7
数日後の放課後。
倖とりんはのんびりと運動場を横断していた。
いつも校庭で幅を利かせているサッカー部だが、どうやら今日は長めのランニングをしているらしく、大きいコートはがら空きだった。
おかげで遠回りをしなくてすむと、2人でコートをそのまま突っ切って歩く。
校内の外周ランニングコースを走るサッカー部をりんがぼんやりと見ていると、倖がごそごそとスマホを取り出した。
「そういや、あんま気にしてなかったんだけどさ、安井パンの激安セールって6時半からなんだよな。」
その言葉に、今何時ですか、とりんは倖のスマホを覗き込む。
待ち受け画面には鮮やかな緑の木々に囲まれた女性が笑っている。
タレントさんか、モデルさんかな?と首を傾げれば、りんにも見やすいようにスマホを傾けてくれた。
画面上部には16:27と表示されている。
「今から行っても、あんまり安くないけどいいか?」
「大丈夫です。」
今日は倖がいつも食べている安井パンが目的地となった。
安井パンはその名の通り安いことで有名らしいのだが、毎日6時半頃になると7割引きという驚異的な激安セールを開催しているそうだ。りんが倖にパンの話を振ったことから、行ってみるか、という流れへとなった。
倖は駅のある右の道路へと進んでいく。その背中を追いながら、りんはチラリと角の商店に目をやった。
なんてことはない商店だ。昔ながらの小さな個人商店で。近くにコンビニや大きなスーパーもあるのだが、学校正門の前という好立地にも恵まれて客足は多く、淘汰されずにがんばっている。
放課後になると小腹を満たすための部活動の生徒でごった返していた。
今も数人のジャージ姿の生徒が扉を開けて入っていく。
「どした?」
「倖くんはここのお店でお昼ご飯買ったりしますか?」
倖は商店に向かう野球部の生徒を目で追うと、あぁ、と眉根を寄せて面白くなさそーに言った。
「入学して最初の頃はよく買ってたんだけど、俺、こんな頭じゃん。なんか店のばあちゃんの対応がめっちゃ塩で行かなくなった。」
「しお?」
「対応が悪かった。」
とくに何も悪いことはしてないと思うんだけどな、と続けて呟く。
そうですか、とりんも呟き倖と並んで歩き出した。
こんな頭。
倖は自分の頭のことを、こんな、と言う。今も、昨日も。
りんは少し前をいく金色の髪の毛を眺めた。
髪は雪の歩調に合わせて、フワフワと気持ちよさそうに揺れている。細くやわらかい髪質なのか、そのふんわり感は金色という色と相まって、ぴよぴよと歩くひよこを連想させる。
そうすると金髪で怖いイメージの倖が、可愛いらしく見えてくるのだから不思議なものだ。
倖くん曰わくの、こんな頭、の男の子とここまで仲良くなってしまうとは正直思わなかった。
彼は、いとこの連絡先欲しさにりんと仲良くなり信用を得るとか言い出した、よくわからない人だ。
自分とは、何もかも正反対の人だと、思った。
見た目が正反対であるならば、性格も正反対だろうと簡単に予測がつき、事実そうだった。
……だから、すぐ終わると思っていたのだ。
こんな友達ごっこみたいなことなんて。
きっと彼みたいな人は、私といてもすぐにイライラして仲良くなるどころではないだろうと、だから、連絡先のことも諦めてくれるだろうと思ったのに。
視線の先に駅前のロータリーが見えてくる。学校からそんなに離れていないこの駅はこの時間、帰宅する学生でいっぱいだ。
その人だかりから、チラチラと視線が波のように刺さってくる。
最近ではもう大分なれたけれど、倖と放課後遊ぶようになってから時折こういう視線に晒される。組合せが不思議で面白いのだろうなと予測はつく。けれど、あまりにも不躾にじろじろと見られるのは苦手だった。
倖くんも、きっと気づいている。
けれど何も言わないし、何も変わらない。
彼はいつも通りスタスタと駅前まで歩いていく。
すると突然ピタリと足を止め、やおら自分の足元をジッと見つめはじめた。
そうしてガバリッとしゃがみこみ、ものすごいドヤ顔で振り返ってくる。
りんは倖の奇行に戸惑いつつも、少しだけ眉を顰めてそれを見ていた。
