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「どこへゆく。」
その日の放課後。
りんがこそこそと辺りを伺いながら、下校するために靴を履き替えていたとき突然背後からガッシと肩をつかまれた。
心当たりのありまくるその声に、硬直したままやっとの思いでりんは口を開いた。
「……ちょっとそこまで。」
「奇遇だな、方向が同じだ。俺も一緒にゆこう。」
恐る恐る振り返ると、きんきらの髪した倖が仁王立ちで見下ろしている。
今日はよく肩を掴まれる日だ。
「なんで、そんな侍言葉的なかんじなんですか。」
「侍だからだ。心がな。」
「……。」
そんな答えは期待してない。そう思いつつ、一方でりんは逃げるのを諦めた。
放課後一緒に遊ぼう宣言から、倖の視線を半端なく感じる授業2つを乗り越えて、お手洗いに行く振りをして教室を抜け出したのだが。
あっという間に捕まってしまった。
「なんで、お前は、ひとりで、こっそり、帰ろうと、してるんだ?」
一緒にあそぼーって約束したのに、と倖はりんを睨みつけてくる。
小学生ですか、とりんは天井を仰ぎ見た。
「いや、待ち合わせもしてなかったしー、と思って……。」
苦しい言い訳をしつつ、りんは目をそらした。
一方的に倖から遊ぼう宣言されたものの、時間が経つにつれ怖じ気づいてしまったのだ。
倖のいう遊びが何を指しているのか、いったいりんとどういう遊びがしたいのか。考えれば考えるほど不安になってしまったのだ。
そんなりんの心情などそっちのけで、倖は、ほう、としたり顔で頷いた。
「そうか、じゃあ明日からは待ち合わせようか。同じ教室で席も近くだというのに、靴箱ででも待ち合わせるか?」
「ごめんなさい。」
りんは観念して、軽く頭を下げて謝った。
倖は、わかればよろしい、と満足げに頷く。
「明日からは逃げんなよ。」
「……はい。」
よし、と倖はりんの先に立つとスタスタと歩いてゆく。
ということは、明日も明後日も続くんだろうか、これ。
友達と一緒に放課後ブラブラしたいと思ってはいたのだが、まさか、こんな強制ブラブラをする羽目になるとは。
諦めてりんが小走りで倖に追いつくと、で?と問われた。
「?なんですか?」
「だからぁ、どこ行く?」
「……どこ行きましょう?」
なんだこのデートみたいなやりとりは。デート、したことないけど。
倖を見上げると眉に皺を寄せたまま、ん?と先を促してくる。
私が決めろって感じ、なのかな。
「えーっと、私、引っ越してきたばっかりで全然わからないんですけど……、」
んー、と倖にならってしかめ面をする。ただでさえ土地勘ないのに倖と2人でいけるところなんて思いつくわけがない。
「別にどこでもいーぞ、今日暇だし。」
どこでもいいと言われるのが一番困る。困るが、どこでもいいのなら。
「図書館、行ってもいいですか?」
ちょうど返したい本があったんですよね、とりんはカバンをポンポンと叩いた。
「……図書館~??」
倖は数歩先で振り返ると、眉間の皺を深くしてイヤそうにそう言った。
「そこまでイヤそうにしなくても。どこでもいいと言ったのは嘘ですか?」
嘘つきですね、とりんもしかめ面で応戦した。
「イヤじゃねーよ。そうじゃなくて、普通こういう時さ、どこでもいいぞと俺が言ったら、2人っきりになれるところに行きた~いとか、倖くんちに行きた~いとか、なるんじゃないのか。」
「なりませんね、用事ないし。」
即答するりんに倖は不思議そうな顔をして、その後残念そうな顔になる。
「おまえ、本当に女か。終わってるな。」
「大きなお世話です!……2人っきりになって連絡先聞き出そうとしたって、そう簡単にはいきませんよ。」
りんはツーンとそっぽを向いて答えた。
りんのその言に、倖がその手があったか、と小さく呟く。
「そうか、2人っきりになって聞き出せるものなら何時間でも2人でいるぞ、何なら今から、」
「図書館に行きましょう。」
「そうだな、図書館でも2人っきりになれるしな。」
「と、しょ、かん、に行って!借りた本返して!すぐ帰るんです!」
ちっ!と倖が小さくもなく舌打ちした。
「舌打ちやめてください、嫌いなんで。」
「嫌い言うな。……わかった、今日は図書館な、」
「では決まりですね!」
りんはポンとひとつ手を打ち、小走りで倖の横に並ぶ。
倖はその様子を、不思議な生き物でも見るかのような目で見下ろしていた。
