47(幕間:礎石)
1873年。
維新外征戦争の勝利に、日本中が沸き立っていた。
帝都・江戸の通りは、かつてないほどの熱狂に包まれ、凱旋する兵士たちを歓迎する「万歳」の声が、地鳴りのように響き渡っている。日の丸の旗が、波のように揺れていた。
その光景を、俺は、総攬府のバルコニーから静かに見下ろしていた。
パレードの先頭には、馬上の大山巌、西郷隆盛、川上操六、そして海軍の英雄となった東郷平八郎といった将軍たちの姿がある。
彼らの後ろには、ミンダナオでの戦いを経験したモロ族の義勇兵たちの姿もあり、日本の軍隊が、もはや単一の民族で構成されたものではないことを、世界に示していた。
民衆の熱狂的な歓声に応える彼らの顔には、藩という小さな枠組みを超え、一つの「帝国」のために戦い抜いたという、新しい時代の誇りが刻まれている。
俺は、眼下の熱狂を一身に受けながら、拡声器を通じて、国民に向けて演説を開始した。
まず、兵士たちの勇気と、それを支えた国民の全ての尽力に、深い感謝を述べる。
そして、勝利に浮かれる空気を、ぐっと引き締めるように、声を一段と張った。
「…我が帝国の勝利だ! だが、これは終わりではない。始まりだ! 世界は、我々の力を知り、今や、羨望と、嫉妬と、そして恐怖の目で見ている! 真の戦いは、ここから始まるのだ! 我々は、勝利に驕ることなく、次なる試練に備えねばならない!」
俺は一呼吸置き、新しい時代の指針を、高らかに布告した。
「故に、全臣民に告ぐ! これより、我が国の指針は『百忍千鍛』とする! これから起こるであろう百の困難を耐え忍び、それまでに千の努力で国を鍛え上げる! 護国戦争も、この維新外征戦争も乗り越えた諸君らなら、必ず出来ると信じている。我々の手で、この国を、世界のどの国も凌駕する、真の帝国へと創り上げるのだ!」
その言葉に、民衆は、単なる勝利の喜びではない、新たな時代の幕開けを予感し、これまで以上の、割れんばかりの歓声で応えた。
§
数日後、総攬府の大広間。
凱旋式の熱気も冷めやらぬ中、戦争の論功行賞と、新しい行政区の設立が、厳かに発表された。
ジンが、居並ぶ将官や閣僚を前に、一人一人の功績を読み上げ、勲章と新たな地位を与えていく。
「東郷平八郎。ライン諸島沖海戦における貴官の勇敢な指揮は、我が軍の勝利に不可欠であった。よって、海軍大佐に昇進させ、新鋭巡洋艦の艦長を命ずる」
「川上操六、大山巌。両名は、陸軍中将へと昇進させる。今後も、帝国の陸軍を支える柱となれ」
最高の栄誉に、三人は固い表情で、しかし誇りを滲ませて頭を垂れた。
続けて、俺は壁の巨大な地図を指し示す。
「これより、このたびの戦争で得た、ミンダナオ、パラワン、スマトラ、そしてグアムなど、広大な南の島々を、一つの行政区『南洋州』とすることを、ここに宣言する」
そして、西郷隆盛を呼び出した。
「西郷総督、ミンダナオで、ただの武力ではない、人の心を掴むという、帝国の真の強さを示してくれた。その力で、この新しい南の民たちを、正しく導いてやってほしい。初代・南洋州総督の任、受けてくれるな?」
西郷は、その巨躯を折り曲げ、静かに、しかし力強く頷いた。
「次に、榎本武揚」
「はっ」
「北の守り、ご苦労であった。だが、今、帝国にとって、より重要な場所が生まれた。太平洋の心臓、布哇州だ。あの地は、CSAとの、外交と、そして来るべき戦いの、最前線となる。キミの持つ、海軍の知識と、国際的な視野が、そこで必要だ。布哇州の、初代総督の任、引き受けてくれるな?」
榎本は、その重責に身を引き締め、深々と頭を下げた。
最後に、後任人事が発表された。
「西郷の後任として、台湾州総督には大山巌を。そして、榎本の後任として、樺太州総督には、川上操六を任命する!」
§
その夜。江戸の料亭の一室で、勝海舟と福沢諭吉が、二人きりで酒を酌み交わしていた。
「しかし勝先生。総攬閣下は、西郷殿を南洋州、大山殿を台湾、川上殿を樺太の総督に任じられるとは…。あれほどの英雄たちを、帝都から遠ざけて、ご心配ではないのですかな」
福沢が、少し酔いの回った口調で尋ねる。
勝は、豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは、諭吉さん、あんたはまだ総攬の本当の恐ろしさが分かっちゃいねえ。ありゃあ、古代ローマのやり方よ」
「ローマ、ですか?」
「おうよ。ローマ帝国は、元老院が、最も力のある将軍や政治家を、属州の『総督』として派遣した。なぜだか分かるかい?」
「…帝都での権力争いを避け、その力を削ぐため、ですか」
「半分正解で、半分不正解だ」と勝は続ける。「遠ざけるのはその通り。だが、力を削ぐんじゃねえ。むしろ、その有り余る力を、国内の政争なんぞっていう下らねえことに使わせるんじゃなく、帝国の拡大と安定っていう、外向きの仕事に、存分に使わせてやるのさ。西郷の人望も、大山の軍才も、帝都に置いておけば、いずれ火種になりかねん。だが、新しい『国』を与えれば、彼らはその運営に全力を注ぐ。まさに、一石二鳥よ。総攬は、そうやって英雄たちを上手く使いこなして、この巨大な帝国を動かしておられるのさ」
「なるほど…でも古代ローマと違うところもありますよね」
「そうだ。州総督は元老院の議員でもあるし、何かあれば電信でいつでも連絡が取れる。いざとなれば、あの航空機ですぐに呼び戻せる。手綱は、しっかり握られたままってわけだ」
福沢は、その底知れぬ深謀遠慮に、ただただ感嘆するしかなかった。
§
全ての式典が終わり、ジンは、ミネルヴァと二人きりで執務室にいた。
彼の机の上には、戦後処理に関する、膨大な書類の山。そして、その横には、次なる時代の設計図が、静かに広げられている。
「…『百忍千鍛』、ですか。良い響きですわね。国民の心は、これで一つになるでしょう」
「ああ。だが、スローガンだけでは、国は動かん。この戦争で得た賠償金と、新しい領土から得られる資源…南洋州から、早速ボーキサイトと石油が見つかったとの報告も来ている。これを、次なる礎へと変える」
俺は、設計図を指し示した。
そこには、八つの海軍工廠で八つの艦隊を同時に建造する「八八艦隊構想」の原型、全土に航空機工場を建設する計画、そして陸軍の「戦車師団」創設といった、恐るべき軍拡計画が記されていた。
「これでまた他国を引き離す。これまで以上に技術力で圧倒し、次の大戦に備えるぞ」
日本の礎は、今、確かなものとなった。