「なんですか?」
問いかけるも返事はなく、倖はただゆっくりと右手を掲げ、りんの鼻先数センチのところで何やら銀色に光る丸いものを突きつけてきた。
近い。見えない。
むこうが離れる気配0なので、りんが一歩下がった。
あぁ、500円玉。
「何飲む?」
倖は自動販売機に拾った硬貨を投入した。ためらいも何もないのがいっそ清々しい。
「……私は遠慮しときます。」
「何が遠慮だ。どうせ共犯者なんだから飲めよ。あ、それとも俺の一推しドリンク飲むか?」
誰がいつ共犯に。
半眼になるりんをよそに、倖はいそいそと自動販売機の商品を指でたどる。倖の目がキラリと光った瞬間に後ろからピッとりんがボタンを押した。
「あっ!!何してんだおまえ!」
「気がかわったんです。ご馳走さまです。」
唖然としている倖を後目に取り出し口からオレンジジュースを取り出す。つぶつぶがおいしい、一般的な飲み物だ。
プシュッと缶をあけ一口飲んだ。
「せっかく俺のおすすめ、飲ましてやろうと思ったのに。」
口をとんがらかせてごねる倖に、りんはジト目で抗議した。
「どうせ、そこらへんの一般的でない飲み物を飲ませる気だったんでしょ?」
倖の指がうろうろとしていた一帯をりんは指差した。
「一般的じゃないなんて、失礼だな。甘酒もコンポタも全部ちゃんとうまいぞ。」
じゃあ、自分が飲めばいいではないか、と言う間もなく倖はコーラのボタンを押した。
「……自分だけコーラ飲むつもりだったんですか。」
「んなわけねーだろ。変なもの飲むときは一緒に飲まなきゃ面白くねーだろ。」
いま変なものって言った。
りんはコーラを飲む倖の横顔をじとりと見上げる。
「よーし、行くぞー。」
飲み終わったコーラの缶をゴミ箱に放りながら倖が振り返って笑った。
「まだ飲み終わってないです!」
りんが慌ててゴクゴクと飲み干そうとすると、倖がりんの左手を掴んでひっぱった。
「こぼれないよーに気をつければ別に大丈夫じゃね?」
そうして手首を掴まれたまま、すたすたと改札へとむかう。倖はりんがカバンに下げている定期を器用につかんで駅員に見せるとりんの手首から手を離すことなく自分の定期も取り出し駅員に見せる。
それをぼけっと見ていたら掴まれた手首をクイッとひっぱられ、ホームへと連れられていった。
そう、連れられていく、が正しい。
仲良く手をつないで、とかいう雰囲気ではない。
それでも。
同じ制服の人混みの中をこの状態で行くのは、視線が痛い。
そして顔が熱い。
ドキドキする。
倖くんを好きになる子の気持ちがわかる。
彼自身はそうと意図してなくても、こんなふうにされたらドキリとせずにはいられないだろう。
りんは火照った顔の赤みを誤魔化すように、オレンジジュースの缶を頬に押し当てて倖について行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
安井パンについたのは、5時半過ぎだった。
車一台やっと通れるかという一方通行の小さな商店街に安井パンはあった。
いつもは出ているであろうオレンジとクリーム色のシマシマ模様の軒先は、綺麗に巻き取られて収納されている。
シャッターが降りている前面にはでかでかと、孫のお遊戯会のため休む、と堂々とした筆致で書かれていた。
「閉まってますね。」
「閉まってんな。……孫の遊戯くらいで休むなよな。」
倖が渋面でそうこぼす。
「お遊戯会くらい見せてあげてください。」
りんは呆れたように倖を見あげた。
「しっかし、休みじゃどうしようもないな。……どうする?」
「安井パンは次回のお楽しみでいいですよ?今日は下見しにきたということで、帰りますか。」
「え~?帰んのか?」
「そんなこと言ったって。他に行くあてあるんですか。」
「……ねぇけど。」
そう安井パンの前で2人もめていると背後から、あれ?倖じゃね?、という声が聞こえた。
「あん?」
不機嫌そうに後ろをみる倖につられてりんも振り返ると、他校の制服を着た男子高校生が2人、往来の真ん中で立ち止まっていた。
「おぉ、本当に倖だ。……て、お前進学校に行ったくせに、その頭でいいのか。」
