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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第5章(冷戦)
57/65

57(運河)

全ての始まりは、一隻の戦艦だった。


維新外征戦争で、日本が世界にその存在を知らしめた、前弩級戦艦「三笠」。

その圧倒的な性能は、世界の海軍関係者に衝撃を与え、大艦巨砲主義の時代を加速させた。


そして、ロンドン海軍軍縮会議の決裂は、その流れに火を注いだ。

各国は、際限のない建艦競争へと突入。

特に、ドイツへの復讐に燃えるフランスの熱狂は凄まじかった。

彼らは、国の威信をかけて進めていた「パナマ運河計画」の予算を大幅に削減。

その全てを、ドイツを、そしてその背後にいる日本を睨む、新型戦艦の建造に注ぎ込んだのだ。


1887年、フランスのパナマ運河会社は、ついに計画の断念を発表。

熱帯のジャングルに、錆びついた機械と、数万の労働者の骸を残して…。


こうして、二つの大洋を繋ぐ夢は、一時、潰えた。


…そして、その「夢の跡」を、極東の島国が、静かに狙っていた。


§


1888年。


アンデスの山中に抱かれた、コロンビアの首都ボゴタ。

薄い空気と、スペイン植民地時代の面影を色濃く残す街並みが、どこか現実離れした雰囲気を醸し出している。

その大統領府で、日本の特使、桂太郎は、コロンビア政府にパナマ運河の共同建設を、正式に提案していた。


「我が国は、フランスが放棄した運河計画を引き継ぎ、貴国と共同で、この世紀の事業を完成させたい。資金も、技術も、全て我が国が提供する。完成後の利益は、両国で公平に分かち合おうではございませんか」


桂の言葉に、コロンビアの閣僚たちは、ゴクリと喉を鳴らした。

それは、国の財政を、一気に潤すことができる、あまりに魅力的な提案だった。

だが、その動きを、北の巨人が見逃すはずはなかった。


数日後、コロンビア政府の元に、CSA(アメリカ連合国)から、一通の公式文書が届く。

それは、外交辞令で巧みに飾り立てられてはいたが、その内容は、慇懃無礼を極めた、恫喝そのものだった。


『…日本の提案を受け入れることは、西半球の安定を損なう、極めて遺憾な行為である。我が国とコロンビアとの、これまでの経済的・軍事的な友好関係を、貴国が今後も望むのであれば、賢明なる判断を期待する…』


CSAの圧力に、コロンビア政府は震え上がった。

日本の提案は魅力的だが、すぐ隣にいる大国の怒りを買うわけにはいかない。

数日後、コロンビアは、日本の提案を、正式に拒否した。


§


交渉決裂の報は、即座に江戸の俺の元へ届いた。

だが、それは、完全に想定内のことだった。


「…ミネルヴァ、第二段階へ移行する」


俺は、水面下で動かしていた諜報員に、指令を送った。


パナマ市の、とある酒場。

日本の諜報員は、パナマ独立運動の指導者、マヌエル・アマドール・ゲレーロと、秘密裏に接触していた。

ゲレーロは、医者であり、コロンビアからの独立を夢見る、熱烈な愛国者だった。

だが、彼らには、コロンビア政府と、その背後にいるCSAに立ち向かうだけの、力がない。


「…日本の提案は、ありがたい。だが、我々に何ができるというのだ」


憔悴した顔で語るゲレーロに、日本の諜報員は、静かに、しかし力強く告げた。


「我々は、貴殿らの独立を、全面的に支援する。武器も、資金も、そして我が帝国の海軍力も、全て貴殿らのために使おう。その代わり、独立を達成した暁には、運河の建設と運営の権利を、我が国に認めてほしい」


破格の申し出だった。

ゲレーロは、目の前の男の真意を測りかね、疑いの目を向ける。


「…我々は、CSAアメリカからの圧政に、もううんざりしている。あなた方の提案が、たとえ虎の口に飛び込むことであっても、我々は豚として飼われるより、人として死ぬ道を選ぶ。…我が国の未来を、あなた方に賭けよう」


