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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第一章(黒船)
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6(狼煙)

嘉永6年5月下旬(西暦1853年)。江戸湾は、来るべき嵐の前の静けさに包まれていた。

俺――ジン、ミネルヴァ、土方歳三、そして田中久重は、神田に確保した屋敷を拠点に、この約10ヶ月の間、息つく暇もないほど精力的に活動を続けていた。


ミネルヴァからの情報によれば、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる黒船の来航は、6月初頭、まさに数日後に迫っている。江戸市中では、「近々、また大きな異国船が来るらしい」「今度のはこれまでと規模が違うらしい」といった噂が飛び交い、人々の間に不安と好奇が広がっていた。幕府はといえば、依然として明確な対応策を打ち出せぬまま、右往左往しているようだった。


「久重殿、例の『灯り』の準備は万全か?」


俺は工房で最終調整に余念のない田中久重に声をかけた。


「おお、ジン殿。ご覧くだされ。これぞ、この久重がこの数ヶ月、心血を注いで作り上げた『作品』にございますぞ!」


久重が興奮気味に指し示した先には、彼が作り上げた大小様々なガラス球――白熱電球の試作品群と、それらを一斉に点灯させるためのガルバニ電池が列をなしていた。真空技術も、フィラメントの耐久性も、この時代のものとしては破格の完成度だとミネルヴァも評価している。


「素晴らしい出来だ、久重殿。これを作戦当日夜、浦賀水道を見渡せる観音崎の高台と、江戸湾内の数カ所に分散して設置する。手筈は土方が整えている」


「承知いたしました。この光が、夜の闇を切り裂き、かの黒船乗り共の度肝を抜くことでしょうな!」


一方、土方歳三は、俺が集めさせた数名の腕の立つ若者たちと共に、江戸市中の情報収集と、いざという時のための連絡網の構築、そして「灯り」の設置場所の警備準備に奔走していた。彼の手腕は確かで、短期間で彼らはジンの手足として機能する小部隊へと成長しつつあった。


そして、運命の嘉永6年6月3日(西暦1853年7月8日)。


「ジンさん、観音崎と品川沖の設置場所の確保、及び警備の人員配置は完了しました。あとは合図を待つばかりです」


「ご苦労、土方。皆にも伝えておけ。今夜は歴史が変わる夜になる、と」


俺は、以前ミネルヴァと接触を試みた幕府のキーパーソン、浦賀奉行所与力の中島三郎助にも、非公式なルートを通じて「今宵、浦賀沖にて日本の新たな力を示す『狼煙』が上がる。刮目して見よ」という謎めいた伝言を送っておいた。彼がどう動くかは未知数だが、少なくとも彼の注意を引くことはできるだろう。


昼過ぎ、浦賀沖に突如として現れたのは、これまで日本人が見たこともない巨大な黒い船影だった。マストに帆を張らず、巨大な外輪を回転させ、もうもうと黒煙を上げながら進む蒸気船――旗艦サスケハナ号とミシシッピ号。そして、それを護衛する帆船プリマス号とサラトガ号。計四隻のアメリカ艦隊。


