53(伯林)
1884年、冬。
ドイツ帝国首都、ベルリン。
雪化粧をしたブランデンブルク門が見下ろすこの街は、今、世界の外交の中心地となっていた。
ビスマルクの呼びかけにより開催されたベルリン会議には、世界各国の代表団が集い、アフリカ大陸の未来を決めようとしていた。
参加国は以下の通りである。
大英帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ベルギー王国、デンマーク王国、スペイン王国、アメリカ連合国、フランス共和国、イタリア王国、オランダ王国、ポルトガル王国、ロシア帝国、スウェーデン=ノルウェー王国、オスマン帝国、大日本帝国。
会議開幕を翌日に控えた夜、ドイツ外務省が主催する壮麗な夜会は、各国の思惑が渦巻く、華やかな戦場と化していた。
シャンデリアの光が磨かれた大理石の床に乱反射し、ワルツの調べが流れる中、軍服や豪奢なドレスに身を包んだ外交官たちが、笑顔の仮面の裏で互いの腹を探り合っている。
探るような視線を向けてくる英仏の外交官たちを柳に風と受け流しながら、日本の特命全権大使、陸奥宗光はドイツ、オーストリア、オスマンの代表たちと、さりげなくグラスを合わせ、その会話には巧みに意図を忍ばせる。
「明日のアフリカ分割に関する議題、我が国からのささやかな提案には、皆様のご理解を賜りたい。これは、かの大陸の平和のためだけでなく、我々の、共通の利益という固い岩盤の上に築かれる、未来の秩序のためのものですからな」
陸奥の言葉は、静かだが確信に満ちていた。ボスニア問題の「貸し」と、3B計画という「共通の利益」。
それを背景にした彼の言葉に、三国の代表たちは深く頷く。
日本の真の狙いはアフリカ分割には無い事を説明し、独土墺の各国代表と利害調整を進めていく。
§
翌日、議場となったホールは、冬のベルリンの曇り空を映して、重苦しいほどに静まり返っていた。
巨大なマホガニーの円卓を、居並ぶ15カ国の国旗が取り囲んでいる。
暖炉の炎が時折パチリと音を立てる他は、各国代表団が交わす、儀礼的な挨拶の声と、ペンが紙に擦れる音だけが響いていた。
誰もが、これから始まるのが、単なる会議ではなく、アフリカ大陸の運命を切り刻む『解体作業』であることを、暗黙のうちに理解していた。
議長席のビスマルクが、厳かに開会を宣言する。
議題は、アフリカ分割のルール策定。
最初に発言を求められた陸奥宗光は、ゆっくりと立ち上がると、居並ぶ列強の代表たちを、そのカミソリのように鋭い瞳で見渡した。
そして、誰もが予想しなかった、あまりに理想主義的な提案を、情熱的な口調で語り始めた。
「議長、並びに各国ご代表。アフリカの広大な土地と、そこに住まう無数の民の未来を、我々が単なる力と欲望で分割することは、文明国として許されるべきではありません! 我が国は、植民地化における、人道的なルールの確立をこそ、本会議で最初に議論すべきと提唱いたします!」
陸奥は一呼吸おくと、その具体的な内容を、三つの条項として高らかに掲げた。
「第一に、現地部族との公正な条約の締結を義務とすること! 第二に、現地の文化や宗教の尊重を誓うこと! そして第三に、我々先進国には、被保護民に対し、教育や医療といったインフラを整備する義務がある、と!」
その演説は、会場に大きな波紋を広げた。
「馬鹿げている!」「慈善事業ではないのだぞ!」
イギリス、フランスの代表団の席から、侮蔑と怒りの声が上がる。
彼らにとって、植民地は搾取の対象であり、そのような「義務」は国益を損なう戯言に過ぎなかった。
その反応は、完全に陸奥の計算通りだった。彼は、心外だと言わんばかりに困ったように眉を下げ、「譲歩」の姿勢を見せる。
