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思ってた以上にイヤじゃない。
学校の屋上、出入り口の陰で倖は寝ころんだまま器用にパックコーヒーをズビビと吸った。
りんと一緒に昼飯を食べた後、ひとりで屋上へと昼寝にきたのだが。
うん、嫌じゃない、困ったことに。
倖はここ一週間仲良くなろうと努めている林田りんのことを考えていた。
昼めしを一緒に食べたり、放課後あちこちぶらぶらしながら親交を深めているのだが、思った以上に、嫌じゃないのだ。
一緒に行動することが。
ストローを口から離すと、頭上を流れる雲をぼんやりと見る。
今日の雲は少し灰色がかっていて、そのうち一雨でもきそうな雰囲気だ。上空は風が強いのだろう、流れていく雲のスピードがはやかった。
女は嫌いじゃない。
けれど、それは後腐れなくヤレる女に限る。
学校で告白してくる女子も街中でナンパしてくる女もよくいるのだが。
一緒に行動するのは無理なのだ。
簡単に言えば、面倒くさいから。
何が面倒くさいのかと言われれば、全部が、というしかない。
こちらを伺うような上目遣いも、やらせる気もないくせに必要以上にくっついてくるあの感じも、どうでもいい自分本位の会話も。
全部、面倒くさい。
なので、やった女はそれなりにいるが、デートというものはしたことがなかった。
いや、何度かトライしたことはある。
途中で嫌になって帰ったけど。
でも、あいつとうろうろしてても、特にイヤではないんだよなぁ。
その証拠に途中で帰ったことなどない。
倖はゴロンと横向きになるとパックコーヒーをコンクリートの床に置く。
と、自分より少し離れたところに同じように横になりこちらを見ている柴田と目があった。
「うおっ、……いるんなら、声かけろよ。」
「……うん、なんか、倖、楽しそうに雲見てたからそっとしとこうと思って。」
見てんなよな、と睨みながら半身を起こしコーヒーを飲む。
柴田は腕組みをして横向きに寝転がりじっとこちらを見ていた。心なしかつまらなさそうな顔をして。
「なんか、久しぶりだね、倖。」
倖は、そうか?と一言だけ言うと再度寝転がった。
「ここんとこ昼も放課後もりんちゃんと一緒みたいだったし、久しぶりだよ。昨日はどこ行ったの。」
「昨日は安井パンに連れていった。……まぁ、休みだったけどな。」
残念ながら昨日はせっかく連れていったというのに安井パンは臨時休業していた。安くてうまいのだが、たまに予告なく突然休むのだけがたまにキズだ。
「仕方ないからそのまま電車乗って解散した。……あ、コロッケは、食ったか。」
「へぇー、そうなんだ……。コロッケ、いいなぁ。てか、倖、すごいじゃん。」
「なにが?」
「女子とデート、できてるんじゃん?」
拗ねたように口を尖らせて意地の悪い笑みを浮かべる柴田に舌打ちする。
「デートではないだろ、仲良くなっていとこの連絡先教えてもらわなきゃなんねーし。」
「それ、一緒じゃない?ていうかさ、どんな理由があっても女とただブラブラするなんて、できなかったじゃん。前は。」
「……まぁ、なんか、意外とできるな。」
「おやおやぁ?まさかりんちゃんに惚れち」
「それはない絶対ない。」
惚れるとは、あの子に対して感じる感情を言うのだ。
ほら、考えるだけでこんなに胸が苦しいし、めっちゃドキドキする。
たいして林田りんを思い浮かべてみても、なんとも思わない。
平常心そのもの、凪だ。
「なんかあいつ、気ぃつかわないでいーんだよ。あいつも全くちっとも気つかってないし。逆にもっと俺に対して気を使えと思う。あとは……。」
スビビっと勢いよくパックコーヒーを飲み干し握りつぶす。
「あいつ色目使ってこないからやりやすいし、……あぁ、そう言えばお前と一緒にいるときの感じと似てるかも?」
「なんだそりゃ。」
呆れたように柴田が言った。
