2(邂逅)
嘉永5年(1852年)
俺はミネルヴァを伴って森の中を進んでいた。
日野宿に行くことは決まったが、確認したい事はたくさんある。
「ミネルヴァ、この1852年前後の世界情勢、特に日本が置かれた状況と、史実でのこの国の未来について教えてほしい」
「はい、ジン様。現在、世界は欧米列強による帝国主義の時代です。隣国、清国がアヘン戦争によって英国に敗れ、不平等条約を強いられ、半ば植民地と化したのをご存知の通りです。史実では、日本も来年ペリー提督が来航し、その数年後には欧米列強との間で不平等条約を締結し、国家主権を大きく制限されます」
ミネルヴァの説明に静かに耳を傾ける。
「開国後も、金銀交換比率の違いから大量の金が海外に流出し、国内経済は大混乱に陥るでしょう。そして、幕府の統治能力は次第に失われ、倒幕を目指す薩摩や長州といった西南雄藩との間で激しい内乱、戊辰戦争が勃発し、多くの英傑たちが互いに命を落とすことになります」
なるほど。しかし、史実での日本は持ち直している。
「そこまで厳しい状況で、どうして史実の日本が立ち直ることが出来た?」
「それは、この時代に日本の未来を想う傑物が多く存在したからでしょう。新政府側は勿論、幕府側にもです」
「両陣営から有能な人材を確保する事が出来れば、史実の日本より強くなりそうだな」
「ジン様、それは非常に困難な道です。史実では、彼らはそれぞれの『正義』を掲げ、互いに相容れない立場から激しく対立しました。長年の因縁や、主義主張の違い、そして彼らが持つ強固な信念は、容易に統合できるものではありません」
「だが、まだ決定的な対立には至っていない、そうだろう?」
「はい。史実では来年のペリー来航をきっかけにすべての歯車が回り始めます。長州征伐はその先にあり、薩長同盟へと向かっていきます」
「じゃあ俺たちはまず『ペリー』をどうにかする必要があると」
「そうなります。では幕臣となり、交渉の席に立てるよう立身出世を目指しますか?...1年では少々厳しいかと存じますが」
「いや、幕府側には入らない。勿論、維新政府側にもだ。幕府を継続して立て直すには時間がかかりすぎるし既得権益をどうするかの問題が大きい。かといって維新政府を待っている間に起こる問題も無視できんし、民主主義にはしない方針だ」
「...纏めると、『新たな陣営を立ち上げ』『幕府側と維新側の傑物を結集し』『専制君主制の国家とし』最終的には『日本を最強の国家とする』これらを目標にするわけですか」
「ああ、そうだ。難易度はベリーハードどころじゃないな。だからこそ、挑戦しがいがある。それに、成功した時のリターンは一番大きそうだろう?」
「もしそれが可能ならば...この国の内乱は最小限に抑えられ、失われる命も技術も大幅に減少するでしょう。外圧への対応もより迅速になり、国家の発展速度は史実を遥かに凌駕する可能性を秘めています」
「よし、大方針は決まった。次に目指すべき道だ。『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』だったか。我々はこの先の『未来の歴史』から学ぶぞ。史実の日本はどうして失敗した?最大の要因はなんだ?...俺は『大陸に手を出したから』だと思っている」
「なるほど、ビスマルクの言葉に、地政学ですか。確かに、この国の地形は細長く、大陸から独立した島国です。この地理的優位性を活かし、海洋を支配下に置くことで、外敵からの侵入を防ぎ、安全な通商路を確保できる。海洋国家としての強みを最大限に活かし、シーレーンと太平洋の島々を確保することは一つの道ではありますね」
「そうだろ?日本本土が海に囲まれている以上、海に割く国家リソースは大きくなる。下手に大陸国家と事を構えずに、海洋国家としての国家運営を考えたい。...まぁ今は絵にかいた餅だ。この話はいずれだな」
ちょうど会話が終わったころに街道にでる。
そこから少し歩くと日野宿はあった。
日野宿は、甲州街道の宿場町として、それなりの賑わいを見せていた。
旅籠や茶屋が軒を連ね、旅人や商人、そして様々な身分の武士たちが行き交っている。俺とミネルヴァの姿は、やはり異質だった。特に俺の、エルフ特有の少し尖った耳や、日本人離れした顔立ちは注目を集めやすい。
「まずは腹ごしらえと、当座の金だな」
宿場の一角にある煮売り屋に目をつけたが、この世界の通貨など持っているはずもない。
「ミネルヴァ、何か換金できそうなもの、あるいはこの場で稼げるような知恵はないか?」
俺が尋ねると、ミネルヴァが周囲を素早く観察し、そっと耳打ちする。
「ジン様、あちらの薪屋をご覧ください。どうやら人手が足りていないご様子。ジン様のそのお力でしたら、薪の一束や二束、造作もないでしょう。頑張り次第では当座の銭は得られるかと。……そして、もし元手が手に入りましたら、あちらの薬屋へ。軒先に干されている薬草の中に、いくつか江戸の薬種問屋で高値で取引される希少なものが混じっておりますわ。店主はそれらの真価に気づいていないご様子。上手く手に入れられれば、今後の活動資金の足しになるやもしれませんよ」
「なるほどな」
俺はまず薪屋へ向かい、その見た目からは想像もつかない力で薪割りを手伝い、驚く主人からいくらかの駄賃を受け取った。これでようやく一心地つける。
次に、その駄賃でミネルヴァが指摘した薬屋へ向かい、目立たないようにいくつかの薬草を他のものと混ぜて購入した。店主は俺の風体を訝しんでいたが、金払いが良かったためか、特に何も言わなかった。
その時だった。宿場の少し外れ、広場になっている辺りから、数人の男たちの荒々しい声と、剣戟のような金属音が響いてきた。何事かと人々が遠巻きに見ている。
「何だ?」
俺がそちらに足を向けると、数人のチンピラ風の浪人たちが、一人の若い男を取り囲んでいるのが見えた。若い男は背が高く、身なりは粗末だが、鋭い目つきで刀を構え、多勢を相手に奮戦している。その顔立ちに、どこか見覚えがあるような気がした。
「おらおら、田舎侍が粋がるんじゃねえぞ!」
浪人の一人が下卑た声を上げながら斬りかかるが、若い男はそれを紙一重で躱し、逆に鋭い踏み込みで相手の体勢を崩す。剣の腕は確かだが、いかんせん相手の数が多い。じりじりと追い詰められているように見えた。
(あれが、土方歳三か…?)
