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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
エピローグ
65/65

65(最期)

1902年。


あの大戦の砲声が止んでから、3年の月日が流れた。

世界は、かつての姿を完全に失い、全く新しい秩序の下で、静かな再建の時を刻んでいた。


大英帝国が主導した「連合国」は、その敗北と共に歴史の藻屑と消え、今や各国の教科書にその名が記されるのみとなっている。

対する我らが「中央同盟」は、戦時下のような強固な軍事同盟から、日本を緩やかな盟主とする経済的・技術的な協力関係へとその姿を変え、新しい時代の羅針盤として機能していた。


戦後の復興は、日本の圧倒的な工業力と技術力なくしては語れなかった。

焦土と化したヨーロッパの街々へ、廃墟となったアメリカ大陸の港へ、日本の技術者たちが次々と派遣されていく。

彼らは、戦火で失われた橋を架け、鉄道を敷き、工場を再建した。

その姿は、かつて世界を恐怖させた鋼鉄の軍団とは全く違う、静かで、しかし確かな力に満ちたものだった。

世界は、日本の「力」が、破壊のためだけでなく創造のためにも使われることを、この3年でようやく学び始めていた。


ヨーロッパ大陸では、ドイツ帝国がその覇権を確固たるものとしていた。

フランス、イタリア、スペイン…かつての列強は、ドイツを中心とする新たな経済圏に取り込まれ、ベルリンの意向なくしては何も決められぬ状況となっていた。

親ドイツ政権が次々と誕生し、大陸は一つの巨大な経済ブロックとして再編されつつあった。

だが、その平和の裏で、フランスの民は北部喪失とパリ陥落の屈辱を忘れてはおらず、復讐の炎は静かに燻り続けている。


かつて「瀕死の病人」とまで呼ばれたオスマン帝国は、日本の支援の下、目覚ましい近代化を遂げていた。

3B鉄道は全線開通し、バグダッドからイスタンブール、そしてベルリンへと続く鉄路は物と人の流れを活発化させ、帝国に新たな血を注ぎ込んでいる。

だが、彼らには一つ、新たな悩みの種が生まれていた。


時折、南洋州からやってくる、新しい「日本人」たちだ。

彼らは同じイスラムの神を信じているはずなのに、大晦日には仏教の寺で除夜の鐘を聞き、正月には神道の神社へ初詣に行くという。

そして、イスラム暦の元旦であるムハッラムの祝祭には、なぜかキリスト教徒や仏教徒の隣人たちも一緒になってケーキを食べるらしい。

もはや、イスタンブールの敬虔なイスラム教徒たちには、その文化が理解の範疇を超えていた。


「…日本の総攬殿は、宗教までも魔改造するおつもりか…」


イスタンブールのカフェで、オスマン帝国の若い官僚が頭を抱えて呟くのが、日常の風景となりつつあった。


かつて七つの海を支配した大英帝国は、ブリテン島とアイルランドだけの小さな島国へと戻っていた。

広大な植民地を失い、その富の源泉を断たれた国内経済は疲弊し、各地で失業者のデモやストライキが頻発している。

「パクス・ブリタニカ」の栄光は、今や老人の昔話の中にしか存在しない。


巨大な熊、ロシア。

結局ロマノフ王朝は崩壊し、広大な領土を失った。

レーニンやスターリンといった過激な革命家は、俺やドイツによって歴史の舞台から「掃除」され、共産主義という名の厄災が生まれることはなかった。

だが、新たな政府の下で国民の生活は未だ安定せず、広大な国土には敗戦の傷跡が深く刻み込まれていた。


§


俺が築き上げた束の間の平和は、旧時代の亡霊によって、あまりにも呆気なく引き裂かれた。


ロッキー山脈の東側、ドイツの影響下で復興を遂げたはずのCSA(アメリカ連合国)が、突如として西のアメリカ合衆国(USA)に牙を剥いたのだ。

彼らが掲げたスローガンは「Remember Manifest Destiny(再び、西へ)」。

