2
「アハハハハッ!!」
昼休みの屋上。天気の良い青空の下で大笑いする柴田を倖は蹴り飛ばした。
笑われている原因はわかっている。
〝彼女〟のことだ。
「なに?じゃあ、あんなストーキングまがいのことまでしといて、林田ってあの林田さんだったの?」
ワハハッとさらに笑い転げる柴田を倖はさらに二度三度と蹴りつける。今日は何度こいつを蹴っただろう。
いっそのこと、俺のことも誰か蹴ってくんねぇかな。
圧力のある夏空は去り、上空には透明感のある空が広がっている。流れる雲も薄雲で箒ではわいたかのようにゆるやかに曲線を描いていた。
秋空は何もなくても見ているだけで多少しんみりすると言うのに、空までが今日の倖の落ち込み具合にさらに追い討ちをかける。
心で涙を流しながら倖はため息をついた。
「おまえさぁ、目、そんな悪かった?さすがに天使には見えないな。」
あの子は天使だなんて言ってたくせに見間違いにも程がある、と笑い転げる柴田を無視して、倖は屋上のフェンスに体を預けた。
足下には持参したパンが手つかずのまま転がっている。ショックが大きすぎて食欲も失せていた。
「それ、俺が一番思ってるよ。いつのまにこんな視力落ちたんだろー……。」
倖が柴田の言にやけくそ気味に乗っかりつぶやいた。
「ちなみにこないだの視力検査、いくつだった?」
「2.0」
即答で返してやると、また懲りずに大笑いする。まぁ、誰かに笑ってもらえるだけいいのかもしれない。一人で考えていたら、落ち込んでいくばかりだ。
今朝、あの彼女が同じ学校だったことに浮かれて、そのまま後について登校したのだが。
なんと、彼女が入ったのは1年3組。
倖と同じクラスだったのだ。
うちのクラスで転校生といえば一人しかいない。
林田りん。
先週転校してきたばかりの、暗い女。いつも太い三つ編みを後ろに一本こさえ、眼鏡をかけている。
彼女も確かに眼鏡をかけていた、かけていたけど。
眼鏡をかけた彼女の顔は見ていないが、そんなことを差し引いても。
「いやだって、あの子、お前が話してた女の子の印象とは全然違うし。」
「だよなー、まぁつけてる時もさ、おかしいとは思ったんだよ。スカート長いのとかおさげとかは、まぁ、学校だから?真面目なのかな、とって思ってさ。でもなぁ、顔がなぁ、全然違うんだよなー。」
林田りんは世間一般のかわいい女子というカテゴリーからは大分外れているのだ。眼鏡がそうみせているのか、とも思うが、眼鏡ごときでそんなに代わるものだろうか、とも思う。
「目がなぁ、小せぇんだよな。」
ぽつりと本音を漏らすと、
人違いなんじゃね?とくっくっくっと肩をふるわせながら無責任なことを柴田が言った。
倖は大きくため息をつきながら、再び空を仰いだ。
いい天気だ。
今日は、いい日になるはずだったのに。
そんな倖を見かねたのか、ポンと膝を打って柴田がいう。
「かと言って、2年ちょいも探してたんだろ?彼女のこと。そんな簡単に諦めきれんだろ。」
「まぁなー。」
気分的にはもうどうでもよくなってきているのだが、電車で見かけた彼女のことを思うと今でも胸がきゅっとなるのが正直なところだ。
「でもさー、もう、俺どーしていーかさー。」
空を見上げたままやる気なさそーに、倖が返事する。
「いや、でも昨日たまたま親戚が泊まりにきてたかもしんないじゃん?引っ越し手伝いにーとか。それを言ったら、ほら、いとことか友達が手伝いにーとか。いろいろ考えられるんじゃない?」
「……なるほど。」
空から柴田に視線を戻し大きく目を見開いて倖は頷く。
彼女=林田りん、の図式が崩れる可能性が少しでもあるのならそれに縋ってみたい。
「林田さんに聞いてみればいんじゃない?」
「……どーやって?お前聞いてくる?」
「……それくらい自分で聞けよ。いとこいるかって聞きなよ。」
