20(密勅)
安政五年(1858年)春
大老・井伊直弼による「安政の大獄」の嵐が江戸で猛威を振るう中、俺の計画で最も重要な布石を打つため、京の都にいた。
土方歳三と数名の新選組精鋭隊士を伴い、極秘裏に潜入したのだ。
この古都にも、黒船の来航や井伊の圧政、日に日に衰弱していくと噂される将軍・家定公の容態は伝わっていたが、震災や粛清が続く江戸に比べると幾分かマシな空気がながれていた。
「岩倉様、お待たせいたしました」
京の公家町の一角、質素ながらも気品のある屋敷の一室で、俺はついに岩倉具視その人と対面していた。
かねてより朝廷に俺たちの噂が届くよう、活版印刷された小冊子や、安政江戸地震の内容などを京に届けていたのだが、それがようやく実を結んだ形だ。
「ジン殿、よくぞ参られた。江戸の状況、そして貴殿の志については、かねてより報告を受けておる。単刀直入に伺いたい。貴殿は、この日ノ本を如何様に変えようというのか」
岩倉具視は、その鋭い双眸で俺を見据える。歳はまだ三十代半ばだが、その眼差しには公家の枠に収まらぬ野心と、国を憂う強い意志が感じられた。
俺は、ミネルヴァの情報を元に練り上げた、日本の再生のための具体的な構想を、熱を込めて語った。
井伊直弼の専横を断ち、幕府の旧体制を解体し、天皇を中心とした強力な中央集権国家を樹立する。
そして、その新国家が目指すべきは、「公武政合体」とも言うべき新しい統治の形だった。
「岩倉様、私が目指すのは、帝を国の象徴、そして精神的支柱として尊び、その大御心のもと、我々が実務を担う新しい国体です」
俺は続けた。
「具体的には、幕府を軍事業務に特化した『日本国軍』へと改組し、『征夷大将軍』はその最高指揮官とします。
これまでのように政治と軍事両方を幕府に任せるのではなく、武と政を分けて、徳川家には武家、つまり軍の長としての役割に専念していただきます。
政の部分は私が担当します。これまでの太政大臣や左大臣、大老などが行っていた政治を一手に担う新たな職「総攬」を新設し、政治・行政・外交・経済・国家建設の全般を統括。日ノ本を富国強兵の道へと導きます。
再び徳川家の時代に戻さない為にも『征夷大将軍』の任命権や、陸軍大臣などの任命権も保持します。
そして、天皇陛下には、国の最高権威として、総攬の任命権をはじめとする国事行為、そして日本の伝統を司る宮中祭祀をお務めいただく。
この三者が、それぞれの役割を全うし、手を取り合うことで、初めて日本は列強と渡り合える強国となり得るのです」
俺は、会津に避難させた技術者集団が生み出す技術や、大村益次郎や五代友厚らと作った国家構想を語り単なる絵空事ではないことを強調した。
岩倉具視は、俺の言葉に静かに耳を傾けていたが、その瞳は次第に熱を帯びていく。
「…公武政合体…そして総攬。ジン殿、貴殿の構想は、実に壮大かつ緻密。そして、それを実現しうるだけの力も既にお持ちと見える。この岩倉、貴殿の志に賭けてみよう」
彼は力強く頷いた。
岩倉具視の全面的な協力を得て、俺の朝廷工作は最終段階に入った。
岩倉は、俺の「公武政合体」構想と、日本の危機的状況、そして俺の持つ具体的な国力増強策を、巧みな弁舌で孝明天皇の側近たちに説き、さらには天皇ご自身にも奏上した。
孝明天皇は、列強の脅威と幕府の現状を深く憂慮されており、また俺の提示する「天皇を尊び、国を強くする」というビジョン、そしてその具体的な計画と実行力に、日本の未来を託すことを決意された。
数日後、岩倉を通じて、俺の元に密かに届けられたのは、桐の箱に収められた一通の勅書と、一振りの太刀だった。
「幕府の奸賊、大老・井伊直弼を討ち、朝政を一新し、国家を再興せよ」
討幕の密勅と共に下賜された太刀の銘は「小狐丸」。
岩倉具視と共に天皇への説得に尽力してくれた関白・鷹司政通からの贈り物であった。
そして一番欲しかった、クーデター決行の際に掲げるべき「錦の御旗」も下賜されることが約束された。
俺の行動に、絶対的な大義名分が与えられた瞬間だった。
