61(白船)
大戦略室の作戦地図盤から、連合国の駒が次々と消えていく。
太平洋とインド洋の掃除は終わった。
「ミネルヴァ、大西洋の様子は?」
「はい、ジン様。英仏伊西の連合大艦隊が、ジブラルタル海峡を出て、我が第三、四、五機動部隊を迎撃すべく展開中です。その数、我が軍の三倍以上。彼らは、数こそが正義だと信じているようですわ」
「結構だ。数の暴力には、質の暴力で応えてやるまでだ」
その言葉を証明するかのように、大西洋上で歴史的な大海戦の火蓋が切られた。
§
「全機、発艦始め!」
空母『翔鶴』『瑞鶴』『蒼龍』の飛行甲板から、次々と艦戦、艦攻、艦爆が咆哮と共に飛び立っていく。その数は、空を覆い尽くさんばかり。対する連合国艦隊も、なけなしの航空機を発艦させ、対空砲火の分厚い弾幕を張る。
だが、それはあまりに無力だった。
「敵機は囮だ!本命は魚雷!対水雷防御、急げ!」
連合国の提督が絶叫するも、時すでに遅し。攻撃機が投下した航空魚雷が、水面を疾走り、連合国艦隊の脆弱な喫水線下に次々と突き刺さる。水柱が何本も上がり、鋼鉄の巨艦が悲鳴を上げた。
空からの脅威に気を取られた彼らの側面に、日本の高速戦艦『金剛』『比叡』が、悪魔のような速度で回り込み、水平線からその牙を剥く。
「撃ち方、始め!」
12寸(36.4センチ)砲から放たれる徹甲弾が、連合国の戦艦の装甲を紙のように貫き、艦内部で炸裂した。抵抗らしい抵抗もできぬまま、欧州列強が誇る大艦隊は、次々と火柱を上げて大西洋の冷たい海の底へと消えていった。
開戦からわずか数時間。大西洋の制海権もまた、日本のものとなったのだ。
§
大西洋の掃除を終えた日本の打撃艦隊は、地中海への入り口、ジブラルタル要塞へと向かっていた。
戦艦『大和』の艦橋。司令官は、霧の向こうに浮かび上がる、難攻不落と謳われた要塞のシルエットを睨む。
「…目標、敵要塞。距離、十三里(約40km)。撃ち方、始め!」
静かな号令と共に、『大和』『武蔵』、そして『白峰級』五隻の主砲が咆哮を上げた。
地軸を揺るがす轟音。
空を翔ける数十発の巨弾は、数分後、ジブラルタル要塞に寸分の狂いもなく着弾した。
凄まじい衝撃と爆炎が、要塞全体を飲み込む。
英国が数十年かけて築き上げた砲台も、厚い城壁も、17寸(51.5センチ)砲弾の前には、まるで砂の城のようだった。
一方的なアウトレンジ攻撃。敵の砲弾は、遥か手前の海面に虚しく着弾するだけ。
「…地中海への門は、こじ開けた。マルタ島をはじめ、地中海の島々を制圧。オスマンとオーストリアの仲間たちに、我々の到着を知らせてやれ」
§
その頃、ヨーロッパ大陸では、ミネルヴァが予測した通りの地獄絵図が繰り広げられていた。
江戸の総攬府、大戦略室。俺は、作戦地図盤を睨みながらミネルヴァからの報告を聞いていた。
「ドイツ軍はシュリーフェン・プランに基づき、西部戦線をスペイン国境で安定させた後、その主力を鉄道輸送で東部戦線へ転換。ロシア領ポーランド、ウクライナ、ベラルーシへと快進撃を続けました。ですが…」
「弾薬が尽きたか」
「はい。両軍ともに、想定を遥かに超える砲弾の消費により、補給が完全に追いついておりません。戦線は膠着。兵士たちは塹壕を掘り、機関銃と鉄条網を挟んで睨み合う、凄惨な消耗戦へと突入しています。無意味な銃剣突撃が繰り返され、兵士たちは文字通り『肉挽き器』にかけられるように命を落としています」
泥と血にまみれた塹壕、鉄条網に無数に引っかかる屍、そして虚ろな目をした兵士たち。
史実の第一次世界大戦そのものだ。
「…我々が、その地獄を終わらせる」
§
日本の打撃艦隊と機動部隊が地中海に進出すると、戦局は再び大きく動き出した。
イギリスの最重要拠点であるマルタ島要塞は、ジブラルタルと同じ運命を辿り、航空攻撃と艦砲射撃の前に数日で陥落。
これにより、地中海は中央同盟の海となった。
アドリア海では、我が国が売却した『三笠級』戦艦を中核とするオーストリア=ハンガリー帝国海軍と、黒海からは同じく『三笠級』を擁するオスマン帝国海軍が出撃。
日本の機動部隊と合流し、一大連合艦隊を形成する。
同時に、日本の輸送船団が、オスマン帝国とオーストリアの港に、山のような武器弾薬を陸揚げし始めた。小銃、機関銃、そして砲弾。日本の圧倒的な工業力が、弾切れに苦しむ中央同盟の血管に、新たな血を注ぎ込んだのだ。