「あー、おー。がんばる。」
話しかけるのも何だか憂うつだが、仕方ない。
眼鏡で根暗なんてマニアックな男ならどストライクなのだろうけど。外見と雰囲気からして面倒くさそうな性格してそうだし、苦手なカテゴリーにいる女の匂いがプンプンする。
倖は転がっていたパンに手を伸ばし気合いを入れるために大きくかぶりついたのだった。
**********************
痛い。
林田りんは視線を感じてノートを取る手を止めた。
視線は後ろからだ。そう、わかっている。ナナメ2つ後ろの席からだ。
転校してきたばかりの高校でろくに友達もおらず、はて、どうやってすでに出来ている友達の輪の中へ入ろうかと悩んだ先の一週間。
土日を挟み、また一週間がんばろうと気合いを入れて登校したのが一昨日の月曜日。
今日で三日目だ。
りんはゆっくりと少しだけ首を動かしてちらりと後方を見やる。
ほら、みてる。
まるでホラーだが、まぁ、見てる、というよりもこれはガンをとばされてる、といった方が正解という気がする。
なぜ急に、この金髪ヤンキー風の倖君にガンをとばされ始めたのだろう。
この3日間、はっと視線を感じると、だいたい睨みつけてくる倖と目が合うのだ。目があって視線を反らすかと思いきや、彼は居直ったように更に睨みつけてくる。
それは教室に入ったところから始まり下校して正門から見えなくなるまで、執拗に日に何度となく続いた。
倖は金髪だしピアスもしてるし、いかにも不良然とはしているけれど、思い切り制服を着崩しているわけでもなく真面目(?)に毎日登校してきていた。
だからといって接点らしい接点もあるわけもなく、先週までは会話はおろか目すらあったこともないのに。
何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。
わたし、なにかしたっけ?
空調の効いた教室で、暑くもないのに汗が流れたそのとき、右肩のあたりを何かでツンツンとつつかれる感触がしてりんは後ろを振り返った。
すると後ろの席の迫田さんが小さい紙片をりんの方へとそっと差し出し、小声で囁いた。
「倖君から。」
「えっ!?」
思わず大きい声を出してしまい迫田さんにしーっと窘められる。慌てて前をむくと先生がこちらを睨んでいた。
最近よくにらまれるなぁ。
すみません、という思いを込めてりんはぺこりと頭を下げた。先生は咳払いをひとつすると、それ以上咎めることもなくまた黒板にむかう。
りんはドキドキと弾む胸を押さえてため息をつくと、手の中の紙片に視線を落とした。
倖君から。
なぜ。
最近睨まれていたのは何か言いたいことがあったからだろうか。
うーん、告白?とか?
倖君の顔を思い浮かべる。彼はかっこいい。イケメンといわれる部類であることは間違いない。ただ、少々髪の毛が奇抜な色であるだけで。
彼の横に並んでいる自分を想像する。
ない。
完全に、ない。
自分の見た目はもさいのだ。そんな私に告白なんて、ないない。いや、そんなことを検証するまでもなく、授業中に手紙まわして告白なんてするわけがない。
では、何だろう。
こんなに開けるのをためらう手紙は初めてだった。だからといっていつまでもこうしているわけにもいかないので、勇気を出してゆっくりと少しずつ開く。紙は教科書の端っこを破いたもののようで、25と書かれた数字の上の方に予想以上に丁寧な文字で『いとこはいるか?』と書かれてあった。
……?
いとこ?
いる。
いとこは、いる、けど。
なぜ、そんなことが聞きたいのか。
謎は深まったけれど、とりあえず数字の下のスペースに『います。』と書いた。
……これ、まわさなきゃいけないんだよね?
こ、こんな変な目立ちかたはしたくなかったのに!
