憂える貴族子息達
ジレ子爵家の嫡子エルヴェは非常に困惑していた。
学園への編入初日にして有力貴族の子息達に目をつけられてしまったのか、寮へと戻る途中に体格の良い上級生達に囲まれて、あれよあれよという間に見知らぬ部屋に押し込まれてしまったからだ。
たくさんの本が詰まった本棚に囲まれた埃っぽい部屋は、生徒が利用する図書館とはまた趣きが異なる。準備室とでもいうような雰囲気だ。
まさかストレス発散に田舎貴族の子息に対し殴る蹴るの暴行を、と恐れ慄くエルヴェであったが、部屋の奥から他の生徒達が出てくると、その穏やかな物腰に、おやこれはどうやら何か様子が違うようだぞと多少の余裕が生まれた。
「やぁ。君が編入生だな。えぇとジレ家の……名前はなんだったか」
「エルヴェです。エルヴェ・ジレ。ジレ子爵家の長男です」
「あぁ、そうだった」
朗らかな笑顔で握手を求めてきた相手は、ネクタイの色が臙脂色であった事から最上級生だと知れる。
この学園は四年制で、一年が青、二年が緑、三年が黄色、四年生が臙脂色のタイをつける。
エルヴェは一年への編入であったから当然青いタイをつけている。
同じ部屋の中には色んな学年の学生がいるようだったが、一年生はエルヴェだけだった。
相変わらずの居心地の悪さに身を縮めながら、エルヴェは目の前の最上級生へと視線を向けた。
端正な顔立ちと、一見して鍛えているとわかる体躯、そして見事な金髪。堂々とした態度は最上級生だからという理由だけではないだろう。
エルヴェの窺う視線に気付いたのか、その最上級生はこれは失礼と肩を竦めてから優雅な所作で名乗った。
「私はフレデリク。四年生だ。えぇと、フルネームはとても長いので省略するが、フレデリク・ラ・フォルジュといえば通じるだろうか」
「えっ!」
その名を知らない訳がない。
だってそれはこの国の王族を示す名であり、この国の貴族であればその名を知らないなどと言えば即刻不敬罪を問われかねない。
しかしエルヴェは悲しいかな、まだ社交界にも出た事がない。
王族への接し方もさらりと教本で流し読みする程度であった。むしろそれを学ぶ為の学園である。知らなくても無理はない。
しかし何か態度に粗相があれば首を刎ねられるかもしれないと、エルヴェは一瞬にして石のようにガチガチにかたまってしまった。
部屋の中の生徒達の様子を見るに、自分をここに呼んだのは目の前にいるフレデリクだろう。
けれど、どうして大した影響力もない田舎貴族の自分などを呼ぶ必要があったのか。
わからない。わからなさすぎる。
しかしその答えはすぐにフレデリクよりもたらされた。
「良いかい、エルヴェ。私は忠告する為に君をここへ招いたんだ」
招く? 拉致の間違いじゃないですか。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、エルヴェは視線で先を促した。
するとフレデリクはエルヴェを手招いて窓の方へと向かった。
まるで昼下がりに遊歩道を散歩するかのような足取りである。
エルヴェはすっかりフレデリクの纒う穏やかな雰囲気に流されて警戒を解いていた。
「さて、君は婚約はしていたかな」
「いいえ、まだです。しかしそれが何か?」
「婚約していてもしていなくても、非常に重要な事をこれから君に伝える」
「はぁ……」
レースカーテンの引かれた窓を背に、フレデリクはおもむろに口を開いた。
「君は──婚約破棄ビジネスというものを知っているか」
「何ですって?」
気を抜いたところに投げ掛けられた言葉にエルヴェはギョッとしてフレデリクを見遣る。
だが、フレデリクは念を押すようにゆっくりと同じ内容を繰り返しただけだった。
「婚約破棄ビジネスだよ。今流行りの」
都会ではすごいものが流行ってるんだな。
編入初日にしてエルヴェは、ホームシックだとか都会に感じるストレスだとか、そんな生易しいものではなく、生物が生まれ持つ直感的な危機感からものすごく実家に帰りたくなったが、とにかく内容を聞かないことには始まらない。
ごくりと唾を飲み込み、ものすごく真剣な顔で問い掛ける。
「それで、その『婚約破棄ビジネス』とは一体どのようなものなのでしょうか」
