「仮面づくり」
あなたは誰の前でも本来のあなたでいられますか。
表情、声色、性格、思想など。
あなたは本来のあなたのまま、純粋に生きることができていますか。
ほとんどの方は無理でしょう。もちろん僕も不可能である。
本来の自分のまま生きていけるほど、今の世の中は楽ではない。権力を持っていないほど、本来の自分を押し殺さなければならない。巨大な権力や風潮に押しつぶされないために。自分自身を彼らから守るために。厚い「仮面」を作り続ける。どんな災害にも対応できるように。
未知のものに襲われることも時にはあるだろう。そんなときには多大なる損害を被ることになる。いくら厚く様々な外力に耐えることのできるよう設計した「仮面」であっても。それを突き抜ける。いとも容易く。そして、僕らの体に傷をつける。それが時にはかすり傷の時もあれば、致命傷の時もある。もしかしたら、もう遅い場合もあったかもしれない。
ただ、生き残った人々は、その経験を活かし、「仮面」を改良する。もう、そのつらい経験を二度と経験しないために。より厚くして様々な外力を妨げられるように。
そうして強化された「仮面」を隙間の無いよう顔に張り付ける。隙間風でやられるなんてもったいないからね。家を出る前、装備が完璧か、鏡の前で確認する。そして、覚悟を決める。
ドアの向こうにいるであろう凶悪な敵や地獄から、自身を守るため。平穏ではない1日を無事終えるため。「仮面」に傷がつく程度で済むよう努力することも忘れない。
すべては、愛するものが待っている場所に帰還するため。
そう感じるのは僕だけかもしれない。しかし、気づけばこんな人生だった。人の視線にとにかく過敏だった。それが悪意あるものであろうがなかろうが。僕の皮膚が特別弱かっただけかもしれない。
過剰反応を繰り返した僕が下した判断は、「仮面」の製造だった。それが年相応に始まったことなのかは分からない。他人のことなど誰にもわからないのだから。むしろ、デリケートな部分だから聞くことも、答えることも困難なはずだ。どちらにせよ、僕には関係ない。なぜなら、僕の感知機能は過敏だったから。
「仮面」の製造を続け、幾年が経過しただろう。最初の内は意識が必要だった。自分を守るために丁寧に。ゆっくりと。ただ、傷つき壊れ、その度に修理を重ねるうちに職人になってしまった。自分で言うのもなんだが。その域に達すると、意識は必要なくなっていた。
毎日の繰り返し作業。僕の手には技術が染みついていた。よくある傷なら、考えずとも直すことができた。時たま、起きる予測不可能な未知の脅威には、大きな損害を被った。けれども、応急処置ならお手の物だった。そうして、しばらく経てば大きな複雑な傷を直し、なんなら「仮面」の改造にも成功した。
そうして生き続けてきた。気づいたときには、「仮面」を被っているのが当たり前の生活になっていた。それも自分で作った特性の「仮面」を。
だから、辛いことも耐えられた。なんとかその「仮面」が守ってくれた。もう手放すことはできなくなっていた。
それは幸せにも不幸にも、人からの距離をとるための道具となっていた。それを介してでなければ、会話することができないくらい。「仮面」を付け始める前に知り合ったの人々に対しては、本来の自分でいられる。けれども、それ以降知り合った人に対して、自分を曝け出すことはできなかった。どれだけ仲良くなろうとも。それは、「仮面」を付けた僕だから。もちろんのこと、ここに書いてきた本心を伝えることなど不可能だ。
それだけなら、まだ良かった。最近、「仮面」を被った自分と本来の自分の区別がつかなかったように感じる。ただ、それが本来の自分であったのか。それとも、「仮面」を被った自分であったものなのか。今となってしまえば、どちらに今の自分がなっているのか判別することはできない。
特に理由はないが、前者であることを願いたい。もし、後者であるならば、根拠はないが恐ろしく感じる。
ただでさえ、自分が何者なのか分からないというのに、人生の途中で人格が変わったとなると、僕は何なのだ。そんな疑問が僕の心の内を覆いつくす。
しかし、その疑問、不安、恐怖心は周りに届かないだろう。それは言わなければ伝わらないということでもあるが。伝えたくないから「仮面」を製造した僕にとって、人に話すというのは困難だ。
僕の心の声が届かないのは、自分を守るために製造した「仮面」のせいだろう。外からの圧力に耐えるため、分厚く製造したその「仮面」には、通気性がなかった。隙間風ですら通したくなかったのだから当然だろう。
使い方が正しいのかは分からないが、一種の皮肉のように感じる。自分を守るために必死に作った「仮面」のせいで、僕の心の内は周りに届かない。
いや、届かさせたくないのだろう。怖いんだ。本当の自分を知られて軽蔑されるのが。見下されるのが。人が離れていくのが。
なんとも自分勝手な男だ。でも、それが僕の生き方なのだろう。核なのだろう。なら、変わることはないのかもしれない。
そう結局、自分一人で結論付けて、今日も誰に対しても有効な「仮面」を作り続ける。
何が自分なのかもわからないまま。今日を生きる。
いつまで作り続けるのでしょう。いつになったら無くてもよくなるのでしょう。もしその時が来たらと願ってはいますが、その時の顔が本来の自分の顔であることを願っていたいです。