かつて太平洋を目指した、あの傲慢な夢の再来だった。


それは、俺が定めた「江戸条約」に対する、そして世界の独立を保障する大日本帝国に対する、明確な反逆行為だった。


「…愚かな」


大戦略室。CSAからの宣戦布告の報を受け、俺はただ静かに呟いた。

傍らに立つミネルヴァも、呆れたようにため息をついている。


「彼らは、自分たちが誰に喧嘩を売ったのか、まだ理解できていないようですわね」


「ああ。教えてやる必要がある。この世界の、本当のルールというものをな。…全軍に通達。CSA軍の戦闘能力を完全に無力化するための、電撃戦を開始する」


CSAの宣戦布告から、わずか1時間後。

ロッキー山脈を越えようとしたCSA空軍のプロペラ戦闘機や爆撃機は、USA領内の日本軍基地からスクランブル発進した、最新鋭のジェット戦闘機隊の前に、なすすべもなく空の藻屑と消えた。翼に描かれた赤い日の丸が、まるで猛禽のようにCSAの旧式機を蹂躙していく。彼らは、敵の姿を正確に捉えることさえできぬまま、一方的なドッグファイトで撃墜された。


陸軍もまた、ロッキー山脈の麓から一歩も進むことはできなかった。山脈に秘密裏に設置された日本の長距離要塞砲が火を噴き、CSAの戦車部隊を鉄くずの山に変えていく。万が一、その砲撃網を抜けてきた僅かな航空機も、大戦後に実戦配備されたばかりの地対空ミサイルによって、正確無比に撃ち落とされた。CSAが誇る陸空軍は、日本の圧倒的な技術力の前に、戦闘にさえならなかった。


そして、開戦から二日後。

CSA全土の上空を、日本の成層圏爆撃機が音もなく覆った。だが、投下されたのは爆弾ではない。無数の紙片…降伏勧告のビラだった。


『この紙が爆弾に変わる前に、降伏せよ』


その簡潔な、しかし有無を言わせぬメッセージは、CSA全土を震撼させた。

だが、南部の民の誇りは、まだ砕けてはいなかった。彼らは、これを日本の脅しと断じ、徹底抗戦を叫ぶ。


開戦から一週間後。

今度は、首都リッチモンドにのみ、集中的にビラが撒かれ始めた。


『リッチモンド市民に告ぐ。二週間後、この都市を地図から消滅させる。それまでに、街から逃げなさい』


その、あまりに具体的で冷徹な予告に、ついに市民はパニックに陥った。

我先にと街から脱出しようとする人々の車で、全ての道が埋め尽くされ、リッチモンドは巨大な駐車場と化した。怒号、悲鳴、そしてクラクションの音が、絶望の交響曲のように街に響き渡る。


さらに一週間後。リッチモンドの混乱が極まる中、日本の空挺部隊が街の中心部に無音で降下した。

彼らの任務は、戦闘ではない。

逃げ遅れた老人や子供たちを保護し、安全な場所へ避難させること。


「来るな!悪魔の手先め!」


地下室に立てこもる老婆が、猟銃を震える手で構える。

だが、日本の兵士は銃を向けることなく、静かにヘルメットを脱ぎ、片言の英語で語りかけた。


「おばあさん、危ない。助けに、来た」


兵士は、懐から出した非常食のチョコレートを差し出す。その兵士の瞳に敵意がないことを悟った老婆は、銃を取り落とし、その場で泣き崩れた。

CSA政府は、この日本の行動を「非人道的な誘拐作戦だ」と世界に非難したが、その声はもはや誰の心にも響かなかった。


そして、運命の日。

リッチモンド上空には、青空が広がっていた。

最後のビラが撒かれてから数日、ゴーストタウンと化した街には、鳥の声だけが虚しく響いている。


大戦略室の壁に設置された巨大なスクリーン。そこに、偵察機から写真電送で送られてくる、リッチモンドの静止画が次々と映し出されていく。街に人影は無い。

俺は、マイクに向かって静かに命令を下した。その声は、通信回線を通じて、一万メートルの上空を飛ぶ爆撃機『富嶽改』のパイロットに届く。


「…やれ」


「…投下」


爆撃機の腹部が開き、一本の、奇妙なほどに滑らかで、不気味なほどに静かな、銀色の塊が、陽光を浴びてきらめきながら、ゆっくりと、しかし抗いがたい重力に引かれて落ちていく。