「…分かりました。皆様がそこまでおっしゃるなら、『文化の尊重』と、『インフラ整備の義務』は、今回は取り下げましょう。各国の自主的な努力に期待いたします。ですが、第一条の『現地部族との公正な条約の締結』、これは文明国同士の最低限の紳士協定として、ご賛同いただきたい」
この譲歩案に、今度は後発のイタリア、ベルギーといった国々の代表が色めき立った。
イタリア代表が口元を隠しながら、ベルギー代表に囁く。
「…ふむ。このルールは我々にとっても面倒ではある。だが、ロンドンやパリにとっては、もっとずっと面倒な代物だ。…我々のような『これからの国』にとっては、むしろ好機やもしれんな」
ベルギー代表も同意なのか、小さく頷いている。
広大な領域を曖昧な形で支配している英仏は、全ての土地で「合意」を取り付けさせるのが困難であり、彼らの更なる進出を遅らせる上で極めて有利に働くだろう。
少しざわつきの時間があったが、ビスマルクが陸奥に続きを促すと自然と静かになっていく。
周りが静かになったことを確認した陸奥は、畳み掛けるように第二の「譲歩」を口にした。
「文化や宗教の尊重も、アフリカ全土でとなると難しいでしょう。ですが、例外がございます。かつて偉大なオスマン帝国の版図であり、高度な文明を有していた北アフリカの地…リビア、エジプト、スーダンにおいては、その『歴史的・文化的宗主権を尊重』し、住民投票によって、完全独立かオスマン帝国への再統合か、その帰属を民自身の手に委ねるべきです」
この提案を聞いたフランス代表から陸奥へ非難の声が上がる。
「陸奥大使、貴方の言っている事は一見平和のため、アフリカの民の為のように聞こえるが、その実我々欧州国家が手続きに追われる間に、日本がアフリカの土地を切り取りたいだけに聞こえますな。その様な言葉がどうしてここで皆様の心に響きましょうか」
フランス代表の「言ってやった」という雰囲気にイギリス代表もいい笑顔を返す。
しかし陸奥はそこまで読んでいた。
「…我々は、アフリカの民の平穏を願って提案しているだけです。その誠意を示すため、我が大日本帝国は、アフリカ大陸において、一寸たりとも領土を求めないことを、ここに宣言いたします!」
この「欲のない理想主義者」を装った陸奥の提案に、場の空気が変わる。
ここで、議長のビスマルクが、重々しく口を開いた。
「諸君、陸奥大使は理想を語られた。私は現実を語ろう。無秩序なアフリカは、いずれヨーロッパの火薬庫となる。彼の提案は、かの大陸の民のためだけではない。我々自身の平和と安定のための、極めて現実的な提案と、私は考えるが、いかがかな?」
鉄血宰相による、絶妙な援護射撃だった。
議論は、もはや「人道」ではなく、「ヨーロッパの安定」という、誰もが無視できないテーマへとすり替わっていた。
§
採決の時、議場は息詰まるような緊張に包まれた。
まず、第一の議題「現地部族との合意の原則」。
利害調整済みの日本、ドイツ、オーストリア、オスマンの4カ国が賛成票を投じる。
英仏や、旧植民地帝国のスペイン、ポルトガル、オランダの5か国が反対票に投票する。
後発の植民地獲得競争で有利になると踏んだイタリアとベルギー、直接的な利害が少なく人道的見地を掲げる北欧諸国、スウェーデン=ノルウェーとデンマークも賛成に回った。
ここで反日感情で反対に回ると思われていたアメリカだが、意外にも賛成へと票を入れる。
「我が連合国は、統治される者の合意なくして、統治は成り立たないという、偉大な原則の上に建国された。我々は、他国の植民地政策に口を出すつもりはないが、武力による征服よりも、条約による合意を優先する、というこの原則に、反対する理由は見当たらない」
ロシアはアフリカ権益における利害は少なく、ライバルである英日土の表が分散されたため棄権に回った。
結果は、
・賛成:日、独、墺、土、米、瑞、丁、白、伊
・反対:英、仏、葡、西、蘭
・棄権:露