ゲレーロは、固い決意をその目に宿し、差し出された手を取った。日本と、未来のパナマ共和国との、密約が成立した瞬間だった。


§


日本の支援を受けたパナマ独立戦争は、あっけなく火蓋を切った。

その報を受け、CSAは、パナマの独立を阻止すべく、威信をかけて建造した最新艦隊を、カリブ海へと派遣した。


だが、その進路上に、突如として、霧の中から、巨大な艦隊が姿を現した。日本の太平洋艦隊。その威容は、CSAの将兵たちの度肝を抜いた。


史実であれば、超弩級戦艦(大和級)と呼ばれたであろう、常識外れの巨艦。

八八艦隊計画の思想の下、建造された最新鋭「白峰級」戦艦。

その一番艦「白峰ンガ・プル」、二番艦「白雪マウナ・ケア」、三番艦「新高」、四番艦「久隣知クリンチ」、そして五番艦「富士」。

五隻の巨艦が、無数の護衛艦を従え、CSA艦隊の行く手を、完全に塞いでいた。


日本艦隊の旗艦から、CSA艦隊に対し、国際信号旗で、簡潔な、しかし絶対的な警告が送られる。

同時に、江戸の総攬府から、リッチモンドのCSA大統領府へ、直接、電信が叩きつけられた。


「これより先、コロンビアとパナマ間の問題への、いかなる第三者の介入も、大日本帝国に対する敵対行為と見なす」


CSA艦隊の司令官は、双眼鏡を覗き、目の前の光景に、言葉を失った。


「なんだあの化け物は!?あのバカでかい砲塔で、三連装九門、それも5艦も…勝てそうなら撃っていいだと!?バカな事を!!本国に戻ったら大統領に伝えなければ!我が国の建艦計画を、全て見直さねば、未来はないと!!!」


ライン諸島沖海戦の悪夢が、脳裏に蘇る。

目の前の日本の艦隊との、絶望的な性能差。

彼は、屈辱に顔を歪ませながらも、艦隊に回頭を命じるしかなかった。


CSAの介入を失ったコロンビア軍は、なすすべもなかった。

パナマは、大きな抵抗を受けることなく、その独立を達成。

世界の誰もが、ヨーロッパの動向に注目している、その裏側で。日本は、静かに、しかし確実に、次なる時代の布石を打っていた。


§


ドイツ・ベルリン宰相府


パナマ独立の報を受け、日本、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国の大使たちが、ビスマルクの元に集結している。

議題は、「四カ国共同・パナマ運河建設会社」の設立について。

ビスマルクが葉巻を燻らせながら各国大使に声を掛ける。


「…日本の若き総攬は、見事に事を成し遂げた。さて、ここからは、我々大人の仕事だ。運河建設に必要な鉄鋼と、最新の機械部品は、我がドイツのクルップ社が、総力を挙げて供給しよう」


「我が帝国は、スエズでの経験を活かし、数万人に及ぶ労働者の管理と、現地での政治的な調整を引き受ける。地の利は、我々にある」


「我が国も、この世紀の事業に、共同出資国として名を連ねさせていただこう。これは、我らの同盟の力を、世界に示す絶好の機会だ」


オスマンとオーストリアの大使も続く。

そして、陸奥宗光が、地図を広げ、静かに告げる。


「皆様、感謝いたします。そして、最も困難な、ガトゥン・カットの掘削と、運河の心臓部である閘門こうもんの設計、そして疫病対策という、技術の根幹に関わる部分は、我が大日本帝国が、責任をもって担当させていただきます」



パナマ運河建設プロジェクトが、日独土墺の四カ国共同事業として発表されると、世界はその壮大なスケールに注目した。

しかし、フランスが失敗したばかりという事もあり、世界はまだ懐疑的な見方の方が多く、世間の予想通り、その実態は、熱帯のジャングルとの、そして見えざる敵との死闘から始まった。



