4(京都)
翌朝、佐藤彦五郎道場の門前には、二つの人影があった。
俺――ジンと、その傍らに立つ土方歳三。そして、もちろん俺にしかその姿は見えないが、ミネルヴァも静かに佇んでいる。
夜明け前の静寂の中、土方は多くを語らず、ただ固い決意を目に宿していた。
「ジンさん、世話になる。この土方歳三、あんたの見る新しい世の中ってやつを、この目で確かめさせてもらうぜ」
「ああ、よろしく頼む、土方」
残念ながら、近藤勇と井上源三郎の姿はなかった。昨夜、あれだけの大言を吐いたのだ、彼らが慎重になるのも無理はない。だが、土方が来てくれただけでも大きな収穫だ。ミネルヴァの言葉を借りれば、彼は「鉄のような意志と、組織を統率し動かす気風を内に秘めている」のだから。
俺たち三人は、静かに日野宿を後にし、西へと向かう甲州街道を歩み始めた。最初の大きな目的地は、京の都だ。
数週間の道中で、俺たちはは野宿をしたり、時にはミネルヴァの助言で安全な廃寺を見つけて一夜を明かしたりした。
ミネルヴァの情報は、旅の資金調達においても絶大な効果を発揮した。
「ジン様、この先の道を少しそれたところに馬に逃げられ途方に暮れる行商の方がおります。ジン様のそのお力で荷車を押し、目的地まで届けてあげれば、それなりの謝礼を頂けるでしょう」
ミネルヴァの予知通り、俺たちは困っている行商人を助け、感謝と共に十分な路銀を得ることができた。土方は、俺がどうやってその情報を得たのか訝しんでいたが、「勘だ」と答えておいた。
また、ある村では、
「ジン様、この村で作られる織物ですが、次の宿場町の大きな呉服問屋がちょうど品切れを起こし、高値でも仕入れたがっているとの情報がございます。ここで幾らか仕入れて運べば、良い値で売れるでしょう」
とミネルヴァが囁き、その通りにして資金を増やした。
さらに別の山道では、
「ジン様、この先の森の奥に雉が数羽おります。これを獲って次の町の有力者の屋敷まで持っていけば、折しも祝いの席があるため、きっと高値で買い取ってもらえますよ」
との言葉通り、俺が狩った雉が祝宴の貴重な食材となり、まとまった金銭を得ることもあった。
土方は、俺の尋常ならざる身体能力や戦闘技術に加え、まるで未来でも見ているかのような的確な判断力に、日を追うごとに驚きと畏敬の念を深めているようだった。
「ジンさん、あんた、一体何者なんだ…?」
「さあな。ただのジンだ」
俺はそう答えるだけだったが、土方の忠誠心のようなものが芽生え始めているのを感じていた。
また、道中ミネルヴァの指示で、各地で稲や野菜の種籾を収集した。
何故種籾なのか気になってミネルヴァに聞くと
「それは親品種といって、品種改良の元になる重要な種子ですよ、ジン様。例えば、こちらの種は冷害に強く、こちらの種は実りが良く、あちらの種は味が良いといった特性があります。これらをうまく掛け合わせることができれば…ふふ、10年も経たずして、この国の米作は様変わりするやもしれません。例えば、『コシヒカリ』や『きらら397』のような、寒冷地でも育ち、誰もが驚くほど美味で収穫量の多いお米も夢ではございませんよ」
と返ってきた。
ミネルヴァの知識の深さには、改めて舌を巻く。
「ほう、それは楽しみだな。食は国の基本だからな」
俺はそう応じた。
数週間後、俺たちはついに京の都の入り口、粟田口に到着した。懐には、出発時とは比べ物にならないほどの資金がある。
「さて、ミネルヴァ。例の『技術革新に不可欠な人物』…田中久重だったな。彼はどこにいる?」
「はい。田中久重は現在、京の寺町通にある自身の工房兼住居におります。その技術は類稀なるものですが、まだ特定の藩に腰を落ち着けてはいません。しかし、私の観測では…7日後に肥前佐賀藩から正式な招きの使者が到着するでしょう。その前に彼を我々の陣営に引き入れることができれば、大きな前進となります」
「7日後、か。時間がないな。よし、早速会いに行くぞ、土方」
俺たちは人通りの多い寺町通を抜け、ミネルヴァが示した一軒の町家へとたどり着いた。表には「からくり儀右衛門」と書かれた小さな木の看板が掛かっている。
「ここか…」
土方は少し緊張した面持ちだ。俺も、歴史上の偉大な発明家との対面に、僅かな高揚を感じていた。
戸を叩くと、中から人の良さそうな初老の男が出てきた。
「どなた様で?」
「儀右衛門先生にお目通り願いたい。私はジンと申す者。先生の発明品について、ぜひお話を伺いたく参上した」
男――田中久重本人だろう――は、俺の異様な姿と、傍らに立つ土方の鋭い目つきを見て少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ほほう、わしのような者に…。まあ、立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
