45(激突)
1872年、秋。
太平洋のほぼ中央に位置する、ライン諸島近海。
この、名もなき島々が点在する海域が、日本の、そして世界の運命を左右する決戦の舞台となろうとしていた。
布哇と日本本土を結ぶ航路の安全確保、そして太平洋における覇権を確固たるものとするため、我が日本帝国艦隊は、このライン諸島の領有を宣言し、その確保へと向かっていた。
その動きを、CSAが見過ごすはずもなかった。
「日本の猿どもが、これ以上太平洋を好きにはさせん!」
CSA太平洋艦隊は、その総力を挙げて日本の前に立ちはだかった。彼らの目的は、日本の野心を打ち砕き、太平洋における白人国家の優位性を知らしめることにあった。
両国の艦隊が、互いを水平線の彼方に捉える。
日本艦隊は、大山巌大将が座乗する新型戦艦『三笠』を旗艦とする主力部隊と、その後方に、東郷平八郎中佐が指揮する旧式巡洋艦を中心とした第二部隊で構成されている。
対するCSA艦隊は、南北戦争を8年間戦い抜いた、歴戦の猛者たち。その数、日本の倍以上。
CSA艦隊旗艦『バージニアII』の艦橋。提督は、双眼鏡越しに日本の艦隊編成を眺め、侮蔑に満ちた笑みを浮かべた。
「ほう、数だけは揃えたようだな。だが、所詮は有色人種の寄せ集めだ。付け焼き刃の戦術など、我ら白人の戦略眼には及ぶまい。全艦、目標は敵旗艦! あの、一番図体の大きい船だ! 一斉集中砲火で、まずは敵の頭を叩き潰してくれる!」
彼の的確な、しかし人種的な偏見に満ちた号令一下、CSA艦隊の主砲が一斉に火を噴いた。
戦闘序盤、戦いの主導権を握ったのはCSAだった。
南北戦争の8年で培われた彼らの砲撃技術は、まさに神業の域に達していた。
放たれた砲弾は、正確無比な弾道を描き、寸分の狂いもなく、大山が座乗する旗艦『三笠』へと集中した。
凄まじい轟音と共に、艦橋が激しく揺れる。
「閣下、被弾多数!」「右舷、装甲に命中!」
だが、大山は、微動だにせず、静かに戦況を見つめていた。
「騒ぐな。この程度で、我が『三笠』が沈むものか」
CSAの砲弾は、『三笠』の分厚い特殊装甲に、甲高い音を立てて弾かれ、あるいは表面を削るのみで、一発たりとも致命傷を与えることができない。
一方、日本の新型戦艦部隊の反撃は、CSA艦隊の巧みな操艦もあって、当初はなかなか有効打を捉えられずにいた。
「くそっ、当たらんか…!」
砲塔の観測員が、悔しげに叫ぶ。
『三笠』の艦内奥深く、「計算室」。
ここでは、数十人の計算員たちが、汗だくになりながら、怒号のような声で数値をやり取りしていた。
「測距儀より、敵一番艦、距離一万二千! 方位角、三十度!」
「データブック、該当ページを検索!」「補正値、プラス〇・五!」
そろばんの音が、嵐のように鳴り響く。
その時、マストの見張り台にいる『海神』からの無線通信担当兵が叫んだ。
「『海神』より弾着観測データ入電! 我が弾着、目標より100メートル右、50メートル遠し!」
「よし、データを修正しろ! 急げ!」
計算室の熱気が、最高潮に達する。
そして、ついにその時は来た。
補正された、完璧な射撃諸元が、各砲塔へと送られる。
「目標、敵一番艦! 測距よし! 全砲門、撃ち方、始め!」
『三笠』を筆頭とする日本の新型戦艦の主砲が、再び一斉に咆哮を上げた。
放たれた数発の砲弾は、一直線にCSAの二番艦へと吸い込まれていく。
着弾。
次の瞬間、CSAの二番艦は、巨大な火柱と黒煙を噴き上げ、まるでマッチ箱のように二つに折れ、轟音と共に海中へと姿を消した。日本の高性能炸薬を詰めた砲弾が、一撃で弾薬庫を誘爆させたのだ。
さらに、別の艦は主砲塔を吹き飛ばされ、また別の艦は舵を破壊され、戦闘能力を完全に喪失した。
「な…に…?」
CSA提督は、自らの目を疑った。
自分たちの砲弾は、あれほど撃ち込んでもびくともしないのに、日本の砲弾は、たったの一撃で、味方の装甲艦を海の藻屑に変えてしまった。
「馬鹿な…あと一撃、あと一撃当てれば、日本の旗艦も沈むはずだ! 撃て! 撃ち続けろ!」
彼は、狂ったように叫び、旗艦『三笠』への攻撃を続行させる。
その光景を、『三笠』の艦橋から見ていた大山巌は、脳裏に数年前の記憶を蘇らせていた。
――総攬府の執務室。若い総攬、扶桑 仁が、自分と田中久重を前に、途方もない構想を語っていた。
「大山殿、久重殿、これからの海戦を制するのは、勘や経験ではない。数学と情報です」