1890年、ガトゥン・カット掘削現場。

ドイツから派遣された若き技術者は、降りしきる雨に打たれながら、目の前の光景に絶望していた。

赤土の巨大な斜面が、またしても轟音と共に崩れ落ち、数週間の努力が水の泡と化す。

ぬかるんだ大地は、労働者たちの気力と体力を、容赦なく奪っていった。


「またか…これで、今月に入って何度目だ…」


彼の傍らで、オスマン帝国から来た現場監督が、天を仰いでアッラーに祈りを捧げている。

日本人、オーストリア人、そして現地パナマ人の労働者たちも、その顔に疲労と諦めの色を浮かべていた。

だが、土砂崩れよりも恐ろしいのは、静かに忍び寄る「病」だった。

日本が主導する居住区は、衛生的で、全てのベッドに蚊帳が吊るされていた。

それを真似した各国は、フランスから聞いていたよりずっと患者は少なくなっていた。

しかし、それでも原因不明の高熱で倒れる者が後を絶たない。

マラリア、そして黄熱病。

フランスの旧計画で数万の命を奪った悪魔が、再びその牙を剥き始めていた。


「おい、また一人、熱で倒れたぞ…。うちの班のやつだ…」


オスマン人の監督が、力なく呟く。

ドイツやオーストリアの医療チームも、懸命に治療にあたっているが、特効薬はなく、ただ患者の体力が尽きないことを祈るしかなかった。

フランスの失敗という現実がよぎる。

自分たちも同じ運命を辿るのではないかという恐怖が、伝染病のように現場に広がっていく。


「我々は…こんな土地に、勝てるのか…?」


ドイツの若き技術者の呟きは、誰にともなく、熱帯の湿った空気に吸い込まれていった。



現場が絶望的な空気に包まれて数週間後。

事態は、日本の「切り札」の投入によって、劇的に変わることになる。

まず、技術的な絶望を打ち破ったのは、日本から船で運び込まれた、巨大な怪物だった。

その到着は、事前に全労働者に周知されていたが、誰もがその真価を半信半疑で見ていた。

だが、巨大な蒸気機関が唸りを上げ、山をも砕くという触れ込みの蒸気掘削機が、その鋼鉄のアームを振り下ろした時、現場の空気は一変した。


「…なんだ、あれは…。我々が数ヶ月かけても動かせなかった、あの岩盤を…まるで、ビスケットのように砕いていくぞ…。Gott im Himmel...(あぁ、神よ...)」


クラウスは、呆然と呟いた。

日本の怪物は、彼らの絶望の象徴であった土砂崩れの斜面を、いとも容易く削り取っていく。

その圧倒的な光景に、多国籍の労働者たちは、国籍も文化も忘れ、ただただ歓声を上げた。


そして、もう一つの絶望、「病」との戦いにも、光が差し込んだ。

日本の厚生卿・佐野常民が、自ら医療チームを率いて、パナマの地に降り立ったのだ。


「先生、我々が戦うべきは、目の前の熱病だけではありませぬ。病を生み出す、この環境そのものです。全ての命は、等しく尊い。それが、我が帝国の医療の根幹にございます」


佐野は、懐疑的なヨーロッパ人医師たちにそう言うと、すぐに行動を開始した。

彼の指示は、徹底していた。

ジンからもたらされた知識…「蚊が病を媒介する」という事実に基づき、居住区周辺のあらゆる水たまりを油で覆い、沼地を計画的に排水させ、蚊の発生源そのものを叩き潰していく。

さらに、日本の製薬会社が開発した、キニーネの改良薬が、全労働者に服用義務として配布された。

最初こそ、その奇妙な対策に戸惑っていた各国の医療チームも、日本のやり方を取り入れた後、患者が劇的に減少していくという現実を目の当たりにし、驚き、そして日本の医療レベルの高さに心からの敬意を払うようになった。

