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「夢」

 義務教育を通ってみえた皆さんなら一度ぐらいは経験があるだろう。

「あなたの夢は何ですか。」

「将来何になりたいですか。」

「どのような道に進みたいですか。」

 こんな質問されませんでしたか。

 僕は幼稚園から大学まで言い方は違えど、散々なほどこの手の質問を聞かれ考えてきた。

 

 幼稚園の頃は何って言っていたか忘れてしまった。しかし、僕も例に漏れず、仮面ライダーや戦隊モノに憧れていた。だから、

「ヒーローになりたい。」

と、でも答えていただろう。漠然としていて、全く持って不可能と言っても過言でない。けれども、子供らしいと称され許されていただろう。別に悪目立ちもしない。何も考えず、ただ親や周りの大人の言うことだけをある程度守っているだけで良いあの頃が羨ましい。


 小学校の頃は何と答えただろう。定かではないが、次のように答えたのではないか。

「サッカー選手になりたい。」

 多分、小学校低学年の頃はこのように答えていたはずだ。サッカー自体、小学校に入学してから始めた。そして、地元の少年団と言われるところでやっていた。低学年だから競争なんてありゃしない。「比較」なんてありゃしない。純粋だった。ただ、純粋ゆえに友達とケンカになることもあった。しかし、今と違う。些細なことだから、謝ればそれで終わり。すぐに笑顔で笑い合う。それが難しくても、寝て、起きて、会ったら話す。それで解決。嗚呼、羨ましい。

 それから、変化が起きた、高学年。小学4年生のころだったか。手術を受けた。自分を病気から助けてくれた。そんな医師に今度は憧れた。

「医師になりたい。」

 そう「夢」は変化した。あの頃のサッカー選手を目指した自分は消えた。何故なら自分の才能の無さに気づいたから。

 少年団の練習に真剣に取り組んでも。誰よりも、準備、片付けを率先して行っても。朝5時に起きて父親と練習をしても。一向に上手くならなかった。

 それに対して、自分より後に少年団に入った連中がメキメキと上達し、試合で活躍する。ついこの前までスタメンだった自分が、いつの間にかベンチで彼らの活躍を見ていた。応援しているはずなのに、実力の差をまざまざと見せつけられる。その現実に、

「負けてしまえ。」

なんて思う時もあった。自分が惨めに思えるよ。

 このときに反骨精神があれば、いまの捻くれた自分はいなかったのかもしれないが、反省したところでもう遅い。


 「医師になりたい。」

 この「夢」はいつまで続いたのだろうか。中学2年生ごろまでだっただろうか。このころまでは、厳しい道のりを知らなかった。だから、楽観して生きていたのだろう。

 公言していくうちに、周りも僕が本気でそう思っているのだろ気づいた。だから、忠告し始めたよ。

 「○○高校に入れないと医者になんてなれない。」

 「中学受験をしていなかった時点でもう遅い。」

 「血を見ることができるのか。メスを入れることができるのか。」

 「無理だ。」

 「辞めておけ。」


 そんな言葉に惑わされた。自分で現実を調べることもせず、ただ周りの大人が言うことが正しいのだと信じて。ある意味真面目で、ある意味子供で、ある意味大人だったのだろう。

 義務教育で培われてきた大人の言うことを聞くということを守り。自分で碌に調べることもせず、周りの意見がすべて正しいのだと信じ。不可能に近い、もしくは途方もないほどの努力をしなければいけない道を避けた。


 そうしたとき、僕の中から「夢」は消えた。現実を知った。自分は主人公ではないことを痛感した。それにキレて、努力することも無かった。そして、残ったのは無だった。ただ、それは周りも同じだと勝手に思っていた。

 中学3年生のある日。高校受験のための集団面接の練習の日がやってきた。名前や出身校を答えた後、次のような質問が飛んできた。

「なぜ、本校を志望したのですか。」

 よくある質問だ。その時は、何も狼狽えてはいなかった。ただ、周りの回答を聴いているうちに無かったはずの緊張が少しずつ増してきた。

「介護士になるため。」

「獣医になり、多くの動物を救いたいから。」

「臨床工学技士になりたい。」

 詳しい理由や背景は忘れたが、嘗て自分が捨てた「夢」を持ち続け、明確な意思の元、練習に挑む彼らと何もない自分とのギャップに劣等感が芽生えた。

「高校に入って、視野を広げ、将来の夢を見つけていきたい。」

 そんなようなことを言った覚えがあるが、悔しかった。確かに、サッカー選手や医者は誰にでもなれるような職業ではない。本当になりたくて、努力した人でも、なれない又は活躍できないような職業であろう。それを「夢」にしていたため、諦めやすかったのかもしれない。けれども、それを理由に諦めなかった人が現在、その職業になっているだろうし、なれなかったとしても、その過程で得た物は何物にも代えられない財産であろう。そして、同じ練習で、「夢」を堂々と語った彼らもそうであろう。無の僕とは違う。


 そして、明確な目標がないまま高校に入学した。普通科に進学したこともあり、ここまでは良かった。ただ、次の大学受験は違う。明確に「夢」に向けて進路を決めなければならない。そのため、高校1年生の頃から、自分の進路を考える時間が設けられた。何も目指すものがない自分にとって、その時間は苦痛以上の何物でも無かった。

 その時間では、若者に様々な進路を知って欲しいためか、多種多様な職業の乗ったパンフレットが何種類も配られた。そこで、1つ気になる職業を見つけた。嘗て、自分が諦めた職業に関連するものだった。

「放射線技師」

 響きがよかった。未知なところに惹かれたのかもしれない。もしくは、あの頃諦めたのを後悔していたのかもしれない。ただ、あのとき作った諦め癖を僕は捨てきれていなかった。

 放射線技師について調べてもらえば分かるかもしれないが、これまた狭き門だ。医療に関連する職業ということもあり、それになるまでの過程はとてもじゃないが簡単なものではないであろう。

 だからだろう。努力するまでもなく諦めた。

 

 そして、また無に戻った。そうして過ごしているうちに、大学受験というのは、足音を立てずにやってくる。「夢」がない僕がとった選択肢はできる限り、高学歴と言われる大学を受験しようというものだった。

 しかし、「夢」を諦めず持ち続け努力してきた者に、明確な目標がなく努力してきたものが勝てる訳もなかった。結果としては第1志望にも落ち、本来確実に受かるであろうすべり止めにも落ちた。受かったのは、偶々受かればいいなと思っていた大学と、受ける中で一番下に見ていた大学の2つだけ。

 少しだけ神様は慈悲をくださったのかもしれない。

 そうして、偶々受かった大学に入ったが、今まで見たことのない大学ならではの研究環境などといった表面部分に感動するだけで何もしない毎日。それでも、なんとか単位は取っていた。

 しかしながら、精神的な病気にかかり、大学にすらいけない時期が生まれてしまった。ただでさえ、「夢」も目標もなかった人間が行く末はどこなのだろうか。

 無なのであろうか。それとも、底の見えぬ暗黒なのであろうか。

 何もわからない。それでも、今日を生きていく以外に他はない。

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