27(開戦)
安政六年(1859年)春。
日本の「領土法」の発布は、瞬く間に世界を駆け巡り、静かだった極東の海に巨大な波紋を広げた。
「ジン様、清国より正式な抗議声明です。『台湾は古来より清国固有の領土であり、倭寇の末裔による不法な占拠は断じて認めない』と。アロー戦争の最中ではありますが、福建水師、広東水師の一部艦艇に台湾近海への出撃準備命令が下された模様」
「ロシアも同様です。『樺太・千島列島は偉大なるロシア帝国が発見、開拓した土地であり、日本による不法な領有宣言は断固として粉砕する』との声明を発表。沿海州の守りを固めると共に、ニコラエフスクの軍港から艦船数隻と陸兵を乗せた輸送船が樺太へ向かっています」
総攬府の司令室。ミネルヴァがもたらす情報に、閣僚たちの間に緊張が走る。だが、これは完全に織り込み済みの反応だ。
「フン、脅し文句だけは一丁前だな。だが、その行動こそが我々に大義名分を与えてくれる」
俺は地図を睨み、静かに告げた。
「我が国が宣言した正当なる領土に対し、軍事力を以て威嚇し、不法に上陸する。これは、日本国に対する明白な侵略行為と見なす。直ちに、清国およびロシア帝国に対し、宣戦を布告する! これより『護国戦争』を開始する!」
その宣言と共に、日本の国家機能は一斉に戦争へと舵を切った。
南方――台湾・琉球方面には、徳川家茂を総大将とした日本海軍主力艦隊が、横須賀から台湾へと向けて出撃した。
近代化改修を終えた蒸気フリゲート艦を旗艦とし、衝角を備えた最新鋭の国産高速艇がその脇を固める。実質的な指揮は海軍卿・勝海舟と、補佐の榎本武揚が執る。
同時に、『孝明天皇の勅』と『征夷大将軍の号令』という二つの大義名分を掲げ、西国の諸藩から兵を招集。
薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、長州藩の木戸孝允らが率いる精鋭たちが、続々と国軍へと編入されていく。
新政府に思うところがあった彼らも『天皇の勅』『征夷大将軍の号令』『総攬令』と3つ重なれば文句などあろう筈も無く、ジンの「公武政合体」が活きた形となった。
彼ら陸軍部隊は、陸軍卿・大村益次郎の指揮のもと、坂本龍馬の「海陸物産交易社」の船団によって、琉球諸島、そして台湾の重要拠点を確保すべく輸送されていった。
対照的に、北方――樺太・千島方面は、当面、海軍の哨戒部隊と蝦夷地の警備兵力を増強するに留めた。
「土方参謀総長、北方の陸軍総指揮はお前に一任する。任務は、ロシア軍の樺太上陸をあえて黙認し、可能な限り多くの兵力を彼の地に引き込むことだ。熊を檻に誘い込み、入り口を閉ざす。その後、飢えさせてから狩る。それが我々の策だ」
「承知。抜かりなく」
蝦夷地に飛んだ土方は、東北諸藩から集められた兵の再編と訓練、そして来るべき決戦に備え、滑走路の造成や補給路の整備といった地道なインフラ整備を、冷徹な目で推し進めていた。
戦端は、南の海で切られた。
台湾近海に展開した清国艦隊は、旧式の帆走ジャンク船に、数隻の小型外輪蒸気船が混じる、統一性のない編成だった。
対する日本海軍は、その艦隊運動、速力、そして火力、全てにおいて彼らを凌駕していた。
「敵艦隊、視認! 距離、練度、共に我に利あり! 各艦、予定通り丁字を描くように運動し、左舷砲火にて敵先頭艦より順次撃滅せよ!」
旗艦『開陽』の艦橋で、榎本武揚の明晰な号令が飛ぶ。
勝海舟は、どっしりと構え、戦況全体を見守っている。
そして、その中央では、海軍の正装に身を包んだ徳川家茂が、双眼鏡を手に、冷静な目で敵艦隊を見据えていた。
「…敵の動きが鈍いな。連携も取れていない。あれでは個別に沈められるだけではないか?」
家茂の的確な指摘に、勝は満足げに頷いた。
「御意。まさに烏合の衆。我らの敵ではありませぬ」