日本の圧倒的な「科学技術」と「人道支援」。

それを目の当たりにした各国の技術者たちは、やがて日本への揺るぎない尊敬と、このプロジェクトは必ず成功するという、確信を抱くようになった。

絶望のジャングルは、四カ国の労働者たちが、一つの目標に向かって汗を流す、希望の現場へと変わっていったのだ。

佐野常民は、夕暮れのジャングルを見つめながら、静かに呟いた。


「総攬は仰った。『この戦いは、土や岩との戦いではない。人の命を守り抜く、我々自身の文明との戦いだ』と。…そのお言葉の意味、今なら分かる気がする」


§



パナマ独立革命時に、カリブ海にその姿を現した、日本の最新鋭戦艦「白峰級」。

その存在は、屈辱の撤退を強いられたCSA艦隊からもたらされた、一枚の不鮮明なスケッチと共に、瞬く間に世界を駆け巡った。



イギリス、ロンドン。英国海軍省。


重厚なマホガニーのテーブルを、海軍大臣や歴戦の提督たちが、苦虫を噛み潰したような顔で囲んでいた。

部屋の空気は、彼らの誇りが砕け散る音で、張り詰めているかのようだ。

テーブルの中央には、その元凶…CSAからもたらされた、日本の新型戦艦のスケッチが置かれている。


「…馬鹿な。三連装主砲を三基、合計九門だと? しかも、その口径は、我々の最新鋭艦『トラファルガー級』をも上回る…? 煙突も見当たらない…。これが、本当に現実に存在する艦だというのか?」


白髪の老提督が、震える声で呟く。

CSAからもたらされた情報は、あまりに衝撃的で、当初は「敗北したCSAの、言い訳のための誇張ではないか」とさえ疑われた。


だが、その後の諜報活動で、白峰級の存在が、紛れもない事実であることが確認される。

世界の海軍は、震撼した。

史実における「ドレッドノート・ショック」を、遥かに上回る衝撃…「白峰ショック(ンガ・プル・ショック)」が、全ての海軍国を襲ったのだ。

これまでの全ての戦艦は、日本の怪物の出現によって、一夜にして「時代遅れの鉄くず」と化した。


フランス、ブレスト軍港。

一人のフランス海軍の造船技師が、自国で建造中の最新鋭戦艦の設計図と、日本の新型艦の報告書を、何度も見比べては、深く、深いため息をついていた。

「なんということだ…。我々が積み上げてきたものは、全て、過去の遺物になってしまった…」


白峰ショックは、世界を狂乱の建艦競争へと駆り立てる。

しかし、日本の持つ圧倒的な技術的アドバンテージは、他国の追随を許さなかった。

「重油専焼ボイラー」による、黒煙のない航行。

そして、史実のパーソンズに先んじて、日本の天才たちが実用化にこぎつけた「蒸気タービン」が生み出す、圧倒的な速度と航続距離。

それを持たない列強諸国が作る「ポスト白峰級」の戦艦は、その性能において、日本の本物には遠く及ばない、どこかチグハグなものとならざるを得なかった。


大きさだけは白峰級に近く、口径も大きいものを作るが、装甲は薄い。

石炭を燃料とするため、巨大な煙突と、脆弱な石炭庫を抱えている。

英国は、世界中に張り巡らせた給炭所の維持のため、石油への完全な転換に踏み切れず、「混焼式ボイラー」という妥協の産物を採用したが、それは中途半端な性能しか生み出さなかった。



イギリス、ウェストミンスター宮殿。

海軍大臣が、議会で拳を振り上げ、絶叫していた。


「…これが、日本の出した『答え』か。我々が100年かけて築き上げた、海の秩序に対する…。よろしい。ならば、我々も答えを返そう。帝国の全ての富を、全ての鉄を、この海に注ぎ込むのだ。彼らが一体の怪物を生み出したのなら、我々は百体の巨人で、それを踏み潰すまでだ!」


