12(調印)
横浜の応接所。
ペリー提督の表情から険しさが消え、どこか日本の技術力と、それを操る謎の青年ジンに対する畏敬の念すら漂い始めた交渉の場は、新たな局面を迎えていた。
俺が仕掛けた「タイプライター式印刷電信機」によるデモンストレーションと、リンカーンの言葉の引用は、明らかにペリーの心に深く刺さったようだった。
「…ジン殿。あなたのその知識と技術、そしてあの言葉…我々は、日本という国を少々見誤っていたのかもしれんな」
ペリーは、これまでとは打って変わって穏やかな口調でそう切り出した。
彼の背後に控える士官たちも、もはや日本を「未開の国」と見下すような態度は見せず、真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「提督、ご理解いただけたようで何よりです。我々は、貴国と無用な争いを望んではおりません。ただ、対等な立場での友好関係を望んでいるだけです」
俺は、ミネルヴァの万象翻訳バフを最大限に活用し、落ち着いた、しかし威厳を込めた声で応じた。
林大学頭や中島三郎助も、俺の言葉に力強く頷いている。彼らもまた、この交渉の場の空気の変化を肌で感じ取り、日本の新たな可能性に希望を抱き始めていた。
(ミネルヴァ、ペリーの心理状態は?)
俺は内心で問いかける。
(はい、ジン様。ペリー提督は、日本の潜在的な技術力と、それを背景とした交渉力に強い警戒心を抱くと同時に、個人的な興味と、ある種の敬意を感じ始めています。彼の当初の目的であった「日本を開国させ、アメリカの威信を示す」という点に加え、「この国から何を学び、何を得られるか」という新たな関心が芽生えつつあると観測されます)
(よし、いい流れだ。ここからが本番だな)
交渉は、具体的な条文の検討に入った。
アメリカ側の要求は多岐にわたる。下田、箱館(函館)の二港開港、アメリカ船への薪水・食料・石炭の供給、漂流民の保護と引き渡し、そして領事の駐在と最恵国待遇。
史実における日米和親条約の骨子そのものだ。
「開港地についてですが、下田、箱館の二港は受け入れましょう。薪水、食料、石炭の供給、そして漂流民の保護についても、人道的観点から異存はございません」
林大学頭が、幕府の公式見解としてそう述べた。これは、事前に俺と中島、小栗らで練り上げた落とし所だ。
ペリーもこれには満足げに頷く。
「しかし、領事の駐在と最恵国待遇については、即時の合意は困難です。我が国の国情を鑑み、これらは今後の両国の友好関係の進展の中で、改めて協議すべき事項と考えます」
ここが、俺たちが仕掛けた最初の勝負だった。
史実では、この時点で領事駐在と最恵国待遇が認められてしまう。だが、俺はそれを阻止したかった。
領事駐在は内政干渉の足掛かりとなり、最恵国待遇は他の列強にも同様の権利を与えることになり、日本の自主性を著しく損なうからだ。
ペリーの眉がピクリと動いた。
「ほう、それは意外な。領事の駐在は、両国の円滑な意思疎通と、万一の紛争解決のために不可欠と考えるが?」
「もちろん、その必要性は理解しております。ですが、現状の我が国には、外国の領事が恒常的に駐在するための法整備や、国民感情の準備が整っておりません。いたずらに混乱を招くことは、両国の友好関係にとっても決して良い結果をもたらさないでしょう。まずは、今回合意する事項を誠実に履行し、相互の信頼関係を醸成することが先決かと存じます。その上で、改めて領事駐在の是非について協議の場を設ける、ということでいかがでしょうか」
俺は、中島三郎助に事前に伝えておいた論法で、冷静に反論させた。
ミネルヴァから得た国際法や外交慣習の知識、そしてアメリカ国内の事情(特に、他国との条約締結において、領事駐在が必ずしも初期の必須項目ではない事例など)を巧みに織り交ぜる。
ペリーはしばらく腕を組み、沈思していた。
彼の背後にいる士官たちも、日本の意外な粘り腰と、その論理的な反論に、やや戸惑いの表情を浮かべている。
(ミネルヴァ、アメリカ側の反応は? 彼らはこの点をどこまで重視している?)
