3
その日の昼休み。
一人で、誰に気兼ねすることもなくのんびりと母の愛情弁当を食べることができる平和な時間。
と言えば聞こえはよいが、ようするに、只のぼっちだ。
……昨日まで、は。
今日は、ぼっちではない。
けれど望んだ形のぼっち卒業ではないし、第一これでは、放課後どこに寄り道しようかとか恋バナで盛り上がる、とかいう女子っぽい話もできない。
緊張しているせいか、母の愛情弁当でさえ味を全く感じることができずに、もそもそと機械的に弁当を口へと運ぶりんとは対象的に、りんの目の前に座る彼は3個目のパンの袋を破り大きくガブリとかぶりついた。
「おまえさー、腹、減ってないの?」
牛乳でパンを流し込みながら倖がそうりんに聞いた。
「いえ…、いや、そうですね、今日はあんまりお箸がすすまないというか…。」
「ふーん、そんなうまそーな弁当なのに。」
もったいねーと言いながら倖はりんの弁当に視線をむけた。
食の細いりんを心配して毎朝小さな弁当箱にいろいろと工夫をしてくれるのは母だ。クマさんのおにぎりに格子状に皮むきされたりんご。
いわゆるキャラ弁だ。
さすがにこの年になると少し恥ずかしいのだが仕事前に早起きして作ってくれるのを見ていると、恥ずかしいなどとは言い出せない。見られて恥ずかしいと思うような友人がいまだいないのは悲しいところだ。
最初に母の力作弁当に気づいてくれたのが、まさか倖くんとは。
あの手紙のやりとりの後、昼食時間になりひとり弁当を広げているりんの前の席に、倖はおもむろにドカリと座りざわつくクラスメイトを無視して、りんの机の上にパンをぶちまけた。
その数6個。
全部ひとりで食べるのだろうか…。
全て惣菜パンで、焼きそばパンに玉子サンド、コロッケサンド…。それは見ているだけで胸焼けするようなラインナップだった。
次々と勢いよくパンをたいらげていく倖をりんが惚けたように見ていると、ペロリと親指を舐めて、何だよ、と視線で促してきた。
「あの、一緒にお昼食べてるのってなぜなんでしょうか?…何か、まだ聞きたいことがあ…。」
りんが最後まで言い終わらないうちに倖が右の手のひらをりんの鼻先に突きつけてきた。
「あー、あれだ。連絡先、教えてくれねーじゃん。おまえ。」
「…すみません。」
「いや、いんだけどさ、じゃない、よくないんだけど。柴田にさ、あー、柴田って隣のクラスの奴なんだけど、そいつにさぁ、友達でもないのに住所とか連絡先とか教えてくれるわけねーじゃん、て言われてさ。信用できないってことだろ?」
「…はぁ。」
信用できない、という点ではものすごく当たっている。柴田くん、といえば、倖と仲のよい隣のクラスの男の子だ。迫田さん情報によると倖と仲の良いという。
「だから、仲良くしよーと思って。」
牛乳のストローを咥えながら、よろしくぅ、と握手を求めてくる。
ごつごつと骨ばった男の子の手が目の前に。
男の子って意外と指長いのね。
と、感心しながらぼーっと倖の手をりんが見ていると、んっ!としかめっ面で握手を促された。
仕方なくおずおずと握り返すと、ぶんぶんと縦に振ってくる。
「よしよし。これでもう仲良しだな。」
にんまりと笑うと4個目のパンの袋をびりりと破いた。いたずらっ子のようなその笑顔に少しだけ、胸が高鳴る。なまじっか顔がいいだけにどんな表情もかっこよいのだが、彼が見せる笑顔は格別だ。
その格好からあまり得意ではない人種であるのは間違いないのだけれど、そんなりんでさえドキドキしてしまうのだから。
「でさー、」
コロッケサンドをほおばりながら、倖が口を開く。
「どれくらい仲良くなれば、いとこのこと教えてくれる?」
ど、どれくらい……??
「……、理由、聞いてもいいですか?」
「理由?」
「倖君がいとこに会いたい理由です。」
次の瞬間、パンをくわえたままの格好で倖が戸惑い気味にキョロキョロと視線を泳がす。
「あー、それ、聞く?」
咥えていたパンを取ると、倖は頭をかいた。照れているようにも見えるが、今の質問で男の子が照れる理由というのは果たしてなんだろうか。
「……理由、言ったら連絡先教えてくれんの?」
「え?……理由によると言いますか、時と場合によるといいますか……」
「理由言っても教えてくれないんだったら、言わねー。」
「じゃあ、教えません。」
りんが即答すると、途端にジトっとした目で睨みつけてくる。
「おまえ、それが仲良しの俺に対する仕打ちか。」
「仲良しじゃないです。」
「あ!そんなこと言う?さっき握手したのに!」
「理由教えてくれないのに、仲良しじゃないです。」
なんとなくムカムカしてきて、そう言い放つ。
倖は、ぐぬぬぅっと、さらにしかめっ面をして惣菜パンを口に運んだ。
「まぁ、それはさておき、とりあえず、今日は一緒に帰ろうな。」
「はい?」
倖が不機嫌そうな顔をして唐突にそう言うので、意味がわからずりんは思わず首を傾げてみせた。
「仲良しじゃないみたいだから、仲良しになるために放課後遊ぶんだよ。どうせ暇だろ、おまえ。」
「……暇ですけど。」
「じゃ、決まりな。」
「ち、ちなみに2人でですか?」
「当たり前だろ。俺以外の誰かを混ぜて俺以上にお前と仲良しになられたら困る。」
倖は謎の言い訳をしながら、6個のパン全てを平らげワシャワシャとビニールを片づけはじめた。
「食べるの早いですね。」
まだ半分以上残っている自分の小さな弁当箱と比べる。
「お前が遅いんだよ。あ、箸すすまなくても全部食えよ。そんな立派な弁当作ってもらっといて、お残しとかありえねーかんな。」
母ちゃん泣くぞ、と立ち上がり、じゃ放課後な、とやはりざわつく教室を意に介さずさっさと出て行った。
誰のせいで箸がすすまなかったと思っているのか。
りんは眉間にシワを寄せて考え込んだ。
さっきの、いとこに会いたい理由を尋ねた時の倖の、あの反応。結局理由も言わなかったし、意味もわからない。
うーん。
タコさんウィンナーをパクリと口に入れ、天井を仰ぎ見る。カレー風味のウィンナーが食欲をそそった。
考えてもわかんないことは考えないほうがいいのかもしれない。
倖の言うとおり、母の弁当に集中して完食すべきだ。若菜のふりかけがかかったご飯を口に放り込む。
うん、おいしい。
母の愛情を感じる。その後からは食事に集中し、りんは黙々と手を動かした。