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幕末ブループリント  作者: ブイゼル
第3章(日清日露戦争)
32/65

32(幕間:新貨)

安政六年(1859年)末、総攬府執務室


戦勝の熱気がまだ江戸の空気に溶け残る中、総攬府の中枢は既に次なる戦いを見据えていた。

それは、砲火を交えることのない、しかし国家の命運を左右する静かなる経済戦争だった。


総攬府の執務室。

その中央の大きな執務机には、色も形も、そして価値さえもバラバラな古今東西の貨幣が山と積まれていた。

天保小判、一分銀、各藩が勝手に発行した藩札の束…。

それらを苦々しい表情で見下ろすのは、新政府の大蔵卿に任命された小栗忠順その人である。


「総攬。護国戦争の勝利に沸く一方で、国内経済は未だ混沌の極みにございます」


小栗は、目の前の混沌の象徴から顔を上げ、部屋の主である扶桑仁――俺に深刻な面持ちで訴えかける。

部屋には彼の他に、工部卿の五代友厚と文部卿の福沢諭吉も、固い表情で控えていた。


「各藩で価値の異なる通貨が乱立し、商取引の大きな妨げとなっております。このままでは、いずれ海外の商人につけ込まれ、護国戦争で得た莫大な賠償金も、彼らの掌の上で弄ばれ、水泡に帰しかねませぬ」


その言葉には、国家財政を預かる責任者としての切実な憂いが滲んでいた。

これまでの政策によって得た富が、旧態依然とした経済システムのせいで、再び海外へ流出していく。

その悪夢のような未来が、彼にはありありと見えているのだ。


俺は、小栗の訴えに静かに頷いた。

その表情は、まるで凪いだ湖面のように落ち着いている。


「分かっている。そのための策は、既に用意してある」


その穏やかな、しかし絶対的な自信に満ちた声に、小栗たちは息を呑んだ。


俺は立ち上がると、三人を巨大な黒板の前へと促した。


「今日、君たちを呼んだのは、この国の経済の礎を、全く新しく作り変えるためだ」


そう言って、新通貨「えん」の構想を打ち明けた。

俺はミネルヴァが纏め上げた詳細な計画書を広げてみせる。

そこに記されていたのは、単なる新貨幣の発行計画ではなかった。

国家の経済思想そのものを変革する、壮大な設計図だった。


「まず、新通貨の価値の裏付けには『金』を用いる。いわゆる金本位制だ。そして、その価値は国際的な基準に合わせる。具体的には、世界最強の通貨であるイギリスのソブリン金貨。これと常に一定の比率で交換できるだけの価値を、我々の新貨幣に持たせる」


計画書には、新金貨の品位は金91.7%、新銀貨は銀92.5%と、国際基準に合わせた正確な数値が記されていた。

さらに、日本の旧来の精錬法では到達不可能な高純度を実現するため、「灰吹法」と「硝酸分離法」を組み合わせた最新の精製法まで詳述されている。


「この圧延機とプレス機は…! 貨幣だけでなく、歯車やネジといった他の精密な工業製品の製造にも応用が利きますぞ! 総攬、我が国の『ものづくり』が、根底から変わります!......ですが総攬、そのような高純度の金属を精製し、正確無比な貨幣を大量に鋳造するなど、今の我々の技術で可能なものでしょうか…?」


