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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第一章(黒船)
8/65

8(交渉)

嘉永6年6月9日(西暦1853年7月14日)、久里浜。


前夜からの雨も上がり、じっとりとした夏の空気が肌にまとわりつく。

夜明け前から俺たちは、それぞれの準備に追われていた。

砂浜には急ごしらえの応接所が設けられ、その周囲を数千の幕府・諸藩の兵士たちが、緊張した面持ちで物々しく警備している。

沖合には、ペリー率いるアメリカ合衆国東インド艦隊の黒船四隻がその巨大な船体を静かに浮かべ、無言の圧力を放っていた。


「ミネルヴァ、最終確認だ。ペリーの性格、随行員の主な顔ぶれ、そしてアメリカ側の要求事項の優先順位は?」


俺は、応接所から少し離れた場所に設けた臨時の情報拠点(と言っても、人目につかないよう偽装したただの小屋だが)で、ミネルヴァに問いかける。


「はい、ジン様。ペリー提督は断固たる意志と強い使命感を持つ軍人ですが、同時に名誉欲も強く、自身の名を歴史に刻むことを望んでいます。随行員には、オランダ語や中国語に通じた通訳の他に、測量技師や博物学者も含まれており、日本の地理や資源にも強い関心を示していると観測されます。要求事項の最優先は、大統領親書の確実な手交、そして漂流民の保護と補給港の確保。通商条約の締結は、今回は強硬に迫るというより、次回の来航への布石という意味合いが強いでしょう」


「なるほどな。つまり、親書さえ受け取らせれば、一旦は面子が立つ。補給港と漂流民保護で実利を取り、通商で未来への種を蒔く、か。分かりやすい戦略だ。こちらもそれに応じて手札を切るとしよう」


一方、田中久重は、応接所の近くに慎重に設置された「秘密兵器」の最終調整に余念がなかった。

彼がこの数ヶ月、寝る間も惜しんで作り上げた、まさに魂の結晶だ。

その隣では、土方歳三が集めた数名の若者たちが、万が一の事態に備え、ジンの指示通りに警備と連絡の任についている。彼らの顔には、歴史的な一日に関わるという緊張と、わずかな高揚が見て取れた。


「ジンさん、配置は完了です。久重先生の機械の周りも、抜かりなく」


土方が小声で報告に来る。


「ご苦労、土方。お前たちがいれば心強い。だが、決して無茶はするな。今日の主役は『言葉』と『知恵』だ」


俺は土方の肩を叩いた。



会見直前。

俺は、浦賀奉行所与力・中島三郎助の「臨時通詞補佐心得」という名目で、幕府の交渉団末席に加わっていた。

もちろん、俺の真の目的は単なる通詞ではない。

この交渉の場で、日本の国益を最大限に守り、かつアメリカ側にも日本の「底力」と「尊厳」を認めさせることだ。

傍らには、(俺にしか見えない)ミネルヴァが静かに佇み、リアルタイムで情報を提供してくれている。


「ジン様、ペリー提督以下、アメリカ側代表団が上陸を開始しました。武装した兵士約300名を伴っております。極めて威圧的な姿勢です」


(だろうな。最初からナメてかかってきている証拠だ)



会見は、アメリカ大統領からの親書の手交という形で始まった。

公式な通訳(オランダ語を介して)が間に入り、型通りの挨拶と要求事項が述べられる。開国、通商、石炭・水の補給、漂流民の保護…。

その内容は、事前にミネルヴァから得ていた情報と寸分違わなかったが、ジンはミネルヴァのバフ(万象翻訳能力)を通じて、ペリーの発言の細かなニュアンスや、通訳が省略したり意図的に変えたりしている部分まで正確に把握していた。


(…なるほど、公式通訳はかなり意訳しているな。ペリーの言葉はもっと直接的で、高圧的だ)


幕府側代表は、これらの要求に対し、即答を避け、あくまで


「親書は確かに拝受した。これは幕府の最高機関である江戸城へ送り、将軍様ならびに老中たちによって慎重に審議され、その回答は長崎のオランダ商館を通じて、あるいは貴殿が再び来航された際にお伝えすることになるであろう」


