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「価値」

前回同様、カクヨム等に掲載していたものをかなり加筆修正したものとなっております。今回も最後のほうに文章を追加しました。全体として構成が混沌としているかと思われます。ただ、自分の内面を曝け出した文章となっているはずです。今回もよろしくお願いいたします。

 あなたは今幸せですか。今の生活の満足していますか。

 こんなことを聞かれたらあなたはどう答えますか。なんだか、宗教勧誘か怪しいビジネスの誘い、犯罪を唆すような言葉に不信感を感じるかもしれない。現実ならね。

 そのような不信感抜きに、真面目にこのような問いをつい自分に投げかけてしまっていた。あまりそういうことに詳しくもないし、安易に思うものでもないかもしれないが、少し精神が壊れてしまっているように感じる。そうでなければ、なかなか自然と考えないでしょう。ただ、他人の考えや気持ちはわからないので、案外同じことを考えている人もいるのかもしれないが。

 

 本題に戻ろう。あなたは今幸せですか。僕なら、普通より少し幸せ。そう答えるだろう。幸福度を10段階で測るなら、6か7ぐらい。だったらいいじゃないか。そう思うでしょう。でも、今の僕の幸福度がそれで済んでいるのは、今の僕の状況が特殊だから。

 最近、精神科・心療内科に通い始め、大学にも行けていない。なんならもう冬休みだから、もうすぐ関係なくなるのだが。病院に通い始めた理由を書く気にはならないので、紹介することはできないが、今は実家でプログラミング、小説執筆、そして車の運転技術を再び身に着けることに精を出している。とにかく、信頼している人や家族だけにしか会わなくていい。この状況が僕を安心させる。しかし、この状況はいつまでも続くことはできないだろう。

 大学を卒業しなければならない。就職しなければならない。お金を稼がなければならない。そんな「カウントダウン」が近づくにつれ、僕の置かれる状況は変わっていくことだろう。

 だからこそ、今の幸福度が6か7ぐらいなのに不安を覚えてしまう。精神科・心療内科に通う理由である病気が治って元の生活に戻ることを望んではいるものの、また生きづらい世の中に放り出されることに恐怖を感じる。

 昨今話題になっている性自認やハラスメント関係で生きづらいと思っているわけではない。この世の中の「価値」と自分の中の「価値」の違いに耐えられないのだから生きづらいのだと僕自身の場合は感じる。念のために書いておくが、性自認やハラスメントで困っている人々が、現在の社会に耐えられないのが悪いということを言っているわけではない。もう一度書いておくが、私自身の「価値」と世間の「価値」に隔たりがあり、それに耐えられず苦しんでいるというだけだ。変に例を挙げ、否定をして文章が分かりづらくなってしまっているのなら申し訳ない。


 では、世間一般における「価値」とは何なのだろうか。僕自身はお金のように感じる。お金を持っていることがステータス。お金を稼ぐ能力がある人が優秀だと言われる。まあ、お金がなければ自由に生きていくこともできない世界なのだから仕方のないことかもしれない。ただ、あまりにもお金を稼ぐことを人生の目標としていることが多いのかなと感じてしまう。

 金が全てではないことは分かっている。しかしながら、現代の日本でも他の国々でも、人生の多くの時間を労働に割かれている。僕的には、労働に囚われているように感じるのだが。そんな人生とは何なのだろう。僕らは何のために生きているのだろうか。

 お金を稼ぐことに意欲的な人、労働をすることが楽しいと思う人から見れば、この考えはしょうもないと感じるのだろうか。

 元々、生まれたときから貧しくて、働くしか選択肢がない人にとって見れば、羨ましい、または妬ましく感じるのであろうか。

 ただ、別にお金に対して特段、嫌悪感を持っているわけではない。お金があれば、買える物が増える。生き方に選択肢が生まれる。いいこと尽くめだ。

 しかし、それを成し遂げるには人生の大半を労働に勤しまなければならないだろう。だからこそ、今の世間一般の生き方は嫌だと子供のような考えを持つのかもしれないが、「特別」な才能を持った人間でもないので、大金を急に得ることもできず、労働に勤しむ時期をいずれ来る未来として待つしかないのだろう。


