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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第一章(黒船)
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5(江戸)

京を発ってから十数日後、俺たちは東海道の終点「日本橋」にいた。


「ここが…江戸か」


土方が、京とはまた違う、武骨で荒々しいまでの活気に満ちた日本橋界隈を見渡し、息をのむ。

田中久重も、久々の江戸の空気に目を細めている。


「ミネルヴァから江戸の規模については聞いていたが、実際にこの目で見てみるとやはり圧巻だな。この人の多さ、熱気…日野宿とは比べ物にならん」


「はい、ジン様。江戸の人口は100万人を超え、この時代においては世界最大の都市の一つに数えられます。それだけに多くの機会と多くの危険が潜んでいることでしょう」


「ふむ、相変わらずの賑わいですな。これほどの人がいれば、我々の技術や知識を求める者も、そしてそれを広める力を持つ者も必ずいるはずじゃ」


と、田中久重も感慨深げだ。


俺たちはまず、活動の拠点となる場所を探した。

ミネルヴァが事前にリストアップした情報と、田中久重が過去に江戸に滞在していた際の僅かな土地勘、そして土方が多摩の知り合いを通じて得た情報を頼りに、日本橋からほど近い神田の裏通りに、工房として使える離れが付いた元武家屋敷を借り受けることができた。

やや古びてはいるが、広さも申し分なく、人目につきにくい立地も好都合だった。


荷を解き、一息ついたところで、俺は早速、土方と田中久重に今後の大まかな方針を伝えた。


「土方、お前にはまず、この江戸で俺たちの手足となって動ける、信頼できる仲間を数名集めてほしい。多摩の知り合いでも、ここで見つけた腕の立つ者でも構わん。人数は少なくていい、少数精鋭でだ」


(ミネルヴァからの情報は既にある、が現場で見ることで違った視点も得られるかもしれない)


「既に入手している幕府や主要な藩の動き、黒船に関する噂などの情報がここにある。これに加え、俺たちの知らない細かな動きもあるはずだ。それらの裏付けと、新たな情報を集めてほしい」


「お任せください。江戸は広いですが、人の口に戸は立てられません。必ずやジンさんの役に立つ情報を掴んでみせます」

土方の目には、新たな戦場を得た武者のような光が宿っている。その実直さと行動力は頼もしい。


「久重殿には、まずこの工房を整備していただき、我々の計画に必要な『物』を作り出してほしい。手始めに、俺たちの活動を支えるための資金を生み出す何か、そして、いずれ来るであろう『彼ら』を驚かせるような、新しい技術の試作品だ」


「うむ、腕が鳴りますな。ジン殿からお聞きした技術の数々…その全てをすぐに形にすることは叶わぬでしょうが、まずはこの時代の技術で実現可能なものから一つずつ。例えば、民の生活を豊かにするものであれば、より効率的な農具…そう、ジン殿からお聞きした『はねくり備中』という農具の概念、あれには大変興味をそそられました。ぜひ試作してみたいものですな。あるいは、情報伝達の速さを飛躍的に高めるという『電信機』…あれも捨てがたい」


田中久重は技術者としての探究心に目を輝かせている。


「『はねくり備中』のようなものは、広く民に恩恵をもたらすだろう。それはそれで重要だ。だが、今はまず我々の足場を固め、来るべき日に備えることが最優先だ。久重殿には、まず『電信機』の試作ともう一つ、ペリーを『説得』するための、夜闇を昼のように照らし出す新たな灯りの構想がある。それの試作をお願いしたい」


俺はミネルヴァが示した基本原理――真空状態にしたガラス球の中で、電気を通した細い線(フィラメント)を発光させるという「白熱電球」の概念を久重に説明した。彼は最初、その突拍子もない発想に目を丸くしていたが、説明を聞くうちにその瞳は技術者特有の強い探究心の色を帯びていく。


「電気で光を…しかも、これほど単純な構造で…。フィラメントとなる素材の選定、ガラス球の真空化、そして安定した電源の確保。課題は山積みじゃが…これは、途方もなく面白い!」


「ああ、面白いものになるはずだ。そして、その灯りは新しい時代の幕開けを告げる光にもなる。フィラメントには質の良い竹が必要だ。土方、ちゃんと京都から持ってきたな?」


「頼まれていた竹ですね。これだけの量があれば十分でしょう。持ってきておりますが、これが光に変わるんですか」

土方は不思議そうに、しかし俺の指示には忠実に従い京都で手に入れていた上質な竹の束を示した。


新たな目標を得て、工房は俄かに活気づいた。


その夜、俺はミネルヴァと二人きりで屋根に上り、江戸の夜景を見下ろしながら作戦会議を開いていた。


「さて、ミネルヴァ。江戸での情報収集だが、幕府のキーパーソン…特に開国派や、あるいは逆に危機感を抱いているがどう動けばいいか分からずにいるような人物に接触したい。誰か心当たりは?」


「はい。いくつか候補がございます。例えば、浦賀奉行所の与力である中島三郎助殿。彼はペリー来航時に直接交渉にあたる可能性が高く、実直な人物ですが、幕府の現状には強い危機感を抱いていると観測されます。また、若手幕臣の中には、小栗忠順様のように西洋の知識に明るく、日本の将来を憂う人物もおります。彼らに接触し、ジン様の知識や先見性を示せれば、何らかの協力関係を築けるかもしれません」


