59(海戦)
CSAの宣戦布告書がリッチモンドの日本大使館に突きつけられた、まさにその時。大西洋を渡る海底ケーブルには、優先度S級の暗号電信が、勝利を確信するCSA大統領の名で叩き込まれていた。
宛先は、ロンドン、パリ、サンクトペテルブルク…「連合国」に参加する全ての国の首都へ。
『奇襲成功セリ。ハワイニ於ケル日本太平洋艦隊ヲ殲滅セリ。諸君、参戦ノ好機ナリ』
その報は、連合国の中枢を歓喜で満たした。
ロンドンの英国議会では、議員たちが席を立って抱き合い、シャンパンの栓が抜かれた。パリのカフェでは、市民が「日本の横暴に天罰が下った!」と祝杯を挙げる。
サンクトペテルブルクの冬宮殿では、皇帝が満足げに頷き、極東艦隊への出撃命令書にサインをした。
彼らにとって、これは予想通りの、そしてあまりに呆気ない結果だった。
極東の成り上がり国家が、世界の本当の広さと、秩序の重さを知る時が来たのだ、と。
CSAの「輝かしい勝利」の報を受け、大英帝国を筆頭に、フランス、ロシア、スペイン、オランダ…連合国は雪崩を打って日本に宣戦を布告。
その挑戦状が江戸の総攬府に届き始めた頃、世界の主要国は、一斉に日本へと牙を剥く態勢を整えつつあった。
その数時間後。
総攬府の地下に新設された大戦略室。
部屋の中央を占める巨大な作戦地図盤の上で、CSA太平洋艦隊を示していた精巧な駒が、電信室から報告を告げる士官の声と共に、参謀の手によって静かに取り除かれた。
ハワイ沖からの勝利の報は、淡々と、しかし確実に司令部にもたらされていたのだ。
「…面白い。敵は、自らが死んだことにさえ気づいていないのか」
俺は、次々と届く連合国の宣戦布告の報を聞きながら、冷ややかに呟いた。
その声に、傍らに立つ征夷大将軍・徳川慶喜が泰然と応じる。
「まさに。そして、その死体に群がる蝿もまた、自らの運命を知らぬと見える。…扶桑総攬、軍の動員は完了しております。いつでも」
「うむ」と俺は頷き、巨大な地図盤の前に立った。「ならば、こちらも礼儀を尽くし、彼らの宣戦布告に『返信』を送ってやろう。…全艦隊に通達。これより、対連合国、全面攻勢作戦を開始する!」
その号令は、日本が持つ全ての力を解き放つ合図だった。
箱館からは、第三機動部隊が出撃。
日本海に集結しつつある英露連合艦隊を殲滅すべく、その鋼鉄の鷹を解き放つ。
南洋州ミンダナオからは、第四機動部隊が発進。
フィリピン沖に展開する西仏蘭の植民地艦隊と、オーストラリア・ニュージーランド艦隊を海の藻屑と変えるべく、南へと針路を取る。
そして、スマトラ島アチェの基地からは、第五、第六機動部隊が双頭の蛇のように躍り出た。
インド洋の制海権を完全に掌握すべく、イギリスの最重要拠点、セイロン島へと、その刃を向ける。
さらに、台湾、新彦根、南洋、南東洋の各州からは、無数の潜水艦が音もなく出航。
敵国の通商路という首筋を狙うべく、静かに深海へと潜っていった。
戦端は、ほぼ同時に、世界の海で切られた。
日本海。英露連合艦隊は、日本の旧式艦隊との砲撃戦を想定し、堂々たる戦列を組んでいた。
だが、彼らが水平線の彼方に見たのは、軍艦ではなく、空を覆い尽くさんばかりの航空機の大編隊だった。第三機動部隊の空母「蒼龍」「隼鷹」から発艦した、数百機の艦上攻撃機と戦闘機。
「空からの攻撃だと!?馬鹿な、報告では…!」
英露の司令官が絶叫するも、時すでに遅し。対空砲火の網をいとも容易く潜り抜けた日本の航空隊は、面白いように爆弾と魚雷を叩き込んでいく。
抵抗らしい抵抗もできぬまま、連合艦隊は次々と火柱を上げて海に沈んでいった。
南シナ海でも、全く同じ光景が繰り広げられていた。
