第4話:『当たり付きのファンファーレと、語らない石の友』
今夜の魔王城は、奇妙なほど静かだった。
風も止み、雪も降っていない。凍てついた空気だけが、俺の骨の表面を薄氷でコーティングしていく。
午前3時。いつもの時間だ。
俺は巡回ルートを少し外れ、北回廊の奥にある聖域――**「ジドウハンバイキ」**の前へと立った。
「……今日は、コーンポタージュにするか」
俺は独りごちて、なけなしの銀貨を投入した。
昨日の夜勤中、同僚のオークが「とろみがある方が、保温時間が3分長い」という有益なデータを教えてくれたからだ。熱効率は重要だ。
俺は震える指で、「あったか~い」の黄色いボタンを押した。
その時だった。
ピロリロリン! パパパパーン!!
「ッ!?」
突如、静寂を切り裂くような派手な電子音が廊下に鳴り響いた。
敵襲か!? 警報魔法か!?
俺は反射的に槍を構え、周囲を警戒した。
だが、敵の気配はない。音源は、俺の目の前の「箱」だった。
デジタル表示板で、赤い数字が狂ったように回転し――**『7777』**で止まった。
『オメデトウゴザイマス!』
機械的な音声と共に、取り出し口にガコン、ガコン、と二つの重い音が響く。
俺は呆然と立ち尽くした。
これは……噂に聞く**「確率変動」**。
あの白衣の魔女が、「射幸心を煽って売上を伸ばす実験」として組み込んだプログラムだ。
俺は震える手で取り出し口を探った。
出てきたのは、熱々の「コーンポタージュ」が2本。
「……困ったな」
俺は2本の缶を両手に持ち、途方に暮れた。
俺の肋骨には、缶1本分のスペースしかない。
両手に持っていては槍が握れないし、片方を地面に置けば、この極寒の石畳では瞬く間に冷えてしまうだろう。
かといって、魔女からの贈り物を無駄にすれば、どんな呪いを受けるかわからない。
「……誰か、熱を必要としている奴はいないか」
俺は回廊を見回した。あいにく、今夜の巡回は俺一人だ。
俺は思考を巡らせる。
この城で、俺よりも寒く、孤独で、過酷な場所にいる者は誰か。
俺の視線は、回廊の窓の外――断崖絶壁に面した**「外壁」**へと向いた。
・・・・・・
テラスの扉を開けると、そこは完全な氷の世界だった。
俺は足元の氷に滑らないよう注意しながら、手すりの外側にある「突出部」へ身を乗り出した。
そこに、彼はいた。
ガーゴイル。
石でできた魔物。城壁に擬態し、侵入者を監視するのが彼の任務だ。
だが、ここ数百年、勇者がこのルートから侵入したことはない。
つまり彼は数百年もの間、一度も動くことなく、雪に埋もれ、氷に閉ざされ続けているのだ。
「……よう。生きてるか? 石の旦那」
返事はない。
彼の目も口も、分厚い氷で塞がれている。
ただの石塊に見えるが、俺にはわかる。彼の中にはまだ、微かな魔力の芯が残っているはずだ。
「今日はツイててな。余計な『熱』が手に入っちまったんだ」
俺は片方の缶を肋骨に収め、もう片方の熱い缶を、ガーゴイルの腕と胴体の隙間に、ぐいっと押し込んだ。
凍りついた石の肌に、スチール缶の熱が伝わっていく。
「……やるよ。とろみ成分増量だ」
俺は彼に背を向け、夜空を見上げた。
俺は動けるだけマシだ。彼は、動くことすら許されない。
その孤独たるや、骨だけの俺には想像もつかない。
ポタリ。
微かな水音がした。
振り返ると、ガーゴイルの顔を覆っていた氷が、胸元の熱によって溶け出していた。
溶けた水が、石の目尻から頬を伝い、顎へとツーッと流れ落ちる。
月明かりの下、それはまるで、頑固な石像が涙を流しているように見えた。
俺はマントの端で、その「涙」を乱暴に拭ってやった。
石の肌は、触れると指が張り付くほど冷たい。
だが、胸元に抱いた缶の周りだけは、確かな温もりを放っていた。
ガーゴイルは何も言わない。
だが、その無骨な顔つきが、少しだけ緩んだように見えたのは、俺の眼窩の錯覚だろうか。
「……じゃあな。朝まで持てよ」
俺はテラスを後にした。
肋骨の中の温もりが、いつもより少し誇らしく感じられた。
・・・・・・
翌朝。
白衣の魔女が、データの回収とメンテナンスにやってきた。
彼女は外壁の点検ついでに、ガーゴイルの足元に転がっている空き缶を見つけ、眉をひそめた。
「誰よ、こんなところにゴミ捨てたの……」
彼女は缶を拾い上げ、ふとガーゴイルの足に触れた。
そして、不思議そうに首を傾げた。
「……あれ? 妙ね」
彼女は懐から温度計のような器具を取り出し、ガーゴイルにかざした。
「外気温はマイナス10度なのに、この石像……表面温度がプラス5度もある。
石の比熱容量じゃありえないわ。……内部で核融合でも起きてるの?」
リカは「新種のゴーレムウイルスか? それとも未知の熱エネルギー?」とブツブツ呟きながら、ガーゴイルの周りをぐるぐると調査し始めた。
俺は少し離れた柱の陰から、その様子を見ていた。
ガーゴイルは相変わらず、無言で空を見つめている。
だが、心なしかその表情は、昨日よりも晴れやかに見えた。
俺は自身の肋骨を軽く叩き、朝の光の中へ歩き出した。
今日の夜勤は、悪くなかった。




