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「もう会えないあなたへ」

いつもと系統の違う話ですが、どうしても書きたくなったので。

 先日、祖母の法事に行ってきた。亡くなって数年が経つと祖母のいない日常が当たり前になっているが、今回のような法事や墓参りでさらに、この世にはもういないということを無情にも知らせてくれる。葬式で流し切ったはずの大量の涙がそのような出来事の度に、再び流れそうになる。それだけ僕にとって大切な人だった。たった、十数年の間でしかないというのに。記憶があるうちでいうともっと短いのかもしれない。それでも沢山愛してくれたし、本当に大切な人だった。ただ、あまりにも亡くなるのが早すぎた。


 いつも笑顔の絶えない祖母だった。それが祖母のトレードマークだった。その笑顔でいつもいてくれたから、接してくれたから僕は救われたし、あなたのことを祖母として誇りに思っている。

 

 そんな、笑顔の裏でどれだけの痛みに耐えてきたの?あなたが病気にかかっていると僕が知ったのは入院したからだったはずだ。まだ、小学生ぐらいだったから言わなかったのかな。でも、高学年か中学に入ったばかりだったと思うのだけど。言っても分からない子だと思われていたのかな。それとも心配をかけたくなかったのかな。いずれにせよ、一言、言ってほしかったよ。それだけ、ばあちゃんに今、文句を言いたいことは。

 確かに言われても分からなかったのかもしれない。その当時、近しい人が亡くなったことは無かったから。でも、入院している時、一度だけ会えた。その時にはもう車いすで面会したのかな。いつもの笑顔で。それも無理していたのかな。僕のために。そんなこと知らずに僕は反抗期だったからか、それとも恥ずかしがり屋さんだったからか分からないが素っ気ない態度を取ってしまっていたと思う。後悔してもしきれない。それが、おばあちゃんとの最後だったのだから。最後に「またね。」と言ったのにね。

 それからも面会に行くはずだった。行くことができるはずだった。ただ、インフルエンザの流行に伴い、許される面会の人数も限られていった。だから、会いたくても会えなかった。そんな状況になるとは祖母の年齢的にもまだまだ後だと思っていた。父が言うには祖母の様子は苦しそうだったそうだ。そんな姿を見るのが辛かったと。それもあって、孫は病態が悪化してからは病室に入れなかったのかもしれない。でも、見ておきたかった。祖母の最期を。せめて、祖母と一緒に居られる時間を増やす最後の悪あがきとして。けれども、それは叶わなかった。


 次、あなたを見たときには棺の中に入っていたよ。見たことも無いほどの白い肌でね。もう表情の変わらない、目を開けないあなたを見て死というものを初めて実感したよ。本来してはいけないのかもしれないけど、あなたの頬にそっと触れたときの温度。それがドライアイスによるものなのかは分からない。けど、血が流れていないというのはこういうことなのかと感じた。この瞬間からしばらく涙が止まることは無かった。

 ばあちゃんが死んだ一報を聞いてから、泣くのがカッコ悪いと思っていたのかな。一筋の涙だけだった、その瞬間まで流れた涙は。

 ただ、その瞬間は僕にばあちゃんに二度と会えないと分からせるには十分だった。


 初めて参列する葬式。祖母の願いによってか、かなりの少人数、家族葬のような形をとった。作法については何もわからず、周りの大人のやり方を見てなんとか形式的なことは済ませることができた。だからだろうか。それとも前日に流し切ったであろうか。ほとんど涙は流れてこなかった。ただ、献花の時は嗚咽をこらえながら泣いたのを覚えているよ。

 ただ、火葬前に棺の中に花を手向けるとき、恥も外聞も捨ててわんわんと泣き叫んだよ。でも、そのときには、めったに見せない祖父や父の涙、僕同様に泣き叫ぶ従妹。それを泣きながら見ていて誇らしかった。確かに祖母の願いで参列者は少なかった。けれども、そこにいる誰もが涙するように、素敵で愛された人の孫として僕は誇らしかった。そのときに伝えきれたと思うけど、何度でも伝えるよ。ありがとう。大好きだよ。天国ではゆっくり休んでね。


 祖母のような素敵な人と十数年間でしか会うことができなかったのは、とても残念ではあるがそれを変える力は誰も持っていないだろう。だからこそ、今会うことのできる素敵な人との残された時間を大切にしようと思う。


 ただ、何度でも言いたくなるが亡くなるのが早いよ。小学生のとき卒業文集だったか、普段の会話だったか定かではないがこんなことを言った覚えがある。

「大人になってお金を稼いだら皆で旅行に行こう。僕が連れて行くから。」

 そうやって、約束したはずだ。ばあちゃんも皆も笑って喜んでくれていたよね。いつの日かその約束を実行できる日が来たとしても、その場にばあちゃんはいないんだよね。もし、天国でこの約束を覚えているのなら見ていてほしい。そして、なかなか実行できないでいたら空の上から叱咤激励してよ。確証はないけど、確かに僕の心に届くはずだから。


 でも、この約束だけじゃない。ばあちゃんに見せたかった姿は沢山あるよ。中学や高校を卒業した時、高校や大学に合格、入学した時の姿。僕の短い人生において大きなことといえばこのぐらいしかないかもしれないけれど、日常の小さなことも合わせれば、あれからいろいろなことが起こったよ。それを伝えたくても伝えられない。

 早く会いたいよ。でも、ごめんね。まだ死ぬわけにはいかないから。沢山やりたいことあるんだ。その中に金になることがどれだけあるか分からないけど。ただ、母型の祖父に母がこんなことを言われたことがあるらしい。

「趣味を持ちなさい。」

 単純だけど、趣味になりそうなことがたくさんあるんだ。僕の求める「価値」は金じゃないんだ。それを言ってばあちゃんがどう思うか知らないけど。まだまだ、人生やりたいこと、挑戦したいこと沢山あるんだよ。それで得た経験や思い出をいつの日か天国に持っていくから、それまで待っていてほしい。

 今まで以上に首を長くしなけばならないかもしれないけど。でも、待たせすぎて怒られるぐらいには生きたいんだ。その代わりに、ばあちゃんの知らないこと、たくさんの思い出持っていくから楽しみにしていてね。


 最後に。ばあちゃん、短い間だったけどありがとう。今も大好きだよ。あなたが平等に接してくれたからどれだけ救われたか。不甲斐ないサッカーの試合も見に来てくれて嬉しかったよ。もっと上手くなることができていたら、ばあちゃんももっと喜んでくれたかな。そう思ってももう遅いけど。

 次、会うときに怒られないよう、胸を張って会えるようこれからの人生も自分なりに楽しむよ。だから待っていてね。

 死ぬ時まで、死んでからもばあちゃんのことは忘れない。僕の心の中にはばあちゃんとの思い出が大切にしまわれているから。それを宝に、今日もこれからも生きるよ。

 

いつも私の拙い文章を読んでくださる読者の皆様へ。こんな若造が言うことではないことかもしれませんが大切な人と会える時間を大事にしてください。会えなくなってから後悔するのでは遅いのですから。

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