弟の苦悩《櫂理side》
ついにこの時がきた。
どれ程この日を待っていたことか。
あまりにも待ち遠し過ぎて、昨日は一睡も出来なかったくらい。
「あら、櫂理。目の下にクマが出来てるじゃない。莉子ちゃんとのデートそんなに楽しみにしてたの?」
「愚問だ」
とりあえず、頭をすっきりさせるため洗面台に向かう途中、廊下で出会した母親に顔のことをいじられたので、俺は不機嫌に即答した。
まったく。
今日の莉子の服装を想像していたら眠れるわけないだろ。
普段休みの日はシャツにパンツスタイルか、モコモコの可愛い部屋着だったりするけど、出掛ける日は特別だから、どんな格好でくるか楽しみで仕方がない。
いつものパンツスタイルでもいいけど、やっぱり莉子はスカートが一番似合う気がする。
綿菓子みたいな、ふわふわでいかにも女子って感じの……
「あ、櫂理君おはよう。今起きたの?」
ありとあらゆる服装を想像していたところ、階段の方から莉子の声が聞こえ、即座に振り向いた直後。
目の前に飛び込んできた、真っ白な天使に俺は言葉を失った。
可愛い。
この単語一つじゃ収まりきらないくらいに。
色々想像した結果、今日の莉子のスタイルは白色ニットワンピース。
そして、緩めの三つ編みツインテールがあまりにも似合い過ぎて、思わず手が出そうになるのを必死で堪える。
普段はつけないアクセサリーも良いアクセントになっていて、もはや外に連れ出すより、このまま部屋に引き連れて閉じ込めてしまいたい。
「莉子、めちゃくちゃ可愛い。やっぱり出掛けるのやめるか」
すると、気付けば欲望がだだ漏れしていて、俺は本能のまま包み込むように莉子の体を抱き締めると、無意識に心の声を口にしていた。
「何言ってるの?映画楽しみにしてたんでしょ?早く支度して行こう」
そんな俺を宥めるように、莉子は背中を優しくさすってくる。
正直、映画はどうでもいい。
あんなのただの口実でしかないし。
確かに出掛けられることは嬉しいけど、それよりも、こんな可愛い莉子を外に出してしまったら、より一層虫が湧いてきそうで段々不安になってくる。
とにかく、今日は誰一人莉子に近付かせないよう対策を講じなければ。
「……櫂理君。なんか今日の格好いつもと全然違うね」
それから部屋に戻り、着替えてリビングに戻ると、俺の姿を見るやいなや莉子は暫くその場で動かなくなった。
「ああ。莉子とのデートだから気合いを入れてきた」
胸を張ってそう断言すると、俺は黒いジャケットの襟をびしっと正す。
対策を練って辿り着いた結論。
それは、見た目ヤクザ風にして虫共を近付かせないこと。
前髪はアップにして、黒のジャケットとパンツに、黒色シャツのボタンを第二まで開けて金色のネックレスをちらつかせる。
右耳にはシルバーのカフスと、仕上げにサングラスも掛けたかったけど、それは流石に浮きそうなのでここで留めておいた。
これがどれくらいの効果を発揮するのか分からないけど、少なくとも男が気軽に近寄ってくることは……
「凄く格好いいよ!なんか一段と大人っぽくなった感じがする!」
すると、全く予想だにしていなかった莉子の反応に、俺は一瞬目が点になる。
「……え?いや、これはただ……」
誤解だと訂正したかったけど、莉子がめちゃくちゃ褒めてくるのでどうでもよくなった。
ひとまず、目的は違うけど結果オーライということで。
こうして全ての支度を完了させた俺達は靴を履き、玄関の扉を開ける。
そして、扉を閉めてから直ぐに俺は莉子の手を握った。
これはいつものことなので、莉子は抵抗することなく俺の手を握り返してくれる。
とにかく、今日は間違っても姉弟には見られないよう、最大限恋人風を装わなければ。
そう固く決意すると、俺は密かに拳を強く握りしめた。
◇◇◇
「ねえ、あの人めっちゃ格好良くない?」
「なんか、怖そうだけど危険な感じが更にヤバい。てか、色気エグいんだけど」
「でも彼女いるよ」
「多分数あるうちの一人じゃない?なんか遊んでそうだし、もしかしたらワンチャンあるかも」
