「我慢と発散と暴発」
人はふとしたことでストレスを感じる。それが何によるものなのか。どれぐらいの強度のものなのか。それは人によるだろう。
感じたストレスの行方は。心の奥にしまわれるのか。勝手に蒸発していくのか。その場で爆発していくのか。これも人によるだろう。
あなたのストレスの感じ方のタイプはどれですか。
あなたは、ストレスとどう向き合っていますか。
例えば、どんなことで感じるだろう。
明日、早起きしなければいけないと決まった時。寝坊してはいけないときに限って寝坊した時。朝食用の食パンのストックが無くなった時。歯磨きをしようと思ったら、歯磨き粉が上手く出てこない時。そうかと思えば、急に必要以上の歯磨き粉が出てしまった時。急いでいるのに、靴が上手くはけない時。鍵が刺さらない、抜けない時。
朝だけで、こんなに挙げられる。人によっては、これよりも多く思いつく人もいれば、そうでない人もいるだろう。実際、僕も同様の状況で確実にストレスを感じているかどうかは分からない。人間がストレスを明確に感じるときは、もっと印象的な出来事だろうから。
ただ、人が感じるか感じないか分からないにしろ、ストレスというのは日常のいたるところに転がっている。それをうまく避けて通れる人もいれば、毎回躓く人もいるのだ。もしかしたら、この二極化ではないかもしれないが。僕の場合は後者だ。
人がどう思うかはさておき。自分が思うにしても些細なことでストレスを感じる。ただ、それをうまく解消していたつもりでいた。しかし、どうやらそうでもないみたいだ。
人が感じたストレスが実際どこにしまわれるのかは分からない。ただ、しまわれる先があるのだろう。それを箱のように捉えておこう。ここでは。
ただ、僕はこの箱の容量を知ることができない。スマホのストレージ容量を確認するのと同じように確認することができれば楽なのに。けれども、少なくとも僕はそうではない。
スマホは容量が満タンに近づくと警告を鳴らしてくれる。そして、消すことのできる不必要なものをリストアップしてくれる。
けれども人体は親切ではないようだ。そもそも容量を知らない。そのため、満タンになるのがいつなのかもわからない。不必要なものがどれかを確認することもできない。そして、完全に抹消することは不可能だ。
なんとも、不便だな。それゆえに、時に魅力も感じるのだが。ここでは、そんな悠長な考えではいられない。
些細なものでも、箱の容量を食う。約20年生きてきたが、僕の容量はどうなっているのだろうか。塵だけでも、いっぱいになってそうではいるが。ちゃんと、「発散」してこれたのだろうか。それとも、知らない内に、漏れ出ていたのだろうか。
少なくとも、「暴発」した覚えはない。怒りに任せて、狂いまくった覚えはないから。
今思うと、「我慢」することは得意だった。関係ない話かもしれないが赤ん坊のころから痛みに強いと言われていた。予防接種などでも泣き叫ぶことはなかったらしい。とにかく痛みに強かったらしい。物理的な痛みには。精神的な痛みには昔から感じやすく、耐えられなかった。
けれども、「仮面」を作ることで、他人が見ていれば分からないように「我慢」できていたはずだ。
そんな、得意分野でもあった「我慢」とは反対に、「発散」することはお下手だった。
何をやっても中途半端。そんな僕が勿論、表彰台に乗ったことなどない。どんな分野においても。ただ、ドベでもない。それならと思うかもしれないが、一丁前に人と比較する。声には出さずとも、心の中で。
だから、ストレス「発散」の思いつく限りの方法を試しても、どこかで他人と比べ始めた。そうしたら、供給量のほうが多くなって、「発散」の意味がなくなったよ。ほら、お下手でしょ。
そうやって、うまくストレスと付き合ってきたと自分を洗脳させながら生きてきた。ただ、ここ2年、自分を苦しめる症状に「我慢」ができなくなってきた。この症状は勘違いしないでいただきたいのだが、ストレスそのものを指すものではない。その症状自体は身体的な原因ではないと医者に言われた。治らない日々。「我慢」する力は弱まっていった。
そして、今回「暴発」という形で、学校にも行けなくなってしまった。今回の症状が「暴発」の決まり手で間違いないと思っている。けれども、その過程には様々なものがあったことだろう。ただ、引き金がその症状になっただけ。いつか来る運命だったのだろう。
まだ、僕は学生だ。もう少しすれば基本的には社会に放り出される。
そこのストレス社会で生きていけるだろうか。不安で仕方ない。今悩んでもしょうがないのだろうが。
母も、就職して何カ月が経過した時、精神的な理由で会社を辞めたらしい。たぶん、そんな理由だったはずだ。そこから、精神科・心療内科に通い、薬を服用する日々。本当につらかった日々は僕が生まれる以前の話であるから、それは分からないが。
父も数年前に休職した。身体に問題があったわけではないから、精神的な理由だったはずだ。その後、会社自体が倒産したこともあり、転職した。その後はうまくやっているはずだが、心の内は知らない。
驚いたのが、祖父も精神的な理由で休職した期間があったらしい。僕の前ではいつも笑顔なじいちゃんが苦しんだことを最近知ったわけだから、想像にもしていなかった。
こういうのが、遺伝的なものも関係するのかは僕にはわからない。けれども、気を付けなければならないが、そうしたところでどうにもならないので質が悪い。ただ、理解ある大人が身近にいるということだけは僕を安心させる。
これから、どうなるのかなんて誰にも分からない。ただ、自分の心が幸せな状態で生き続けることができればいい。そう思って生きていく。他人の「価値」がお金であろうが、何だろうが。僕の幸せを確保し、それを守るために戦う。
そう心の中で決意しながら、今日も生きていく。
全く本文と関係の無い話なのだが、先日また精神科・心療内科に行った。既に薬を1錠毎日服用していたのだが、さらに新しい錠剤を頂いた。
さらに、先日目の調子が悪くなり眼科に行くと、いろいろ言われ目薬を2つ頂いた。
これで、錠剤と目薬を分けて考えなければ毎日4つの薬を服用することになった。
これ以上増えないようにしたいのだが、そう思っていても体はどう感じているのかは分からない。とにかく、早く心も体も健康的なあの頃に戻りたい。
まあ、そういう愚痴でした。
またまた、これも本文と関係の無い話ですが、サカナクションの「怪獣」という曲が本日配信開始されましたね。某動画サイトに4ヶ月ぐらい前に上がっていたアニメのノンクレジットオープニング映像というもので見てから、フルが楽しみで楽しみで。今日は、この曲を聴きながら頑張りたいと思います。皆さんも良い一日を。