33(幕間:國體)
1860年、総攬府・地図室
総攬府の奥深くに設けられた広大な地図室。その壁には、日本全土を示す巨大な白地図が掲げられていた。しかし、その地図は無数の線で複雑に分割され、まるでひび割れた鏡のように、この国が未だ一つになりきれていない現実を映し出していた。
俺、扶桑 仁は、その地図の前に静かに立っていた。
傍らには内務卿の橋本左内と参謀総長の土方歳三。そして、護国戦争でその名を轟かせた榎本武揚、徳川家茂、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛といった、新時代の日本を担うべき男たちが、緊張した面持ちで俺の言葉を待っていた。
「総攬、新通貨と度量衡の統一は順調に進んでおります」
橋本左内が、報告書を手に口火を切った。
「しかし、徴税やインフラ整備を進めるにあたり、この複雑な藩の境界と、各藩に残る独自の権限が、今や大きな障壁となっております」
俺は地図を睨み、静かに頷く。
「分かっている。この旧き時代の血管を一度断ち切り、新たな動脈を流さねば、この国は真に一つにはなれん」
俺は集った者たちを見渡し、宣言した。
「藩という制度を無くす。そして、樺太から台湾まで、全てを平等な『日本』として、一つの大きな統治機構のもとに再編する。そのために、日本全土を新たに10の『州』へと再編し、それぞれに責任者として州総督を置く」
俺は、地図に新たな境界線を引きながら、その人事構想を発表した。
樺太州……州総督:榎本武揚(海軍大将兼務)
箱館州……州総督:勝海舟(海軍卿兼務)
仙台州……州総督:松平容保(農水卿兼務)
江戸州……州総督:橋本左内(内務卿兼務)
名古屋州…州総督:小栗忠順(大蔵卿兼務)
大坂州……州総督:徳川家茂(宮内庁長官兼務)
広島州……州総督:木戸孝允
高松州……州総督:中島三郎助(外務卿兼務)
福岡州……州総督:大久保利通
台湾州……州総督:西郷隆盛
ここにいない者たちには、既に内定を伝えてある。俺は、複雑な表情を浮かべる土方に向き直った。
「土方、お前には箱館を任せたいと一度は考えた。だが、本当にそれでいいのか?」
「ええ、ジンさん。俺には軍の再編も残っているし、これで手一杯だ。土地の管理なんて、どうにもガラじゃねぇですよ」
土方は、ぶっきらぼうにそう言って笑った。彼らしい答えだった。
次に、少し戸惑いの色を見せる徳川家茂に声をかける。
「そういうことだ。家茂公、海軍大将の任は榎本に譲り、貴公には宮内庁長官として、朝廷と総攬府の架け橋となってもらいたい。公家からは岩倉具視がサポートに入ってくれることになっている。これからも公武政合体の要として、力を貸してくれると助かる」
「は、はい。畏まりました。微力ながら、日本のために尽力いたします」
「そうだ、家茂公」と、俺は思い出したように付け加えた。「宮内庁長官就任と合わせて、和宮様との婚儀も内々に決まっている。よろしく頼む」
「……へ? あ、はい、畏まりました。……ですが総攬、そういう大事なことは、もう少し前に教えていただけると心の準備が…」
家茂の素直な反応に、張り詰めていた室内の空気が少し和んだ。
「すまんな。式は来年(1862年)になる。準備を頼む」
俺は次に、理知的な光を宿す大久保利通に視線を向けた。
「大久保、福岡州総督の任、受けてくれるか」
「謹んで拝命いたします。私も日本の近代化のためには、優秀な指導者によるトップダウンの強力な中央集権体制が不可欠だと考えておりました。仁閣下の創る国家は、私の理想に近い。誠心誠意、務めさせていただきます」
「頼もしいな。大久保には西国のまとめ役も期待している。特に、薩摩と長州が些細なことで対立せぬよう、木戸や西郷と協力して上手くやってくれ」
続いて、巨体の西郷隆盛に声をかける。
「西郷には、最も困難な地、琉球と台湾を任せる。言語も文化も違う。一から日本を作り上げるに等しい、骨の折れる仕事になるだろうが、頼めるか」
「解りもした。して、琉球、台湾は最終的に、いけんしてすっと?」
(ミネルヴァ、方言が強くて聞き取れん。バフを頼む)
万能翻訳機能が起動する。
(最終的にどうしますか?と聞いていますよ)
(あぁ、なるほどな...)