…………おかしい。
人目を逸らす作戦なのに、なぜかいつも以上に視線を感じる気がする。
映画館がある大型ショッピングモールに到着し、入り口を通過した途端、何やら通行人とすれ違う度に振り向かれたり囁かれたりと。
しかも、見てくるやつはみんな女ばかりで、莉子に注目がいかないのはいいことだけど、これはこれでウザ過ぎる。
「櫂理君、やっぱりいつも以上にすごいね……」
すると、莉子のか細い呟き声が聞こえ視線を向けると、何やら怯えた表情で下を向いていた。
「どうした?具合でも悪いのか?」
家を出た時は楽しそうだったのに、いつの間にか青ざめた顔をしていて、俺は心配になりその場で立ち止まる。
「ううん。そうじゃなくて、周りの視線が怖過ぎて前が向けないの」
けど、返ってきた答えは思っていたのと全然違くて。
何のことかと周囲を見渡してみたけど、特に変わった様子はなかった。
「よく分かんないけど、それなら腕に掴まれよ。下ばっかり見てたら危ないぞ」
「え?」
我ながら妙案だと思い、俺は期待を込めた目を莉子に向ける。
「えと…………うん。じゃあ、そうしようかな」
それから暫しの沈黙後、恥じらいながらも素直に頷いてくれて、嬉しさのあまりつい顔の筋肉が緩んでしまった。
思いつきで言ってみたけど、まさか本当に受け入れてくれるとは。
つまり、謀らずとも恋人らしい雰囲気をつくるというわけで。
幸先のいいスタートにテンションが益々上がってくる。
こうして莉子は俺の腕に抱き付き、身を縮こませながら隣を歩く。
なぜこんなにも怯えているのか何度確認しても分からないけど、その姿がまるで小動物みたいで、食べてしまいたいと思うのは不謹慎だろうか。
「それじゃあ、私券取りに行ってくるからここで待ってて」
映画館に到着し、莉子が発券している間俺は入り口脇にある休憩スペースに腰をかけた。
今日から公開される映画が何本か重なっているせいか、普段の休日よりも人が多い気がする。
とりあえず、莉子が帰ってくるまで俺は適当に時間を潰そうとポケットからスマホを取り出した。
「ねえ、お兄さん一人?」
すると、突然脇から知らない女二人に声を掛けられ、俺は視線だけを向ける。
見ると、化粧が濃く、胸元が大きく開いた服を着ているキャバ嬢みたいな女が立っていて、俺は構うことなく視線をスマホに戻す。
「えー無視は酷くない?おにーさん暇ならあたしらとどっか行かない?」
「映画見に来たんだけど」
そもそも、その目的でここにいるのに、なぜ暇だと断定されるのか、こいつらの頭の中がよく分からない。
「そんなことよりも、もっと面白いことしない?お姉さん達がいろいろ教えてあげるから」
それから、こいつらをどう撒こうか思考を巡らせていると、今度はタイトなミニスカワンピの女が隣に座ってきて、こちらに擦り寄ってきた。
同時に甘ったるい強烈な臭いが鼻を直撃してきて、思わず顔を顰める。
そして、こいつらの目的を瞬時に読み取った俺は、その場で立ち上がった。
「彼女いるから他当たって」
本当はこのまま無視して行こうかと思ったけど、それはそれで面倒くさいことになりそうなので、堂々と嘘を吐いた。
というか、嘘でも莉子のことを“彼女”と言ったのはこれが初めてかもしれない。
てか、今日はそれでいいんじゃね?
恋人風じゃなくて、もうマジな彼女扱いでいいんじゃね?
彼女作ったことないから、一体普段と何がどう違うのかよく分かんねーけど。
「ちょっと待って」
とにかく、さっさとこの場から立ち去ろうとした矢先。
女に腕を掴まれ、無理矢理足止めされたことに俺は苛立ちを覚える。
「彼女よりもあたしらの方がもっと刺激あると思うけど?一回試してみない?」
そして、自信満々にふざけた事をぬかす女に、怒りのボルテージが更に上昇してきた。
なんだこいつら。
自惚れるにも程があるだろ。
見ず知らずの人間にどんだけ盛ってんだ?
いちいち断るのも面倒くさくなってきた。
……。
…………いっそのこと潰すか?
