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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第4章(維新外征戦争)
39/65

39(布哇)

1870年・末


夜明け前の総攬府、小会議室。

ハワイ王国からの特使との本格交渉を翌日に控え、俺、扶桑 仁は、外務卿・中島三郎助、そして宮内庁長官・徳川家茂と、最終的な打ち合わせを行っていた。

部屋の机には、ハワイの歴史や文化、王家の系譜に至るまでの詳細な資料が、山のように積まれている。


「中島、法的な手続きは重要だ。だが、今回はそれだけでは足りん。相手は国を明け渡す覚悟で来ている。我々はその覚悟に、最大限の敬意と誠意で応えねばならん」


俺の言葉に、中島三郎助は固い表情で頷く。

彼の生真面目な性格は、こういう交渉においてこそ輝く。

だが、それだけでは、相手の心を真に掴むことはできない。

俺は、隣に座る家茂公に視線を移した。


「家茂公、貴公には日本の武家の頂点に立った家の者として、そして今は帝をお支えする宮内庁長官として、彼らの不安を和らげ、敬意を示す役割を担ってもらいたい。徳川の世が終わり、それでも尚新たな役割を受け入れた貴公の言葉は、何よりも彼らの心に響くはずだ。力だけでなく、徳で示すことも、この帝国の流儀だ」


俺の言葉に、家茂公は静かに、しかし力強く頷いた。

その瞳には、将軍だった頃とは違う、新しい時代の担い手としての自覚と覚悟が宿っている。


「…はっ。総攬閣下のお心、しかと受け止めました。将軍ではなくなった私の言葉が、かの国の王家の方々の心を少しでも軽くできるのであれば、誠心誠意、務めさせていただきます」


これで役者は揃った。法と、共感と、そして未来。三つの力で、ハワイの心を受け止めよう。


翌日、交渉の舞台は、総攬府の外交応接室に移された。

日本の美意識が凝縮された、厳粛かつ華やかな空間。日本側は中島と家茂が交渉の席に着き、俺は上座から全体を見守る形で臨む。

ハワイ特使は、昨日までの切迫した表情とは少し違い、日本の圧倒的な国威と、予想外に丁重なもてなしに、期待と不安が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。


交渉は、俺がハワイの申し出を全面的に受け入れることを明言することから始まった。


「帝国は、貴国の申し出を、心からの敬意をもって受け入れる」


その一言に、特使は感極まったように深々と頭を下げた。

だが、感謝の言葉の後、彼は、最も恐れているであろう本質的な問いを、震える声で口にした。


「…帝国の寛大なるお申し出、感謝の言葉もございません。ですが、一つだけ…。我々の神々、我々の土地、先祖代々受け継がれてきた我々のフラ(踊り)やアロハの心…それらは、日本の法の下で、どう扱われるのでしょうか…? 我々は、我々の魂まで失うことになるのでしょうか…?」


その切実な問いに、まず答えたのは、外務卿・中島三郎助だった。彼は、法と制度の専門家として、揺るぎない保証を与える。


「ご安心いただきたい。帝国憲法では、各州が独自の『州法』を定めることを認めている。ハワイの伝統文化や慣習法は、この州法によって最大限尊重され、保護されることをお約束する。帝国が求めるのは、国防と外交、そして基幹となる法体系の統一のみ」


法による保護。それは一つの安心材料だろう。だが、魂の問題は、法だけでは解決しない。次に口を開いたのは、家茂公だった。

彼は、自らの経験を重ね合わせ、共感をもって語りかける。


「特使殿。私も、二百数十年続いた徳川の世を終える決断をいたしました。その寂しさと不安は、お察しするに余りあります。ですが、私は今、宮内庁長官として、日本の古来からの伝統を帝と共にお守りしている。形は変われど、守るべき魂は変わりませぬ。ハワイ王室もまた、帝国の『華族』として最高の敬意を払われ、その血筋と伝統は、未来永劫、帝国が守り抜きます」


特使の目に、わずかに安堵の色が浮かぶ。

そして、最後は俺の役目だ。俺は静かに立ち上がり、彼らにこの国の、そして俺自身のビジョンを示す。


「我々は、ハワイを飲み込むのではない。ハワイの魂ごと、帝国の一部として迎え入れるのだ。カメハメハ大王が築いた誇り高き王国は、滅びるのではない。形を変え、大日本帝国『布哇ハワイ州』として、永遠にその名を太平洋に刻むことになる。そして、貴殿らの文化は、帝国の多様性を彩る、かけがえのない宝石となるだろう」