倖と行った図書館は、行ってみればどうということもなかった。
念のため図書館に入る前に、図書館では大きな声で喋ったらダメですよ、と言えば、お前は俺を何だと思ってんだ、と睨まれた。
開放的なホールを抜け受付で手続きを済ませ、そのまま取り置きしてもらっていた本を一冊借りる。
賞味10分程度。
その間そばに突っ立っていた倖が、もう終わりかよ、と呆気に取られていたが、帰りますよ、とスタスタと出口へと向かった。
「なぁ、図書館ってもう本当に終わり?」
「終わりですよ。用事も終わったし、さぁ、帰りますか!」
と倖に笑いかけた。
「……こんなん、仲良くなる暇もないんだが。」
「そうですか?」
そうすっとぼけて、りんは明後日の方角に視線を逸らした。
「倖くんは、おうちどこですか?」
「俺?桜川町の方。」
結局諦めたようにりんの横を歩きながら、倖が答えた。
「じゃあ、一緒ですね。電車通学。でも、残念。反対方向ですねぇ。」
全く残念そうに聞こえない声音でりんは呟いた。
「……そだな。でもまぁ、お前の電車が来るまでつきあってやるよ。」
俺ってやさしー男だからな、と倖が嫌みったらしく言えば、いえいえお気遣いなく、とりんが素っ気なく返した。
駅への道を2人で辿りながら歩いていると、不意に通りがかったバイクに、倖がりんの袖を引っ張り電柱の陰になる方へと押しこんだ。
電柱。
そのグレーの柱の下に巻かれた黄色と黒の腹巻き。
その色に故郷でよく見た光景を思い出し、りんは思わず身震いする。
あれはまだ、視力もそこまで悪くなくて。
だからあれは、この眼鏡をかける前の出来事で。
気をつけている限り、こちらではきっと、遭遇する事などない。
りんが押し込まれた電柱を凝視していると、また袖をひかれて、今度は電柱の陰から引っ張り出された。
「……電柱、好きなのか?」
倖が怪訝そうに聞いてきた。
こんな物が好きかどうか質問されるくらい、自分は電柱を見つめていただろうか。
倖の質問にムッとして、半ば八つ当たり気味に、嫌いです、と断じて先を歩く。
そうしてハタと気づいて、後ろを歩く倖へとくるりと振り向いた。
「それはさておき、倖くん、あの、さっきは、ありがとうございまし、た。えと、……バイク。」
倖は驚いたように目を見開くと、お、おう、とりんと同じようにどもりながら返事をした。
結局その後も実のある会話などなく、りんの乗車する電車が到着するまで、2人だらだらと他愛のない会話を繰り返した。
倖は苦手な部類の人間だったはずだ。
はずだが、りんにとって思いのほか気負わない楽しい時間となったのも、また事実だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
りんと一緒に学校の玄関口までだらだらと歩きながら、倖は首を傾げた。
どうも、思っていた展開と、違う。
一昨日、りんと多少もめながら出かけた図書館は、駅と学校の中間あたりにある市立図書館だった。
毎日2度も通るというのに、倖がこの図書館を気にしたことなど全くなかったが、りんは転校初日に見つけて2日おきごとに本を借りているという。
彼女は倖に宣言した通り、ただ本を返却して取り置きしていたらしい1冊の本をさっさと借り、それから2人で無駄話しながら一緒に帰った。昨日は倖が用事があったので、昼ご飯を一緒に食べるだけにとどまった。
りんは倖が思っていた印象とは真逆で、割と話しやすい人間だった。一緒にいたら仲良くなる前にイライラしてキレるかもしれないと心配していたが、気も使わないでいいし、空気のごとく側にいる感じでとても楽だった。
なのだが。
敬語で話してくるのだけがどーにも気になった。見たところ他の女子には普通にタメか丁寧語くらいなのが、倖には敬語。タメ口くらいにならないと、仲良くなったとは言えないのではないか。仲良くならないと、いとこの連絡先がゲットできないので切実だ。
ふぅ、と倖は軽くため息をついた。
今日は昼飯時から、どこに行く論議を繰り広げていたがあまり女と出歩かないので行き先を決めるのに苦慮していた。
倖が女と行くところといえば、ラブホテル一択なのだから。
そう、ラブホなら、けっこう知ってるんだけどな。
うーむ。
俺がよく行っていて、りんも楽しめそうなところと行ったらもうゲーセンくらいしかない。
ゲーセンか。こいつ、行ったことあるかな?