それは、人類が初めて、その意志で都市を消滅させるために使う、禁断の果実だった。


数分後。

リッチモンドの上空、高度六百メートルで、その果実は静かに弾けた。


音はない。


ただ、第二の太陽が生まれたかのような、純白の閃光。

写真電送が、一瞬、ノイズで途絶える。


数秒後、再び送られてきた画像は、地獄そのものだった。

熱線。数百万度の火球が、街の中心部を瞬時に蒸発させる。石も、鉄も、アスファルトも、全てが沸騰し、気体と化していく。爆心地から半径一里(約4km)圏内の影という影が、衝撃波が到達するよりも早く、壁や地面に黒い人型のシミとして焼き付けられた。

爆風。音速を超えた衝撃波が、街を蹂躙する。鋼鉄の橋は飴のようにねじ曲がり、摩天楼は砂の城のように崩れ落ちていく。

そして、炎。爆風が過ぎ去った後、街の酸素が一斉に中心部へと吸い寄せられ、巨大な火災旋風が発生する。リッチモンドは、直径数里(十数キロ)に及ぶ、巨大な灼熱の炉と化した。


大戦略室のスクリーンに、最後に送られてきた画像が映し出されている。

天を突くかのように立ち上る、巨大なきのこ雲。

それは、あまりに美しく、そしてあまりに禍々しい、文明の墓標だった。

かつて南部の誇り高き首都であった場所には、全てを融解させ、ガラス化させた、巨大な黒い円形のシミが残されただけだった。


後日、爆撃機が持ち帰った記録映像が、全世界に配信された。

ロンドンの広場に設置されたスクリーンで、パリのカフェの片隅で、ベルリンのビアホールで、人々はその光景に言葉を失った。泣き崩れる者、嘔吐する者、ただ呆然と立ち尽くす者。

人類は、自らが神の真似事をして、地上に地獄を創造できることを、初めて知ったのだ。


その光景を、俺は、大戦略室の静寂の中で、ただ無言で見つめていた。

ミネルヴァが、静かな声で語りかける。


「誰もがこの光景を『悪魔の所業』と呼ぶでしょう。ですが、私は知っています。この絶対的な『恐怖』こそが、人類を未来永劫、世界大戦という愚かな行為から遠ざける唯一の『抑止力』となることを。誰かが、その引き金を引かねばなりませんでした。他の誰かが、より悪意に満ちた形でこの力に気づく前に、あなたが『世界の警察官』として、その力を管理下に置く。…これは、未来の数多の命を救うための、最も冷徹で、そして最も『正しい』選択です。歴史は、あなたを『破壊者』ではなく、真の『平和の創造主』として記憶するでしょう」


「…そうだな」


俺は、スクリーンに映る、文明の死骸に、静かに頷いた。


§


リッチモンド消滅の報は、CSAの徹底抗戦の意志を、恐怖と共に粉々に砕いた。

彼らは、無条件降伏以外の選択肢がないことを悟った。


だが、俺がCSAに提示したのは、賠償も、領土の割譲も求めない「白紙和平」だった。

ただ一つ、リッチモンドを中心とする半径十里(約40km)の土地を、未来永劫、人が立ち入ることを許されない「始まりの円環区」として指定することを除いては。

大陸に刻まれた巨大な傷跡は、人類が二度と開けてはならない扉の、静かな墓標となった。


§


その数ヶ月後。帝都・江戸。

あの大戦の講和会議が開かれた同じ大広間に、再び世界中の指導者たちが集っていた。

だが、その空気は全く違っていた。勝利を祝う熱気も、敗者を詰る憎悪もない。

あるのは、人類の存亡を左右する議題を前にした、荘厳で、そして畏怖に満ちた静寂だけだった。


議長席に座る俺、扶桑 仁は、これが総攬としての最後の仕事になることを、内心で決めていた。

俺は、居並ぶ各国の代表たちを、一人一人、ゆっくりと見渡した。

その誰もが、俺の言葉を固唾を飲んで待っている。


「諸君。我々は今日、戦争の勝敗を決めるために集まったのではない。未来の全ての戦争を、この地上から根絶するために集まったのだ」


俺はまず、日本の立場を明確にした。


「リッチモンドで使用した、あの兵器…『原子爆弾』と我々は呼んでいる。我が国は、あのただ一発を製造したのみであり、今後、一切この兵器を製造しないことを、ここに宣言する。そして、その全ての研究資料と製造技術は、厳重に封印する」