という、時間稼ぎともとれる曖昧な回答に終始する。

ペリーはそれに強い不満を表明し、顔をしかめて


「我々は友好的な使節として来ているが、我々の忍耐にも限界がある。来春、より強力な艦隊を率いて再来航する際には、明確かつ満足のいく回答を期待する」


と、半ば脅しともとれる言葉を付け加えた。


緊迫した空気が流れる中、俺は中島三郎助にそっと耳打ちした。


「中島殿、今です。例の『余興』を」


中島は一瞬ためらったが、意を決したように頷き、戸田奉行に何事か進言した。

戸田奉行は訝しげな顔をしたが、中島の熱意に押されたのか、渋々許可を与えたようだ。

中島が、ペリー提督に向き直る。


「ペリー提督。我が国からの親書に対する正式なご返答は、今しばらく時を要しますこと、何卒ご容赦願いたい。ですが、貴国が我が国の現状について、あるいはその技術力について、何らかの誤解をお持ちであるやもしれぬと拝察いたします。つきましては、誠にささやかながら、我が国で開発されました新たな通信技術の一端を、この場でご覧に入れたく存じます」


ペリーは眉をひそめ、やや不審そうな顔で「ほう、通信技術とな?この場でか?」と応じた。彼の背後に控える士官たちも、訝しげな表情を浮かべている。

その時、応接所の外、少し離れた場所に設置されていた田中久重製作の『電信装置』の前に、土方歳三が待機していた。

そして、応接所内の卓上にも、もう一台の受信機が置かれている。この二つの装置は、事前に久里浜の砂浜の下を目立たぬように這わせた細く絶縁処理された電線で繋がっていた。


「これは『電信機』と申しまして、遠く離れた場所に瞬時にして文字で情報を伝えることができる装置にございます」

ジンはミネルヴァの能力(バフ)で話せるようになった英語で流暢に説明する。

ペリー側の随員の一人が、フンと鼻を鳴らしたのが聞こえた。おそらく、日本の技術など取るに足りないと思っているのだろう。


「では、ご覧に入れましょう」


ジンが目線で土方に合図を送ると、少し離れた場所にいる土方が手筈通りに手元の送信機の電鍵を操作し始めた。

卓上の受信機から、カタ、カタ、というやや不規則な機械音と共に、白い紙テープがゆっくりと送り出されてくる。

数秒後、受信機から出てきた紙テープを、ジンがペリーに差し出した。

そこには、はっきりとこう記されていた。


W()E()L()C()O()M()E()


ペリーは、その紙テープと、少し離れた場所で涼しい顔をしてこちらに一礼する土方、年甲斐もなくガッツポーズする久重、そして卓上の精巧な機械を見比べ、大きく目を見開いた。

彼の随員たちも、にわかに色めき立ち、囁き合う声が聞こえる。


「何だこれは…?」

「本当に文字が…」

「日本の技術か…?」


彼らは電信技術の存在自体は知っているはずだ。

しかし、この極東の、彼らが「未開」と見做していたかもしれない島国が、これほど小型で実用的に見える印刷電信装置を既に手にし、目の前で実際に文字情報を伝達してみせたという事実は、彼らの常識を覆すには十分だった。


「…これは…驚いた。実に興味深い技術だ」


ペリーは、ようやく絞り出すように言った。

その声には、明らかに先ほどまでの傲慢さが薄れ、純粋な驚きと、そしてわずかな警戒の色が混じっている。

俺は内心でほくそ笑んだ。これが、俺たちの最初のジャブだ。言葉だけでは通じぬ相手には、こうして「理解できる形」でこちらの力の一端を示すのが効果的だ。


会見はその後も続いたが、空気は確実に変わっていた。

幕府側は依然として慎重な姿勢を崩さなかったものの、アメリカ側の高圧的な態度はいくらか和らぎ、日本に対する認識を改めざるを得ないという雰囲気が漂っていた。

ジンは、ミネルヴァの万象翻訳を通じてペリーたちの会話の細かなニュアンスを把握し、重要なポイントを中島に小声で的確に伝達。

中島はそれを元に、時に巧みな言い回しで幕府の立場を守り、時にアメリカ側の要求の論理的な矛盾点を(ジンの受け売りの国際法知識や、提供したアメリカ国内の事情なども交えつつ)冷静に指摘した。それは、まさに情報の優位性を背景とした、高度な心理戦でもあった。