倖は隣で上履きを履き替えている林田りんを見下ろした。相変わらず量の多い髪を後ろで1つに三つ編みにしている。色は黒よりは茶色寄りなので、重すぎるということはない……か?
……いや、やっぱり重いしやぼったいな。
「おまえさー、ゲーセン行ったことある?」
「ゲームセンターですか?」
「ん。他に行くとこ思いつかん。」
「なるほど。私、得意ですよ。UFOキャッチャー。」
「うそつけ。」
「……なんで嘘と決めつけるんですか。」
「トロそうだから。」
上履きを靴箱に突っ込みながら倖が断言する。ローファーをつま先でトントンしながらりんはむっとした顔で倖をねめつけた。
「たぶん、倖君よりも上手だと思いますよ。」
「言ったな。勝負するか?」
「望むところです。」
「俺が勝ったらお前のいとこの連絡先教えろよ。」
「ダメです。何調子のってるんですか。」
「あのな、お前UFOキャッチャー上手いんだろ?ということはお前が勝つよな?じゃあ、連絡先教える約束したところでどうせお前が勝つわけだからお前は痛くも痒くもないわけで、」
「屁理屈こねないでください。」
「……屁理屈じゃねーよ。」
「行くんですか?行かないんですか?」
倖がごねている間に数歩先まで歩いていたりんが振り返って問いかける。
「行くけどさ。」
「じゃあ、とっとと行きましょう。」
そうしてりんがふわりと笑った。
それを見た倖は不覚にもどきりと胸を高鳴らせた。
言い訳はいくらでも思いつく。
西日で逆光効いてて八割増しに見えたとか、メガネっ子効果とか、見返り美人的効果とか。
それから、一瞬でもあの子と重なって見えてしまったこと、とか。
数瞬のちにはいつもの林田りんに戻っているのを確認し、何故か詐欺られた気持ちになる。
俺の胸の高鳴りを返せと胸中で毒づいた。
けどまぁ、笑えばちったぁかわいいじゃねぇか、と揺れるおさげを見ながら倖はりんを追って歩きだした。
結論から言えば、りんの言葉は嘘ではなかった。
りんも倖も電車通学なのだが自宅がある方向は真逆だ。倖がよく行くゲームセンターは倖の自宅がある駅よりも一つだけ先に進んだところにあった。
最近のゲームセンターにありがちだが、この店もゲームの筐体よりもUFOキャッチャーとプリクラとコインゲームが幅を利かせている。
手始めにと倖が先にお菓子の景品に手をだしたのだが、1500円ほど使って1個も取れずに終わってしまった。
そうして追加で両替しようとしていたとき、それまで静かに見ていたりんが、動いた。
UFOキャッチャーてのはこうやるんですよ、とやたらかっこいいセリフを吐きながら1000円片手に両替に行ったのだ。
豊富なUFOキャッチャーの台数に目をキラキラさせて、目の前で機体にとりついているりんを見ながら倖は無言で冷や汗をたらした。
倖の手にはすでにりんが落とした巨大ぬいぐるみ?が3体ある。一つはやたらとリラックスしたクマ、一つは青い猫、一つは何かのゲームのキャラクターのエロいお姉ちゃんの抱き枕。
そして今りんが落とそうとしているのが巨大ポッキッキー。
……巨大系ばかり。
「……おい。」
ボタンにかすかに指をかけたまま奥のガラスに張りつき、真剣な顔をして景品を睨むりんに倖は声をかけた。