ジンは、『三笠』の設計図と共に、一枚の概念図を示した。
そこには、『差分機関』『計算室』『測距儀』、そして『海神』からの無線通信が連携する、恐るべき火器管制システムの姿が描かれていた。
「この『脳』を持つ艦隊は、無敵となるでしょう」
あの時の、ジンの静かな、しかし絶対的な自信に満ちた声が、今、現実のものとなって、眼前の海で繰り広げられている。
「…とんでもないお方を、我々は総攬に頂いたものだ…」
大山は、畏敬の念と共に呟くと、再び戦場へと意識を戻した。
日本の第二射、第三射が、次々とCSA艦隊の他の艦を捉え、海の底へと送り込んでいく。
無数の命中弾を受けながらも、なお悠然と進撃してくる日本の旗艦と、その周囲で正確無比な「処刑」を続ける新型戦艦群。
その光景を前に、CSA提督は、ついに自軍の完全な技術的敗北と、自分たちが「狩られる側」に回ったことを、絶望と共に悟った。
「…おのれ…おのれ、ジャップ…!」
勝利が不可能だと悟った彼は、絶望と、そして人種的な偏見からくる怒りに駆られ、最後の意地として、叩きやすい日本の旧式巡洋艦部隊に全火力を集中させるよう、最後の命令を下した。
「あの新型の化け物は相手にするな! 旧式の船だけでも、確実に沈めろ! 我ら南部の、アングロサクソンの意地を見せつけてやれ!」
東郷平八郎は、敵の意図を即座に察知した。
「全艦、回避! 敵、我に目標を集中!」
だが、時すでに遅し。
CSA艦隊の、死に物狂いの集中砲火が、東郷艦隊の旧式巡洋艦『高千穂』を捉えた。
数えきれないほどの砲弾が突き刺さり、『高千穂』は巨大な炎に包まれる。
東郷は、唇を噛みしめながら、その光景を見つめていた。
「…すまん」
奮戦の末、『高千穂』は、ゆっくりと横転し、渦を巻いて太平洋の底へと沈んでいった。
『高千穂』を沈めたことで、CSA旗艦『バージニアII』の艦橋は、束の間の歓声に包まれた。
「やったぞ! 一隻沈めた! 黄色い猿に、我らの力を見せつけてやった!」
だが、それも彼らの最後の鬨の声となった。
日本の新型戦艦群の、冷静かつ無慈悲な砲撃が、今や抵抗する術もない『バージニアII』を捉える。
提督は、自らの旗艦が炎に包まれ、沈みゆく中で、故郷の家族を思い浮かべながら、最後の意地と共に、その運命を受け入れた。
§
江戸・総攬府執務室。
俺は、ライン諸島沖海戦の勝利を告げる電信を、静かに読んでいた。
CSA太平洋艦隊は壊滅。ハワイ近海の制海権は、完全に日本のものとなった。
しかし、その報告書には、輝かしい戦果と共に、巡洋艦『高千穂』の喪失と、数百名に及ぶ戦死者の名が、重く記されていた。
「ライン諸島沖海戦、我々の勝利です。ですが、ジン様…。『高千穂』を喪失。他にも旧型艦に小破、大破も多くあり、戦死者は三百名を超えます。これは、先の蘭西戦の、十倍以上の犠牲です」
ミネルヴァの声が、静かな執務室に響く。
俺は、戦死者の名が連なる報告書を見つめ、これまでにないほど険しい表情で呟いた。
「…無傷とはいかなかったか。CSA、死にゆく帝国との戦いではない。我らと同じ、若く、そして飢えた帝国との、食うか食われるかの戦いだ。奴らの牙は、我々が思った以上に鋭い」
勝利の代償。その重みを噛み締めながらも、俺の思考は、既に次なる一手に移っていた。
「だが、そろそろ金のガチョウから連絡が来るはずだ。スペイン、オランダ、そしてCSAが日本に与える打撃力が無くなり、日本も少しだがダメージを負った。これ以上俺たちを野放しにすれば、太平洋の島々が全て日本領になる。イギリスはそれを望まん」
その言葉を待っていたかのように、執務室の中央電信室から、一本の国際電信が届いたとの報せが入った。
宛名は「大日本帝国総攬、扶桑 仁閣下」。
差出人は「大英帝国首相、ウィリアム・グラッドストン」。
ミネルヴァが、その内容を読み上げる。
「此度ノ帝国海軍ノ大勝利、心ヨリ祝辞ヲ申シ上ゲル。シカシナガラ、コノ紛争ノ拡大ハ、アジア全域ノ安定ヲ脅カスモノナリ。我ガ大英帝国ハ、平和ヲ愛スル友人トシテ、両陣営ノ間ニ立チ、公平ナル『調停』ヲ行ウ用意ガアル。賢明ナルご判断を期待スル」
電文を読み終えたミネルヴァが、俺の顔を見る。
俺は、静かに、しかし確かな意志を込めて言った。
「…まあ、予定通りというわけだ。海軍の立て直しもある。今回はここで幕引きだ。講和の準備にかかるぞ」




