28(封鎖)
安政六年(1859年)夏。
台湾沖海戦での勝利の報から間もなく、日本海軍主力は北へとその針路を取った。
台湾戦力の一部、そして本州で兵力を拡大しつつ北方へ向かう。
彼らの次なる任務は、ロシア軍が続々と兵力を集積させる樺太の生命線を断つこと。
艦隊はオホーツク海を抜け、間宮海峡を完全に封鎖。
これにより、樺太に上陸し、その勢力を南へと拡大しつつあったロシア軍は、突如として大陸からの補給路を絶たれる形となった。
「報告! 我が艦隊、間宮海峡の封鎖に成功! 樺太のロシア軍は完全に孤立しました!」
函館に停泊する海軍主力の一隻にある、臨時総攬府司令室に朗報が届く。
「よし、第一段階は成功だ」
俺は巨大な地図を睨みながら頷いた。
だが、ロシアも黙ってはいない。
「ジン様、ロシア極東艦隊に出撃の動き。ニコラエフスクの軍港より、旧式の蒸気フリゲート艦、コルベット艦数隻を主力とし、武装輸送船団を伴った艦隊が樺太へ向けて出港した模様。目的は、孤立した陸軍への強行補給と増援と見られます」
ミネルヴァがもたらす情報は、敵の動きを手に取るように示していた。
「面白い。わざわざ海の藻屑になりに来てくれるか。家茂公、勝海軍卿に伝令。『熊の到来を歓迎せよ』と。そして、全艦隊に告げよ。これより、樺太沖にてロシア極東艦隊を殲滅する!」
オホーツク海の冷たい風が吹き付ける中、日本海軍主力艦隊は、ロシア艦隊を捕捉すべく哨戒網を広げていた。そして、ついにその時は来た。
「敵影見ゆ! 北東より黒煙多数!」
見張り台からの声に、旗艦『開陽』の艦橋がにわかに活気づく。
その時、艦隊後方から、奇妙な音が響き始めた。それは、これまでこの時代の誰もが聞いたことのない、規則正しいエンジンの咆哮だった。
「全機、発艦始め!」
艦隊に随伴する数隻の改造商船――我が国初の航空母艦の甲板から、水上偵察機『瑞雲』が次々とカタパルトで射出され、蒼空へと舞い上がっていく。その一団を率いる一番機の操縦桿を握っているのは、俺自身だ。
ミネルヴァのバフは水上偵察機にも対応しているようだ。
「ミネルヴァ、敵艦隊の正確な位置、陣形、そして風向きを算出。全機に伝達する」
「承知いたしました、ジン様。目標、前方のロシア艦隊。最適攻撃ルートを算出します」
空からの光景は、まさに神の視点だった。旧式の蒸気船と帆船が混在し、鈍重な動きを見せるロシア艦隊の姿が眼下に広がる。彼らはまだ、空からの脅威に気づいていない。
「全機、攻撃開始! 目標、敵旗艦及び輸送船! 恐怖をプレゼントしてやれ!」
俺の合図と共に、『瑞雲』編隊は急降下を開始。
ロシア艦隊の上空から、小型の焼夷弾と榴弾を次々と投下していく。
ヒュルルル、という不気味な落下音の直後、ロシア艦隊の甲板で爆発が起こり、火柱が上がった。
木造艦である彼らの船体は、焼夷弾によって瞬く間に紅蓮の炎に包まれる。
「な、なんだ!? 空から火の玉が!」
「化け物だ! 空飛ぶ化け物がいるぞ!」
ロシアの将兵たちは、未知の攻撃に完全にパニックに陥り、指揮系統は麻痺。
甲板を逃げ惑い、あるいは恐怖のあまり海へ飛び込む者もいた。
「今だ! 衝角部隊、突撃!」
航空攻撃によって敵艦隊が大混乱に陥ったその隙を突き、川村純義、中牟田倉之助が率いる小型高速衝角艇部隊が、黒い煙幕を展開しながらロシア艦隊へと牙を剥いた。
その動きは、まるで海を駆ける狼の群れ。高速で敵艦の懐に潜り込み、艦首に取り付けられた鋭い衝角を、容赦なく敵艦の側面に突き立てる。
ゴシャッという鈍い破壊音と共に、分厚い船板が砕け散り、海水が船内へと流れ込む。
行動不能に陥った敵艦には、衝角艇から元新選組隊士や薩摩藩兵といった屈強な武士たちが次々と乗り込み、凄まじい白兵戦を展開。その圧倒的な剣技と気迫の前に、ロシア兵はなすすべもなく斬り伏せられていった。
そして、とどめを刺すべく、日本の主力艦隊が距離を詰める。
「撃ち方始め!」
榎本武揚の冷静な号令一下、近代化改装された各艦の砲門が一斉に火を噴いた。榴弾が敵艦の構造物を吹き飛ばし、砲弾がマストをへし折る。もはや、それは海戦というより一方的な殲滅戦だった。ロシア極東艦隊は、その戦力の大半を失い、樺太の海に沈んでいった。
この「樺太沖海戦」における日本の圧倒的勝利の報は、直ちに号外や「総攬府報知」を通じて全国に伝えられた。
清国に続き、大国ロシアの艦隊をも撃破したというニュースは、国民の熱狂とジン総攬府への支持を最高潮にまで高めた。
『護国戦争』は、今や全ての国民が信じて疑わない大義名分となり、かつて新政府に不満を抱いていた武士たちの間でも、その声は消え失せ、代わりに日本の軍人であることへの誇りと、総攬府への期待、そして忠誠心が高まっていった。
この勝利により、樺太は完全に海上封鎖された。
島に取り残されたロシア軍守備隊は、補給も増援も完全に途絶え、孤立無援の籠の鳥となった。
俺は、すぐに陸軍を上陸させることはせず、焦らず秋の到来を待つ戦略を取った。
彼らの物資が欠乏し、士気が地に落ちるのを待つ。
その間、日本ではF6世代米の収穫が始まり、豊富な兵糧が着々と蝦夷地の前線基地へと集積されていく。
蝦夷地では、徳川慶喜、大村益次郎、そして土方歳三が、その兵糧を背景に、樺太上陸作戦に向けた陸軍部隊の最終的な編成と訓練を着々と進めていた。
夏が終わり、秋風が吹き始める頃、樺太のロシア兵たちは、飢えと寒さ、そして空からの再度の攻撃への恐怖に、心身共に蝕まれ始めていた。
函館の臨時総攬府司令室で、俺はミネルヴァと共に、樺太上陸作戦の最終確認を行っていた。
「熊狩りの準備は整ったな」
「はい、ジン様。あとは、雪が降る前に仕留めるだけです」
ミネルヴァの静かな声が、作戦の成功を確信させる。
日本の本格的な陸軍投入が、目前に迫っていた。
・ロシア艦隊について補足。
この時のロシアは極東を中国から割譲させて日が浅く、大規模な艦隊はありませんでした。
(ウラジオストクも史実では1860年の北京条約で割譲されますので、作中ではまだありません)
・F6米について
どこでこの話を挟むか考えていましたが、解りやすさ重視と展開スピード重視でずっとF6米表記にしています。
恐らく現地では「得富録米」とか呼ばれてると思います。(ジンが命名しないまま配った結果)
今後各地のブランド米が出てくるかもしれないですが、しばらくF6米の表記のままかと思います。




