あまり「嫌い」にこだわりたくないと思う話
※以下の文章に特定の人物や出来事を攻撃する意図は全くありません。
誰しも好きなジャンルや要素があれば、嫌いなジャンルや要素もあるものだと思います。
もちろん自分にもあって、まず一つが「NTR作品」。これは本当に苦手です。
自分は作品に入り込むタイプの読み方をしがちなのですが、それ故にNTR要素による辛さや切なさといった感情にダイレクトに入り込んでしまうんですよね。これが個人的に本当に辛くて辛くて。
というかNTR作品の醍醐味がまさにそこにあって、(それを切っ掛けとしてのざまぁが主目的な場合もあるけど)それを楽しむジャンルというのは分かります。
そしてNTRに至る経緯や心情描写が詳細なら詳細なほどNTR作品として面白いという原理(?)自体は分かるのですが……自分はそれを楽しめないんですよねえ。
もう一つは「鬱作品」。これはNTR程では無いですが苦手なことが多いですね。
自分は物語における「後味の良さ」という点を結構重視していまして。
「物語の展開上辛い展開」とか「乗り越えなければならない試練」のような形で一時的に辛い目に遭うならまだしも、「鬱展開」や「それによって登場人物が苦しむ姿」それ自体を目的にした作品は苦手なんですよね。
作品要素において自分がパッと思いつく「嫌い」はこの二点でしょうか。
要素として苦手なのは確かですが、こういう風に「どうして自分が苦手なのか」を考えるのは割と楽しかったりしますね。
ただ注意点として、苦手な要素は「自分が苦手」なだけであって、決して「悪い物」ではないという前提を持って臨む必要のある行為ではあるとも思いますが。
あと当然かもしれませんが、自分はそれらに対して「無くなって欲しい」とか「これを好きな人はおかしい」なんてことは一切思いません。
甘いものが好きだけど辛い物は苦手だとか、その逆とか。
一般的には苦手な人が多いらしいけど、自分はこの苦みが好きなんだとか。
作品の好みってそういうものだろうと思っているので、どんなに苦手だったり受け入れ難い要素があっても、それ自体が(現実の人物を誹謗中傷する的な意味での)公序良俗に反するものでもない限りは「ただその要素を自分が受け入れられないだけ」としか思いません。
だからこそ「マイナーかもしれないけど自分にはビタ嵌りする」ような好みの作品との出会いが尊い訳でもあるので。
なので「〇〇はダメ」とか「△△はおかしい」みたいな、「それを好きな人がいる」ことに一切配慮せず全否定レベルで否定出来てしまう人の意図や思惑が理解出来なかったりします。
正確に言えば、
「単純に嫌い」
「自分の作品や自分の好きなジャンルが有名にならないことへの腹いせ」
「(上記と少し重なりますが)自分が良くないと感じる何かが認められていることへの怒り」
「何かを叩くことそれ自体を娯楽としている」
といった風に色々理由は思いつきますが、自分としては理解や推測は出来ても結局どれも受け入れ難いというだけですね。
というか叩いて何かを得ようとするのはともかく(?)嫌いだから叩くのって本当に止めた方が良いと思うんですよね。だってそれは結局、自分の好きな物が理不尽に叩かれるのと同じことなんですから。
嫌いな何かを叩くために書いた文章があるとして、その嫌いな要素の部分を自分の好きな要素に入れ替えてみるとそれが分かりやすいと思います。
なのにその手の論調の方はどうしてそのまま突っ走ってしまえるんでしょうね。
自分の好きな物が否定される訳が無いとか、否定する方がおかしいとか。
自分が嫌いなものはみんな嫌いで当然だと思ってるとか、正しいことであれば何を言ってもいいとか。
そういう風に考えているのでしょうかね。
……自分で書いといてなんですが、もしそうなら普通に怖いので単純な荒らしや煽り目的の方がマシな気がしてきました。
なんか大分取っ散らかってきてしまいましたが要は、
「嫌いを主張するくらいなら好きを大事にして欲しい」
と自分は思っているのです。
もちろん自分が書きたいから書いているだけだという方も多いでしょうが、誰かに読んでもらおうと作品を書き続けている人も多い投稿小説サイトという場。
そんな場だからこそ、嫌いにこだわらず好きと出会うことを重視して欲しい。出会えたなら大事にして欲しい。そう思うのです。
嫌いを叩くくらいなら好きを増やしたい。
少なくとも自分はそれを第一に心掛けていきたいと思っています。
とりあえずブクマしたは良いものの読み進められてない作品を読みたいです(反省)。