「なんか楽しそうだなー、俺もりんちゃんとお出かけしてみようかなー。」
「なんの用でだよ。」
倖が半眼になって柴田を睨む。柴田は肩をすくめてみせると拗ねたように口を尖らせた。
「だぁってさー、倖、最近遊んでくんないしー、だったら俺もりんちゃんと遊びたいしー。」
柴田はゴロゴロと真横まで転がってくると上目遣いで倖を見上げてきた。それを、キモイ、と押し返し先程よりも遠くに転がしてやる。
「なんだ、沢ちゃんとケンカでもしたのか?」
半回転余計に転がったせいで柴田は背中をむけている。どんな表情をしているのかはわからないが、倖の言葉に背中がピクリと微かに動いた。
「いや、ケンカはしてないよ、うん、大丈夫、まだ。」
まだ、ね。
こういう時の柴田の言は信じてはいけない、そう思った倖は体をおこしてその背中を見る。
あっけらかんとお気楽そうに見えて、実はちょっとしたことで落ち込みやすく鬱々と1人で考え込む癖が柴田にはあった。
自分では女癖が悪いからと嘯きながら、一途に1人の女性を思い続けている。
本当の意味で女癖の悪い倖とは、正反対の奴なのだ。
「……俺、そんな頼りないかな、」
「頼りないだろ。」
小さく零した言葉に倖が即答する。
柴田がつきあっている相手は大人の女性だ。経験も知識もお金も相手の方が優っている。
学生で権力も地位も金もない、未だ親の扶養下にある柴田なんて、頼りがいがあるはずもない。
「だっよねぇ……。あぁ、早く大人になりたい。」
「就職すんのか?」
確か柴田は国公立の大学への進学を目指していたはずだ。
けれど、まだ高2の秋。
進路変更なんてへでもないはずだ。
「……今、悩んでる。」
大学へ進学すれば、普通に考えて就職までにまた更に4年かかる。
その間に金回りのいい大人の男と出会ってお別れ、なんてことも十分以上にあり得るだろう。
「俺的には、しっかり進学してから就職したほうがいいと思うぞ。」
急がば回れ、って言うしな、と倖が呟く。
「それで別れちゃったら、僕どうしたらいいの。」
「知るか。……おまえ、俺が電車の子のことで悩んでるときには強気なアドバイスするくせに。」
「まぁ、所詮は人事だしね。……あぁあ。人事だったら簡単に判断できるのにぁ。」
「そらそうだな……。というか、そもそも、別れる別れない以前に沢ちゃんとはセフレじゃなかったのか。」
「……セフレ、だと思ってるんじゃ、ないかな。向こうは。でも、俺はさぁ、」
「就職とか進学とかより、まずそこをどうにかしないとじゃねーの?」
「わかってるよ、わかってるんだけどさ、……じゃあもう終わりにしましょうって言われたら、と思うとさ、」
そんなこと言ってたら何も出来んだろ、と口の中で呟き、まだひとりでぶつぶつ言ってる柴田を無視してよいせっと立ち上がる。口をへの字に曲げて雨の降りそうな空を見上げた。
予報では、天気が崩れるのは夜半過ぎ。
林田りんと放課後ぶらぶらしている間は降らないと思うが。
すると立ち上がった気配を感じたのか、背中を向けて転がっていた柴田が憂鬱そうな顔で振り返る。
「おまえもさ、そろそろりんちゃんにお願いしたら?連絡先教えてーって。」
「……そーだな。」
「仲良くなったらって、倖にしては充分仲良しになってると思うけどー。」
あぁ本当に人事だったら簡単に言えるのになぁ、とごちりながら、うりゃ、と勢いをつけて柴田は立ち上がる。そのまま倖を残してさっさと屋上から出て行ってしまった。
それを目で追いながら、だよなぁ、と倖はひとりごちた。
倖にしては、確かにかなり仲良くなってる方だ。
だが、りんにしてみたら?
倖は静かにため息をつく。それこそりんに直接聞いてみなければわからないことだ。
柴田が言うように自分のこととなったら、思考も行動もとまってしまう。
まぁ、とりあえず。
今日は、どこ行こ。
りんと連んで歩くのも連絡先を聞くまでかと思うと、少しだけ寂しい気もした。