その言葉に、安堵の息が漏れる。

だが、俺は続けた。


「同時に、本日をもって、原子爆弾を含む全ての核兵器の保有、開発、そして実験を、全世界で永久に禁止する。もし、この協定を破り、核実験を行った国が確認された場合、その国は、その瞬間に大日本帝国と自動的に戦争状態へと移行する。警告はない。次の一発は、必ずその国の首都に落ちることになるだろう」


それは、交渉ではなかった。

絶対的な力を持つ者による、最後の通牒だった。

議場が、その言葉の重みに静まり返る中、俺は静かに立ち上がり、最後の演説を始めた。


「皆の者、改めて、リッチモンドの映像を思い出してほしい。…いや、目を逸らさず、その光景を心に焼き付けてほしい」


俺の声は、静かだったが、大広間の隅々まで響き渡った。


「私は、許されざる罪を犯した。一つの都市を、そこに住まう人々の歴史と、営みと、未来の全てを、一瞬にして消し去ったのだから。リッチモンドの民には、謝罪しても仕切れない。彼らの犠牲の上に、今日のこの会議は成り立っている」


俺は一度言葉を切り、深く頭を下げた。

総攬として、世界の頂点に立つ者として、初めて見せた謝罪の姿だった。


「だが、問いたい。もし、あの光景を世界が見なければ、どうなっていただろうか? いずれ、あなた方の国の誰かが、同じ力に辿り着いたかもしれない。そして、互いに疑心暗鬼となり、この『最終兵器』の数で競い合い、いつ終わるとも知れぬ恐怖の均衡の中で、人類は暮らすことになっただろう。そして、いつか、誰かの狂気や、ほんの少しの誤解で、その引き金が引かれてしまったら…? その時、リッチモンドは、世界中に、何十、何百と生まれることになっただろう」


「次の世界大戦は、国家の存亡を賭けた戦いではない。人類そのものを、この惑星の歴史から消し去るための、最後の戦争になる。私は、それを絶対に止めたかった。そのためには、言葉だけでは足りなかった。人類は、自らが立つ崖っぷちの深さを、一度、その目で覗き込んでみなければならなかったのだ」


俺は、再び顔を上げ、各国の指導者たちの目を、一人一人、射抜くように見つめた。


「リッチモンドの事は、未来の数多の悲劇を防ぐための、苦渋の、そして唯一の選択だった。私は、その全ての罪を、この身に背負う。その上で、諸君に命令する」


「これより、全ての国家間の争いは、武力ではなく、対話によって解決することを義務とする。…それでもなお、剣を抜こうとする愚か者が現れた時、それを止めるのが、この原子爆弾という『天の矛』であり、そして、その引き金を管理する『世界の警察官』としての、我が日本の最後の役割だ」


俺は、演説台から静かに降りた。

俺の演説が終わった後も、大広間は静寂に包まれていた。

世界の指導者たちは、自らが目撃した歴史の巨大な転換点を、まだ消化しきれずにいる。



その夜、俺は中央同盟の仲間たち――ドイツ、オスマン、そしてオーストリアの代表を、総攬府の奥にある一室に招いた。昼間の喧騒が嘘のような、静かな茶室。ここが、新しい世界の本当の設計室となった。


「よく来てくれた」


俺が切り出すと、ドイツ宰相が重々しく口を開いた。


「扶桑総攬。あなたの演説、感服いたしました。ですが、ただ核兵器を禁ずるだけでは、いずれまた新たな火種が生まれるやもしれませぬ。人の欲望とは、そういうものですからな」