「全軍、反攻を開始する!」
補給を得たオスマン軍は、ギリシャ国境を突破。
オーストリア軍も、イタリア国境で攻勢に転じた。
そして、その背後から、日本の鋼鉄の巨艦が忍び寄る。
§
エーゲ海上空を、大和から発艦した観測機が飛んでいた。
観測員の若いパイロットは、眼下に広がる人類文明の発祥の地、ギリシャのアテネの街並みを見下ろしていた。
夕日に染まるパルテノン神殿が、神々しいまでに美しい。
「…美しい街だ。燃やすには、惜しい。だが、これも任務だ」
彼は無線機のスイッチを入れると、淡々と軍港と政府庁舎の座標を艦隊司令部へと報告した。
その数分後、水平線の彼方に浮かぶ日本の打撃艦隊から、無数の閃光が放たれた。
『大和』と『白峰級』の主砲が火を噴き、アテネの軍事施設をピンポイントで破壊していく。
アテネ市民は、半世紀前、日本の江戸を襲ったという『黒船』の再来を、今度は自分たちが経験しているのだと悟った。だが、彼らの目の前にいるのは、黒い船ではない。太陽の光を反射し、威圧的に輝く、純白の鋼鉄の城。『白船』の来航だった。
たった一度の砲撃で、ギリシャの戦意は粉砕された。
艦隊から派遣された使者が、白旗を掲げたアテネ政府に、降伏勧告を突きつけた。
次なる目標は、イタリア。
北からはオーストリア軍が攻め下り、南のシチリア島とナポリには、日本の輸送船に乗り込んだオスマン帝国軍が上陸を開始した。
そして、ローマの沖合に現れた『大和』と『武蔵』が、その巨大な砲口を「永遠の都」へと向けた。
「諸君、砲艦外交の時間だ。ゆっくりしていきたまえ」
ローマ市民もまた、水平線の彼方から襲ってくる、天罰のように降り注ぐ砲弾に絶望した。
もはや、イタリアに抵抗する力は残されていなかった。
§
バチカン、サン・ピエトロ大聖堂の書斎。
ローマ教皇は、窓の外…ローマ近郊の沖合に、悪夢のように浮かぶ白い巨艦群を、震える手で握りしめた十字架越しに見つめていた。
『大和』『武蔵』、そして『白峰級』。それらは、人の作りしものとは思えぬほどの威容を放ち、静かに、しかし絶対的な存在感で海に鎮座している。
「…おお、主よ。これは、我らの信仰を試すための、新たなノアの箱舟か。あるいは、最後の審判を告げる、黙示録の獣か…」
彼の唇から、祈りとも呻きともつかぬ言葉が漏れる。
「東方の、神を知らぬはずの民が、これほどの『力』をその手にしている。我らが数百年かけて築き上げてきた、この世界の秩序が…神の教えが…音を立てて崩れていく。アーメン…」
日本の『白船』は、軍事的な勝利だけでなく、ヨーロッパが信じてきた精神的な支柱をも、根底から揺さぶり始めていた。
§
「ジン様、新たな動きです」
ミネルヴァが作戦地図盤の北欧とアフリカを指し示す。
「東部戦線の膠着を好機と見たドイツと、我が国の働きかけに応じ、フィンランド大公国が「大フィンランド」を掲げロシア帝国からの独立を宣言。帝政への不満を募らせていた民衆が、ヘルシンキで一斉に蜂起しました」
ロシアの背後、サンクトペテルブルクの喉元に、新たな火種が生まれた。ロシアは、東部戦線から兵力を割かざるを得なくなるだろう。
「アフリカ戦線も動いています。日本の潤沢な物資支援を受けたオスマン帝国軍とドイツ植民地軍が、リビア、エジプトから西へ進撃。スエズ運河を脅かし、フランス領アルジェリアで、連合国軍と大規模な戦闘を開始しました。広大な砂漠を舞台に、両軍の装甲車部隊が砂塵を巻き上げて激突しています」
連合国は、植民地からの資源供給路に、深刻な脅威を突きつけられた形だ。
「面白い。世界の全てが、我々の望む通りに動き始めたな」
§
大戦略室の作戦地図盤から、ギリシャとイタリアを示す青い駒が、静かに取り除かれる。
「ジン様。南部戦線は完全に安定。フィンランドの蜂起でロシアは混乱し、アフリカ戦線も我が方の優勢。そして、補給を回復したドイツ軍が、東部戦線で再びロシア軍を押し返し始めました」
「そうか。…さて、ミネルヴァ。地中海の掃除は終わったな。次は、いよいよ本丸だ」
俺の視線は、地図盤の北西、ブリテン島を睨んでいた。
連合国の心臓部を、この手で止める時が来たのだ。