「中島三郎助、小栗忠順か…どちらも一筋縄ではいかなそうだな。彼らの琴線に触れるような情報、あるいは接近するための糸口はあるか?」


「中島殿は実直なだけに、幕府上層部の腐敗や無策ぶりに強い不満を抱いています。小栗様は、日本の技術力の遅れを深く憂慮しており、新しい知識や技術に対しては非常に貪欲です。そういった部分を刺激できれば…」


「なるほどな。土方たちの情報収集と並行して、俺も機会を窺うとしよう。それから、人材スカウトだ。この江戸には、まだ埋もれている才能がごまんといるはずだ。例えば、福沢諭吉や勝海舟あたりは、今どこで何をしている?」


「福沢諭吉は現在18歳、中津藩の江戸藩邸におり蘭学の勉強に励んでおりますが、まだその才能を活かす場には恵まれていないご様子。彼のような知識欲の塊は、ジン様の持つ未来の知識に強い興味を示すやもしれません。勝海舟……こちらは29歳。赤坂に自身の蘭学塾を開き、海防の重要性を説いてはおりますが、幕府内での風当たりはまだ強いようです。ですが、彼の柔軟な思考と先見性は、ジン様の計画の良き理解者となる可能性を秘めておりますわ」


「よし。江戸での活動は情報収集、資金調達、技術開発、そして人材獲得。多岐にわたるが一つずつ着実に進めていくぞ。黒船が来るまで、時間は限られているからな」


俺は江戸の夜空を見上げた。この巨大都市で、俺たちの計画がいよいよ本格的に動き出す。

【用語・時代背景解説】


・江戸の人口と様子:

18世紀初頭には既に人口100万人を超えていたとされ、当時の世界最大の都市の一つでした。武士、町人、職人など様々な身分の人々が暮らす、活気に満ちた大都市でした。一方で、幕末期には社会不安や貧富の差なども顕在化しつつありました。


・はねくり備中びっちゅう

大正時代に考案された農具で、田畑を深く耕すために使われていました。この農具は、足の力を利用して土を掘り起こす仕組みになっており、従来の備中鍬よりも効率的に作業できる点が特徴です。特に麦を育てた畝を壊し、稲作のために田を耕す際に活用されました。


・電信機:

1837年にアメリカのモールスによって実用的な電信機が発明され、欧米では1840年代から急速にそのネットワークが拡大し始めていました。日本に初めて電信機が紹介されたのは、1854年(嘉永7年)のペリー再来航時とされています。作中では、ミネルヴァの未来知識を元に、田中久重がこれに先駆けて試作に挑むことになります。


・白熱電球:

実用的な白熱電球は、1879年にトーマス・エジソンによって発明されました。

作中ではまだ実用的なものではなく、あくまでペリーを驚かせる程度(点灯時間が短いなど)のものを想定しています。


・竹フィラメント:

エジソンが白熱電球を実用化する際、フィラメントの素材として日本の京都産の竹が非常に優れた性能を示したようです。

因みに作者はこの話を書くまで竹に種類がある事を知りませんでした。4話で竹を獲るシーンがないのはそのためです。。。エジソンは京都の『八幡竹』という真竹を使ったそうですが、日本には真竹の他にも孟宗竹、淡竹などが自生しているそうです。


【簡単な人物解説】


中島三郎助なかじま さぶろうすけ

浦賀奉行所の与力。ペリー来航時に副使として交渉にあたりました。


小栗忠順おぐり ただまさ

幕末の幕臣。日本の近代化に大きく貢献しました。1852年当時は25歳前後。


福沢諭吉ふくざわ ゆきち

慶應義塾の創設者。1852年当時は18歳。


勝海舟かつ かいしゅう

幕末から明治にかけて活躍した幕臣、政治家。1852年当時は29歳。

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2作品目
第二次世界大戦の話
大東亜火葬戦記
あらすじ
皇国ノ興廃、此ノ一戦ニ在ラズ。桜子姫殿下ノ一撃ニ在リ。

日米開戦前夜、大日本帝国は一つの「真実」に到達する。それは、石油や鉄鋼を遥かに凌駕する究極の戦略資源――魔法を行使する一人の姫君、東久邇宮桜子の存在であった 。

都市を消滅させる天変地異『メテオ』 。だが、その力は一度使えば回復に長期間を要し、飽和攻撃には驚くほど脆弱という致命的な欠陥を抱えていた 。

この「ガラスの大砲」をいかにして国家の切り札とするか。
異端の天才戦略家・石原莞爾は、旧来の戦争概念を全て破壊する新国家戦略『魔法戦核ドクトリン』を提唱する 。大艦巨砲主義を放棄し、桜子を護る「盾」たる戦闘機と駆逐艦を量産 。桜子の一撃を最大化するため、全軍は「耐えて勝つ」縦深防御戦術へと移行する 。

これは、巨大戦艦「大和」さえ囮(おとり)とし 、たった一人の少女の魔法を軸に、軍事・経済・諜報の全てを再構築して世界最終戦争に挑む、日本の壮大な国家改造の物語である。
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