「...完全に日本本国と同じにする。言語、法律、教育、全てを本国と同じ水準まで引き上げてもらう。ただし、古来の文化や宗教まで否定する必要はない。その点は寛容であれ」
俺は西郷に統治についての注意点などを話していく。
西郷もよく聞き、鋭い質問をしてくる。
史実でのエピソードにもあったが、やはり仁義に熱い男のようだ。
「西郷、お前のような仁義に厚い男だからこそ、この最も困難な地を任せたい。力で押さえつけるのではない。彼の地の民の心に寄り添い、彼らを真の日本国民として導いてやってくれ。お前になら、それができると信じている」
最後に木戸に声を掛ける。
「木戸、お前には広島州の州総督を任せる。が、その前に何か言いたいことがあるのだろう?」
少し黙って思案していた木戸孝允が、意を決したように口を開いた。
「...はっ。この広島州総督という大役を拝命するにあたり、一つ、お認めいただきたい儀がございます」
木戸は、福沢諭吉のような学者としての視点とは違う、冷徹な政治家としての目で俺を真っ直ぐに見据えた。
「諸藩の垣根を越え、国中の民の声を政治に反映させるための『議会』の開設。何卒、ご裁可をいただきたく存じます」
「議会、か。前に福沢にも言ったが、衆愚政治に陥る可能性を捨てきれん。この帝国主義が蔓延る時代に、民主主義の導入は時期尚早だと思うが?」
俺の言葉に、木戸は一歩も引かなかった。
「我が国は、護国戦争に勝利し、今まさに新しい国へと生まれ変わろうとしております。この機を逃し、いつ日本の万年の計を立てるというのですか! 政治に参加する機会を与えずして、民が政治を学ぶことは決してございません! 優れた指導者お一人の力に頼る国は、そのお一人に万が一のことがあった時、あまりにも脆い。国を永続させるためには、人ではなく、法と制度こそが礎となるべきと、私は信じます!」
その瞳には、国の未来を憂う強い意志の炎が燃えていた。二人の間に、火花が散るような緊張が走る。
しばしの沈黙の後、俺は静かに息を吐いた。
「…わかった。木戸の言うことにも一理ある。『議会』の設置は認めよう。だが、性急な民主化は国を滅ぼす。まずは『元老院』を設置する。構成員は各州総督や閣僚、そして旧藩主や公家から成る華族の代表たちだ。既に政治を知る彼らならば、国を誤たぬ、良い議論もできよう」
「……! ありがとうございます。総攬のご英断、感謝いたします。広島州総督として、全身全霊、国のために働かせていただきます」
木戸は、深く頭を下げた。
全員が退出した後、ミネルヴァが問いかけてきた。
「良かったのですか?ジン様の思う政治体制とは少し違ったのでは?」
「あぁ、そうだな。ただ部下の話を聞かない上司もどうかと思ってな。それに俺に万が一があった時に、政府が完全に機能停止するのは良くない。保険は必要だ」
「くすっ…部下の意見を聞き入れる、良い大人になりましたね? ...見た目は子供のままですけど」
「からかうな。実年齢を知っているだろう。…まあ、この見た目もいずれ何とかせねばな。それより、まずは版籍奉還と廃藩置州だ。岩倉具視にも、もう一働きしてもらうぞ」
護国戦争の勝利と一連の改革で、俺の権威は絶対的なものとなっていた。
俺は岩倉具視と連携し、孝明天皇から頂いた「国家統治の体制を刷新し、万民を等しく慈しむ」という大義名分のもと、全国の版(土地)と籍(人民)を朝廷に返上させる「版籍奉還」、そしてそれに続く「廃藩置州」の詔勅を引き出した。
すぐさま総攬令としてこれが公布され、日本から「藩」という二百数十年にわたる制度が消滅した。
同時に、木戸との約束通り「元老院」の設置も発表された。