周囲の好奇心いっぱいの視線の中、先生が黒板を向いているタイミングを見計らって後ろの迫田さんの机にそっと紙片を置いた。
「倖君にまわしてくれる?」
小声でそうお願いすると、驚いたような迫田さんと目があった。
「……おっけー♪」
なぜか楽しそうにそう返される。紙片を受け取ってくれたことにほっと息をつき、前をむく一瞬。
倖君と目が合いそうになり、慌てて視線を外す。目はあっていないけれど、やっぱりまだ、彼は睨んでいた、と思う。
が、しかし、終わった。
よかった。
なぜいとこの有無を聞きたかったのか、よくわからないけれど、これでもう睨まれることもなくなるだろう。
ほっと胸をなでおろして授業に集中しようと努める。壇上では生物の先生が何やら葉っぱの絵を必死に書いている。チョークで書いているのにやたらとクオリティが高い。あれを書き写さないといけないのだろうか。絵は苦手なんだけど。
とりあえず葉っぱの輪郭だけでも書くべくノートに向き合ったそのとき。
ツンツン。
また、後ろからつつかれた。
まさかと思いつつ肩越しにチラリと後ろを見ると、やはり楽しそうな迫田さんの顔が。
「倖君から!」
と力強い小声で紙片を渡してきた。そしてなぜか親指を立ててグッとしている。
……なんだろう。
会釈を返し、かさかさと紙片を開いてゆく。そこに書かれた短い文章を読み、りんは唖然とした。
『どこにいる?』
どこにいる?
誰が?
まさか、いとこが?
なぜ。
まったくもって意味がわからないが、返事をしないわけにはいかない。
『母方のいとこが同じ市内にいます。』
とだけ書いて、また迫田さんに渡した。小声でゴメンね、と謝ると、迫田さんは嬉しそうに、まかせろ!と力強く頷いてくれた。
……なんだろう。
りんはノートに目を落とすと葉っぱを書いている途中であったことを思いだす。先生は黒板のリアルな葉っぱの隣に今度はやたらと写実的な花びらと雄しべ雌しべを一心不乱に描いている。りんはシャーペンを握りしめ再度葉っぱに取りかかろうとする。そのとき。
つんつん。
先ほどよりも、早い。
後ろを振り返り、さっと受け取り会釈を返す。迫田さんはやっぱり楽しそうにしている。
『母方のいとこは引っ越しを手伝いにきたことがあるか。』
……。
『あります。』
一言だけ書いて紙を折っていたりんは、ふと手を止めた。
……これって、いつまで続くんだろ。
倖君は、私のいとこのことを気にしている。
これは、間違いない。
いとこの何が聞きたいのか未だにはっきりしないが、倖くんが納得できるまでこのやりとりは続くのではないか。
こんな一問一答形式ではラチがあかないのでは。
よし。
折った紙を再度開き、先程の言葉の下に、シャーペンを走らせる。
『聞きたいことがあるなら答えますので、一回ですむように一気に書いてもらえたら助かります。』
よし。
これで、よし。
1人満足して、手紙をまわした。
今度の手紙はすぐにはまわってこなかった。
りんがりんなりに奮闘して葉っぱも花も書き終え、授業も終盤にさしかかったころ、ようやく手紙がまわってきた。今度は少し大きめの紙だ。
さぁ、とっとと済ませてしまおう。
いったい何が聞きたいのか。
『おまえのいとこに興味がある。連絡先など教えてもらえたら助かる。』
……。
きょうみ……?
興味がある、て、どゆこと?
まさか、ケンカ、とか?
どこかで揉めて、私のいとこであることを突き止めて、探し出そうとしている、とか?
いや、でもなぁ。
とにもかくにも。
いとこにものすごーく興味があることはわかったが、連絡先や住所を教えろとなると、話は早い。
『すみません。連絡先とかいう話でしたら、私の一存で教えてしまうわけにはいきません。個人的なことでもありますし……。申し訳ないです。』
大きめの紙を小さく小さくたたんで、さっと迫田さんにパスした。
次の瞬間、授業終了のチャイムが鳴り響く。
セーフだ。
危なかった。
迫田さんが席をたってしまったら、自分で直接、倖に手紙を渡しに行かなくてはならない。
きりーつれー
日直のやる気のなさそーな号令とともに頭を下げる。
その視界のすみで倖の机に手紙が置かれたのがチラリと見えた。
◇◇◇◇◇
「ねぇねぇ、林田さん!」
緊張のお手紙タイムが終わると、またもや後ろから肩を叩かれ迫田さんに話しかけられた。
りんは倖が見えないように振り返り、そっと席の方を伺う。
倖は席にいなかった。