「お前そんな事も知らねェの。さっすが田舎者だな」
しかしその問いに答えたのはフレデリクではなく、側に控えていた別の先輩だった。
しかもその先輩は有無を言わさずエルヴェをここに連れてきたうちの一人だ。
横柄な態度を通り越してガラが悪い。無駄に身体も声もデカくてチンピラみたいだ。
エルヴェは何となくこいつあんまり好きじゃないなと思いつつもひたすらしおらしくしていた。田舎者であるのは事実であるので。
「やめないか、ブルーノ。だからこそ此処へ呼んだのだ」
「へぇへぇ。俺はいっそアレに巻き込まれた方が、こいつの人生経験になりそうな気もするけどなァ」
うん。やっぱりこいつ好きじゃないな。ていうか嫌いなタイプの人間だと思う。
エルヴェは胸中で相手に対する好感度を下方修正し、とりあえず信頼できそうなフレデリクの説明を待った。
フレデリクはやれやれと溜め息を吐いた後、話の腰を折ってすまなかったと謝り、改めて説明を始めた。
「今現在、この国では石を投げれば貴族令嬢に当たるような……、いや勿論ご婦人に対してそのような暴力的行為などする事はないが、とりあえずこの国は今『大令嬢時代』とでも言えるような局面を迎えている」
「大令嬢時代」
「簡単に言えば、貴族令嬢の持つ力が急速に高まっている。我々男など見目良いハンドバッグ扱いだ」
「ハンドバッグ?」
「腕に掴まってるだけのアクセサリーって意味だよ、田舎者」
「ブルーノ、黙っていろ」
ブルーノという先輩の態度も言い草も何もかも気に入らないが、とりあえず貴族子息の立ち位置が微妙らしいというのはエルヴェにもよくわかった。
実家でも父は家長としてよく務めていたが、結局のところ母には頭が上がらなかったし、女性というのは美しく嫋やかに見えてめちゃくちゃ強いのだという事は知っている。
ちなみにジレ子爵家の嫡子であるエルヴェだが、いわゆる末っ子長男というやつであり、彼には四人の姉がいる。
四人も姉を持つと、貴族女性というものがただ着飾ってお茶会をするだけの存在ではないというのは身に染みていたが、都会では何やらもっとすごい事になっているらしい。
少し聞いただけでも令嬢同士の勢力争いは群雄割拠の様相を呈していた。怖いどころの話では無い。
「そういう時代だからか、昨今流行しているのが『婚約破棄ビジネス』だ。パターンは幾つかあるが、結ばれた婚約に対して貴族令嬢側が己に瑕疵なく婚約破棄に持っていく、というものだな」
フレデリクの言葉にエルヴェは再びギョッとして思わず叫んだ。
「えっ!? でも、婚約ですよ!? 何したら破棄なんて出来るんですか」
驚いた様子のエルヴェに、フレデリクはどこか遠い目をして頷く。
「……そう。普通はそうなんだ。貴族における婚約は家長同士が決める家と家の契約だからな。だが、相手側に問題があればそれも可能になる」
「問題」
「例えば、相手の不義とかな」
フレデリクのその言葉にエルヴェはきょとんと目を瞬かせた。
婚約状態なのに不義とは。
首を傾げるエルヴェに、フレデリクは淡々と続けた。
「この頃では賢く教養があり、貴族女性であるにもかかわらず自ら商売を行う貴族令嬢が増えていてな。そんな彼女達だが、家の決定には従わなければならない」
「あぁ、婚約は自分の意思では出来ないですもんね」
「そうだ。しかしその婚約をどうしても取りやめたいと令嬢が思った時に取る手段が……」
「婚約破棄ビジネス?」
「そうだ」
曰く、相手が気に入らないとか他に好いた相手がいるだとか、単純にまだ結婚など考えたくないとか、令嬢によって理由は様々らしいが、とにかく婚約を破棄したいと思った時、自分から言い出しては莫大な違約金も掛かるし外聞も酷く悪くなる。
そこで相手側に問題があるとして『正当に』婚約破棄を突き付ける為のあれこれが必要になってくる。
よくあるパターンだと、手始めに婚約相手の貴族令息に可憐な、けれど平民であったり身分の低い令嬢だったりが近付き、あっという間に心理的にも物理的にも距離を詰めて骨抜きにする。
人目につくような場所で周りに親密な様子を見せつけ、婚約者との時間をゴリゴリと削り取っていくのだ。