「立法権は持たぬ。だが、総攬府に対し意見書を提出し、政策を提案する権利を持つ、国家の最高諮問機関とする。そして、総攬が政務を執れない不測の事態に陥った場合に限り、臨時で総攬府を動かす権限を持つ」
その構成員は、各州総督、華族の代表、そして俺が必要に応じて招集する各分野の専門家とされた。
旧支配層に名誉ある役割を与えつつ、国政に多様な知見を反映させる道筋が作られたのだ。
江戸城に集められた旧大名たちを前に、俺と徳川慶喜が詔勅の内容を発表すると、場は騒然となった。
だが、俺は巧みなアメとムチで彼らを懐柔した。
アメとして、旧藩主たちには新たに「華族」の身分と、石高に応じた年金(金禄公債)の支給を約束した。生活は保証され、元老院に参加することで政治への影響力も残る。
そしてムチは、護国戦争で証明された総攬府の圧倒的な軍事力と、逆らう者は朝敵となるという暗黙の圧力だ。
率先して恭順の意を示した松平容保や徳川慶喜、そして大久保や木戸の説得により薩長の島津、毛利といった大藩の当主たちの姿もあり、大きな反乱が起こることはなかった。
旧大名たちは、こうして歴史的な役割を終えることを受け入れた。
数週間後。
江戸城内に新設された壮麗な元老院議場で、最初の会議が開かれた。
議長席に座る俺の両脇には、徳川慶喜や岩倉具視が控える。
各州総督となった西郷、大久保、木戸たちが、それぞれの地域の現状や今後の政策について活発な議論を戦わせ、華族の代表たちも緊張しながら意見を述べている。
俺は彼らの議論に耳を傾け、時に鋭い質問を投げかけ、時に異なる意見を調整し、最終的な方向性を示していく。
その姿は、独裁者ではなく、優れた議長・調整者のそれだった。
会議を終えた後、俺は執務室でミネルヴァと二人きりになった。
「元老院、順調な滑り出しですね。木戸様もご満足のようでした」
「ああ。彼らのエネルギーは、こうして議論という形でぶつけ合わせるのが一番だ。不満も、野心も、全てはこの国の発展の糧としてくれる…」
俺は一息ついて、尋ねた。
「…ミネルヴァ。俺が元老院を作ると決めたことで、未来の予測に何か変化はあったか?」
「はい。元老院を設立しなかった場合と比較して、国家運営の効率は予測値より12%低下します。ですが、木戸孝允をはじめとする有力閣僚の離反リスクが38%低下し、政権の安定性は70%向上しました。ジン様の決定は、効率よりも安定を優先した、現時点での最適解の一つです」
「...そうか。なら、作って良かったようだな」
俺は安堵の息を吐くと、壁の世界地図に向き直った。
「さて、次は太平洋の先…井伊直憲たちがもたらすであろう『宝』に目を向けるとするか」
その視線は、日本列島を越え、遥か南のニューギニア島へと向かっていた。
・地名について
当時「大阪」「函館」は「大坂」「箱館」と呼ばれていたようで、今の表記に変わるのは明治になってからのようです。
この作品では改名するタイミングが無い為、旧式の地名にしたいと思います。
・人名について
西郷隆盛はこの頃は西郷隆永でした。なぜ「隆盛」で現在知られているかというと、王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父の名前を書いてしまったかららしいです。
(この頃は諱といい名前は使わずに通称を普段使っていたようです。西郷の通称は「吉之助」で吉井友実も普段「吉之助」と呼んでいたので間違えたそうです)
それ以来、西郷隆盛は隆盛を使っているんですね。ではこの作品では、多分「隆永」のままです。
でもそれだと誰か解らなくなるので、史実の人名はよく知られている名を使用します。
考明天皇もまだこの時は亡くなっていないので天皇陛下と書くべきなのですが、わかりやすさを重視しています。