工房に通されると、そこには様々な道具や設計図、そして製作途中の複雑な機械部品が所狭しと並んでいた。その一角に、ひときわ輝きを放つものがあった。
「あれは…須弥山儀ですな。素晴らしい出来栄えだ。2年前に完成されたとか。仏教的宇宙観である須弥山世界を見事に表現なされている。意匠も美しく、これほどのからくりを作れる人物は、日ノ本広しといえど儀右衛門先生しかおられないでしょう」
俺が言うと、田中久重は目を丸くした。
「なんと、ご存知でしたか。これは驚いた。若い方がこれほどからくりに詳しいとは」
「ええ、少しばかり。ただ…」俺はそこで言葉を区切り、久重の目を真っ直ぐに見つめた。「大変申し上げにくいのですが、その須弥山儀が示す宇宙観は、残念ながら真実の宇宙の姿ではありません。ご存知かもしれませんが、既に地球一周を成し遂げた船団がいるように、須弥山世界というのは現実にはありませんでした。太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているのです。詳しく知りたくはありませんか?」
久重の顔色が変わった。彼の表情からは穏やかな笑みが消え、鋭い探求者の眼差しが俺に向けられる。
「…ほう、それは聞き捨てならぬお言葉。若者、その真実の宇宙とやらを、このわしに説明できるのかな?」
「ええ、勿論。あぁそれと、これから7日後に佐賀藩から儀右衛門先生をご招待する旨の使者がお見えになりますから、それまでじっくりと語り合いましょう」
最初こそ、この異様な風体の若造の鼻っ柱をへし折ってやろうかと思っていた田中久重だった。しかし、ジンが語る地動説、惑星の運行、果ては恒星や銀河といった壮大な宇宙の姿は、彼の知的好奇心を激しく揺さぶった。ミネルヴァから夜ごと(というにはまだ日数が足りないが、道中集中的に)叩き込まれた知識を元に、ジンは時に数式や図解まで用いながら、久重の疑問に的確に答えていく。それは、久重にとってまさに未知との遭遇であり、年甲斐もなく胸が高鳴る日々だった。
そして7日後。ジンの予言通り、肥前佐賀藩からの使者が丁重な書状を携え、田中久重のもとを訪れた。
その事実を目の当たりにした久重の驚きは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
「儀右衛門先生、改めて。我々と共に江戸へ来ていただき、新しい日本のためにそのお力をお貸しいただきたい」
佐賀藩からの破格の誘いと、ジンの持つ底知れぬ知識と先見性。天秤にかけるまでもなく、田中久重の心は決まっていた。技術者としての、そして一人の人間としての尽きせぬ好奇心には、抗えなかったのだ。
「…ジン殿。わしは、あなたと共に江戸へ参りましょう。あなたの見ている『新しい日本』とやらを、この目で見届け、そしてこの手で作り上げてみたい」
「そうこなくては。そういえば我々の具体的な目的をまだ詳しく話していなかったな。それは江戸へ向かう道すがら、ゆっくりと話すとしよう」
俺は内心でガッツポーズを決めた。(7日間の説得と未来予知の合わせ技、ミネルヴァのサポートあってこそだが、なんとか久重ほどの傑物を江戸へ連れて行く約束を取り付けることが出来た。あとは道中の説得だが、この感じだと問題あるまい)
田中久重という強力な仲間を得て、俺たちの計画は大きく前進した。彼がジンの最終的な目標を聞いたところで、その決意が揺らぐことは、もはや無いだろうと俺は確信していた。
【人物紹介】
■田中久重
・登場時の年齢:53歳
・史実の生没年:1799年~1881年
・主な功績:
「からくり儀右衛門」と称された江戸時代後期から明治時代初期の発明家。和時計の最高傑作「万年自鳴鐘」や、蒸気機関(模型蒸気船、蒸気車)、アームストロング砲、電信機などを製作。芝浦製作所(後の東芝)の創業者でもある。
・1852年当時の状況:
この頃はまだ特定の藩に仕官しておらず、京都や大坂で活動し、その技術を披露していたと考えられています。「万年自鳴鐘」は1851年に完成。肥前佐賀藩に招かれるのは1853年以降とされています。作中では、その佐賀藩からの招きが来る直前のタイミングでジンと出会いました。
・須弥山儀:
田中久重が製作したとされる複雑な天文時計の一種。仏教的宇宙観である須弥山世界(天動説)を機械で表現したものと言われる。
※これ、最近修復プロジェクトがあって現代の技術者100人がかりで直したってYoutubeショートで流れてきましたよ。
【その他】
■種籾収集
・コシヒカリ:
昭和31年(1956年)に福井県で育成された水稲品種。作中では、ミネルヴァがその優れた形質を持つ祖先種を各地で見抜き、ジンが集めることで、将来的に同様の良食味米を早期に開発する予定。
・きらら397
平成元年(1989年)に北海道で育成された水稲品種。寒冷地での栽培に適しています。
■雉の献上
雉などの鳥獣は、武家や有力者への献上品や、祝いの席のご馳走として珍重されたようです。