その言葉に、特使の表情が、はっきりと変わった。不安の色が消え、希望の光が宿る。

俺は、さらに決定的な「アメ」を提示した。


「両国の絆を、ただの盟約に終わらせるつもりはない。血の絆とすることで、永遠のものとしたい。貴国のレレイオホク王子と、我が国の皇族縁の姫君との婚姻を結びたい。そして、布哇州の主要産品である砂糖やコーヒーは、帝国が長期にわたり、有利な価格で買い上げることを約束しよう。これは、単なる併合ではない。経済的にも、血縁的にも、一つの家族となるための、我々からの提案だ」


俺は家茂公に視線を送る。


「家茂公。この歴史的な婚姻を、宮内庁長官として、滞りなく進めてもらいたい。両国の末永い友好の礎となる、重要な儀式となるだろう」


「御意。謹んで、大役を務めさせていただきます」


もはや、特使に迷いはなかった。

彼は椅子から滑り落ちるようにして、その場にすっと片膝をつき、深く頭を垂れた。

それは、国家の全権を委ねる、最も深い敬意の表れだった。


「…血の絆…そして民の暮らしの保証まで…。これほどの敬意と配慮をいただけるとは…。もはや、申し上げる言葉もございません。ハワイは、喜んで貴国の翼の下に入りましょう。我々の未来を、大日本帝国に、扶桑 仁総攬に託します!」




交渉を終え、執務室に戻った俺は、満足げに世界地図のハワイ諸島を、ゆっくりと、しかし力強く赤く塗りつぶした。ランプの光が、赤く染まった太平洋の中心を照らし出す。我が海洋帝国が、その心臓部を手に入れた瞬間だった。


「…家茂公を生かしておいて、本当に良かったな。彼でなければ、ハワイの王家の心をここまで解きほぐすことはできなかっただろう」


ミネルヴァが、静かに同意する。


「ええ。史実では1866年に脚気衝心で亡くなられていましたが…。ジン様の指示で、食生活に麦飯や果物を徹底させた結果ですね。ビタミンB1の欠乏は、この時代の日本の大きな課題でしたから」


「小さな知識一つが、国の運命を左右する。…さて、ミネルヴァ。ハワイを手に入れた以上、その航路の安全確保も急務だ。本土とハワイを結ぶ途中に、中継点となりうる島は?」


「ウェーク島が最適です。現在はどの国も領有を主張していない、無主地となっております」


「よろしい。水運卿の赤松に頼んでおくか。調査船団を派遣し、あの岩礁に我が帝国の名を刻んでこい、と。…これで、CSAも迂闊には手出しができまい。太平洋の潮の流れは、完全に我らに傾いたぞ」


§


1871年・新春


江戸城大広間は、これまでにない華やぎと祝祭の空気に満ちていた。

日本とハワイの連邦化成立、そして「布哇州」の誕生を祝う盛大な式典が、今、執り行われている。

ハワイからは、カメハメハ五世の名代として、若きレレイオホク王子を団長とする使節団が来日していた。


大広間は、日本の伝統的な松竹梅の装飾と、ハワイから贈られた極彩色の花々や美しい鳥の羽で飾られ、二つの文化の見事な融合を象徴している。

居並ぶ日本の閣僚や、旧大名からなる華族たち。

その中に、優雅な羽のマントを纏ったハワイ使節団の姿が、ひときわ目を引いていた。


宮内庁長官・徳川家茂が厳かに儀式を執り行い、レレイオホク王子と日本の皇族縁の姫との婚約が、両国の代表者の前で正式に発表された。

会場が万雷の拍手に包まれ、祝賀ムードは最高潮に達する。


レレイオホク王子が、緊張しながらも、しかし凛とした声で感謝の言葉を述べた。


「偉大なる扶桑 仁総攬、そして日本の皆様。我々ハワイの民は、今日この日より、誇り高き大日本帝国の一員となれたことを、心より光栄に思います。この血の盟約が、両国の永遠の繁栄の礎となることを信じております」


俺は、穏やかに頷き返す。


「王子、ようこそ。帝国は、新たな同胞を心から歓迎する。布哇州の豊かな文化とアロハの心は、我々にとってかけがえのない宝となるだろう。帝国は、その宝を未来永劫守り抜くことを、ここに約束する」




祝宴の喧騒が遠くに聞こえる執務室。

俺は、ミネルヴァから国際社会の反応についての詳細な報告を受けていた。

窓の外の祝祭の灯りと対照的に、執務室には冷徹な戦略を練る空気が漂う。

世界地図の上で、CSAを示す駒と日本の駒が、太平洋を挟んで睨み合っていた。


「CSA議会は沸騰しています。『野蛮な黄色人種が、白人の楽園を奪った』と。彼らにとって、これは許しがたい侮辱であり、太平洋戦略における看過できない脅威と映っているようです。すでに複数の艦隊が、カリフォルニアの軍港に集結しつつあります」