ミネルヴァに視線で問うと、彼女は静かに頷いた。
若き日の土方歳三が、持ち前の義侠心からか、あるいは単に売られた喧嘩を買ったのか、チンピラ相手に一人で立ち回っている。後の「鬼の副長」の片鱗を感じさせる気迫だが、このままでは分が悪いだろう。
俺は薬草の入った袋を懐にしまい、騒ぎの中心へと歩き出した。
「おい、お前ら。多勢に無勢で一人をいたぶるたぁ、武士の風上にも置けねえな」
俺が声をかけると、浪人たちが一斉にこちらを睨みつけた。土方も一瞬こちらに鋭い視線を送る。
「ああん? なんだテメェ、見たことねえ顔だな。このガキが邪魔するってんなら、まとめて斬り捨ててやらぁ!」
リーダー格らしい男が、刀をギラつかせながら威嚇してきた。
土方歳三は、俺の突然の介入に警戒しつつも、どこか状況の変化を期待するような目でこちらを見ている。
「子供相手に粋がるのは、見ていてあまり気分の良いもんじゃないんでね」
俺は肩をすくめる。
「ほざけ!」
一番近くにいた浪人が、怒声と共に斬りかかってきた。その太刀筋は、俺から見ればあまりにも単調だ。
俺は鞘に収めたままのショートソードの柄で相手の打ち込みを受け流し、そのまま流れるような動きで相手の顎を打ち上げた。
「ぐぇっ!」
短い悲鳴と共に、浪人は白目を剥いて地面に倒れ伏す。俺は特に力を込めたつもりはない。この世界の人間は、思った以上に脆い、というより、俺の身体能力が規格外なのだろう。
他の浪人たちが一瞬怯んだ隙に、俺は懐から小さな石ころを数個取り出し、立て続けに投げつけた。石は正確に彼らの急所――手首や足首を打ち、浪人たちは次々と武器を取り落とし、あるいは体勢を崩してうめき声を上げる。
あっという間に戦闘不能になった仲間たちを見て、リーダー格の男は顔面蒼白になり、慌てて逃げ出した。
俺は深追いせず、刀を構えたまま呆然とこちらを見ている土方歳三に声をかけた。
「大丈夫か、土方歳三…でいいんだよな?」
土方は、こわばった表情を少し緩め、刀をゆっくりと下ろした。口元にはうっすらと血が滲み、額には汗が光っている。
「……あんた、一体何者だ? その技…江戸でも見たことがねえ。それに、俺の名をなぜ…」
「俺の名前はジン。あんたの名前をどこで聞いたかは後で話すとして、先に手当てが必要だろ。どこか休める場所はあるのか?」
俺の言葉に、土方はハッとしたように周囲を見回した。遠巻きに見ていた野次馬たちが、ヒソヒソと何かを噂している。
「…ああ。すまねえ、助かった。俺は土方歳三。もし良かったら、俺が世話になってる佐藤先生の道場がこの近くだ。そこで手当てを…」
「佐藤先生の道場ね。ちょうどいい。俺も少し、あんたやその道場に聞きたいことがあったんだ」
俺はミネルヴァと目を見交わし、にやりと笑った。
これが、後に「鬼の副長」と呼ばれ、そして帝国の礎を築くことになる男との、最初の邂逅だった。
【登場人物紹介】
■ 土方歳三
・登場時の年齢: 17歳
・史実の生没年: 1835年~1869年
・主な功績:
新選組副長として、「鬼の副長」と恐れられるほどの厳しい規律で組織を統率し、最強の戦闘集団の一つに育て上げた。戊辰戦争では旧幕府軍として各地を転戦し、蝦夷島共和国では陸軍奉行並として指揮を執り、箱館戦争の最後の戦いで戦死。
・その他エピソード:
薬の行商をしていた経験があり薬の知識が豊富だった。俳句を嗜み「豊玉」という雅号を持っていた。色白の美男子で女性にもよくモテたと言われる。おしゃれで、西洋式の軍服も好んで着用した。