネラルが溶け出し、立派なスープの出汁となる。このスープは明日の朝食も兼ねる。


この間、私はラスク用のパンの耳を窓辺から回収し、トースターに三分だけ入れて焼き色をつけた。


今日のメニューは、太陽光ラスク、鶏皮のクリスピー焼き、ネギとワカメのチキンスープだ。全て原価は、百五十円未満に抑えられている。


私はローソクの優しい炎の下で、静かにディナーを始めた。カリカリとした鶏皮の食感と、濃厚なチーユの風味が、私の疲れた心を癒やしていく。


「…美味しいわ。五百八十円と、百五十円。素晴らしい一日だった」


この節約の成果が、私にとって何よりも最高の贅沢だ。この自給自足の生活と、外での完璧なお嬢様の演技が、私の誇りであり、月光館を守るための唯一の武器であった。


食事が終わり、私が片付けを始めようとした、その時。


月光館の広大な庭の、木立の向こう側から、微かな物音が聞こえた。人ではない。何か硬いものが、庭の石畳を擦る音だ。


私はローソクの炎をそっと吹き消し、暗闇の中で息を潜めた。この屋敷は長い間、無人だと思われている。警備費用も惜しい私は、通報が世間に漏れて窮状が知れるリスクも避けたい。


物音は、庭の奥にある、今は使われていない温室の方へと向かっているようだ。温室には、今は空だが、昔の高級な鉢植えや、祖母が大切にしていた園芸道具がある。それらは全て、将来換金するかもしれない大切な資産だ。盗まれてはならない。


私は床に置かれていた、父の時代から使われていた重い真鍮製の灰皿を手に取った。完璧な令嬢の装いは、もうない。そこには、自分の財産を守ろうとする、痩せた一人の女戦士が立っていた。


私は、光の届かない闇の中を、一歩ずつ温室へと向かって進んでいった。


そして、温室の扉の前にたどり着いた私は、わずかに開いた隙間から中を覗き込んだ。


温室の中は暗いが、外から差し込む月明かりが、ある人物の姿をぼんやりと照らしていた。


それは、背が高く、細身の男だった。男は温室の床に座り込み、何かを熱心に調べ、小さな道具で地面を掘り返している。


私は息を詰めた。強盗ではない。彼の身なりは、作業着でも泥棒のそれとも違う。むしろ、どこか知的な雰囲気を漂わせている。


男は地面から何か小さなものを拾い上げ、目を凝らした。そして、その小さな何かを、大切そうにポケットにしまった。


その瞬間、男はふと顔を上げ、温室の入り口の闇の中にいる私と、目が合ってしまった。


男は驚き、手に持っていた懐中電灯を落とした。懐中電灯の光が、一瞬だけ、私の顔と、私が振りかぶった真鍮の灰皿を照らした。


「…誰だ!?」


男の声は、警戒と、わずかな動揺を含んでいた。私は咄嗟に、完璧な貴婦人の声色を装った。


「そちらこそ、どなたかしら? 月光館の敷地に無断で立ち入るとは、どういうご用件で?」


私は真鍮の灰皿を強く握りしめ、いつでも振り下ろせる体勢で、男を睨みつけた。私は闇の中に立つ、恐ろしくも美しい幻影のようだっただろう。



第三話 後書き 霧島 雅

読者の皆様、いよいよ私の聖域、月光館に侵入者が現れました。


一日の終わりに安堵した矢先、私の錬金術で守り抜いてきた資産が脅かされる事態です。この屋敷にあるものは、全て私にとって貴重な「換金可能な財産」であり、絶対に失うわけにはいきません。


あの男は、ただの強盗ではないように見えました。彼の掘り返していたものが一体何なのか、そして何のためにこの廃墟同然の温室に入り込んだのか。彼の存在は、私の緻密な節約計画と、月光館の静かな日常を大きく乱す予感がします。


私は、この状況を最大限に利用しなければなりません。この予期せぬ遭遇が、新たな節約、あるいは資金調達の機会となる可能性も、捨ててはいけません。


真鍮の灰皿を武器に、私はこの危機を乗り越えます。どうぞ、次回、この侵入者との緊張の対決を見届けてください。


霧島 雅

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