数時間の後、最初の公式会見は終了した。

ペリーは、大統領親書を幕府代表に手渡したという目的は達成したが、その表情には、当初の自信に満ちたものとは異なる、複雑な感情が浮かんでいた。

彼は、来春の再来航と、その際の友好的かつ具体的な回答を期待する旨を改めて伝え、艦隊へと戻っていった。

幕府代表たちは、疲労困憊しながらも、予想外の「日本の技術力」のアピールと、アメリカ側の態度の微妙な変化に、一縷の望みと、そして新たな混乱を感じていた。


応接所を引き上げる際、中島三郎助が俺に近づき、低い声で言った。

「ジン殿…あなたの力、そしてあの『電信機』…まさに驚嘆すべきものだった。今日の交渉、あなたの助言がなければ、どうなっていたことか…感謝の言葉もない」

彼の目には、俺に対する新たな評価と、そして以前にも増した畏敬の念が浮かんでいた。


数日後、ペリー艦隊は江戸湾を去り、琉球へと向かった。嵐のような10日間だった。

しかし、江戸城内では、新たな嵐が巻き起こっていた。


「あの『KNOW』の光は何だったのか」

「中島が交渉の場で使ったという『電信機』はどこで手に入れたのか」

「そして、中島の背後にいて、異国の言葉を解し、不可解な知識を持つという謎の少年ジンは何者なのか」


俺の存在は、良くも悪くも、幕府の一部に強烈な印象を残し、彼らの間で様々な憶測と警戒、そして一部には期待を抱かせることになった。

開明派の幕臣たちは、俺の知識と技術に日本の未来を賭けてみようと考え始めるかもしれない。

一方、保守派の重鎮たちは、得体の知れない俺の存在を国家を揺るがす危険分子とみなし、その排除を画策し始めるだろう。


神田の屋敷に戻った俺は、土方、久重と共に今後の戦略を練り直していた。


「ペリーは去ったが、必ず戻ってくる。それまでに、俺たちはさらに力をつけ、この国を内側から変革し、外からの脅威に備えなければならない」


俺の言葉に、土方も久重も力強く頷いた。


(ミネルヴァも、ここからが重要だ)


(はい、ジン様。幕府や諸藩、諸外国の反応、私達に興味を持っている人物や敵対的な人物、ペリーのこれからのスケジュールにいたるまで、何でも聞いて下さいね)


(まったく、うちの精霊は頼もしいな)



日ノ本は、今まさに歴史の大きな分岐点に立たされている。

そしてその舵を、俺はこの手で握り始めたのだ。

田中久重、大車輪の活躍。


【用語解説】

印刷電信機:

ここに出てくる印刷電信機は史実におけるモールス符号を受信して印字する方式が近いです。

これは「テープの上にモールス符号の穴を開け,これを送信機にかけて電気符号で送信し,受信側では回転円筒のまわりに活字のついたものを回し,該当の文字のところで止めてテープに印字するもの」だったようで、海底電信(有線)でも使われたようです。

今回久重が制作したものはこれと非常によく似たもので、彼のからくりによって受信したモールス符号に応じて特定の電磁石が作動。作動した電磁石が、対応するアルファベット活字をハンマーのような機構で瞬間的に押し出し、墨を塗ったパッドを介して紙テープにその文字を「スタンプ」のように打ち付け印刷する仕組みをイメージしています。

もちろん有線での電信でした。

まぁフィクションなので、違うものを想像したとしてもそれで正解です。小説は皆さまの想像で成り立っていますので。

史実における印刷電信機そのものの発明は、55年アメリカのヒューズD.E.Hughes(1831-1900)によって完成しています。

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