 まあ、お金を稼ぐということを強要される世界に生まれてしまったのだから、お金が一番であるという「価値」には納得はしてはいないが、そういうものだと結論付けた。

 では、何が私の「価値」と異なり、今僕が本当に苦しんでいるのは何なのか。強要される競争と他者評価である。

 現代にいたるまで、人々が競争をしていなかった時期はないだろうし、他者による評価を気にしなくていい時期があったわけではないだろうということは理解している。しかし、なぜこれほどまで文明が発展し、技術が進歩した中で、競争と他者評価を理由に、他者を傷つけ、自己の地位を確立しようとするのだろう。そんなこと、僕が考えても答えは出ないだろうに。


 長々とまとまりの無い文章に、今回は特になった気がした。客観的に自分を見てみると、ただ人と競争するのが嫌なのだろう。比較されるのを恐れているのだろう。人前で失敗をし、恥をかくのを自然と想像してしまっているのだろう。自分が周りより劣っていることを自覚しているのだから。ただ、自覚しながらも、それを認めたくないから、「価値」の違いという逃げ場を作ったり、丁度よくなってしまった病気に安堵しているのだろう。


 傍から見たらどうしようもない人間だ。そうであったとしても、今日を生きるしかない。


 

 

 この文章を書いてから数日が経った。今読んでもまとまりの無い文章だと感じるが仕方ない。それが自分の実力なのである。それを自覚しながらも、プロットなどの下準備をしないのだから質が悪い。ただ、1つ言い訳をさせていただく。これは僕が普段感じたことを感じたままに書き殴ることを1つのテーマとしている。だから、このままで行かせてもらう。

 

 今回のタイトルは「価値」。それに関して、世間が金を稼ぐこと、持っていることに執着しすぎているのではないかと言いたいのだ。ただ執着するだけなら、まだいいと思う。僕が疑問視するのは、金に執着するがあまり、本当にあなたの中の大切なことを自身で押し殺していないかということだ。

 つまり、金に目がくらみ過ぎて、金以外にあなたの中に何があるということを問いたいだけ。ただ、これに関しては、僕の場合、金もないあなたの中に何があると言い返されそうだが。

 その問いに対する答えとしては幼稚すぎるかもしれないが、お金に囚われない感性や趣味を純粋に楽しむ心など。自分でも答え方が正しくない気がする。なので、一旦ここでこの話は辞めよう。


 本文を読んで、いきなり金から、競争や他者評価の話になったと読み直したとき感じた。察してくださった方もいるかもしれないが。金儲けと競争や他者評価というのは切っても切れない関係である。だから、その話に続いていくのだが。話のつなげ方が下手だった。申し訳ない。

 ただ、ふと思い返してみると、別に競争自体嫌いではなかった。自分が得意なものや他者が行う競争などは好きだ。前者は最近勝てないことのほうが多すぎてそうではなくなっているが。後者に関しては大好物かもしれない。でなければ、前回の話でHIP HOPの話もしないだろうしね。

 自分で書くのもなんだが、ずいぶんと自分勝手な男だと再認識した。自分が負けるのや恥をかくのが嫌だから自分が参加する競争は嫌い。ただ、他者が競争しているのを安全圏から楽しむのは好き。控えめに言って、クズだろう。


 最後のほうはタイトルとは話が反れてしまった。いい加減、うまく書けと思うかもしれないが、こんな感性を持つ男だ。それに達するのにはかなりの時間を要するだろう。

 「価値」というタイトルをつけ、自分が感じる世間の「価値」を批判した文章であったが、顧みると自分の「価値観」のほうが終わっているのかもしれない。

 ただ、そんなクズなところが正真正銘の僕なのであれば、それを貫き通して生きていきたい。勝手に「特別」に自分のことを感じられるから。

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