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「近づきたいよ、僕の理想に」

 宇多田ヒカルの「Can You Keep A Secret?」という曲をご存じだろうか。2001年に発表された曲で同じく2001年に放送されたドラマ『HERO』の主題歌である。僕自身は、当時まだ生まれていないながらも、同ドラマは何度も再放送され見たことがある。そのドラマのオープニング曲も素晴らしいのだが、やはり僕の耳に残ったのは先ほど挙げた主題歌だろう。言うまでもないが、ドラマ自体はとても面白い。少し話が脱線するが、近年のドラマにあまり興味を惹かないのは僕だけだろうか。懐古厨のようで煙たがられるかもしれないが、昔のドラマの方が面白いものが多かったと思うのは僕だけではないと思っている。


 話を戻そう。「Can You Keep A Secret?」の出だしもしくはサビでも以下のフレーズが繰り返される。

 

 近づきたいよ 君の理想に

 おとなしくなれない Can you keep a secret?

 

 僕自身にとって、この曲の中で最も印象的なフレーズだ。音楽の専門家でもなく、この曲を深く考察したわけではないので、正しい意見とは断言できないが、この曲は相手を想う気持ち、つまり恋を歌っていると捉えることもできるだろう。この曲では、想う相手に近づきたい、自分が相手の理想でいたいということを歌っている。少なくともこのフレーズからは、そのような思いが伝わってくる。


 僕自身、恋に落ちたことがあまりないのでこのような気持ちになったことはあまりないのだが、そのような視点からの考察もしくは感想は他の人に任せて、今回は自分の中の理想に近づきたいという気持ちについて綴ろうと思う。


 そもそも、理想とは何か。ネットの国語辞典で理想を引いてみると次のように書いてある。人が心に描き求め続ける、それ以上望むことのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。


 うーん、この話題を調べる前に選んだため、ここまでハードルの高いものだとは思っておらず、自分の中では理想イコール目標のようにしか捉えられていなかった。


 まあ、国語辞典を作っているのは編纂者という職業の方で、日本語学を専攻するごく限られた研究者が就くことのできる職業だそうだ。現に今執筆している際に調べるまでこの職業名自体知らなかったのだが、このような人々のおかげで単語の意味が人々の間で共通理解できるようになる。しかし、日常生活の中で国語辞典を毎回使わなければその単語を使えないということはないだろう。それは、人間知らず知らずのうちにその単語を自分なりの解釈で使っているのだから。


 今回では、理想イコール目標というものと定義して話を進めていくことにする。もしかしたら、国語辞典の意味に引きずられて、自分の中で混乱するかもしれないが、その場合はご容赦いただきたい。書き終えてみたら、国語辞典の意味の方が自分の思想に近いかもしれない。それはそれで構わないだろう。

 

 ようやく本題に入るが、理想イコール目標とするにせよ、国語辞典の意味で捉えるにせよ、自分自身の理想に対してそうありたい、それに近づきたいという気持ちを抱くのが普通だろう。もしかしたら、生まれながらに才能に恵まれ、特に理想というものを持っていない人もいるのかもしれないが、僕自身は理想というものをいつの時代も持っている。それは、どの時代でも同じものもあれば、変化するものもあれば様々だろう。加えて、その理想を叶えたいという願望に強弱があるのも不思議ではないだろう。現に僕はそのような状態である。


 では、今の僕の最大の理想とは何か。それは病気を完治し、元の自分に戻ることである。病気に関してはこのエッセイを書き始めた最初の話から登場しているものであるが、幸運にも適した病院に出会い、効果のある薬も処方され、徐々にではあるが回復傾向にある。しかしながら、一度得たトラウマというのはなかなか消えないもので、これが完治するすなわち以前の僕に戻るのにはある程度の時間がかかるだろう。それは僕自身も2年間悩んできたものなので覚悟していた。また、医師からも焦らず徐々にというアドバイスを受けているので、時間がかかるのは確実なのだろう。


 ただ、社会というものはたかだか何の才能もない僕に待ってはくれない。様々なカウントダウンが迫ってくるのだ。その時間を刻む時計の音に対しての恐怖心というのは前よりかは落ち着いたが。そう思うと、この理想もかなりハードルの高いことだなと感じてしまう。それでも、前よりかは精神的に良い状態が続いているのは家族の支えや趣味の増加も関係しているのだろう。


 何かと迷惑をかけてしまう僕なのだが、いつの日か家族に恩返しできるようになりたい。それがもしかしたら次の理想なのかもしれない。そのステップに進むには、この病気の完治というのを達成しなければならないのだが。


 しかしながら、家族に対しての恩返しも病気以外にも障壁が存在する。ここでも、家族をどのように定義するかで話は変わってくるのだが、両親、祖父母というのはほとんどの人の中で家族に入るのではなかろうか。そうでない場合もあるかもしれないが、僕にとって家族というのはそのような括りだ。


 主に僕以外の障壁としては、家族の寿命もしくは彼らが病気を患うことだろう。現に、以前にこのエッセイで書いた通り、僕の祖母は僕が中学生の頃、癌で亡くなった。また、話から脱線するのだが、先日、用があって電車に乗っていた。その際に窓から祖母と昔行った観光地が見えて、その頃の思い出が蘇り、思わず涙を流しそうになった。大好きだった祖母に対して、十数年しか同じ時を歩めず、恩返しも何もできなかったというのは本当に心残りだ。


 それに加え、祖父ももう少し場所が違えば死に至る病気になった。今はもう元気に趣味に励んでいるが。そのような経験から、僕の人生はまだ長いが家族と元気に過ごせることのできる時間はかなり短くなってきているということに気づき、心が痛くなる。まあ、そう思うのもいい家族に恵まれたなと思うばかりだ。


 今の僕にとって理想とは、上記の2つくらいだろうか。別に願望は他にもあるのだが、それはどこか理想とは程遠い。それが何故かは僕には分からないが、自分の中で理想というものは崇高な目標であるという考えが根底にあるのだろう。それが正しいのかどうか分からないが。


 例えば、金や恋人が欲しい、イケメンになりたい、高身長になりたいなど。よくよく考えてみれば、これは願望であり目標では無いのだから、自分の中での理想の定義に含まれないというのは当たり前なのかもしれない。


 ちなみに、金は努力でどうにかなるかもしれないが、他の3つはそうではなく努力どうこうでどうにかなる問題ではないだろう。別にこれらが理想だとしても僕は何も思わないが。


 人によって、どのような理想を持つのかはそれぞれの自由である。ただ、理想を目標と同義とした僕の考えでは、理想を抱こうが行動しなければ、それに近づくことも無ければ場合によっては遠ざかるだろう。行動をしなければ変化は訪れないというのはどのようなことにも通じることなのかもしれないが、人間安定した生活を送っていればいるほどその状況に満足し、そこからの変化を恐れるだろう。少なくとも僕はそうだ。


 しかし、限りある人生なのだ。残念ながら。自分で崇高な目標だと思うのなら、そのために一歩前進してみてもいいのではないか。ただ、自分が進んだ方向が必ずしも前に進んでいることは確約されていない。それが人生の面白いところでもあり、辛いとこでもあるのだが、理想があるのなら進むしかないのだ。あなたがそこに近づきたいのなら。


 僕は少しずつ移動していく。それが例えランダムウォークのようだとしても。

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