何ならそのポッと出の令嬢、つまり仕掛人は涙ながらに本当の婚約者に申し訳ないとか、あるいはその婚約者にひどく虐められているのだと涙ながらに訴える。
同時進行で依頼人である令嬢は、それとなく婚約者と距離を置く。
そして貴族令息が独り善がりな義憤に駆られ(もしくは可憐な恋人への見栄から)最近つれない様子の婚約者を糾弾する。
勢い余ってその場で婚約破棄を言い渡すかもしれない。そうなったら相手の思う壺だ。
それまで健気に自分に寄り添ってくれたはずの、野に咲く花のような可憐な恋人は、鮮やかなまでにくるんと掌を返して斜め上など見ながら「そんなつもりはなかったんですぅ」とか何とか言いながら適当なところで姿を消す。
(ちなみにこの恋人役は報酬を貰って田舎に引っ込んだり海外へ移住したりするらしい)
後に残ったのは婚約者を蔑ろにした挙句、いい加減な理由で一方的に婚約破棄を突きつけたという醜聞を抱えた己のみ。
たかがそれだけと思うかもしれないが、家名に誇りを持っている貴族であればこれはかなり有効な手だ。信仰心に篤い家なら即アウト案件である。
この一件で依頼人は晴れて『正当な』理由をもって婚約破棄に漕ぎ着け、相手側から賠償金などもがっぽり頂き新しい人生を踏み出すのである。
頭金こそ必要だが、賠償金が入れば仕掛け人への支払いはそこからすれば良いので自分の懐も然程痛まない。
気に入らない婚約は相手の有責で破棄され、自分の経歴には一切の傷を付けず、賠償金まで頂戴する。
それこそ婚約破棄ビジネスである。
「な、なんておそろしい……!」
結婚詐欺と美人局を足して更に改悪したような話だ。
話を聞いたエルヴェは嵐の夜の子羊のように震えていた。
しかしフレデリクの話はそれでは終わらなかった。
「しかも怖いのが、自分の婚約を破棄したい時だけでなく、他者の気に入らない婚約を破棄させようとした時にもこの手法が使われるんだ……」
「ふえぇ……」
もう何でも有りである。
都会とはなんて恐ろしいところなのだろう。
田舎の大自然がかかえる食物連鎖なんて可愛いものだ。都会には魔物が巣食っているに違いない。
こんな権謀術数渦巻く場所などさっさと逃げ出して、のどかで自然溢れる生まれ育った領地に帰りたい。
涙目になったエルヴェの肩を優しく叩いてフレデリクは微笑んだ。
「良いかい、エルヴェ。これから君に近寄って来る令嬢が居たら、相手がどんなに聖女のような清らかな笑みを浮かべていてもまずは疑うんだ。そして身元を調べなさい。婚約破棄ビジネスなど自分に関係ない話とたかを括っていた結果、とばっちりを受けて散々な目に遭う事なんて此処では珍しくもないのだからな」
フレデリクの穏やかな表情と話の内容が全く一致していないのが一番恐ろしく、エルヴェは今夜は悪夢を見そうだと思った。
顔を青くするエルヴェに、揶揄う声音でブルーノが言う。
「おいおい、大丈夫かよ。顔色が悪いぜ? ママが恋しくなったかァ?」
「お前、先程からしつこいぞ。どうしたと言うんだ」
フレデリクが諌めるとブルーノはくいと顎先でドアを示した後、何やら両手で色々なサインを出した。
エルヴェにはちっとも理解が出来なかったが、フレデリクにはそれで伝わったらしい。
こくりと頷いたフレデリクが、奥に控えていた別の生徒達に視線を向けるや否や、甘いマスクの金髪美青年(三年生)が応じるように頷いて部屋を出て行った。
「あれぇ、こんな所で何してるの? ここで会ったのも運命だし一緒にお茶しようよ」
「え、あの、私は……」
「良いから良いから。それとも、何か此処にいなくちゃいけない理由でもあるのかな」
「いいえ! 私はたまたま通りかかっただけですから!」
ドアの隙間から聞こえてきた、先程部屋を出た先輩とそこにいたらしい女生徒との会話にエルヴェはゾッとした。
多分、あの女生徒はこの部屋の様子を窺っていた。
だからフレデリクは話をする時にまず窓際に向かったのだ。
この部屋は二階でバルコニーもない。だとすれば本棚が多いこの部屋を選んでいるのは、少しでも防音効果を上げる為か。
(どうしてそこまで……)