よかった、とほっとしつつ、ようやく迫田さんに向き直る。
迫田さんはショートボブのきりっとしたきれいな人だ。あまり物怖じしない性格なのか、転校してきてすぐに話しかけてくれたのも迫田さんだ。その外見からクールそうに見えるのだが手紙のやりとりの時の対応を見ると意外とミーハーなのかもしれない。今も妙にキラキラとした目で見つめられていた。
「あのさ、あのさ、もしかして、倖君とつき合ったりとかしてるの??」
まさかの一言にりんの口がポカンと開いた。そうか、あのやり取りは親密そうに見えたということか。
「……まさか!つきあってないよ!」
「えー、そうなの?なんか何回も手紙回してるし、つきあってるのかなー?て。」
キラキラした笑顔で返してくる迫田さんに苦笑する。確かにそう思われてもしかたないかもしれない。
「手紙は、私もびっくりしちゃって、」
「ホント!倖君、あんまりクラスのみんなと仲良く話してるとこ見ないからさ。隣の組の柴田君くらいかな?仲良さそうなの。」
「そうなの?」
「そうそう。このクラスになって半年以上たつけど話しできる人なんて、いないんじゃない?私もこんな性格だから何回も話しかけたことあるんだけど、もーガン無視!林田さん転校してきたばっかですごいと思うよ。あ、りんちゃんて呼んでもいい?」
りんちゃん!これはお友達第一号を作る絶好のチャンスでは。
こんな風に話しかけられたら自然と笑顔が出てしまうのに、これをガン無視できてしまう倖はある意味すごいのかもしれない。
まぁ、倖くんきっかけで迫田さんと仲良くなれそうなのは有り難いけれども。
「もちろん、いいよ!……あ、迫田さん、わたしも、」
「……あ!ごめん呼ばれてるみたい、またあとでね!」
さーこーっと廊下から呼ぶ声に迫田さんは軽く手を上げて返事をする。立ち上がりながら、ごめんね?と手をあわす仕種をするので、大丈夫だよ、という意味を込めて小さく手を振りかえした。
迫田さんは呼んでいた生徒と一緒にしばしキャラキャラとドア付近で笑いあうとそのまま教室を出て行ってしまう。
残念。
りんは軽く肩を落とした。
せっかくもっと仲良くなれそうだったのに。こんなチャンス、もうないかもしれないのに。
いや、そんなことはない。
チャンスはあるはずだ、だって後ろの席だし。
その時のためにも迫田さんの下の名前、予習しといとたほうがいいかな?せっかく、りんちゃん、て呼んでくれるんだし迫田さんのことも名前呼びしたい。
……そういえばさっき、さこ、て呼ばれてたな。うーん、私にはちょっとハードル高い呼び方かも。
休み時間はまだ少しある。りんは配られていたプリントにクラスの係りの名簿があったのを思い出し、名前が載ってないか取り出して見てみることにした。
彼女は確か掲示物係りじゃなかっただろうか。ちなみに転校したてのりんはまだ何の係も割り振られていない。担任の先生に忘れられている可能性大だ。
A7の用紙の中程に倖の名前があった。体育用具係り。なるほど。
その先を指先で追いながら見ていた時だった。
眼鏡の外、レンズのきれている向こう側を、よたよたと歩く何かが横切った。りんの右手側の机の横をよたよたと教壇のある方へと歩いてゆく。
生徒しかいない、この教室で。
紺のチェックのヒダスカートか同じ柄のズボンを履いている生徒しかいない、この教室で。
そのよたよたと歩く物は白のワンピースらしきものを身につけていた。あえてしっかり確認なんてしないからわからないが、トップスとボトムが同じタイミングで揺れ動いている気がしたから。それが前の方へと歩いていき、眼鏡の端から消える一瞬。
真っ白いスカートの裾に赤黒いシミが広がっているのがチラリと視えた。
どきりと、りんの心臓が跳ね、鼓動が早くなる。
久しぶりに、視えた。
でもそれだけ。大丈夫。わたしにはこれがある。
眼鏡にそっと触れて眼鏡の外の部分を手のひらで覆い隠す。
大丈夫。
もう視えない。
もう、視えない。
しばらくそうしてじっとしているうちに、休み時間は終わり授業の始まりを知らせる予鈴がなった。
倖が教室の前の扉から入ってくる。ちらりとこちらを見た気がしたけれど、気づかないふりをした。
後ろの席の椅子を引く音がする。迫田さんが、席に戻ってきたらしい。
日直のやる気のない号令が響く。
きりーつれーちゃくせーき。
りんも、慌ててそれにならう。
そうして、両手をそっと眼鏡から外した。
眼鏡の外には、もう何も見えなかった。