彼の演説に、議場は熱狂で応えた。

「海軍防衛法」が、満場一致で可決。

国家予算の大部分を海軍につぎ込み、戦艦を狂ったように作りまくる時代が始まった。



その熱狂は、ドーバー海峡を越え、ヨーロッパ大陸にも伝播した。

ドイツやフランスもまた、イギリスの動きに対抗し、国の経済を傾かせるほどの、破滅的な建艦競争に突入していく。

世界は、再び日本の放った一隻の戦艦によって、巨大な軍拡の渦へと、飲み込まれていったのだ。


§


時は、少し遡り、1885年。

ロンドン会議の決裂直後。


江戸、総攬府の閣議室は、張り詰めた、しかし異様な熱気に包まれていた。

議題は、対日大同盟「FRANSE包囲網」の結成を受け、日本の次なる国家方針を決定すること。

円卓には征夷大将軍・徳川慶喜、海軍卿・勝海舟、大蔵卿・小栗忠順、逓信卿・本木昌造といった、帝国の重鎮たちが顔を揃えていた。


「…諸君に、第二次建艦計画を提案する」


俺の静かな一言で、会議は始まった。

俺が示した計画の骨子は、二つ。

「六個機動部隊構想」、そして、究極の決戦戦艦「大和級」二隻の建造。

それは、八八艦隊計画に続く、途方もない規模の軍拡計画だった。


最初に口を開いたのは、軍のトップ、徳川慶喜だった。

その表情には、信頼と、それ故の真剣な懸念が浮かんでいた。


「…待て、扶桑総攬。正気か? 最初の八八艦隊計画でさえ、我が国の財政は、常に綱渡りの状態だった。それなのに、今度は空母まで含めた、これ以上の大艦隊を、だと? 国の経済は大丈夫なのか?」


海軍卿の勝海舟も、腕を組み、深く頷く。


「総攬のお考えの壮大さは、重々承知しております。ですが、この計画は、あまりに…。果たして、今の日本に、これを実現するだけの国力があるのでしょうか」


軍部のトップ二人からの、もっともな懸念。

だが、俺は静かに、大蔵卿の小栗忠順に視線を送った。

小栗は、その意を汲み、一歩前に進み出ると、分厚い帳簿をテーブルに広げた。


「いえ、慶喜公。ご懸念は、ごもっとも。ですが、そのご認識は、半分正しく、半分は、我々が今まで気づいていなかった、この国の『真の姿』を見誤っておられます」


「小栗殿、それはどういう…?」


勝が、訝しげに問い返す。

小栗は、集った閣僚たちを見渡し、熱を込めて語り始めた。


「皆様、かの英国が、なぜあれほどの海軍を維持できるかご存知か? 彼らは、植民地から富を吸い上げ、それを元手に船を造る。いわば『他人の血を輸血して、体を大きく見せる』やり方です。ですが、我らが総攬閣下の作られた、この新しい日本は違う」


彼は、帳簿の一つの数字を指し示した。


「八八艦隊計画に使われた予算は、確かに莫大でした。ですが、その金のほとんどは、外国には一銭も流れてはおりませぬ。新彦根州の金で、スマトラの石油を買い、その石油で、ミンダナオの鉄を溶かし、その鉄で、国内の工廠が船を造る。支払われた金は、労働者の給金となり、彼らが使うことで国内の経済を潤し、そして、巡り巡って、税収として、そっくりこの大蔵省の金庫に返ってきております」


小栗の解説に、閣議室は静まり返った。

慶喜が、愕然としながら呟く。


「…なんだ、それは…。まるで、我々は、国家という巨大な生き物の体内で、血液のように還流する金を、ただ見ていただけだというのか…。扶桑総攬、貴殿は、国だけでなく、経済というものの『ことわり』そのものを、作り変えてしまわれたのか…」


その畏敬の念に満ちた空気の中、俺は、次なる一手を示す。


「さらに、この計画の予算を盤石なものとする。維新外征戦争で活躍した『三笠級』戦艦四隻を、友好国であるオスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国に、二隻ずつ売却する。中央同盟の結束も、これでより強固になるだろう」