その威容は、浦賀奉行所の役人たちはもちろん、沿岸で見守る諸藩の兵士たち、そして江戸の町にまで伝わり、瞬く間に大混乱を引き起こした。


「黒船だ!黒船が来たぞ!」

「何という大きさだ…まるで山のようだ!」

「あの煙は何だ?火を噴いているのか!?」


狼狽する幕府の役人たち。遠眼鏡で黒船を食い入るように見つめる諸藩の使者。そして、ただただ呆然と立ち尽くす江戸の民衆。

ペリーは幕府の制止を無視し、艦隊を江戸湾深く、久里浜沖まで進め、そこで投錨した。威嚇射撃として空砲を数発放ち、その轟音は江戸の隅々まで響き渡ったという。


その夜。

江戸湾は、不安と緊張に包まれた深い闇に沈んでいた。黒船のシルエットが、沖合に不気味に浮かび上がっている。

俺は観音崎の高台に立ち、眼下に広がる光景を見下ろしていた。隣にはミネルヴァ、そして数名の部下と共に土方も控えている。


「ジンさん、本当にやるんですね?」


土方が固唾を飲んで尋ねる。


「ああ。派手に狼煙を上げてやろうじゃないか。彼らに、そしてこの国に、新しい時代の到来を告げる光の狼煙をな」


俺はミネルヴァに頷きかける。彼女は静かに頷き返し、俺に最終的なタイミングを囁いた。

俺は右手を高く掲げ、そして振り下ろした。

その瞬間だった。

観音崎の高台から、そして品川沖に浮かべた数隻の小舟から、さらに江戸市中のいくつかの高所から、一斉に強烈な光が放たれた!

それは、これまで誰も見たことのない、夜の闇を真昼のように照らし出す、数多の白熱電球の光。

それだけではない。観音崎の山肌には、光の文字が浮かび上がっていた。

アルファベットで、はっきりとこう書かれている。


「K N O W」


――我々は汝らを知る。

そのあまりにも不可解で、しかし圧倒的な光景に、浦賀沖のペリー艦隊の水兵たちは甲板で立ち尽くし、言葉を失った。望遠鏡を覗いていた士官たちは、その光の源と、浮かび上がる文字の意味を理解しようと躍起になっている。

江戸の町からも、その異様な光は遠望できた。夜空を焦がすかのような人工の光と、山肌に浮かぶ謎の洋文字。それは、人々の度肝を抜き、神の御業か、あるいは未知の脅威の出現かと、江戸中を未曾有の大騒動に陥れた。


「…やったな、ジンさん。こいつは…とんでもねえ狼煙だ」


土方が、興奮と畏怖の入り混じった声で呟いた。

俺は、黒船艦隊が混乱しているであろう方向を見据え、不敵に笑った。


「ああ。ショーの始まりだ」

・黒船来航:

嘉永6年6月3日(西暦1853年7月8日)、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる4隻の軍艦(蒸気船サスケハナ号、ミシシッピ号、帆船プリマス号、サラトガ号)が日本の浦賀(現在の神奈川県横須賀市)に来航した事件。開国を要求するアメリカ大統領の親書を幕府に渡すことを目的としていました。当時の日本人にとって、巨大な蒸気船は「黒船」と称され、その威容は大きな衝撃を与えました。


観音崎かんのんざき

三浦半島の東端に位置し、東京湾(江戸湾)の入り口にあたる浦賀水道に面しています。黒船来航時には、異国船の監視や防衛のための重要な拠点の一つでした。


品川沖しながわおき

江戸の海の玄関口であり、多くの廻船や漁船が行き交う場所でした。ペリー艦隊は浦賀沖に投錨しましたが、その存在は品川沖からも遠望でき、江戸市中に大きな影響を与えました。


・ガルバニ電池:

1800年頃にイタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタによって発明された「ボルタ電池」の原理を基にした化学電池の一種。複数の金属板と電解液を使い、化学反応によって電力を発生させます。19世紀を通じて様々な改良が加えられました。

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2作品目
第二次世界大戦の話
大東亜火葬戦記
あらすじ
皇国ノ興廃、此ノ一戦ニ在ラズ。桜子姫殿下ノ一撃ニ在リ。

日米開戦前夜、大日本帝国は一つの「真実」に到達する。それは、石油や鉄鋼を遥かに凌駕する究極の戦略資源――魔法を行使する一人の姫君、東久邇宮桜子の存在であった 。

都市を消滅させる天変地異『メテオ』 。だが、その力は一度使えば回復に長期間を要し、飽和攻撃には驚くほど脆弱という致命的な欠陥を抱えていた 。

この「ガラスの大砲」をいかにして国家の切り札とするか。
異端の天才戦略家・石原莞爾は、旧来の戦争概念を全て破壊する新国家戦略『魔法戦核ドクトリン』を提唱する 。大艦巨砲主義を放棄し、桜子を護る「盾」たる戦闘機と駆逐艦を量産 。桜子の一撃を最大化するため、全軍は「耐えて勝つ」縦深防御戦術へと移行する 。

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