「その通りだ」と俺は頷く。

「だからこそ、我々は『仕組み』を創る。怒りや憎しみ、そして欲望といった、人の感情に左右されない、絶対的な平和維持の『仕組み』をだ」


俺は、障子に映る庭の影法師を見つめながら、その構想を静かに語り始めた。


「『国際連盟』を設立する。その中核となる『理事国』は、日本、ドイツ、オスマン帝国の三国としたい」


その言葉に、オーストリア外相がわずかに眉を動かした。俺は、彼の心中を察し、言葉を続ける。


「異論はあろう。だが、聞いてほしい。理事国が三カ国であることには、明確な理由がある。それは、世界の紛争を、多角的な視点から、決して偏ることなく裁定するためだ。我が日本は、太平洋とインド洋を抱える『海洋国家』であり、神道、仏教、キリスト教、そしてイスラム教徒さえもが共存する『多宗教国家』だ。ドイツは、ヨーロッパ大陸の覇者たる『大陸国家』であり、『キリスト教文明圏』を代表する。そして、オスマン帝国は、アジアとアフリカにまたがり、『イスラム教文明圏』を代表する。この三者が揃ってこそ、世界のあらゆる問題を、公平に議論できると、私は考える」


「もしここに、同じヨーロッパのキリスト教国家であるオーストリアが加われば、どうなるか? 連盟は、ヨーロッパの問題に偏重し、アジアやイスラム世界の声を軽んじる『第二のヨーロッパ会議』になりかねん。それでは、世界の半分しか統治できんのだよ」


その、あまりに大局的な視点に、オーストリア外相は言葉を失い、ドイツ宰相とオスマン大宰相は深く頷いた。


「だが」と俺はオーストリア外相に向き直る。「貴国の、中央同盟への貢献と、ヨーロッパの安定における重要性を、私が軽んじているとでもお思いか? とんでもない。だからこそ、貴国には、理事国と同等の名誉ある役割を担っていただきたい。国際連盟の本部は、ヨーロッパの心臓であり、古くから外交の中心地として栄えた、貴国の首都ウィーンに設置したい。お引き受けいただけるだろうか?」


その提案は、オーストリアの面子を最大限に立て、同時にその政治的・文化的中心性を認めるものだった。外相は、熟慮の末、深々と頭を下げた。


「…総攬閣下の深遠なるお考え、しかと理解いたしました。その大役、謹んでお受けいたします」


§


翌日、再び江戸城大広間に全ての国の代表が集められた。

壇上には、俺と、ドイツ、オスマン、オーストリアの代表が並び立つ。

俺は、昨日とは違う、穏やかな、しかし有無を言わせぬ力強さで、高らかに宣言した。


「本日、ここに『国際連盟』の設立を宣言する! そして、ここに集いし全ての国家に、その加盟を要請する!」


議場が、その言葉の意味を測りかねてざわめく中、俺は連盟の具体的な内容を説明していく。


「国際連盟は、国家間のあらゆる紛争を、武力ではなく対話によって解決するための、唯一にして最高の機関である」


「連盟の中核を担う『理事国』は、日本、ドイツ、オスマン帝国の三国とする。理事国は、全ての紛争案件に対し、それぞれ一票の投票権を持つ。棄権は認められない。拒否権も存在しない。そして、誰がどちらに票を入れたのか、その全てを全世界に向けて公開する。世界の目こそが、最も公正な監視者となるだろう」


「そして、最も重要な規約だ。今後、いかなる国家も、あるいは国内のいかなる勢力も、この国際連盟の調停を経ずに、他国への宣戦布告、あるいは内乱を開始した場合、その瞬間に、『事を起こした側』と『それに応じた側』、その双方に対し、我々理事国三国は共同で軍事的介入を行う。言い訳は一切聞かぬ。最初に引き金を引いた者も、その挑発に乗った者も、等しく世界の平和を乱した罪人として裁かれることになる」


