「カウントダウン」
身近に潜む締切、遠い未来に待っているであろう「カウントダウン」。それについて、僕の思うままに綴りました。
昨日、お風呂に浸かっている間にふと思った。
「やばい、急がないと。」
冷静に考えると何をと思ってしまうのだが、当時は何故か焦っていた。しかし、風呂から出て身体を拭いている間に、そんな考えは消えてしまった。
かと思えば、次は寝る直前に焦燥感にかられた。何に対して焦っているのか今でも分からない。ただ胸が苦しくなった。
結局その日は布団に入ってから寝ようとしても寝ることができず、2時間を経過した。
僕自身大学生ではあるので、一応、課題やレポートという形で締切が設けられる。今まで、小中高でも同様に宿題に対しても締切が設けられた。それに対して、前もって準備しておけばいいのに、近づいて実感が湧かないとやる気にはならない。そう感じるのは僕だけではないだろう。
ただ、大学生ではあるものの精神的な理由から大学を少しの間休み、気づけば大学自体が春休みとなった。そんな僕に外部から締切を迫られることなどないはずだ。十分な休養をとることが許されている期間で、誰にもそれを邪魔されることはないはずだ。悪意でもない限り。その悪意すら、僕は現時点で感じてはいないのだが。
それでは、僕は何に焦っているのだろう。外部から設けられた締切がないのであれば、自ら気づかないうちに締切を作成しているのかもしれない。それとも、遠い未来に外部から設定されている締切に、もう既に脅かされているのかもしれない。この2パターンしか考えられないだろう。
では、始めに自ら気づかない内に作成しているであろう締切について考えてみよう。
1つは親からの自立だろう。大学に進学するにしたがって県外に出たため、実家からは出て一人暮らしを始めた。普通はそこでアルバイトをするのだろう。そして、初めて自分で手に入れたお金を手に取って自立を実感するのかもしれない。僕もそうしたかったし、そうするつもりであった。少なくとも、高校2年生の頃までは。
高校3年生の頃から、今も続く症状に悩まされ続けた。過去のエッセイでも何度も触れてはいるが、個人的にはセンシティブなことであるため、具体的な症状や病名については明かすことはできない。これに関しては申し訳ない。話に戻るが、それが理由で人前で「普通」の大学生のアルバイトとして働くことが難しかった。実際アルバイトをやったことはないが、それ以前に学校生活などの日常生活に悪影響を及ぼしているため、アルバイトに応募しようとする勇気すらなかった。
これに関しては、自分自身の中で治らないと前に進むことができないことだと割り切れている。もしくは、割り切れてはいるはずだった。しかし、一度でも大学生を経験した方ならわかると思うが、日常の会話の中で、アルバイトの話はよく出る話題であろう。周りは、仕事環境や給料事情に愚痴や自慢について話す。だが、それについていくことはできない。
どうしようもないことだと割り切れれば悩まなくて済むだろう。そんなこと頭の中で分かっている。それができればどれほど楽なことかと。
今の現状、自分的にはどうしようもできないことに関することは置いておいて、他にはないだろうか。考えられるのは他者との「比較」だ。これに関しては前述している可能性もあるが、また書くことにする。
昨今、我々の生活においてSNSを見ないという選択肢はほぼ不可能な時代になってきた。それは情報を享受するという面において。もしくは、娯楽という面において。他には、自己の欲求を満たすためという面において。理由はどうであれ、多くの人々にとってSNSを見ずに生活するということはビジネス面に関しても私生活に関しても悪影響を及ぼす割合のほうが大きくなってきた時代となってしまった。これはあくまでも僕自身の考えであるが。
そこで、個々人がどのようなものを満たすかはそれぞれではあるが、僕は情報収集と娯楽という面で活用している。
情報収集という面においては、残念ながら現代の日本のマスメディアの報道に信用を感じることができなくなったという点も一部ある。それとは別に、僕であればプログラミングのような技術の取得、向上のためにSNSを利用して情報を集める方もいるのではなかろうか。そんなとき、ただ、見ているだけとはいかず、自身のやる気に火をつけてくれるものもあるだろう。その火が大きすぎた場合、あなたに対して悪影響を及ぼすのではなかろうか。
時にこんなことを聞かないだろうか。
「私はこれを取得するのに○カ月だけしか掛かりませんでした。」
「私の受講生は○カ月で資格を取得し、案件を獲得することができました。」
そんな、人によっては夢のような言葉かもしれない。発信者にとってはそれによって、実績を示しているのだろう。それで火をつくような人々のほうが多いはずなので、苦しむことはないだろう。
しかし、僕のようなメンタルが豆腐のような人間はひと味違う。彼らのバックグラウンドも知らず、その他の事例を知らず、その期間内で達成しなければ「無能」なのだというレッテルを自ら貼ろうとするのだ。それにより、焦燥感にかられるのであろう。
これに関しては、人と自分は違うこと。メンタルが強くなればなんとかなりそうだが、そう簡単にいけばここまで苦しんでいないだろう。
自ら気づかないうちに締切を作っている例として挙げることのできるのは、上記の2つぐらいだろうか。では、遠い未来に外部から設定されている締切については何があるのだろう。
まず、1つとしては就職だろう。前述したことがあると思うし、読んでいて何となく察する方もいるのではないだろうかと思うのだが、僕自身、労働に対して前向きな気持ちを持てていない。こう書くと語弊があるのかもしれないので一応弁明しておくが、労働が悪だとは思っていない。しかし、人生の大部分を労働という時間に半強制的に費やされるのはいかがなものかと思うだけだ。
こんな思考を持っているからだろう。いずれやってくる就活が非常に面倒くさいし、やる気が無い。さして、出世欲もないのが余計に質の悪い。ただ、これに関しても、現状の症状が治らなければ選択に響いてくるので、それにより余計に僕を焦らせる。あまりにもこれに言及すると気持ちが悪くなってくるので、この話題はここまでにしておこう。
もう1つ考えられるのは死だ。何言ってんだこいつと思われるかもしれないが、かなり小さいころから死に対する恐怖心があった。だから、不老不死にでも勝手にならないかなどと真剣に考えたこともある。ただ、これは生まれた以上誰に対してもやってくること。そして、その時期は今のところ定まっていない。就職と比べてみると質の悪いこと、この上ない。
こんなこと考えても無駄だろうが、考えてしまうのが僕なのだ。仕方ない。そして、また苦しもう。
今回は、今まで以上に長々と書いてしまった。いずれ来るであろう「カウントダウン」。多くの人にとって、それはどうしようもないことであろう。それは分かっている。けれどもどうにかできないか。無駄な抵抗を考えながらも、今日を生きる。