「櫂理君」
危うく思考があらぬ方向へと進みそうになる手前。
莉子の呼び掛けによってはたと我に帰ると、俺は女の手を振り切って足早に彼女の元へと向かった。
「あの人達誰?」
「ただの害虫」
それから、見せ付けるように莉子の肩を抱き、そのまま引き寄せる。
その瞬間、石鹸のような仄かな甘い香りが漂ってきて、女どもの強烈な匂いを打ち消すため、俺は莉子の頭に顔を擦り寄せた。
「どうしたの?もしかして、あの人達に何か変なことされた?」
けど、どうやらこれを怯えているものだと勘違いしているようで。
何故そういう思考になるのかよく分からないけど、恥ずかしがる様子は一切なく、いつものように心配してくる莉子に少しだけ苛立ちを覚えてしまった。
それから、上映時間が差し迫ってきたので、俺達は劇場へと入り、莉子を通路側にして席へと座る。
そして、ここぞとばかりに距離を詰めるも、手摺りが邪魔をして近付くにも限界があった。
その度にこの手摺をへし折ってやろうかと思ったけど、雰囲気を壊したくないのでここは我慢。
その代わり、莉子の手を握り、指を絡めて彼女の肩に頭を置く。
「はい、櫂理君。ポップコーン食べる?」
そんな俺のスキンシップに相変わらず動じることなく、莉子は普段と変わらない態度でポップコーンを一つ摘み、俺の口元に差し出してきた。
当然それを拒む理由なんてなく。
映画が始まるまでの間、俺達はお互いポップコーンを食べさせ合った。
……そして、ふと思ったこと。
これ、いつもと変わらなくね?
映画館デートで思いつく限りの恋人っぽいことしてみたけど、たまに家でもやるし、食べさせ合うなんてしょっちゅうだし、手を繋ぐなんてもはや息を吸うくらい自然なこと。
場所が変われば雰囲気が出るかと期待したけど、やることなすこと全てあっさり受け入れられてしまい、全くもって手応えがない。
これは莉子が好き過ぎるあまり、ほぼ毎日スキンシップをしている弊害なのか。
それなら、いっそのこと恋愛ものにして雰囲気を作ればよかったのか。
けど、それだと秒で寝てしまうからこっちの身が持たない。
なにはともあれ、これでは全く刺激が足りず。
男として見られる方法は他にないのか、色々と思考を巡らしてみる。
「櫂理君、映画終わったよ」
結局、色々考えていたらいつの間にか上映は終了していたようで。
せっかくの映画なのに内容が全く残らないまま、気付けば劇場内は明るくなっていた。
「どうしたの?始めからずっと上の空だったけど」
しかも、莉子に余計な心配をさせるという失態を犯し、自己嫌悪に陥る。
「ねえ、知ってる?話題の超怖いお化け屋敷が今期間限定でやってるの」
「素足で歩くやつでしょ。あれ私の友達がこの前行ったら怖過ぎてリタイアしたって」
「靴脱ぐとかマジでやばいよね。あたしも興味はあるけど挑戦する勇気ないわー。トラウマになりそうだし」
すると、後ろの席から聞こえてきた女達の話し声に、ピクリと体が反応する。
そして、即座にスマホを取り出し検索をかけると、一番上には【呪われた家】と書かれたお化け屋敷の情報が掲載されていた。
__そこで、俺は確信する。
「莉子、次ここ行かない?」
善は急げと早速スマホの画面を見せると、案の定。
莉子は石像のように動かなくなり、暫くの間反応がない。
「む、無理!絶対無理!素足で行くなんて考えただけでも怖すぎる!」
それから数秒後、首がもげそうな程勢いよく横に振り、全力で拒んできた。
「それなら、ずっと俺にしがみついて全て任せてくれればいいから」
とにかく、莉子が俺から離れないようになればそれでいい。
そして、上手くいけば吊り橋効果によって俺を男として見てくれるかもしれない。
そんな期待を込めてお得意の子犬顔をしてみたら、呆気なく承諾してくれたので、俺達は早速ショッピングモールのイベント会場へと足を運ぶことにした。
「きゃああああ!もう無理ー!」
会場に着くやいなや、既に中に入っていた客達が泣きながら非常口から飛び出してきて、それを見た莉子は益々怯えだした。
「ね、ねえ、やっぱり止めよう。私もうこの時点で怖い」