恐ろしくなって辺りを見回すと、先程まで揶揄うように嫌味に笑っていたブルーノがひどく真面目な顔をしてエルヴェに言った。
「いいか。お前が休日に街に出て何気なく街角で一杯のカフェ・オ・レを飲んだとする。その情報は半日も立たない内に令嬢方に共有されると思え」
「街角でカフェ・オ・レ一杯飲んだだけで?!」
「彼女達の情報網は俺達の想像を超える。学園内で誰か令嬢に言い寄られて困ったら、一人で悩まずにすぐ俺達のところに来い」
あれだけ演技したら、俺達のところに来ても呼び出されたようにしか見えないだろうとブルーノが言うので、なるほど先程までの言動は演技だったのかとエルヴェは思ったが、いやもっと他にもやりようあっただろと同時に思ってしまったのでエルヴェの中でブルーノの好感度は結局下方修正されたままだった。
「令嬢達は婚約者のいない貴族家嫡男をキープしようと躍起になるだろう。今日は互いに牽制し合うはずだから、君に忠告出来るタイミングは今日しかなかったのだ」
「そうだったんですね……」
「少し前までは街中で『俺だよ俺俺』と古い友人を騙っての寸借詐欺が横行していたが、最近は手を替え品を替え実にバラエティー豊かな婚約破棄ビジネスが貴族界に横行しており、王陛下も頭を悩ませている」
ほうと悩ましげに溜め息を吐くフレデリクに、エルヴェは心の底から「それはそう」と思ったが、何となく不敬だったので口には出さなかった。
「えぇと、お言葉肝に銘じます」
こんな田舎貴族にまでわざわざ忠告してくれるくらいなのだから、エルヴェの想像以上に事態は深刻なのだろう。
貴族の結婚は色んな貴族家のパワーバランスも関わってくるし、何なら血統も重要なので事前に承認が必要なこともある。この国では婚約時点で貴族院への届出が必須である。
だというのに、あっちでも婚約破棄。こっちでも婚約破棄。婚約破棄したかと思えば、貴族令息は人生詰んだのに対し、令嬢の方は既に新しい人生の伴侶を見つけて婚約準備を進めていたりする。
そんなにころころ婚約したり破棄したり廃嫡されたりしたら、貴族間の姻戚関係を管理する役人はさぞかし胃が痛むことだろう。
考えるだけで気弱なエルヴェもしくりと胃が痛むのを感じた。
「ただ、まぁ、令嬢方からすれば、今の婚約の流れそのものが、日々目覚ましい進化を遂げている女性社会の実情に伴っていないからこその強硬手段という事もあるのだろう」
フレデリクの言葉に、エルヴェはなるほどなぁと思う。
従来貴族が行ってきた商人や芸術家に金銭の支援をするようなパトロン活動ではなく、自らが商売をする令嬢もいるというくらいだ。
(商売は平民の特権だけれど、確かに法律で定められている訳ではないから、他の貴族に平民のように商売をするなんてはしたないと思われても気にしないのなら、商売で自己資産増やすのもありなんだろうなぁ)
金がなければ生きていけないのが世の中だ。
資産があれば例え一人で暮らすとなってもやっていける。
そしてそんな令嬢が婚約相手、つまりは人生を共にする相手に求める条件は日々高まっていくのだろう。
「大変だなぁ」
思わずそう漏らしたエルヴェにフレデリクが笑う。
「まるで他人事のように言うが、すぐに君もその大変さを体験するぞ」
「えぇ、そんな……。僕みたいな田舎貴族にちょっかい掛けるようなご婦人なんていませんよ」
「ジレ子爵令息は実に謙虚だな」
「ところで、一つお尋ねしても?」
「どうした?」
色々と話を聞かせて貰い、明日からの生活も気を抜かずにいこうと覚悟を決めつつエルヴェはフレデリクに問うた。
「どうして僕のような田舎者に、直々にご忠告を……?」
その問いにフレデリクは小さく苦笑して答えた。
「確かに君の暮らしていた領地は王都から離れていたかもしれない。けれど、君の領は先々代の王が直接ジレ家に与えたものだろう。そういう貴族は多くはない。私が今後立太子したら、そういう土地にも目を向けた色々な政策を打ち出して行きたいと思っているんだ」
王都に権力が集まり過ぎた現状は、いざという時にリスクが高いとフレデリクは語った。