「一方で、イギリスは今回のハワイ連邦化に対し、公式な声明は出さず『静観』の構えです。内心では日本の急成長に強い警戒感を抱いていますが、CSAの太平洋進出も望んでおらず、今は両者を天秤にかけている状態かと」


「フン、静観か。漁夫の利を狙う狐のやり口だ。奴らが本当に信じているのは、国益という名の神だけだからな」


俺たちの周到な布石は、着々と打たれていた。

太平洋の孤島ウェーク島には、水運卿・赤松則良が指揮する調査船団が既に上陸。海軍兵が、真新しい「大日本帝国」と刻まれた標柱を打ち立て、日章旗を掲げていた。そして秘密裏に、航空基地と補給港の建設が開始されている。


一方、ハワイでは、坂本龍馬の「海陸物産交易社」の蒸気船が、ホノルル港に初入港していた。表向きは砂糖やコーヒーの買い付けで、港は活気に満ちている。龍馬は持ち前の豪胆さと人懐っこさで現地の商人や王族たちと酒を酌み交わし、すっかり心を掴んでいた。


全ての布石が整った今、俺は、CSAとの衝突が不可避と判断し、戦いの主導権を完全に握るための、次なる一手に出る。

外務卿の中島三郎助を執務室に呼び、命令を下した。


「CSAだけを相手にするのでは芸がない。どうせ大掃除をするなら、一度で済ませたいからな。太平洋に巣食う旧時代の亡霊は、まとめて掃除してやろう」


「中島、世界に宣言しろ。『主のいない土地は、最初に実効支配を示した者のものとなる』とな。これは、発見しただけの怠惰な旧帝国への、我々からの最後通牒だ。そして、この宣言こそが、 あのイギリスに『参戦しない』という選択をさせる、絶好の口実になる」


中島は、俺が渡した紙の内容と、その宣言が持つ意味を即座に理解し、息を呑んだ。


「…はっ。…これは…スペインとオランダを、公然と挑発することになりますが…」


「そうだ。彼らが怒り、剣を抜いてくれれば好都合。我々は、ただそれを叩き落とすだけだ」


日本の『無主地の先占権』宣言は、世界にさらなる衝撃を与えた。

特に名指しされたも同然のスペインとオランダは激しく反発。

彼らはCSAと連携し、「植民地維持同盟」の締結へと急速に動き出す。

世界地図の上で、CSA、スペイン、オランダを示す駒が、日本を包囲するように配置されていく。


「ジン様、火種は蒔かれました。マニラとバタヴィアから、スペイン・オランダの連合艦隊が出港。スンダ海峡を抜け、太平洋へと向かっています。目的地は…おそらく、先日派遣を公表した、ミンダナオ島への資源調査団です」


俺は、不敵に笑う。


「来たか。…面白い。受けて立とうじゃないか。太平洋の覇権を賭けた、本当の戦いを始めよう」

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2作品目
第二次世界大戦の話
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あらすじ
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都市を消滅させる天変地異『メテオ』 。だが、その力は一度使えば回復に長期間を要し、飽和攻撃には驚くほど脆弱という致命的な欠陥を抱えていた 。

この「ガラスの大砲」をいかにして国家の切り札とするか。
異端の天才戦略家・石原莞爾は、旧来の戦争概念を全て破壊する新国家戦略『魔法戦核ドクトリン』を提唱する 。大艦巨砲主義を放棄し、桜子を護る「盾」たる戦闘機と駆逐艦を量産 。桜子の一撃を最大化するため、全軍は「耐えて勝つ」縦深防御戦術へと移行する 。

これは、巨大戦艦「大和」さえ囮(おとり)とし 、たった一人の少女の魔法を軸に、軍事・経済・諜報の全てを再構築して世界最終戦争に挑む、日本の壮大な国家改造の物語である。
― 新着の感想 ―
家茂さん、将軍になった事ありましたっけ?
アメリカ、オランダ、スペインをまとめて叩き潰せ日本が太平洋を庭にすることになりますね。(イギリスも日本の機嫌を損ねたらオーストラリアとニュージーランドが危なくなりますし) 東ティモールしか持ってない…
知識は全然ないです、調べながら読み直したりしてるので・・・そうだったの~?が多発します。 王子がいたのか、そして結婚おめでとう 家茂公は脚気を乗り越えられたのか、長生きしてくれ 国民の脚気等の栄養不足…
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