その規約の冷徹さに、敗戦国の代表の一人が、思わず呟く。

「…クソっ……だが、これで武力行使は世界から消える…か……しかし我が国の名誉は……」



俺は一拍置き、最後に付け加えた。


「なお、国際連盟の本部は、長きにわたりヨーロッパ外交の中心を担ってきた、栄光あるオーストリア帝国の首都、ウィーンに設置する」


その宣言は、もはや反論の余地さえ与えなかった。

「核」という絶対的な棍棒と、「国際連盟」という名の揺るぎない天秤。

俺は、この二つを両手に、人類から「戦争」という選択肢そのものを、永遠に奪い去ったのだ。


§


国際連盟の設立から、一月ひとつきが過ぎた。

世界は、新しい秩序の下で、恐る恐る、しかし確かな一歩を踏み出していた。

その様子を静かに見届けた俺は、総攬府の大広間に、帝国全土の閣僚と州総督を招集した。

これが、俺が公の場に姿を現す、最後の機会となるだろう。


広大な広間に集った顔ぶれは、44年前(1858年)に総攬府を作った時とは様変わりしていた。

勝も、西郷も、大久保も、そして福沢も、もういない。

彼らは、それぞれの時代でその役割を全うし、歴史の一部となった。

今や閣僚のほとんどは、俺が育て上げた新しい世代の者たちだ。

だが、その最前列には、数名の、帝国の黎明期を知る者たちの姿があった。

徳川慶喜、大山巌、榎本武揚…。

そして、その中央には、御年六十七歳、白髪の似合う、威厳に満ちた老人となった土方歳三が、鋼のように真っ直ぐな背筋で座っている。


「皆、集まってくれて感謝する」


俺の静かな言葉に、ざわめきが収まる。

俺は、ゆっくりと、しかしはっきりと告げた。


「本日をもって、俺は公の場から退く」


その一言に、大広間は水を打ったように静まり返った。

誰もが、己の耳を疑っている。


「…扶桑閣下。それは、まことでございますか」


沈黙を破ったのは、徳川慶喜だった。その声には、驚きと、長年この国を共にした者としての深い寂しさが滲んでいた。


「あなたが表舞台から去られるというのなら…。ならば、私が預かるこの『征夷大将軍』という役職も、もはや不要ですな。これもまた、歴史に返す時が来た、ということか…」


慶喜の言葉に、榎本武揚も続く。


「ですが、閣下。あなたが去られた後、この巨大な帝国を、一体誰が…」


その不安は、広間にいる全員の心を代弁していた。

俺は、そんな彼らの顔を見渡し、静かに語りかけた。


「総攬の座を降りるわけではない。俺は、この国の最後の番人として、裏からお前たちを見守り続ける。…見ての通り、どうも俺は、年を取らんらしい。この五十年、俺の姿はほとんど変わっていない。国内ならまだしも、他国の指導者が代替わりしていく中で、俺だけがこのままでい続けるのは、不気味だろう。いずれ、要らぬ疑念や恐怖を生む火種になりかねん。だから、表舞台は降りる。幸い、木戸が作ってくれた元老院(議会)がある。法律も、制度も整えた。基本は皆に任せるさ。…どうしてもという時は、裏からそっと知恵を貸してやる。天皇陛下にも、既にご相談し、ご裁可をいただいている」


