第十一話 閉ざされた庭園と第一章の終焉
篠田 啓介さんは、私が課したツバキの実とスギナの採集を終え、再び温室に戻っていた。彼の作業着のポケットからは、時折、彼が探しているらしい土の破片や、何かの種子の殻のようなものが見える。彼は、私の「首席錬金術師」として完璧に機能しているが、彼の本来の目的を忘れてはいない。
私は、温室の外から、彼が熱心に地面を掘る様子を眺めていた。彼は、幻の種子を探している。そして私は、その種子がもし見つかった場合に、それをどう換金するか、あるいは食費の自給自足計画にどう組み込むかを計算している。
「篠田さん、一つお話ししておきたいことがあります」
私は温室の扉を開け、中に入った。
「あなたの探している種子のことですが、この月光館の土地には、他にも秘密の場所があります。あなたが探している植物学者に関連する、最も重要な場所かもしれません」
篠田さんは、ショベルを持つ手を止め、緊張した面持ちで私を見上げた。
「秘密の場所…どこですか?」
「月光館の裏手に、閉ざされた庭園があります。祖父が、生前誰にも入ることを許さなかった場所です。その庭園は、私の父が屋敷を出た後も、決して開かれることはありませんでした」
その庭園は、私の心の中でさえも、触れてはならない場所だった。そこは、父と母が最後に笑い合った場所であり、同時に父の事業失敗が始まった頃から、母が毎日静かに佇んでいた場所だ。
「なぜ、その庭園が重要だと?」
「その庭園は、祖父が最も珍しい植物を収集していた場所で、外部の専門家も誰も立ち入ったことがありません。もしあなたの探している種子が、この屋敷に残っているとしたら、その閉ざされた環境の中で、今もひっそりと生き残っている可能性が高い」
私は、この情報を無料で篠田さんに提供するわけではない。私は彼に、さらなる無償の労働を要求する。
「庭園の鍵は、私が持っています。しかし、その庭園は長年の風雨に晒され、入り口は蔦が絡みつき、荒れ放題です。立ち入るためには、まず庭園全体の徹底的な整備が必要です。そして、その整備には、私の力だけでは到底無理です」
私は微笑んだ。その笑みは、彼の探求心と、私の節約術の勝利を確信した笑みだった。
「私の指示に従い、整備業務を全て完了すること。それが、あなたにその閉ざされた庭園への立ち入りを許可する対価です。もちろん、費用はゼロ。あなたの労働力と、知識が、その対価となります」
篠田さんは、ショベルを地面に置き、私の目を見つめた。彼の探求心は、もはや理性的な判断力を凌駕しているようだった。
「…わかりました。霧島様。その庭園の整備、私が責任をもって行います。私は、必ずあの種子を見つけ出します」
「結構です。それでは、明日から早速、庭園整備に取りかかってください。あなたは、この月光館の庭園整備士兼、首席錬金術師兼、雑用係です」
私は、彼の新たな任務を指示した後、温室を出て、再びホールの薄暗い闇へと戻った。
(これで、私は、この屋敷の最も厄介な、大規模な庭の手入れ費用まで、ゼロに抑えることができた)
水道管の修理、肥料の製造、銀器の研磨、そして庭園の整備。篠田 啓介という一人の考古学者は、私の「残高ゼロの錬金術」を支える、最も安価で多才な道具となった。
月光館のホールに、西日が差し込む。私は壁にかけられた、母の愛した風景画を見上げた。絵の中の庭園は、鮮やかな緑に満ちている。
父と母が残したこの場所を守るために、私はこれからも「完璧な令嬢」を演じ続け、ありとあらゆる手段で費用を削減し、この巨大な負債の館を維持し続けるだろう。
この戦いは、まだ始まったばかりだ。
第十一話 後書き 霧島 雅(第一章 終幕)
読者の皆様、長きにわたり、私の「残高ゼロの錬金術」の第一章にお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
この第一章では、私の極限の節約生活、すなわち、パンの耳や鶏皮、そして米のとぎ汁や灰といった「廃棄物」を、私の生活を支える「黄金の資源」へと変える、私の錬金術の秘密の一端をお見せしました。
そして、私の生活に突然現れた侵入者、篠田啓介さん。彼は今や、私の最も安価で、最も重要な労働力となりました。彼の知的好奇心を巧みに利用することで、私は水道管の修理から、庭園の整備に至るまで、莫大な費用をゼロに抑えることに成功しました。
私の節約は、単なる「ケチ」ではありません。それは、固定資産税という最大の脅威から、霧島家の名誉と、家族の最後の願いが詰まった月光館を守り抜くための、私の命を懸けた生存戦略なのです。
しかし、物語はまだ終わりません。
篠田さんが月光館の閉ざされた庭園で何を見つけるのか。その「幻の種子」は、私の生活にどんな影響を与えるのか。そして、私の「完璧な令嬢」としての装いが、いつ、どこで崩壊するのか。
第二章では、閉ざされた庭園の秘密、そして私が社交界で直面する、さらなる金銭的な危機を描き、私の錬金術が、より高度な知的戦略へと昇華していく様子をお届けしたいと思います。
どうぞ、第二章にもご期待ください。
霧島 雅