「総攬、それは名案です。ですが、我が国の最高機密である『射撃管制システム』の技術が、彼らに漏れてしまうのでは…」


勝海舟の懸念に、俺は不敵な笑みで答えた。


「心配ない。彼らに渡すのは、性能を意図的に落とした『輸出モデル』だ。心臓部は、決して誰にも触れさせんよ。我々の『手の内』は、見せないものさ」


閣僚たちが、俺の深謀遠慮に言葉を失う中、再び小栗が、現実的な問題を提起した。


「…ですが、総攬、そして皆様。予算は確保できても、現実的な問題が一つ。この莫大な建艦費用を、全て金貨と銀貨で支払うのは、もはや物理的に限界が来ております。造船所への輸送、労働者への給与支払い…その度に、我々は文字通り『山のようなコイン』を動かしており、その警備と輸送コストも、馬鹿になりませぬ」


「その通りだ、小栗。そして、その問題の解決策も、もちろん用意してある」


俺は、ゆっくりと説明を始めた。


「我が国の『円』への信用は、もはや盤石だ。この25年間、我々は、金銀の輝きで、その価値を世界に示し続けてきた。その信用は、きんそのものよりも、今や価値ある資産となった。…ならば、その『信用』を、新しい『形』に変える時が来たのだ」


俺は、日本銀行を通じ、ゴールドといつでも交換できることを政府が保証する、新しい「兌換紙幣だかんしへい」の発行を、ここに宣言した。


逓信卿の本木昌造が、恭しく桐の箱を開ける。

中には、彼の指揮のもと、最高の技術で印刷された、試作の紙幣が収められていた。


「紙幣の表面には、帝室の『菊の御紋』を。裏面には『神功皇后』の肖像を。世界最高の技術による、精緻な透かしと版画が、偽造を完全に防ぎます」


その美しさと気品に、閣僚たちは息を呑んだ。


§


そして、時は再び、1888年に戻る。

第二次建艦計画の槌音は、日本中の工廠に響き渡っていた。

横須賀、呉、舞鶴、長崎…。各地の造船所で、巨大な船体が、日に日にその姿を現していく。


一つの機動部隊の内訳は

・正規空母「翔鶴級」一隻

・護衛空母「飛鷹級」一隻

・高速戦艦「金剛改級」二隻

そして多数の巡洋艦・駆逐艦で構成される。


その六個分の艦隊が、日本の工業力を示すかのように、同時並行で建造されていく。


そして、福岡州・大神村。

ここに新設された、帝国最大の極秘工廠「大神工廠」では、究極の戦艦の建造が、静かに始まっていた。

50口径17寸(約51.5センチ)砲を六門搭載する、世界の度肝を抜く、真の海の王者、「大和級」。

その巨大な竜骨は、まるで神話の巨獣の骨格のように、静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら、完成の時を待っていた。


§


1896年、パナマ。

乾いた風が、特設された観覧席に掲げられた、日本、パナマ、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国の五カ国の国旗を、誇らしげにはためかせている。