五代が、技術者の視点からもっともな疑問を口にする。

俺は不敵に笑うと、部屋の隅に置かれていた大きな木箱の蓋を開けた。


「そのための道具も、もちろん用意してある」


木箱から現れたのは、紙の束とビロードの布だった。

俺は紙の束を彼らに見えるように置く。蒸気機関を動力源とする最新式の圧延機や刻印機――貨幣プレス機の詳細な設計図が広げられた。


「これらは『日本精密機械製造』の田中久重の弟子たちに、極秘裏に開発させたものだ。この設計図にある機械を使えば、寸分違わぬ貨幣を、驚くべき速さで大量生産できる」


さらに俺は、ビロードの布に包まれた小さな塊を取り出した。

布が開かれると、そこに現れたのは、眩いばかりに輝く試作の金貨と銀貨、銅貨だった。

金貨には荘厳な菊の御紋が、そして銀貨と銅貨には俺ーー扶桑仁総攬の家紋である「扶桑桐花紋」が、見たこともないほど精緻に刻印されている。


「これが、新しい日本の貨幣だ。表面には微細な凹凸を刻み、偽造も極めて困難にしてある。これを、我々の手で大量に生産する」


小栗も五代も、その緻密さと壮大さを兼ね備えた計画に、もはや言葉を失っていた。これは、単なる貨幣の改鋳ではない。

国家そのものを造り変えるに等しい、革命的な事業だった。


俺は畳み掛けるように続けた。


「『日本精密機械製造』からこの計画に関わった者たちを引き抜き、大蔵省の管轄下で新たに『通貨管理局』を立ち上げる。そして、この新貨幣の材料となる金銀を確保するため、俺が特定した新たな鉱山――蝦夷地の鴻之舞、台湾の金瓜石、九份などの開発を、国家プロジェクトとして始動させる」


「総攬、従来の天保小判などからの移行は…?」


小栗の問いに、俺は即答する。


「ある程度の移行期間は設ける。だが、海外との取引は、新通貨『円』以外での決済を認めない。各港に為替所を設置し、金銀の交換レートも国家が厳格に管理する。海外商人に、一匁たりとも不当な利益は与えん」


「この統一通貨と厳格な為替管理…これがあれば、長年の懸案であった各藩の財政格差も、公平な税制の下で是正できるやもしれぬ…!国家財政は、盤石になりますね」


小栗の安堵の声と同時に、試作硬貨を食い入るように見つめていた福沢諭吉が、ふと声を上げた。


「総攬…この硬貨の裏面に刻まれている、この見慣れぬ数字は一体…?」


その問いに、俺は満足げに頷き、再び黒板に向き直った。


「良いところに気がついたな、福沢。それこそが、この経済改革の、いや、この国の近代化のもう一つの心臓部だ」


俺は黒板に、まず達筆な漢字で「五千五百五十五円」と書いた。そして、その横に、全く異なる記号を書きつける。


「5555円」


「こちらの数字を使えば、計算は遥かに速く、正確になる。商人たちも、これから学ぶ子供たちも、誰もがもっと簡単に数を扱えるようになるだろう。そして、この新硬貨に刻むことで、普及は一気に加速する」


簡単な掛け算や割り算を、アラビア数字の筆算であっという間に解いてみせた。その圧倒的な効率性は、算術に長けた小栗でさえも驚愕させるに十分だった。 福沢諭吉は、その光景に目を輝かせている。


「これこそ、国民皆学の礎となるものです! それにこの記法ならば、複雑な利息計算や、私が研究している西洋の複式簿記の導入も、遥かに容易になる! 『新算術』さえあれば、民の知識水準も向上しましょう!」


教育を司る者として、彼にはこの数字が持つ革命的な力が、誰よりもはっきりと見えたのだ。


俺は次に、工部卿の五代に向き直った。


「五代、通貨と数字の次は、全ての基本となる『単位』の統一だ。国中で長さや重さの基準が違っていては、公正な税の徴収も、精密な工業製品の製造も成り立たない」


「はっ。しかし、新たな基準を民に浸透させるには、相当な時間が…」


「だからこそ、この改革には『権威』が必要だ」



俺は岩倉具視を通じて朝廷に願い出て、正倉院に眠る聖武天皇ゆかりの品、象牙で作られた一本の物差しを一時的に借り受けていた。


紅牙撥鏤尺こうげばちるのしゃく


数日後、都から丁重に運ばれてきたその物差しを、俺が厳かな雰囲気の中で受け取る儀式が行われた。それは、新しい単位が、幕府でも総攬府でもなく、天皇陛下の権威に由来するものであることを民に示すための、巧みな政治的パフォーマンスでもあった。


(メートル法を採用することも出来ましたが、何故あえて日本の尺貫法を? より合理的かと存じますが)


俺の傍らに立つミネルヴァが、内心で問いかける。


(俺の前世の知識ではそうだが、この世界の日本人は、欧州が優れているなどとはもう誰も考えていない。 その中で全く新しい単位を持ち込むより、慣れ親しんだ尺貫法を十進法に改める方が手っ取り早い。 それに、だ。メートル法が世界標準になったのは、それを使う国が強かったからだ。 ならば、俺たちが世界最強の国になり、この新しい日本の尺貫法を世界標準にしてやる。そういう未来も、乙なものだろう?)