第四機動部隊の猛攻を受け、西仏蘭の植民地艦隊は為す術なく壊滅。
スマトラ島から飛び立った陸上攻撃機部隊は、マラッカ海峡を越え、シンガポールの軍港施設を徹底的に爆撃。
停泊していた艦船は、港から一歩も出ることなく鉄屑と化した。
そして、インド洋の心臓部、セイロン島沖。
英国東洋艦隊の誇る最新鋭戦艦「ヴィクトリア級」が、その威容を誇示していた。
457ミリという世界一分厚い装甲と、巨大な主砲。
彼らは、日本のいかなる攻撃も跳ね返し、敵を粉砕する絶対の自信を持っていた。
だが、彼らの前に現れたのもまた、第五、第六機動部隊から放たれた、空を埋め尽くす鋼鉄の鳥の群れだった。
「対空砲火、撃ち方始め!怯むな、奴らの豆鉄砲など、このヴィクトリアの装甲は貫けん!」
艦長の檄が飛ぶ。
しかし、日本の航空隊が投下したのは、砲弾ではなかった。
分厚い装甲を貫くために最適化された、航空魚雷と大型の徹甲爆弾。
魚雷は、装甲の薄い喫水線下を的確に捉え、艦腹に巨大な風穴を開ける。
上空から投下された徹甲爆弾は、強靭な甲板装甲を貫通し、艦の内部で炸裂した。
「浸水、止まりません!」「機関室、大破!」
外からは無傷に見える巨艦の内部で、致命的な破壊が進行する。
自慢の装甲は、空からの脅威の前には何の意味もなさなかった。
なすすべもなく、大英帝国の誇りは、巨大な渦を巻いてインドの海へと姿を消した。
開戦から、わずか数日。
連合国が太平洋とインド洋に展開していた海軍力の、その大半が消滅した。
そして、日本海から敵の姿が消えた、その時。
帝国の最強の剣、打撃艦隊がその本当の姿を現した。
究極の戦艦『大和』『武蔵』、そして『白峰級』五隻からなる鋼鉄の巨艦群が、第三機動部隊が切り開いた航路を悠然と進む。
その目的地は、大陸における連合国の牙城、ポート・ヴィクトリアとニコラエフスク。
「…目標、敵要塞。距離、三万五千。撃ち方、始め!」
『大和』の艦橋で、司令官が静かに告げた。
次の瞬間、世界が震えた。
50口径17寸砲、その咆哮は、もはや砲声ではなく、地殻変動の轟きだった。
大気を引き裂き、空を翔ける六つの巨弾。
数分後、水平線の彼方にあるポート・ヴィクトリアの沿岸要塞が、まるで火山が噴火したかのように、巨大な土煙と炎を噴き上げた。
敵の沿岸砲が必死に火を噴くが、その砲弾は打撃艦隊の手前、数キロの海面に虚しく着弾するだけ。
彼らは、自分たちの攻撃が全く届かない安全圏外から、一方的に鉄槌を下されているのだ。
一撃。たった一撃で、数十年かけて築かれた難攻不落の要塞が、地図から消えた。
続けて放たれる『武蔵』『白峰級』の主砲が、軍港施設、弾薬庫、兵舎…軍事拠点としての全ての機能を、根こそぎ粉砕していく。
ニコラエフスクもまた、同じ運命を辿った。樺太の基地から飛び立った陸上攻撃機が、内陸のハバロフスクに爆弾の雨を降らせ、その補給機能を完全に麻痺させた。
大戦略室の巨大な地図盤の上から、連合国の駒が、参謀たちの手によって次々と取り除かれていく。
その頃、ロンドンやリッチモンドでは、まだCSAの「勝利」を祝う宴が続いていた。
彼らはまだ知らない。
自分たちが盤上から消え去ったことにさえ、まだ気づいていないのだ。
俺は、がら空きになった太平洋の地図を見つめ、傍らのミネルヴァに声をかけた。
「…さて、ミネルヴァ。太平洋の掃除は終わった。次は、ヨーロッパの様子を教えてくれるか」
「はい、ジン様」
ミネルヴァはそう言うと、俺が壁に掛かったヨーロッパ中心の世界地図に視線を移すのを待って、説明を始めた。