日本艦隊の近代化された後装式施条砲が次々と火を噴き、放たれた榴弾が清国艦隊の脆弱なジャンク船を木っ端微塵に吹き飛ばす。
小型高速艇は、その速力を活かして敵艦隊に肉薄し、焼夷弾を搭載した擲弾筒を撃ち込み、敵艦を次々と炎上させていく。
数時間の海戦で、清国艦隊は抵抗らしい抵抗もできぬまま壊滅。
台湾海峡の制海権は、完全に日本のものとなり、家茂の初陣は、圧倒的な勝利で飾られた。
その冷静な姿は、将兵の士気を大いに高め、新海軍の結束を固めるに十分だった。
海戦の勝利を受け、大村益次郎率いる陸軍部隊が、台湾の安平、そして台北へと無抵抗に近い形で上陸。重要拠点を次々と制圧し、台湾の実効支配を急速に進めていった。
清国は屈辱に震えたが、アヘン戦争と、この海戦での海軍壊滅により、もはや有効な反撃手段を持たなかった。
台湾方面の安定を確認した日本海軍主力は、補給と小修理を終え、陸軍部隊の一部を台湾守備隊として残し、残りを乗せて北上を開始した。次なる目標は、ロシア太平洋艦隊だ。
江戸、総攬府司令室。
巨大な地図には、台湾制圧を示す赤い旗が立てられている。
俺は、ミネルヴァからもたらされるリアルタイムの戦況報告を冷静に分析していた。
「ジン様、ロシア軍、続々と樺太へ兵力を集積させております。現在、推定で約二万。さらに沿海州から輸送船団が出港したとの情報も。まさに、熊が罠にかかりつつあります」
ミネルヴァの言葉に、俺は口の端を吊り上げた。全ては計画通りだ。
「よし。清国という張り子の虎は叩き潰した。次は、本物の熊を狩る番だ。ロシアにも、日本の力を見せつけてやろう」
俺の視線は、地図の北、樺太と千島列島に注がれていた。
護国戦争の第二幕が、今、始まろうとしていた。
コメントでの指摘を受けて一部描写を変更しております。
6/9 00:32更新
■修正前
「ジン様、ロシア軍、続々と樺太へ兵力を集積させております。現在、推定で約六万。さらに沿海州から輸送船団が出港したとの情報も。まさに、熊が罠にかかりつつあります」
↓
■修正後
「ジン様、ロシア軍、続々と樺太へ兵力を集積させております。現在、推定で約二万。さらに沿海州から輸送船団が出港したとの情報も。まさに、熊が罠にかかりつつあります」
当初の想定では極東方面軍の総数は10万~15万程いて、そのうち日本が台湾海戦、台湾内部での戦争中に移動できた数が半数くらいの6万くらいを想定しておりました。
(まだシベリア鉄道が無い為、極東方面の全軍がすぐに移動することは無理ですし、ヨーロッパ方面軍は来ることが出来ません。そのためクリミア戦争と比べると規模は小さくなります)
ただ、それでも多い可能性を考え、6万→2万に数を減らしております。
2万は居るであろう根拠ですが、
・アイグン条約(1858年)でロシアはアムール川の北側を手に入れて、極東での領土が大きく広がっています。
・1860年(今話が1859年なので翌年)の北京条約でロシアはウラジオストクを含む沿海州を獲得しています。ここを獲るためにある程度は極東の兵力を多くしていたと考えられます。
・日本が樺太と近い国であることから、クリミア戦争の極東方面とは規模が違うとロシアも認識している点もあると思います。極東に配置している兵を急いで樺太まで移動させるはずです。日本が台湾で戦っている間にある程度は移動する筈で、現地軍や周辺で徴兵された農民なども含めると2万くらいにはなるかなと。輸送されている人も含め、合計が3万~5万程まで増えるかなと想定しております。
公開後の修正となってしまい申し訳ありませんでした。
今後もリアリティラインの精査をしっかりとしていきますので、気になった点があればご指摘下さい。
引き続き「幕末ブループリント」をよろしくお願いいたします。