俺は「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」の長さを、新しい「一尺」と定めた。

そして、それを基準とする新たな十進法の度量衡を布告した。

長さ、面積、体積、重さ。

その全てが、この「神の一尺」を元に、合理的で美しい体系へと再編されていく。

工部省では、五代の指揮のもと「度量衡管理局」が発足し、全国に配布するための基準となる枡や秤、物差しの製造が「日本精密機械製造」で開始された。



1860年、名古屋新設造幣局


巨大な蒸気機関が唸りを上げ、真新しい貨幣プレス機が力強く稼働している。

俺、小栗、五代、福沢が見守る中、造幣局で鋳造された最初の金貨が、重々しい音と共にプレス機から吐き出された。


その表面には荘厳な「菊の御紋」が、裏面には「大日本」「壹圓」、そしてアラビア数字の「1」が、くっきりと刻まれている。 銀貨の表面には「扶桑桐花紋」が輝いていた。


小栗忠順が、手袋をした手でその金貨を恭しく拾い上げる。


「……これが、新しい日ノ本の硬貨…。美しい…」


彼の声は、万感の思いに震えていた。長年の混沌が、今、この一枚の硬貨によって秩序へと変わる。

その歴史的瞬間に立ち会っている感動が、彼の全身を貫いていた。


俺はその金貨を受け取ると、光に透かすように静かに見つめた。


(ギリギリだが、間に合ったな。史実では、この1860年前後から、国内外の金銀比価の差を突かれて、膨大な金が海外に流出した。だが、もうその心配はない)


(ええ、これで日本の富は守られます。ジン様がこの世界に来てから、少しずつですが、確実に未来は良い方向へ変わっていますね)


ミネルヴァの言葉に、内心で頷く。


(当たり前だ。俺がここに来て、もうすぐ10年になるんだぞ)


(...本当に、月日が経つのは早いものですね)


(いいさ。時間はまだ、いくらでもある)


稼働を続けるプレス機が、次々と金貨、銀貨、銅貨を生み出していく。

それらが箱に満たされていく光景を背景に、日本の経済的独立と、真の富国強兵への道が、今まさに始まったことを、そこにいる誰もが確信していた。

・尺貫法

今でも使われていたりしますが(坪とか)6進法だったり36進法だったりで計算が難しい為、アラビア数字の導入と一緒に10進法に切り替えました。

また、全ての単位を尺に紐付ける改革も行っています。

これで多分メートル法と大差なく使えるんじゃないかな?

メートル法は便利だけど、従来のヤード・ポンド法を守ってるアメリカもロマンあるよね。じゃあいいとこ取りしよう!みたいな感じです。

目指すのは世界が「なんで尺貫法じゃないんだ、メートル法もヤード・ポンド法も迷惑だよな」って言われるくらいの認知度ですねw


・新しい単位

■長さの単位

1尺:紅牙撥鏤尺の長さ(約30.3cm)

100,000分:10,000寸:1,000尺:100丈:10町:1里 = 約3km


■面積の単位

方尺:1辺が1尺の正方形(約0.1㎡)

10,000方尺:1,000合:100坪:10畝:1反

(東京ドーム1個が約50反くらいになるみたいです)


■体積の単位

1升:1立方尺の10分の1(約2.8L)

10,000勺:1,000合:100升:10斗:1石


■重さの単位

1貫:1升の水の重さ(約2.8kg)

1,000匁:100両:10斤:1貫


・旧単位

1尺:約30.3cm(新旧一緒)

1里:約3.927km(1里=36町。1町= 60間。1間=6尺だったため新1里と長さが違います)

1升:約1.8L

1貫:3.75 kg

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― 新着の感想 ―
日本がだんだん強固になっていくのを眺められるのが内政物の楽しいところですよね どうなるだろうと楽しみ
紅牙撥鏤尺という日本の権威を利用してメートル法やアラビア数字など良いとこ盛り込んで使いやすくした尺貫法ですか。 読んでる側としては少し混乱しますが、この世界の日本にとっては新たにもたらされる教育や貨幣…
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