そこには、二つの巨大な軍事ブロックが、まさに衝突しようとする、赤と青のインクで塗り分けられた悪夢のような光景が広がっていた。
「CSAの宣戦布告と、それに呼応した英仏露の総動員令を受け、ドイツ、オーストリア、オスマンもまた、国家総動員を発令。ヨーロッパは、一触即発の火薬庫と化しました。そして、東西から挟撃される形となったドイツは、国家存亡のため、かねてより計画されていた『シュリーフェン・プラン』を発動。フランス軍の総動員が完了する前に、中立国ベルギーを突破し、フランスへの電撃侵攻を開始しました」
「だろうな。ドイツ帝国が座して死を待つとは思えん」
「ええ。ですが、ジン様。この世界のヨーロッパは、一つ、大きな問題を抱えています。彼らは、普仏戦争以来、三十年近くもの間、大規模な国家総力戦を経験しておりません」
ミネルヴァの声に、わずかに皮肉の色が混じる。
「史実の日露戦争のような、機関銃と塹壕が支配する近代戦の洗礼を受けていないのです。彼らの頭の中にある戦争は、いまだにナポレオン戦争の延長線上。密集隊形での銃剣突撃や、華麗な騎兵突撃が勝敗を決すると、心のどこかで信じている節がございます」
「…つまり、これから始まるのは、地獄か」
「はい。シュリーフェン・プランが成功するか否かに関わらず、西部戦線は、やて機関銃と鉄条網、そして大砲が支配する、巨大な『肉挽き器』と化すでしょう。兵士たちは、何の意味もない数メートルの土地を奪い合うために、何万という単位で命を落とすことになります。そして、彼らはその『新しい戦争』のやり方を、文字通り、お互いの血と肉で学んでいくのです」
ミネルヴァは淡々と、しかしどこか楽しむように続ける。
「弾薬の消費量も、彼らの想定を遥かに超えるでしょうね。開戦から数ヶ月で、各国の備蓄は底を尽き、経済は破綻寸前まで追い込まれるかもしれません。史実の第一次世界大戦が『弾薬の危機』と呼ばれた所以です」
「その点、我が国は盤石だな」
「ええ。ハーバー・ボッシュ法による火薬の完全自給体制と、帝国全土から集まる資源。そして、小栗大蔵卿が築き上げた強固な財政基盤があります。我が国は、彼らが一年で撃ち尽くす弾薬を、一月で生産できますわ。…もっとも、史実の英国は、アメリカという巨大な工場を背後に持っていました。ですが、この世界のCSAは、今頃、太平洋艦隊全滅の報も届かぬまま、我々との戦争に国力を注ぎ込んでいる頃でしょう。英国は、一体どこから弾薬を調達するおつもりなのでしょうね?実に興味深いところですわ」
そのブラックジョークに、俺は思わず口元を歪めた。
「さらに、英国にはもう一つ誤算が」とミネルヴァは付け加える。「彼らは、フランスを救うべく、大陸遠征軍(BEF)をドーバー海峡経由で送る手筈ですが、その海峡には、日本と共同開発したドイツのUボートが、群狼のように待ち構えています。輸送船団は、海峡を渡りきる前に、その大半が海の藻屑となるでしょう。フランスは、英国の助けを待たずして、単独でドイツの猛攻を受け止めることになります」
「オスマンとオーストリアは?」
「オスマン帝国は、日本の軍事支援で近代化された陸軍を、ロシア領カフカスへと進撃させています。オーストリア=ハンガリー帝国もまた、ロシア領ポーランドと、そして連合国に加盟したイタリア国境に、二つの戦線を開きました。ヨーロッパは、まさに全面戦争ですわ」
「全く、ご苦労なことだ。…我々は、高みの見物をさせてもらうとしよう。彼らが互いに血を流し、疲れ果てた頃に、静かに盤面を掃除する。それが、このゲームの正しい勝ち方だ」
俺の視線は、ヨーロッパの混沌を越え、その先にある、新しい世界の秩序を見据えていた。