眼下には、人類の叡智と執念が、熱帯のジャングルを切り開いて創り上げた、青き水路…パナマ運河が、カリブの陽光を浴びて、どこまでも静かに横たわっていた。


観覧席の中央、用意された席から、俺は眼下に広がる光景を見つめていた。

傍らには、中南米全権大使としてこの地との交渉をまとめ上げた桂太郎と、無数の命を救った厚生卿・佐野常民が、万感の思いでその光景を見つめている。

そして、同盟国からの賓客たち。

ドイツ皇帝の名代として、幼少期から海軍に強い関心を持つことで知られる、精悍な顔つきのハインリヒ王子。

オーストリア皇帝の名代、若きフランツ・フェルディナント大公。

そして、オスマン帝国の海軍大臣。

彼らもまた、歴史が動くこの瞬間を、固唾を飲んで見守っていた。


やがて、その時は来た。

式典の一番船として、日本の最新鋭戦艦「白峰ンガ・プル」が、最後の閘門こうもんを、ゆっくりと、しかし圧倒的な存在感で、滑るように抜けていく。

太平洋の水と、大西洋の水が、ここで一つになる。

その光景を、観覧席の麓に集まった、国籍も文化も違う何万人という労働者たちが、歓声を上げながら見上げていた。

ドイツ人、日本人、オーストリア人、トルコ人、そしてパナマ人。

彼らの目には、共に地獄を乗り越えた者だけが分かち合える、深い感動があった。


「…見たか。我々の鉄と、オスマンの労働力、そして日本の頭脳が、不可能を可能にしたのだ。…これは、我々『中央同盟』の、世界に対する回答だ」


かつて絶望の淵にいたドイツ人技術者が、隣に立つオスマン人の現場監督の肩を叩き、誇らしげに言った。

観覧席でも、賓客たちが、それぞれの思いを口にしていた。


「三年前、日本の横浜で見た富士の山も壮大だったが…この光景もまた、忘れられぬものとなりそうだ」


フランツ・フェルディナント大公が、遠い日本の風景を懐かしむように呟く。


だが、ハインリヒ王子の目は、運河そのものではなく、その上を進む「白峰」に、釘付けになっていた。


「…美しい。なんと、力強く、美しい船だ…。運河も結構。だが、真の偉業は、この鋼鉄の城を生み出したことにある。これこそ、海の王者だ」


彼の呟きには、海軍人としての、純粋な畏敬の念が込められていた。


やがて、白峰が完全に太平洋へと抜けた時、会場に、静かな祈りの時間が訪れる。

この運河建設で命を落とした、全ての国の、全ての労働者たちへの、黙祷。

会場は、荘厳な感動に包まれた。



その夜、祝賀パーティの喧騒から離れた、静かな一室。

俺は、昼間の熱狂が嘘のような静寂の中で、運河を運営する新会社の、分厚い定款の束を、一人、静かに眺めていた。

定款の最初のページには、出資比率が記されていた。


・日本:49%

・パナマ共和国:25%

・ドイツ:10%

・オーストリア:8%

・オスマン:8%


外からは、各国の代表たちが浮かれて酒を酌み交わす、陽気な音楽と笑い声が、微かに聞こえてくる。

俺は、その喧騒には目もくれず、定款のある一条項の文字を、満足げに指でなぞった。


『重要事項は、筆頭株主の同意なくして、決定できず』


持ち株比率は、日本が49%。過半数には、満たない。

だが、この一文がある限り、この運河の、そして世界の海流の、真の舵を握るのは、日本であることを意味していた。



式典の全てを終え、俺はミネルヴァと二人きりで、月明かりに照らされた、完成した運河を見下ろしていた。

銀色に輝く巨大な水路が、二つの大洋を、静かに結んでいる。


「これで、太平洋は、名実ともに日本の庭となりました。我が帝国の海軍力と経済力は、もはや誰にも止められませんわ」


「ああ。これで、この星の海の、半分を手に入れた。…長い戦いだったな」


転生してから44年。

数々の出会いと別れ、そして戦いの日々が、脳裏をよぎる。

仲間たちの顔が、一人、また一人と浮かび上がってきた。


「本当にお疲れ様でした、ジン様。ですが、休んでいる暇は、あまりないかもしれません」


「分かっている。これだけの帝国を築き上げれば、いずれ、古い秩序を信奉する者たちが、全力で俺たちを潰しにかかってくるだろう。…次の戦いは、これまでのような局地戦じゃない。世界中を巻き込む、本当の『総力戦』になる」


俺の視線は、穏やかなカリブ海の、その先に広がる大西洋の、さらに向こう…ヨーロッパ大陸を、静かに見据えていた。


「待っていろ、ヴィクトリア。…お前たちが始めた、その『グレートゲーム』とやらを、今度は、俺のルールで、終わらせてやる」

これにて5章終了です。

幕間は挟まず、次話から6章(最終章)開始予定です。


5章面白かったよ!って方。6章も楽しみにしてくれている方。

作者への燃料と思って、★★★★★の評価と、感想、レビューなどを頂けますと励みになります。



【1888年・イギリスと日本の最新戦艦のざっくり比較】


・トラファルガーイギリス

基準排水量:12,590 t

全長:105.2m

主兵装:34.3cm(13.5インチ)連装砲 2基(計4門)