りんはぴくりともせずボタンをタップしガラスの中のアームの動きを注視している。アームは巨大ポッキッキーを少しばかり後ろにずらして元の位置にもどっていく。それを確認したりんはすかさず100円を突っ込んだ。
「……さっきから思ってたんだけどさ、500円、入れた方がいいんじゃないか?6回できるんだぞ。」
「必要ないですね。次でとりますから。」
両の手指を手術まえの医者のごとくわきゃわきゃと動かしながらりんは答えた。真剣な表情で再度ガラスに張りついていく。
「あのさ、これ、次で取れるのか?ていうかなんで巨大系ばっかりなんだよ。」
俺、もう持てないけど、とぶつくさ言う倖をちらりと見てりんは景品に視線を戻した。
「いま集中してるんで邪魔しないでもらえますか。」
邪魔……じゃまか?おれ。
倖はエロいお姉ちゃんの抱き枕を抱え直すと、ちょっぱやで景品ゲットして笑顔でガッツポーズを決めているりんに投げやりに拍手を送った。
「すげーな、お前。」
得意気に巨大ポッキッキーを取り出し、はい、と差し出してくるりんに向かって、倖はポツリと呟いた。
「だから、これ以上もう持てねーっつーの。」
倖はさっきからずり落ちてくるエロいお姉ちゃんを再度抱え上げ巨大ポッキッキーを右脇で抱えている青い猫と一緒に挟み込む。
「持てましたね。」
「持てましたねじゃねーよ。だから、何ででっかいのばっかり取るんだよ。」
「でかいのを狙ってるわけじゃないんですよ。1、2回で取れそうなのが、たまたまでかい景品だっただけで。」
「……?そういうもんなのか?」
「そういうもんなんです。誰かが散々動かしてくれてるやつがいいんですよ。で、店員さんが定位置に置きなおしてしまう前に手を出すのがコツですかね。まぁ、取り方にもいろいろコツというか攻略法があるんですが。」
ほぉ。倖は素直に感心してUFOキャッチャーに目をやった。りんが使ったお金は今のところ1200円。ゲットした景品4品。単純に割って1個当たり300円。
今まで散々1000円も2000円も1つの景品につぎ込んでたのがばからしく思えてくる。
「なんか、お前がやってんの見てるだけだったら簡単そうに見えるんだけどな。」
「簡単ですよ?」
りんは薄笑いを浮かべて倖へと視線を返すと、次の台を物色しはじめた。
面白くねぇ、全然面白くねぇ。
このままあいつに花を持たしたまま店を出るのも面白くねぇ。
倖はふと思いつきちょいちょいとりんを手招きすると、すぐそばにあるカーレースの筐体を指し示した。
「UFOキャッチャーだけじゃなくてこういうのもやろうぜ。」
「え。」
途端に不安そうになるりんに倖はにんまりと笑いかえした。
「いいからいいから。俺がおごっちゃる。」
「……わかりました。」
りんはしぶしぶ倖の隣の筐体に座るとハンドルを握りしめた。
「あ、あのですね?私こういうのは基本、苦手でですね……。」
「はいはーい、やるぞーっと。」
倖がちゃりんちゃりんと100円玉を入れると心の準備をする間もなく、筐体からはレディ、ゴーという機械的な声が聞こえてきた。
「わっはっはっは!」
「やぁ、ちょっと待ってくだ、ま、まって、何で人が飛び出して、!」
込み合ってきたゲームセンターの片隅で奇声をあげながらカーレースをする2人に周囲の人は奇異の目をむけるが、とうの2人はそれに気づくことなくゲームに夢中になるのだった。