17(活字)
安政二年(1855年)夏
照りつける日差しが江戸の町を焦がす中、俺、ジンの情報戦略は新たな局面を迎えようとしていた。
福沢諭吉の手による木版の瓦版は、じわじわと民衆の間に井伊直弼への不満の種を蒔いてはいたが、その影響力はまだ限定的だった。
手作業による生産量の限界、そして幕府による監視の目。
俺は、より強力で、より広範囲に、そしてより迅速に我々の言葉を届ける手段を渇望していた。
「木版では、数が捌けん。それに、幕吏の目を掻い潜って版木を彫り、摺り上げるのは手間がかかりすぎる…」
神田の屋敷の一室で、俺は福沢と共に刷り上がったばかりの瓦版を手に、唸っていた。
一橋派への非公式な接触は続けているものの、彼らを動かすには、もっと大きな世論のうねりが必要だ。
そんな折、数ヶ月ぶりに坂本龍馬が、日に焼けた顔で神田の屋敷に威勢良く戻ってきた。
「ジンさん!西国でのエタノールの原料、サツマイモや糖蜜の買い付けルート、いくつか目星をつけてきたぜよ!これなら、左内先生も喜んでくれるじゃろう!」
龍馬はそう言うと、得意満面の笑みを浮かべて続けた。
「それだけじゃなかぜよ、ジンさん!例の仕事として、ジンさんから預かった元手と、『読み』を頼りに、西国と江戸・大坂間でいくつかの産物を動かしてみたんじゃ。ジンさんからは色々指示があったが、特に長崎の鼈甲細工や薩摩の樟脳を西国で安く仕入れ、それを大坂の特定の豪商に高値で売る。そしてその利益で、今度は江戸で不足しちゅう昆布や干し魚を大阪で仕入れて江戸で捌いた。これが、まっこと大当たりでな!」
龍馬は懐から分厚い帳簿を取り出し、誇らしげに広げてみせた。
「これだけの儲けが出た!これで、田中先生の工房や橋本先生の研究も、当面の資金の心配はだいぶ軽くなるはずじゃ!俺たちは、日本の海運と交易を牛耳る、その第一歩を踏み出したぜよ!」
その帳簿に記された金額は、俺が予想していた以上のものだった。ミネルヴァの正確無比な相場予測と、龍馬の類まれな行動力、そして人を惹きつける商才が見事に噛み合った結果だろう。これで、俺たちが進める数々のプロジェクト――特に莫大な費用がかかる技術開発や、新選組の運営――にとって、非常に大きな追い風となる。カツカツだった資金繰りが、これで一気に改善されるはずだ。
俺は、龍馬の肩を強く叩いた。
「龍馬さん、素晴らしい!期待以上の成果だ。これなら、俺たちの計画もさらに加速できる。本当に助かった」
龍馬の報告は心強い。そして、彼がもたらしたものはそれだけではなかった。
「それと、長崎でちっくと面白い男を見つけてきたんじゃ。こいつぁ、からくりにも詳しゅうて、特に文字や書物に関することなら右に出るもんがおらん。ジンさんの役に立つと思うて、無理やり連れてきちまった!」
龍馬が豪快に笑いながら手招きすると、少し緊張した面持ちの、しかし実直そうな男が部屋に入ってきた。年の頃は三十代半ばだろうか。
「本木昌造と申します。龍馬殿より、江戸に新しい技術で世の中を変えようとしておられる方がいると伺い、まかりこしましてございます」
本木昌造――!ミネルヴァの情報によれば、彼は史実において日本の活版印刷の父となる人物。
確か、以前長崎で「活字版摺立所」を設立し、オランダの書物から活字印刷を学ぼうと試みた経験を持つはずだ。
まだその技術は未熟で、本格的な実用化には至っていないが、その情熱と才能は間違いない。
俺は龍馬の慧眼に内心で感謝しつつ、本木に向き直った。
「本木殿、よくぞお越しくださいました。私はジンと申します。今、我々は日ノ本の民に真実を伝え、新しい国を作るための戦いを挑んでいます。そのためには、情報を自在に、かつ大量に生み出し、広めることのできる、新しい『仕組み』が必要なのです」
俺は、熱を込めて語った。金属で作られた無数の「活字」を組み合わせ、効率的な印刷機で次々と書物を刷り上げる未来の印刷技術の構想を。そして、それがもたらすであろう民衆啓蒙と社会変革の力を。
「活字…金属の…そして、それを自在に組み替えて…」
本木の目は、俺の話を聞くうちにみるみる輝きを増していく。
「しかし、ジン様。日本語の文字は複雑で数も多い。行書や草書のような流麗な書体を、一つ一つ金属の活字にするのは至難の業かと…」
「そこです、本木殿」
俺は頷いた。
「既存の書体に囚われる必要はありません。むしろ、読みやすく、美しく、そして何よりも活字として扱いやすい、新しい標準となる書体を、我々の手で生み出すのです。例えば、明の時代に生まれたという、直線的で角張った、しかし力強く明快な『明朝体』のような書体。これを基本とし、我々が目指す新しい時代の書物を飾るに相応しい、新しい日本の活字を!」
ミネルヴァの知識には、もちろん書体デザインの歴史も含まれている。俺が示した明朝体の概念図と、その設計思想に、本木は息を呑んだ。