そして、涙目になりながら早速俺の腕にしがみつき、上目遣いで懇願する表情が殺人的に可愛くて、危うく手が出そうになってしまう。
確かにマンスリーとはいえ、お化け屋敷の造りはかなり精巧だった。
古い小さな平屋の一軒家で、窓には赤い手形が点々と施され、玄関には盛り塩二つとお札が貼られていて、リアル感がある。
カーテンが仕切られているので中の様子は分からないけど、ここに素足で入れと言われたら、それなりの勇気が必要だと思う。
けど、所詮はただの作り物なので俺にはその怖さが全く理解出来ない。
行列は怖過ぎるせいかそこまで長くはなく、そうこうしていたらあっという間に順番が来て、俺は半ば莉子を強引に連れて玄関扉を開けた。
中は薄暗く、真っ先に視界に飛び込んできたのは“ここで靴を脱いで下さい”という張り紙で、一先ず指示に従い俺達は玄関先で靴を脱いだ。
内装は本当の家みたいに置物や写真が飾られ、廊下はがらんとしていて、この妙な静けさが余計不気味な雰囲気を醸し出している。
壁には順路の矢印が貼られていたので、とりあえず先に進もうと一歩踏み出す。
けど、莉子は恐怖のあまり微動だにせず、必死に俺の腕にしがみついていた。
「莉子、大丈夫。ゆっくり行こう」
その姿に悶絶しながらも、俺は自分の中で最大限の優しい声で話し掛け、莉子の体をここぞとばかりに抱きしめる。
「……そ、それじゃあ、絶対に離れないでね」
「ああ。俺が莉子を離すわけないだろ」
そして、落ち着かせるために背中を優しく撫でて、頭に口付けを落とした。
なんか、いかにも恋人って感じがする。
それに、未だかつてこんなに頼られたことがあっただろうか。
もしかしたら、上手くいけば弟の枠から外れるきっかけに……
「すみませーん。後詰まってるのでさっさと行ってくれませんか?」
すると、せっかくいい雰囲気を作っていたのに、少し苛立った従業員の声が館内に流れてきて、見事にぶち壊される。
危うく怒りで壁を壊しそうになったけど、これ以上雰囲気を壊したくないので、ここは大人しく我慢して、指示された通り先に進むことにした。
「きゃあ!今なんか動いた!」
「櫂理君、歩くの早いよ。もうちょっとゆっくり」
「お願い、もっとぎゅってして」
やばい。
マジで可愛過ぎて萌え死にしそう。
奥に進むにつれ、鏡の中で何かが動いたり、置物が動き出したり、白い紙みたいなのが飛び出したりと。
様々なアクションが起こる度に莉子は俺に飛びつき、半泣きになりながら力の限り抱きついてくる。
しかも、肩を抱いて欲しいという普段では到底考えられない要求も恐怖によって平然としてくるので、そろそろ我慢の限界を向かえそうになる。
出来ることなら今すぐここで食べたい。
なんなら、そこにあるソファー使っていいかな。
あまりの可愛さに、お化け屋敷の中で危うく暴走しそうになる手前。
更に部屋が暗くなっていく中、最後に残る居間の前まで到着し、扉を開けて中へと足を踏み入れた時だ。
「きゃあああああ!」
莉子の悲鳴が部屋中に響き、背後を振り向いた直後。
長い髪を垂らし、白い着物を着た女みたいなやつが莉子に向かって襲ってくる。
そして、手を伸ばした瞬間。
条件反射で体が勝手に動き、俺はそいつの胸ぐらを掴み上げた。
同時にお化け役のカツラが床にずり落ち、そこにはハゲたおっさんが怯えた目で俺を見下ろしていて、男だと分かった途端怒りのボルテージが一気に上昇する。
「てめえ俺の前で莉子に近付こうなんていい度胸じゃねーかよ。覚悟はできてるんだろうな?」
「いや、これはただの仕事ですから!あああなたの彼女さんに手を出そうなんて、これっぽっちも思ってませんからっ!」
ハゲおやじが怯えながら必死に懇願する中、理由はどうあれ莉子の半径一メートル以内に近付く人間は死あるのみ。
それを分からせるために拳を握り締めた矢先。
「櫂理君!通報されちゃうから、その人早く離して!」
先程の悲鳴以上の声量で莉子に一喝されてしまい、俺は渋々ハゲおやじから手を離したのだった。
◇◇◇
あれから、お化け屋敷を出てすぐ従業員に厳重注意をされ、俺達は大人しくその場を後にする。
「もう、櫂理君のせいで最後すっごく恥ずかしかった」