慶喜が目を丸くして答える。


「確かに、言われてみれば総攬は全く見た目が変わりませんでしたな。毎日見ていると気付きませんでした」


「お前の目は節穴か?これでも40年で二寸(6cm)ほど身長は伸びている。お前たちと違って今が成長期なんだよ!」


おどけて言う慶喜の言葉と、俺の返しで場が少し和んだところで、議会制への本格的な移行と、俺に代わって政務を執る「総攬代理」を置くことを説明した。

総攬代理は、元老院の議論を経て、最終的には俺の推薦によって決定される。

俺は政治の表舞台から降りるが、この国の最後の番人としての役割は、まだ手放すつもりはなかった。



その夜、俺は一人、月明かりに照らされた総攬府の庭園を歩いていた。

背後から、慣れ親しんだ足音が近づいてくる。


「…ジンさん」


振り返ると、そこに土方が立っていた。昼間の威厳に満ちた参謀総長の顔ではなく、どこか寂しげな、一人の男としての顔だった。


「本当に行っちまうんですかい。…近藤さんも、源さんも、総司も…みんな先に逝っちまった。…あんたまで、俺を置いて」


その声は、微かに震えていた。五十年、共に駆け抜けてきた戦友の、初めて聞く弱音かもしれなかった。

俺は、彼の前に立ち、その皺の刻まれた顔を見上げた。


「馬鹿を言うな、土方。俺はどこにも行かん。ただ、役目が変わるだけだ」


俺は、池に映る月を指さした。


「俺は月になる。表からは見えなくとも、常にお前たちを、この国を照らし続ける。そして、お前には、この地上で俺の目となり、耳となり、手足となってほしいんだ。俺が育てた若い世代を、今度はお前が、爺として導いてやってくれ。…お前は、俺がこの世界で得た、最初の仲間だった。最後の頼み、聞いてくれるか」


「…ジンさん」


土方は、何も言わずに、ただ天を仰いだ。その目には、うっすらと光るものがあった。


「…やれやれ。多摩の田舎で、あんたに初めて会った日から、ずっとあんたの無茶に付き合わされてまさぁ。今更断れるわけ、ねえでしょうが」


そう言って、彼はにかっと笑った。

それは、ただの喧嘩好きの若者だった頃と、何も変わらない笑顔だった。


「…そうか。頼んだぞ」

「ええ、任されましたよ、大将」


§


数日後、初代総攬代理として、俺が白羽の矢を立てた人物が、執務室を訪れた。

新渡戸稲造。

まだ若いが、その誠実な人柄と、海外での豊富な経験、そして何よりも、彼が世界に向けて説いた「武士道」の精神は、これからの日本に必要なものだと、俺は確信していた。


「新渡戸君、君を呼んだ理由、察しはついているだろう」


「…はっ。身に余る光栄にございます。ですが、私のような若輩者に、扶桑閣下の代理が務まるとは、到底…」


緊張で顔をこわばらせる彼に、俺は穏やかに語りかけた。


「これからの世界に、戦争はない。俺が終わらせた。だからこそ、もう俺のような男は必要ないのだよ。これからの日本に必要なのは、武力で他者を圧倒する力ではない。誇り高い精神と、他者への深い思いやり、そして、世界から尊敬される品格だ。君が説いた『武士道』…義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。それこそが、これからの日本の、そして世界の道標となるべきなのだ」


俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめた。


「戦争を起こさない世界で、この国を任せられるのは、君しかいない」


その言葉に、新渡戸稲桑の瞳が、決意の光に揺れた。彼は、深く、深く、頭を下げた。


「…扶桑閣下。そのお言葉、そして、この国を想うそのお心…しかと、お預かりいたします。この新渡戸稲造、生涯を賭して、閣下が築かれたこの平和を、守り抜くことをお誓い申し上げます」


その姿に、この国の未来が確かに新しい世代へと受け継がれていくのを感じていた。


§


西暦2000年


あれから、約一世紀の時が流れた。

俺が築いた平和は、揺らぐことなく世界を覆い、人類はかつてないほどの繁栄を謳歌していた。

国際連盟の旗の下、国家間の対立は対話によって解決され、「戦争」という言葉は、歴史の教科書の中にのみ存在する、古の蛮習となっていた。


俺は、とっくの昔に歴史の表舞台から姿を消した。

だが、その有り余る時間で、やりたいことは全てやった。

南極大陸の氷の下に眠る古代湖を探検し、マリアナ海溝の最深部に到達し、そして月に人類最初の確かな一歩を記した。

次に行くなら、火星だろうか。

そんなことを考える、穏やかな日々。


今は南極に建てた小さな観測基地の一室で、スウェーデン産の戦略シミュレーションゲームに興じている。

対戦相手は、なんとミネルヴァだ。

彼女も、この百五十年という長すぎる時間の中で、ようやく、PCのマウスを動かす程度の、ささやかな物理干渉能力を身につけていた。


「…ふふっ、ジン様、チェックメイトですわ」


「…またか! おかしいだろう、俺は『日本』を使ってるんだぞ!? なぜお前の使う国に一度も勝てんのだ!世界大戦の時の日本はこれよりもっと遥かに強かったぞ!? バランス調整がおかしいだろ!??」