(領事駐在と最恵国待遇は、彼らにとっても重要な要求事項ですが、今回の交渉における最優先事項ではありません。彼らの最大の目的は、あくまで「開国」という実績と、補給港の確保です。ここで強硬に主張し、交渉を決裂させるリスクは避けたいと考えているはずです。特に、ジン様の示した技術力と情報力は、彼らにとって未知の脅威であり、慎重にならざるを得ない状況です)
(なるほどな。ならば、もう一押しだ)
「提督、誤解しないでいただきたい。我々は、貴国との交流を拒んでいるわけではありません。むしろ、貴国の進んだ文明や技術からは、学ぶべき点が多くあると考えております。ただ、物事には順序というものがございます。焦らず、一歩ずつ、確かな友好の橋を築いていこうではございませんか」
俺は、穏やかな笑みを浮かべてそう語りかけた。
その言葉には、相手への敬意と、しかし譲れない一線を示す強い意志を込めた。
数時間の議論の末、ペリーはついに折れた。
「…よろしいでしょう。領事の駐在と最恵国待遇については、今回は見送るとしよう。ただし、近い将来、改めてこの件について協議することを、ここに約束していただきたい」
「承知いたしました。その約束、違えることはございません」
林大学頭が、安堵の表情でそう答えた。
俺は内心でガッツポーズを決めた。史実からの大きな前進だ。この譲歩は、今後の日本の自主性を守る上で、計り知れない意味を持つ。
その後も、条文の細かな文言修正が続けられた。
俺はミネルヴァの助言を受けながら、日本側に不利にならないよう、曖昧な表現や将来的に解釈が分かれそうな箇所を徹底的に洗い出し、修正を求めた。
例えば、薪水・石炭の供給に関しても、「日本側が供給可能な範囲で」という一文を加えさせたり、開港地におけるアメリカ人の行動範囲についても、明確な制限を設けるよう主張した。
その一つ一つは小さな修正かもしれないが、積み重なれば大きな違いとなる。
そして、嘉永七年三月三日(西暦1854年3月31日)。
横浜の応接所にて、日米和親条約の調印式が執り行われた。
林大学頭とペリー提督が、厳粛な雰囲気の中、条約書に署名する。
それは、日本の鎖国が終わりを告げ、新たな時代が幕を開けた歴史的瞬間だった。
しかし、その内容は、史実とはいくつかの重要な点で異なっていた。日本にとって、より有利な、そしてより主体的な条約となっていたのだ。
調印式が終わった後、ペリー提督が俺の元へ歩み寄ってきた。
「ミスター・ジン。あなたの尽力に感謝する。あなたの存在がなければ、この条約はもっと違った形になっていただろう」
その言葉には、調印式より少しフランクで『敵ながらあっぱれ』といったような響きがあった。
「光栄です、提督。この条約が、両国の真の友好の礎となることを願っております。…つきましては、ささやかながら、提督への個人的な『贈り物』を用意させていただきました。我が国の技術の粋を集めた品です。どうぞお納めください」
俺が合図すると、田中久重が恭しく桐箱を捧げ持ってきた。
中には、彼が心血を注いで完成させた、最新型の白熱電球が数個と、小型のガルバニ電池が収められていた。電球は、美しいガラス細工が施され、フィラメントには改良された竹炭が使われている。
「これは…あの『光』か?」
ペリーは、驚きの表情で電球を手に取った。
「はい。夜の闇を照らし、未来への道を照らす光です。貴国の発展と、そしていつか、この光の下で再びお会いできる日を願って」
ペリーは、しばらくの間、その電球を感慨深げに見つめていた。
そして、顔を上げると、力強く俺の手を握った。
「ミスター・ジン、必ずまた会おう。その時まで、この光を大切にしよう」
数日後、ペリー艦隊は、満足と、そして日本という国への新たな認識を胸に、横浜を後にした。
彼らが持ち帰った「白熱電球」は、アメリカ本国で大きな話題となり、日本の技術力に対する評価を一層高めることになるのだが、それはまた別の話だ。
江戸城内では、日米和親条約の内容を巡って、賛否両論が渦巻いていた。
攘夷派は「屈辱的な条約だ」と息巻いたが、開国派は「最小限の譲歩で国難を乗り切った」と評価した。
そして、その交渉の背後に「謎の少年ジン」がいたことは、幕閣たちの間で公然の秘密となり、俺の存在はますます大きな注目を集めることになった。
神田の屋敷に戻った俺は、土方歳三、田中久重、近藤勇、勝海舟、福沢諭吉といった仲間たちと、祝杯を挙げていた。
「ジンさん、お見事でした。まさか、あの黒船相手に、これほどの条件を引き出すとは…」
土方が、興奮冷めやらぬ様子で言う。
「これも皆の協力があってこそだ。だが、これは始まりに過ぎない。本当の戦いはこれからだ」
俺は、窓の外に広がる江戸の町を見据えた。
ペリーは去った。しかし、次なる脅威は、国内からも、そして国外からも、間断なくやってくるだろう。
俺の「日本再構築計画」は、まだ緒に就いたばかりなのだ。
(ミネルヴァ、次の手はずは?)
(はい、ジン様。まずは国内改革の本格化です。今回の条約締結で得た時間的猶予を最大限に活用し、技術開発、産業育成、軍備近代化、そして何よりも、ジン様の政権基盤の確立を急がねばなりません。敵対勢力の動きも活発化するでしょう。油断は禁物です)
「ああ、分かっている。この国を、誰からも侮られぬ、強く豊かな『帝国』にする。そのためのブループリントは、既に俺の頭の中にあるのだから」
俺は、新たな決意を胸に、杯を掲げた。
日ノ本の未来は、今、この手の中に。
その重みを噛み締めながら、俺は次なる戦いへと意識を向けるのだった。
ここで第一章『黒船編』終了です。
【用語解説】
■ ブループリント
ブループリント(blueprint)は、もともと建築や機械設計の分野で使われた青焼きの設計図を指す言葉です。
転じて、計画や構想を示す文書や設計図の意味として広く使われるようになりました。
■史実と今作の「日米和親条約」の違い
概ね史実と同じ内容で、下田と函館の2港を開港しました。
主な違いは2点で、史実では以下のような内容でした。
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・第9条
米国に片務的最恵国待遇を与える。
・第11条(英文)
両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より18か月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。
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この2条項を変える事がジンの目的でした。
因みに史実の11条の和文では
「両国政府が必要と認めたときに限って」となっており、大きく内容が異なっていました。
これにより後に外交問題になっています。