「悪い。莉子に触れようとする奴は無条件で排除したくなるから」
道すがら莉子にもキツく叱られたけど、これは性分だから仕方ないと。
そう割り切りながらも、機嫌を損ねてしまったので一応謝ってみた。
「とりあえず、飯にするか?もう大分昼過ぎちゃったし」
飛び込みでお化け屋敷に入ったので、気付けば正午をとっくに過ぎており、先程からずっと腹が鳴りっぱなしだ。
ひとまずレストラン街へと向かうため、エスカレーターを降りようとした途端、突然莉子に腕を引っ張られた。
「どうした?」
何やら渋い表情をしているけど、まだ機嫌が直っていないのだろうか。
やっぱり、ちゃんと謝った方が……
「ここは人が多いからもう帰りたいかも……。櫂理君が大丈夫ならご飯は買っていかない?」
すると、予想とは違う返答が来て、俺は首を横に傾げる。
確かに今日は休日だから多少混雑はしているけど、普段これぐらいの人混みなら全然平気なのに。
「やっぱり具合でも悪いのか?一旦休む?」
段々と心配になってきた俺は、休憩できる場所を探すため案内板へと向かおうとした矢先。
今度は服の裾を軽く引っ張られ、またもや足止めをされてしまう。
「違う。そうじゃなくて……。あの……」
そして、とても言いづらそうに口ごもる莉子に、益々不安が募り始めていく最中だった。
「今日の櫂理君格好良過ぎるから、私が居なくなるとまた誰かに声掛けられちゃうでしょ?だから、なんかそれが嫌だなって……」
「………………は?」
あまりにも斜め上な返答に思考がついていけず、思わず間の抜けた声が出る。
その数秒後、ようやく内容を理解することが出来、ある結論に至った瞬間、俺は莉子の手首を掴みそのまま歩き出した。
「え?あ、あの櫂理君?」
無言で連れ出されていることに戸惑いながらも、莉子は大人しく後をついてきてくれて、俺達は人気のない通路端へと辿り着く。
それから、これまで我慢していた感情が溢れ出しそうになる手前。
俺は莉子の体を柱に押し付け、彼女の顎を軽く引き上げた。
「それって嫉妬してるってこと?」
そして、期待を込めた目を向けると、莉子の耳が一気に赤くなり、視線を逸らして小さく頷く。
これは正に吊り橋効果というやつだろうか。
まさか、ここまで上手くいくとは思わなかった。
つまり、今の莉子は俺を“男”として見てくれてる?
そう確信した時、かろうじて繋ぎ止めていた理性の糸がプツリと切れる音がした。
ああ、だめだ。
もう無理。
そう心の中で呟くと、俺は莉子の唇に親指をあてて、そのまま自分の唇を重ねた。
間接的ではあるけど、これまでで一番彼女の吐息を感じ、熱を感じる。
もしこの指をずらしてしまえば、きっとこの乾いた心も少しは潤うかもしれない。
けど、かろうじて残っていたなけなしの理性が何とかそれを食い止め、俺はゆっくりと莉子から唇を離した。
それから暫しの間沈黙が流れる。
まさか、ここで間接キスをされるとは思っていなかったようで、莉子は先程から目を見開いたままその場で固まっていた。
その可愛らしさに内心悶えながら、俺は不敵に笑う。
「約束、ちゃんと守ったからな?」
そして、何か言われる前に先手を打った。
「……櫂理君のバカ」
どうやら効果はそれなりにあったようで、莉子は小さく頬を膨らませながら俺を軽く睨みつける。
けど、その姿はただの良い刺激にしかならなくて、危うく今度は本気で彼女の唇を奪いそうになった。
それから、俺達は何事もなかったようにショッピングモールを後にした。
家までの道中若干の気まずさが残り、後ろめたさはあるけど、莉子が俺のことを意識していると思うと少しの達成感が沸いてくる。
その一方、これまで一切触れてこなかった領域に近付いてしまったせいで、今後は理性をどこまで保てるのか分からなくなってきた。
この止めどない欲求と乾いた心は、おそらくこれからも満たされことはない。
どこまでも莉子が欲しくて、暴走し続ける心は自分でも制御不可能だ。
それは弟でも、一人の男になったとしても永久的に変わらないと思う。
本当に我ながら、どこまでも重症だなと。
改めてそう自覚すると、俺は莉子に気付かれないよう自嘲気味に笑った。