密勅を懐に、俺は土方たちと共に急ぎ江戸へ戻った。
そして、勝海舟や小栗忠順らの仲介で、ついに徳川慶喜と極秘裏に会談する機会を得た。場所は、江戸郊外の一橋家の別邸。
「慶喜公、ご多忙の中、お時間をいただき恐縮です」
「ジン殿か。噂はかねがね。して、本日は何用かな」
慶喜は、怜悧れいりな瞳で俺を見据える。
その表情からは、容易ならざる才気と、複雑な立場ゆえの警戒心が窺えた。
俺は単刀直入に切り出した。
朝廷からの密勅の存在を示唆し、井伊直弼排除と幕政改革――事実上の倒幕――の計画、そして「公武政合体」の新国家構想を打ち明けた。
「慶喜公、この計画が成就した暁には、貴公に新国家における日本の武門の棟梁として、『征夷大将軍』の座にお就きいただきたい。それは、天皇陛下より任命された総攬たる私が任命する、日本の陸海軍の最高指揮官としての役職です。旧来の幕府の長ではなく、国家の防衛と、将来的には日ノ本の国威を世界に発揚するための軍事行動を指揮していただく、名誉と実質を伴うものです。これにより、徳川家の名誉は守られ、武士たちも新たな役割を得ることができるでしょう」
俺は、このまま「ジン達が何もしなかった世界線」をあくまで例えとしつつも、かなりリアリティある予想として語った。
尊王攘夷運動、長州征伐、薩長同盟、大政奉還、戊辰戦争、各国との不平等条約や、後の徳川家の在り方などだ。
そしてジンと協力した際の未来も語っていく。
慶喜は、しばらく腕を組み、深く沈思していた。
ジンの持つ圧倒的な力(情報、技術、組織、そして今や朝廷の絶対的な支持)、井伊への強い反感、そして徳川家存続への思いや日本の行く末が、彼の脳裏で激しく交錯しているのが見て取れた。
やがて、彼は顔を上げた。
「…面白い。実に面白い提案だ、ジン殿。よかろう、その話、乗った。この徳川慶喜、日本の未来のため、そして徳川家を守るため、貴殿の計画に協力しよう。クーデター後の旧幕府勢力の鎮撫、新体制への移行にも力を貸すことを約束する」
彼の目には、新たな時代への覚悟が宿っていた。
徳川家定の容態がいよいよ悪化し、江戸城内が後継者を巡って騒然とし始めたのは、その数日後のことだった。
神田の屋敷で、俺はミネルヴァと共に江戸の詳細な地図を広げていた。盤上には、新選組の配置、協力藩の動き、そして制圧すべき幕府主要機関が記されている。
「ミネルヴァ、全ての駒は盤上に揃った。朝廷の勅、慶喜公の協力、そして我々の力…」
俺は、窓の外に広がる、嵐の前の静けさを湛たたえた江戸の夜景を見つめた。
「日出ずる国の夜明けは近い」
静かに、しかし確かな力を込めて、俺は宣言した。
・役職「総攬」について
この話を書き始める前は「太政大臣」にしようと思っていました。
しかし、調べてみると「太政大臣」を務めた人数は思いのほか多く、その時代ごとに役割が違いました。
(筆者は豊臣秀吉や平清盛のイメージが強かったので焦りました)
今回、民主主義国家にするわけではないので、内閣総理大臣や大統領といった役職は使えず、かといって「総統」はどこかのちょび髭のイメージが強いので使いにくい。
「統領」は人気が出そうですが弱そう。
という事で、架空の国家指導者の役職を作りました。
総攬の意味は「一手ににぎって統べおさめること。」です。
・「征夷大将軍」について
実は、もともと征夷大将軍は天皇から全権を委任された「軍隊の総指揮官」だったりします。
ではなぜ政治もやっているの?となりますが、江戸幕府の将軍は「正二位 内大臣」に任官、没後に「正一位 太政大臣」が慣例となったそうです。
作中で征夷大将軍にある徳川家定の官位は「従一位、右近衛大将、内大臣、征夷大将軍、源氏長者」です。
(説明間違っていたらコメントで訂正してください)
今回ジンは「征夷大将軍」を元の「軍隊の総指揮官」としての役割に一旦落とす事を提案しています。
今後段階を踏んで権力を弱めるのか、それとも全て取り込めるかは彼の腕次第でしょう。