「国を守り更なる発展を遂げる為、君達にも手を貸してほしい。だから婚約破棄ビジネスなどというくだらないトラブルに巻き込まれてほしくはないし、可愛い後輩がこれ以上犠牲になるのも見たくはない。これで答えになっただろうか?」
「充分です」
こっくりとエルヴェが頷くと、フレデリクは満足そうに笑って部屋の中にいる他の生徒達を紹介してくれた。
此処に集ったのはまだ婚約者のいない貴族の子息達であり、フレデリクを中心に婚約破棄ビジネスに巻き込まれないよう互いに情報交換などして助け合っているのだという。
謂わば貴族子息による秘密倶楽部のようなものだ。
エルヴェはまだ爵位は継いでいないとはいえ、貴族家の男子同士というのは権力争いでギスギスのドロドロな敵対関係かと思っていたのでこうして助け合う関係が構築されている事にひどく驚き、それを素直に口にして小説の読み過ぎだと笑われたりした。
ここには来ていないが婚約者のいる仲間も在籍しており、付けいる隙を与えないよう注意しているようだ。
フレデリク曰く、今の状況では婚約など本当に結婚するまでどうなるかわからないらしい。
それって本当に由々しき事態だろうなと、エルヴェはフレデリクや此処に集う彼らの胸中を慮って少し泣いた。
──それから数年後。
エルヴェは臙脂色のタイをきっちりと締め、本棚ばかりの埃っぽい部屋のレースカーテンを引いた窓から外を見ていた。
ここに来るまで本当に色んな事があった。
自分が婚約破棄ビジネスに巻き込まれそうになった事もあったし、巻き込まれそうになっている先輩やら同級生やら後輩やらを探し出し、時に正気に戻れと頬を叩き、婚約者がいるのもかかわらず別の女性と親密にしている者あらば、さりげなさを装って邪魔をしてかかった事もあった。
何かと禍根が残りやすい婚約破棄ビジネスの気配には人一倍敏感になり、学友らがそんなものに手を出すくらいならと王族であるフレデリクの助力のもと、何とか円満に婚約破棄する為の手段を模索したりもした。
あまりに婚約破棄ビジネスが横行し過ぎていて焼け石に水状態だったが、それでも少しはマシな結末を迎えられた貴族子息もいただろう。
婚約破棄ビジネスというものは、全くもって碌なものではない。
ちなみにフレデリクは卒業後正式に立太子し、現在では王太子として政務に励んでいるが、全盛期は過ぎたものの世の中ではいまだに婚約破棄ビジネスによるトラブルと貴族子息の被害が続いている事に頭を悩ませている。
(フレデリク先輩が女性の権利や地位向上の為にあれこれと頑張っているけど、議会の頭の固い老人のせいでなかなか思うようには進まないって愚痴ってたもんなぁ。だから婚約についてのトラブルはすぐにはなくならない。でもそれをビジネスにする奴らはちょっと痛い目見るべきだよなぁ)
毎日忙しそうなフレデリクを思い、エルヴェは小さく溜め息を吐いた。
その辺は実は脳筋ではなく頭脳派であったブルーノが卒業後に法務関係の職に就いたので、そちらで頑張って制度を整えてもらうのが良いだろう。
彼らの卒業式の日、ブルーノから直々に令嬢達が寄って来ないようにわざとあんな振る舞いをしていたのだと知らされた時は流石に驚いたが、いかに効果的でも自分には真似出来そうにない。
今もフレデリク達との友誼はあれど、気弱なエルヴェは田舎の子爵家の嫡男という、ただそれだけの存在でしかないからだ。
だからエルヴェが出来る事と言えば、ただ一つだけだった。
「先輩、連れて来ました」
「ありがとう」
男子生徒に連れられてやって来た不安そうな顔をした数名の新入生へと振り返り、エルヴェは緊張をほぐしてやる為に優しく微笑む。
その笑みを見て敵ではないと感じたのか、連れられて来た生徒の一人がおずおずと口を開いた。
「あ、あの、僕達何かしてしまいましたか」
その問い掛けに困ったように笑い、そうじゃないよと安心させてやりながら、エルヴェは新入生らを見回して言った。
「僕は四年生のエルヴェ・ジレ。今日は君達に忠告する為にここへ招いたんだ」
「忠告?」
「そう。──君達、婚約破棄ビジネスというものを知ってるかな?」
そう言って、新入生らの視線を一身に浴びたエルヴェはにっこりと笑う。
早くこんな事をしなくても良い日々が来ますようにと、心の底から祈りながら。