賛成9、反対5、棄権1。この結果をもって日本の最初の提案は、可決された。
§
次に、第二の議題「北アフリカにおける歴史的宗主権の尊重」。
これはオスマン帝国の復権に繋がりかねないため、各国の思惑はさらに複雑に絡み合った。
日独墺土は賛成。
スペインとオランダは宗教絡みで日本に植民地を取られたばかりであり、反対に回る。
ロシアは対オスマンの条約なので、当然反対。リビアを狙うイタリアも英仏露と共に反対に回り、CSAもこれに追随する。
賛成4、反対7と票差がつくが、ここでポルトガル代表が、意を決したように発言する。
「我が国は、宗教的な対立が、ヨーロッパにどれほどの悲劇をもたらしてきたかを、歴史から学んでおります。この提案が、未来の紛争の火種を一つでも摘むことになるのであれば、我が国は、ヨーロッパ全体の平和と安定のために、賛成票を投じるものであります」
利害が少なく、それ以上に、ヨーロッパがまた戦争になるのは避けたい中小国の切実な想いが込められていた。
ポルトガルの発言を受け、ベルギー、スウェーデン、デンマークが「欧州の安定」を名目に賛成へと寝返る。
票が読み上げられる。
賛成:日、独、墺、土、葡、瑞、丁、白
反対:英、仏、伊、露、米、西、蘭
賛成8、反対7。過半数ぎりぎりで、第二の提案も可決された。
英仏の代表は、顔面蒼白のまま、なすすべなくその光景を見つめていた。
自分たちが意のままにできると思っていた会議で、二度も立て続けに日本の提案にしてやられたのだ。
覇者としてのプライドは、確実に傷つけられていた。
続けて、史実のベルリン会議の議題が、この新しいルールの上で審議されていく。
「コンゴ盆地の自由貿易」は可決されたが、その運用は事実上、日独ブロックと英仏ブロックの二重基準となることが確実だった。
「実効支配」の原則も、「現地住民の合意」という新たな足枷がはめられた形で承認された。
そして、「奴隷貿易の禁止」。これには、国際的孤立を恐れるCSAも賛成せざるを得なかったが、彼らは「これはあくまで国際間の取引に限定されるべきであり、各国の国内における労働制度には干渉しない」という修正案を提出し、これが認められるという、奇妙な決着を見た。
アフリカ分割に関する全ての議題が終わり、議場が安堵と疲労の空気に包まれた。
イギリス代表もここまでに持ち直しており、「日本がアフリカに手を出す事は出来なくなった。それだけでも収穫はあった」と落ち着きを取り戻した、その時。
議長のビスマルクが、再び声を張り上げた。
「これにて、アフリカに関する議題は終了とする。…だが、本会議はまだ終わらん。日本の陸奥大使より、もう一つ、全世界の海に関わる、極めて重要な議題が提出されている」
その言葉に、イギリス首席代表の顔が、驚きと、そして新たな警戒でこわばった。
彼は、自分たちがアフリカ問題で翻弄されている間に、日本の真の狙いが、全く別の場所にあったことに、ようやく気づき始めていた。だが、それはあまりにも遅すぎた。
場が陸奥とビスマルクが作る雰囲気にのまれたまま、次の議題へと進んでいく。
長くなったので、整理すると
・史実の「実効支配」の原則に加え、「現地住民の合意」が必要になりました。
・リビア、エジプト、スーダンの3か国は「独立」を選んで、他アフリカ地域と同じように植民地化される危険を背負うか、「オスマン帝国に再統合」されるかを住民投票で選ぶことになりました。
・史実にもあった「コンゴ盆地の自由貿易」は可決されましたが、形骸化されます。
・「奴隷貿易の禁止」これも史実通り可決されますが、CSAが少し口を挟みました。
ここまで日本に利する項目は無く、ドイツやオスマンを援護する形になっている他、北欧諸国などには「人道的な原則を掲げた上で、場を治めるために大きく譲歩している」とみられています。




