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「僕らが生きた競争社会」

 幼稚園。周りの子供と喧嘩せずに、遊べたら褒められた時代。

 泥だらけになりながら。転びながら。大人に注意されながら。笑顔で無我夢中に走り回る。

 そうかと思えば、部屋へ入りおままごと。毎日変わる家族構成。それでも、純粋に理想の家族を子供ながらに演じ切る。

 そして、好き嫌いを言いながら食事をする。

 他愛もないことで、根拠もなく、泣け叫びながら喧嘩する。ただ、謎の大人の力によってそれは沈静化。次の日にはなかったことに。

 まだ、僕らがありのままを楽しめた頃。


 小学校。幼稚園からの同じ友達。違うところから来た見たことも無い奴。訳も分からず何もできない。そうかと思えば、急に話しかけてくる奴もいる。そして強まった大人の抑制力。

 始まりは、幼稚園の延長線上。急に始まるレクリエーションと勉強。

 知らない内に、仲良くすることが強制された。誰かも知らないのに。本当は好きでもないのに。一緒になって遊ばないと。手を繋がないと。しゃべらないと。大人の顔が豹変する。恐怖が僕らを支配する。

 あの頃と同じように走り回る。こける。泥がつく。叱られる。ただ、大人の見る目が変わった気がした。子供だから仕方ないという目だった。それがいつの間にか白い目を向けられていた。

 ただ、レクリエーションという名の遊びはあった。あの頃と同じ遊び。でも、元気いっぱい無我夢中で遊ぶだけでは許されない。仲間という仮初の友達を作ることが強制された。自由で元気よく思うがままに遊ぶことはできなかった。それでも楽しかった。ただ、どこか僕らは縛られ始めていた。

 勉強。やりたくもないのに、椅子に座らせられ、机に教材を準備させられる。そして、黒板に向かい、授業を受けることを強制された。面白い時間もあった。ただ、退屈な時間のほうが多かった。

 ただ、年齢が上がっただけで、幼稚園から小学校に変わっただけで。自由が消えていった。そして、大人が作ったルールに従うことを強制させられた。最初は反抗した。ただ、優しかった先生が怖い顔になるのが嫌だった。元々怖い先生が、叱る目的で近づいてくることが怖かった。

 そうして、気づかない内にそのルールが当たり前になった。守らなくてはならないもの。自分たちでは作っていないのに。それを守らなければいけない。守らない奴を見るとムカつく。だから、注意する。もしくは先生にチクる。そうやって、いつの間にか大人だけでなく自分たちも、自分たちに対する監視者となっていた。

 これで、どう仲良くなれというのか。

 僕らが、他人を気にし始めた頃。もう、純粋ではなくなった。


 中学校。集まる人数も増え、異なる小学校で個々にあった文化が統合された。ただ、この頃の僕たちは小学校で友達作りという方法を叩き込まれたため、多少の問題は起ころうがスムーズに過ごせた。

 相変わらず勉強はあった。あの頃よりも内容は高度になり、好き嫌いが顕著になり始めた。単元テストが中間テスト、期末テストと呼ばれるものに変更された。あの頃、培われた他人を監視する能力は、ここでは、他人のテストの結果を知るためのものとなった。点数に縛られる生活が始まった。

 友人同士ではいじり合い、嫌いな奴は裏で馬鹿にして。でも時には負けて。悪態をついて。あの運動のできるやつだけが評価される頃から、今では新しい評価項目が加わったと変化を実感した。

 それに追い打ちをかける高校受験。学歴で優劣を決めるしょうもない人種はここから生まれ始めた。ただ、仕方のないことなのかもしれない。人より自分が勝っているという優越感に浸れるのは何物にも代え難い。それは、今まで勝者であった人であったならわかるだろう。何なら、今まで敗者。ヒエラルキーのどん底にいた人間が、上を破るという興奮は今まで感じたことはないことのはず。

 そうして、人々は競争社会へと足を踏み入れた。人を蹴落とし、優劣を決めることも含めて。

 僕らが、完全に純粋ではなくなったころ。もう、あの頃の遊び心は奥のほうに丁寧にしまわれた。


 高校。受験という競争を経て出会ったクラスメイト。競争社会に足を踏み入れた僕らは最初から敵対する可能性もあった。しかし、初めての受験から解放された喜びからか、つかの間の平和がやってきた。

 今まで以上に、顔も名前も性格も知らない奴ばかり。ただ、友達、いや仲間づくりはお手の物。数日経てば、巨大グループも出来上がった。平和の裏には、着々と戦争の準備をしている競争好き、いや人を蹴落とし見下すのが大好物な奴がいた。そいつらは用意周到に仲間集めをするものだから、気づいたときにはヒエラルキーと対立構造ができていた。皮肉ながらも、あの頃培われた他者を監視する能力はここでも活かされた。

 ただ、冷戦のような学校情勢も変化していく。大学受験が近づいてくるからだ。学歴という1つの指標で人を判断するような世界となっていた場所にとって、それは大きな戦争がやってくることを予期させる。

 始まる受験対策の授業。そして、受験に合わせた試験方式。否が応でも他人と自分を比較しなければならない。1つの物差ししか、もう持っていない憐れな子供たちにとって、大学受験とはこれからの人生を全て決めると言っても過言ではなかった。

 本番に至るまで、繰り返される受験形式の試験。配られる結果。それに一喜一憂する憐れな僕ら。自分の点数が分かったら、目の色を変えて他人の点数を確認しだす。自分の地位がどれほどものなのか確認するために。

 さすがに、学力だけではヒエラルキーは決まらない。けれども、それが大半を占めるのも事実。

 自分自身を律し鍛え試験に臨む。そこで勝ち上がり続けるもの。負けるもの。それでも這い上がるもの。諦めるもの。そんな有象無象を見下しながら余裕な顔で、目標をつかみ取るもの。そこには様々な人間がいて、今まで生きてきた短い人生の中であったとしても、そこでの経験は彼らの中で1つのドラマのように残るだろう。それが名作か凡作、駄作なのかは人によるだろうが。

 僕らの将来が大まかながら決定された頃。


 大学生。人生の勝ち負けがほぼつき、それに応じて感じることもあったはず。ただ、結果として大学生という地位を得た者は安堵した。あの残酷な戦争を味わなくて済むのだから。

 そこで、また、つかの間の平和を楽しむ。ただ、酒とたばことパチンコもついてくるかもしれない。あらゆる娯楽が今まで以上に手に入る。

 あのとき、人生が決定したと結論付けた者は気づいていない。泥沼から這い上がってくることの存在を。見ていない大陸からやってくる存在を。様々な物差しを持ち、自己を貫く存在を。

 僕らの未来は何も決まっていない。僕らの描くドラマはまだ序章に過ぎないことを自覚できていない。


 本当の戦いはこれからだ。何を信念に生きるのか。天寿を全うするそのときまで、自身の中にある核を守ることはできるのか。これは天ですら分からないだろう。そんな今を今日も生きる。

気づいたときにはいた競争社会という舞台。そこから僕らは抜け出すこともできない。戦い続けることしか道はないのでしょうか。

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