副兵装:15.2cm(6インチ)単装速射砲 (計10門)

対空兵装:57mm単装砲など 少数

機関:円缶 8基

エンジン:改良型レシプロエンジン 2基2軸

ボイラー:石炭・石油混焼式ボイラー

馬力:14,000馬力(混焼時最大)

速力:17ノット(約31km/h)

装甲:主装甲356mm(複合装甲)


・白峰級(日本)

基準排水量:約65,000 t

全長:約260 m

主兵装:45口径15寸(46cm)3連装砲 3基(計9門)

副兵装:5寸(15.5cm) 3連装砲 2基(計6門)

対空兵装:12.7cm連装高角砲 12基(計24門)、25mm 3連装機銃 多数

機関:重油専焼ボイラー 12基

エンジン:蒸気タービン 4基4軸

馬力:150,000馬力

速力:27ノット(約50km/h)

装甲:主装甲410mm(VH鋼)


作中でも少し触れていますが、三笠級戦艦は世界に衝撃を与えました。

イギリスはかなりの国力を注ぎ込んで、史実よりも進んだ艦を作っています。

それでも馬力に10倍の差があったり、主砲や対空兵装、速力、装甲などありとあらゆる面で2世代先の性能になっています。


※このあとがきを書くにあたり、滅茶苦茶調べて性能書きましたが、如何せん元が知識0だったもので矛盾やツッコミどころが多いかもしれません。。。詳細な性能は本編に載せないので、艦隊に詳しい方は自己補完してお楽しみください。ゴメンナサイ。



参考:

・前弩級戦艦(今作のトラファルガー級。史実のロイヤル・サブリン級戦艦は1892年就役)

・弩級戦艦(史実のドレッドノート級は1906年就役)

・超弩級戦艦(今作の白峰級戦艦。史実のクイーン・エリザベス級が超弩級戦艦で1915年就役)

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2作品目
第二次世界大戦の話
大東亜火葬戦記
あらすじ
皇国ノ興廃、此ノ一戦ニ在ラズ。桜子姫殿下ノ一撃ニ在リ。

日米開戦前夜、大日本帝国は一つの「真実」に到達する。それは、石油や鉄鋼を遥かに凌駕する究極の戦略資源――魔法を行使する一人の姫君、東久邇宮桜子の存在であった 。

都市を消滅させる天変地異『メテオ』 。だが、その力は一度使えば回復に長期間を要し、飽和攻撃には驚くほど脆弱という致命的な欠陥を抱えていた 。

この「ガラスの大砲」をいかにして国家の切り札とするか。
異端の天才戦略家・石原莞爾は、旧来の戦争概念を全て破壊する新国家戦略『魔法戦核ドクトリン』を提唱する 。大艦巨砲主義を放棄し、桜子を護る「盾」たる戦闘機と駆逐艦を量産 。桜子の一撃を最大化するため、全軍は「耐えて勝つ」縦深防御戦術へと移行する 。

これは、巨大戦艦「大和」さえ囮(おとり)とし 、たった一人の少女の魔法を軸に、軍事・経済・諜報の全てを再構築して世界最終戦争に挑む、日本の壮大な国家改造の物語である。
― 新着の感想 ―
パナマを手に入れたことと白峰ショックで、物量で押してこようとするイギリスらですが、空からも粉砕されるとは思ってなさそうですね。
今回は長いけど次が最終章か・・・寂しぃ! この小説に出会ってからは更新をいつも楽しみにしています、新しい話を読むときが最近の至福の時間です。 いつも更新してくれてありがとうございますm(_ _)m。 …
ハーバーボッシュで火薬大量生産して機関銃でばらまくことすれば火薬は天然資源採掘して作ってる19世紀の列強はすぐに干上がるという
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