第1話:『深夜の魔王城、オレはまだ温かい缶コーヒーを肋骨に抱く』
俺には皮膚がない。だから、城の夜風は骨の髄まで染みる。いや、文字通り骨しかないのだが。
魔王城、北棟3階の渡り廊下。
午前3時。
丑三つ時も過ぎ、草木も眠るこの時間は、俺たちアンデッドの独壇場だ。
「……寒いな」
顎関節をカチカチと鳴らし、俺は定位置の柱にもたれかかった。
勤続200年。生前の記憶はとうに風化した。自分がどこの国の兵士だったかも忘れた。
ただ、冬の寒さが嫌いだったことだけは覚えている。
そんな俺の虚無な夜勤に、最近、ひとつだけ楽しみができた。
廊下の突き当たりに鎮座する、あの**「光る箱」**だ。
ブォォォォン……。
低い駆動音と共に、青白い光を放つ直方体。
新任の料理長――あの恐ろしい白衣の女が設置させた、「ジドウハンバイキ」と呼ばれる祭壇である。
「お、空いてるな」
夜警巡回中のオークが、ドシドシと足音を立てて箱の前に立った。
彼は腰袋から銀貨を取り出し、恭しく投入口へ捧げる。
ピッ。ガコン。
落下音と共に取り出し口に現れたのは、赤い筒。
オークはそれを開け、中身を一気に喉へ流し込んだ。湯気が立ち上る。甘いコーンの香りが廊下に漂った。
「ぐぅぅ……染みるぅ……。やっぱ夜はこれだよなぁ」
オークは満足げに鼻息を荒げ、再び巡回へと戻っていった。
廊下に再び静寂が戻る。
俺の番だ。
カシャ、カシャ。
足音を立てないように近づく。
箱の前に立つと、青い光が俺の頭蓋骨を照らした。
ガラスの向こうには、色とりどりの液体が入った筒が並んでいる。
「ツメタ~イ」の青い文字。そして、一列だけ輝く**「アッタカ~イ」**の赤い文字。
俺の手には、なけなしの給料である銀貨が一枚。
迷うことはない。
俺は震える指骨で硬貨を投入し、一番右端のボタンを押した。
ボシュッ。ガコン。
重い音と共に、それは落ちてきた。
『微糖コーヒー』。
俺は膝を折り、取り出し口に手を突っ込んで、それを掴み取った。
スチール缶の手触り。
そして何より――熱。
「……熱い」
俺には胃袋がない。だから飲むことはできない。
味覚もない。だから「微糖」の意味もわからない。
だが、俺には肋骨がある。
俺はまだ熱いその缶を、かつて心臓があった場所――左胸の肋骨の隙間に、そっと押し込んだ。
サイズはあつらえたようにぴったりだ。
じわり。
缶の熱が、冷え切った肋骨に伝導していく。
脊椎へ、鎖骨へ、そして全身へ。
(……ああ……)
俺は壁に背を預け、深く息を吐く真似をした。
胸の奥が温かい。
まるで、止まってしまった鼓動が、熱を持って再び動き出したかのような錯覚。
ただの缶コーヒーの熱量が、俺に「生きている」という錯覚を与えてくれる。
人間だった頃、暖炉の前でこうしていたかもしれない。
誰かとスープを飲んでいたかもしれない。
そんな、ありもしない「温かい記憶」が、缶の熱と共に脳裏をかすめる。
この熱が続くのは、せいぜい15分。
それが俺の休憩時間の全てだ。
ブォォォン……。
自販機の低い唸り声だけが、俺の相棒だった。
「……先輩、お疲れっす」
ふと、足元から声がした。
夜勤掃除係のスライムだ。また床を磨きに来たのか。
俺は胸から、少しぬるくなった缶を取り出した。
もう、熱はほとんど残っていない。
「……やるよ」
俺はプルトップを開けず、そのまま缶をスライムに放ってやった。
スライムは嬉しそうに体を波打たせ、ズボボボと缶を体内に取り込んだ。カフェインと糖分を直接吸収するつもりらしい。
「あざっす! 糖分染みるっす!」
「行け。ここが汚れているぞ」
俺は顎で床を指し、再び槍を構え直した。
体はまた、冷たい骨に戻ってしまった。
だが、心の奥底には、わずかに温もりが残っている気がした。