「……意外と何とかなる。」
ズボンのポケットに手を突っ込み振り返ったままの態勢で、ぞんざいに倖は返した。
勢いよく話しかけてきていた手前の茶髪の男子が、怪訝そうにりんへと視線をうつす。
「てか、まさか、彼女か?」
「いや?友達。」
その男子の質問に、やはりぶっきらぼうに倖は返す。
「友達ってこたぁないだろ。お前が女をラブホに連れ込まずに、ただ連れ歩いてるなんて、俺、見たことねぇけど。」
「……そうだったか?」
心なしか、倖の声音が低くなった気がした。
どうかしたのだろうか、と倖を見るも、見上げた倖は険のある目つきで無表情に男子生徒を見ている。
「お、おい、」
その倖の不機嫌そうな顔に気づいたのか、奥の方にいた男子生徒が手前の男子の袖をひく。
「ねぇねぇ、君、名前何て言うの?」
それに気づかないのか、はたまたわざとか。
手前の高校生が無邪気にそう、りんに問いかけた。
「あ、林田りん、と言います。……え、と、初めまして。」
「初めましてだって、さ。言い方かわいいんだけど!……でも、倖、これはないわぁ。」
そうしてりんの目線に屈み込んで、連れて歩くんだったらもうちょっとさぁ、と続けかけて倖に頭を鷲掴みにされた。
「ぐぇ、ゆ、倖、何かちょっといたい、」
「何が、ないっ、てっ?」
倖はチラリとりんに視線をやると、いててててっ、と声を漏らす男子生徒を連れて離れていこうとした。
その倖の行動に、りんは咄嗟に倖の上着の裾を掴んで引っ張った。
「ゆ、倖くん、どこに行くんです、か?」
泣きそうな顔をしておろおろとする奥の黒髪の男子を横目に見ながら、りんがおっかなびっくり倖に問いかける。
それに倖は盛大なしかめっ面で、別にどこも行かねぇけど、と口ごもった。
「ほ、ほら!安井パンでパンを食べる予定だったので、私小腹がすいちゃって!帰り道で何か食べましょう!」
と、りんは掴んだ裾を更に強く引っ張る。
すると、おろおろとしていた男子がパッと顔をあげて、コロッケ、と呟いた。
「そこの、もう少し先に行ったところにある肉屋さんのコロッケ、まじうまです!」
思わぬ所からの援護射撃に気をよくして、りんが畳みかける。
「コロッケ!……倖くん、私、食べてみたいです!」
りんの剣幕についつい力を抜いてしまった倖の手から、黒髪の男子が茶髪男子を取り返した。
そのまま、では!また!と頭を押さえて呻いている茶髪を引きずって道の向こうへと消えていく。
その様子にほっと胸をなで下ろし倖を見ると、しかめっ面でりんを見下ろしている。
「お前はもちっと、怒ってもいいと思うぞ。」
「……倖くんは、怒りすぎですよ。」
りんの言に渋面で、行くぞ、と倖はりんを促した。
「そうですね。安井パン、残念でしたけど次回のお楽しみってことで、今日は帰りますか。」
りんが努めて明るくそう言うと、倖はピタリと足を止めた。
「……コロッケ、食うんじゃないのか。」
「あ、あぁ!そうでした!行きましょう行きましょう!」
ったく、と先に歩き出した倖に慌ててついていく。
金髪の揺れる背中を追いかけながら、そういえば、と思い出す。
友達、って、言った。
ごく自然に。
倖はりんのことを、友達、と自分の友人に伝えたのだ。
……本気で仲良くなることなどないだろうな、と思っていたのに。
そう、これは友達ごっこだったのに。
だのに終わるどころか、本当に友達なんじゃないかと、りん自身、そんな錯覚をしてしまいそうになってきている。
こうなってくると、倖との約束を果たさなければならないのでは、とも思えてくる。
仲良くなったら、いとこの連絡先を教える。
仲良くなった、の線引きをいったいどこですればよいのか皆目見当もつかないけれど、少なくともいとこの連絡先を教えたところで、それを倖が悪用したり、いとこに迷惑をかけたり、そんな心配や不安は、もうあまりない。
ということは、教えるべきなんだろう。
でも教えてしまったら、こうして放課後一緒に歩くこともなくなるのかもしれない。
少し前を行く背中についていきながら、りんは眩しそうに目を細めた。