「な、なんと…!文字の形そのものから、印刷に適したものを…!そのような発想が…!ジン様、あなた様は…!お引き受けいたします!この本木昌造、必ずやご満足頂ける日本語の活版印刷を完成させてみせます!」
本木は、畳に両手をつき、深く頭を下げた。
こうして、日本の情報伝達の歴史を塗り替えるプロジェクトが始動した。
俺は本木を田中久重に引き合わせ、彼の工房の一部と、江戸の腕利きの判子職人や鋳物職人、そして手先の器用な新選組隊士たちを彼の指揮下に置いた。
目標は、数ヶ月以内に実用的な金属活字と、ジンが設計図を示した手動式印刷機を完成させることだ。
一方、他の布石も着実に実を結びつつあった。
橋本左内は、龍馬が持ち帰った原料を使い、神田の別棟に設けた小さな実験室で、ついに高純度のエタノールの安定生産に成功していた。
まずは医療用としての普及を目指し、負傷者の消毒や器具の滅菌に使い始めることで、その効果は絶大だろう。
貴重なエタノールの一部は、田中久重の工房にも届けられた。
彼の工房では、数ヶ月の試行錯誤の末、内燃機関の初期試作機が完成しつつあった。
それはまだ大型で荒削り、到底航空機に搭載できるような代物ではないが、原理実証として力強くピストンを往復させることに成功していた。
その試作エンジンに、橋本左内が精製したエタノールが注がれ、火花が散ると、エンジンはこれまで以上の力強い鼓動と共に唸りを上げた。
「おお…!燃える!この酒精は、なんと力強い炎を生み出すことか!」
久重と左内は、顔を見合わせ、興奮に声を震わせた。
航空機という途方もない夢の実現に、また一歩近づいた瞬間だった。
本木を江戸に送り届け、エタノール原料の供給ルートも確保した坂本龍馬は、休む間もなく新たな任務を帯びていた。
「龍馬さん、活版印刷には大量の紙が必要になります。今の和紙の製法では、コストも生産量も追いつかない。良質な紙を大量かつ安定的に供給する体制を、あなたに築いてほしい」
俺の言葉に、龍馬はニヤリと笑った。
「つまり、紙の原料となる楮や三椏の買い付けから、製紙技術そのものの改良まで、丸ごとお任せというわけじゃな?まっこと、次から次へと面白いことを考えゆう!」
彼は、新たな活動資金と、ジンの示す未来の製紙技術のヒントを手に、仲間たちと共に再び海へと乗り出していった。
江戸市中では、相変わらず福沢諭吉の木版瓦版が撒かれ、井伊派はそれらの取り締まりに躍起になっていた。だが、彼らはまだ気づいていない。水面下で、情報という武器が、まさに革命的な進化を遂げようとしていることを。
そして3ヶ月後、本木昌造とその弟子たちの不眠不休の努力が、ついに実を結んだ。
神田の工房の一室。緊張した面持ちのジン、本木、福沢、そして数名の職人が見守る中、試作の印刷機に、鋳造されたばかりの美しい金属活字――ジンが示唆した「明朝体」を基に、本木が心血を注いで作り上げた、端正かつ力強い日本の文字――が組み込まれ、インクが塗られ、そして最初の試し刷りが行われた。
ゆっくりと紙が剥がされると、そこには、これまでのどの書物とも異なる、鮮明で均一な、そして力強い意思を感じさせる文字が、はっきりと印されていた。
それは、福沢が新たに書き下ろした、日本の現状を憂い、未来への変革を訴える短い檄文だった。
「……できた……これが、我々の『活字』か……!」
本木は、感極まったように声を震わせる。
福沢もまた、その印刷物に見入り、言葉を失っていた。
俺は、刷り上がったばかりの紙を手に取った。インクの匂いが鼻をつく。そこには、確かに、新しい時代の息吹が宿っていた。
「ああ、できた。これでようやく、我々の本当の戦いが始まる」
俺は静かに、しかし確かな力を込めて宣言した。
「井伊掃部頭…いや、この国を覆う旧体制そのものに、言葉の力で、我々の意志を叩きつける時だ」
江戸の夏の夜空の下、情報という名の新たな武器がまた一つ登場した瞬間だった。
【用語解説】
■ 活版印刷
凸版を使用し、インクを紙に直接転写する印刷技術。
15世紀にドイツ出身のヨハネス・グーテンベルクが発明した活字印刷術が起源で、書籍や新聞の大量生産を可能にした。
活字を組み合わせて版を作り、圧力をかけて印刷する方式で、独特の凹凸感が特徴。現在は名刺や招待状などの特殊印刷に活用される。
日本にも1590年に1度伝来していましたが、徳川幕府によるキリシタン禁制によって極めて短命に終わりました。
■ 明朝体
日本語の代表的な書体の一つで、縦線が太く、横線が細いのが特徴。
筆書きの流れを汲み、文字の端に「うろこ(セリフ)」と呼ばれる飾りが付く。
中国・明朝時代の活版印刷用書体を起源とし、日本では明治時代に整備され、書籍や新聞の本文に広く使用される。
可読性が高く、格式のある印象を与えるため、公式文書や長文の印刷物に適している。