「ふふっ。まさか歴史通りの日本を実装しますとゲームとして成り立ちませんわ」


第二次世界大戦をモチーフにしたそのゲームで、俺は未だ、彼女に一度も勝てたことがない。

ミネルヴァは、くすくすと楽しそうに笑っているだけだ。

今回こそはと、新兵器『ジェット戦闘機』の開発ボタンをクリックしようとした、その時。


コン、コン、と控えめなノックの音が、部屋の扉から響いた。

やれやれ、と俺は席を立つ。


「あぁ、もうそんな時期か」


扉を開けると、そこに立っていたのは緊張した面持ちの、聡明そうな若い男だった。

彼が今代の総攬代理か。


俺は、差し出された彼の手を握り、穏やかに、しかしこの国の真の支配者として告げた。


「君が新しい総攬代理か。遠路遥々ご苦労だった。大日本帝国総攬、扶桑 仁だ。公では引退したような形になっているが、実際には重要な決め事には参加するようにしている。以後よろしく頼む」

これにて「幕末ブループリント」終了です。


5月12日から書き始め、早3か月となりました。

途中、護国戦争の兵数をミスったり、世界大戦はご期待に応えることが出来ず、文体も一人称なのか三人称なのか解らない書き方をしてしまい、反省しきりで、読み専だった私が当然3カ月もモチベーションを保つことなど出来る訳がありませんでした。

気持ちを持ち直しながら、完結まで書き切る事が出来たのは、ひとえに皆さまが燃料を投下し続けてくれたおかげです。

読んでくれる人がいる、感想をくれる方がいる、こんな作品をブックマークしてくれる人がいる、それが全ての原動力でした。

本当にありがとうございました。


実は先日、2作品目をアップしました。

幕末ブループリントでは1850〜1900年くらいを舞台としたので、次回作は1920年〜としています。

ご興味ある方、是非読んでいただけると嬉しいです。


最後になりますが、読み専だった私が「投稿する側」になって1番衝撃だった事を伝えます。

なろうのランキングですが、評価★1個に対して2pt、★5個で10pt。ブックマークは2ptです。

なんと、リアクション、感想、レビュー、PV、UUはランキングに一切関係ありません!

ほんまかいな?となるでしょう。なろうのヘルプに載っているのでご参照ください。

皆様、良き作品に出会えましたら、とりあえず評価★★★★★を押してあげると良いですよ!

それでは、また機会がありましたら、どこかの作品かコメント欄でお会いしましょう。


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2作品目
第二次世界大戦の話
大東亜火葬戦記
あらすじ
皇国ノ興廃、此ノ一戦ニ在ラズ。桜子姫殿下ノ一撃ニ在リ。

日米開戦前夜、大日本帝国は一つの「真実」に到達する。それは、石油や鉄鋼を遥かに凌駕する究極の戦略資源――魔法を行使する一人の姫君、東久邇宮桜子の存在であった 。

都市を消滅させる天変地異『メテオ』 。だが、その力は一度使えば回復に長期間を要し、飽和攻撃には驚くほど脆弱という致命的な欠陥を抱えていた 。

この「ガラスの大砲」をいかにして国家の切り札とするか。
異端の天才戦略家・石原莞爾は、旧来の戦争概念を全て破壊する新国家戦略『魔法戦核ドクトリン』を提唱する 。大艦巨砲主義を放棄し、桜子を護る「盾」たる戦闘機と駆逐艦を量産 。桜子の一撃を最大化するため、全軍は「耐えて勝つ」縦深防御戦術へと移行する 。

これは、巨大戦艦「大和」さえ囮(おとり)とし 、たった一人の少女の魔法を軸に、軍事・経済・諜報の全てを再構築して世界最終戦争に挑む、日本の壮大な国家改造の物語である。
― 新着の感想 ―
めっちゃ面白かったです!!! この作品のおかげで毎日ワクワク楽しく過ごせました! 更新が楽しみでウキウキしながら通知見たり、面白くてニコニコしながらお話を読んだり、そんな感じで気づいたら最終話でした!…
完結おめでとう御座います。素敵な物語をありがとうございました。
完結おめでとうございます、綺麗に終わって良かったですし面白かったです。ですが……現実なら英仏露がやられたまま黙っているとは到底思えないです。
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