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「そういや、あの商店のばあさんさぁ、息子を30年前に亡くしてるらしいぞ。」
翌日の昼食時、当たり前のようにりんの前の席に移動してきた倖は、ガタガタと座るなりそう切り出した。
目の前ではりんがキョトンとしたふざけた表情で倖を見返している。
手元で広げられた小さな弁当箱は、相変わらず愛情たっぷりのキャラ弁だった。
今日はプーさんか。
お稲荷さんでこさえたらしいプーさんのクオリティの高さに驚きつつ、火事で亡くなったらしい、とつけ加えた。
「……火事。」
りんがびくりと表情を強ばらせた。
「……ということは、あの運動場のあれは、息子さんの可能性が高い、ということでしょうか。」
「たぶんな。……火事だから、あんな姿、なのかもな。」
低い声で倖が言う。そうかもしれませんね、とりんが呟いた。
倖は持ってきたビニール袋をガサガサとひっくり返すと、何個もの黒い物体が机の上に転がった。
「今日の昼飯、ばあさんの店で買ったんだよ。ばあさんおすすめの爆弾おにぎり。」
「……ばくだん、」
得意気に倖が教えてくれた机の上のおにぎりをりんは凝視する。
普通のおにぎりの2倍はあろうかという大きさで1個100円だという。
しかも、中身は食べてみないとわからないという謎の闇鍋的設定のおにぎりだった。
「中身がわからないって、怖いですね。」
「そうか?食えないもんが入ってるわけでもないし、俺は特に気になんないな。」
そうして、あっさりと一つ目にぱくついた。
「倖くん、何が入ってましたか?」
好奇心を押さえきれずそう聞くと、ニヤリと笑って中身を見せてくれた。
「おかか。」
「え、おいしそうですね。」
「何だよ、怖いっつった割には興味津々じゃねえか。1個やろか?」
倖はつんと黒い爆弾おにぎりを弾いてりんの方へと転がした。
「……正直に言うと食べてみたいんですが、これ丸々一個とお弁当の両方は食べ切れなさそうです。」
なので断腸の思いですが遠慮しときます、と頭を下げるりんに指を舐めながら倖が馬鹿にしたように鼻で笑った。
「たったこれっぽっちも完食できないのか。……まぁ、別に食いきれなかったら俺が弁当食べてやってもいいぞ。」
「じゃあ、いっそのことお弁当をおかずにおにぎりを食べますか?……大した量はないんですが。」
「いいのか?」
と、いそいそとりんの弁当を物色しだした。見やすいようにと、りんが机の真ん中まで弁当箱を押し出す。倖は早速唐揚げに手をのばした。
りんは机の上にごろごろと転がっているおにぎりを一つ一つ手に取り物色する。
「どうせ中身わかんねんだから、悩む必要なくね?」
と、倖は唐揚げを頬張りながらりんに言った。
わかってますよ、と倖を牽制しながらりんはエイヤッとおにぎりを選ぶ。
「つうかさ、あいつがばあさんの息子だとして、結局何がしたいんだろうな?」
唐揚げうまい、ともぐもぐと口を動かしながら倖が言った。
「何がしたい、のか、ですか?」
りんも負けじと大きなおにぎりにかぶりつく。残念なことにりんの一口では中身に到達できなかった。
「なんかさぁ、篠田と今田以外にも校庭で転んだ後体調不良になったやつって何人かいたみたいなんだよな。その後体調不良で学校休んでたみたいだけどさ、話聞いてみると、早めに治療できてよかったねって病院で言われたっつって、元気になってんだよな。」
りんはもう一度大きく二口目を頬張るが、まだ中身には到達できないらしい。悲しそうにおにぎりを見つめながら、確かにそうですね、とりんは頷いた。
2日前、長期間休んでいたもう1人の今田さんも元気に登校してきていた。もともと、肺に持病があって小康状態だったものが少し悪化したらしいのだが、早めに診察に行ったおかげで簡単な治療ですんだそうだ。
篠田さんも今田さんも元々あった持病が悪化したと思い病院に行ったけれど、実際は大したこともなく早期治療で済んだ、と考えていいのだろうか。
ん?だとしたら……。
「えっと、それって結局のところ、あの匍匐前進してる幽霊が人の役にたってるってことですか?」
めちゃくちゃポジティブシンキングですね、とりんが呟く。
「人の役にたってるっつーか、……たってるのか。転んだ時は痛かろうが病気は初期の段階で治ってんだから。その初期の症状の病気ってのが元からあったものか、転ばされて病気になったのか、てのにもよるけど。」
「元からだと、思います。少なくとも今田さんは元々肺が弱くて経過観察してたみたいですし、篠田さんもだいぶ前から胃痛に悩まされていたみたいで。」
「そうなん?」
頷いて、もう一口おにぎりを齧る。ようやく具に到達したりんは嬉しそうに中身を倖に見せた。
「倖くん、唐揚げでしたよ。」
「俺が食いたかった。」
食い入るようにおにぎりを見つめる倖に得意そうに、あげませんよ、と隠しお弁当の卵焼きを口に入れた。
「そういえば、どうやってわかったんですか?」
「なにが。」
「30年前の亡くなった生徒さんて、どうやって調べたのかなーって。」
りんは視線を彷徨わせながら、よくあるじゃないですか、と続けた。
「公立図書館とかで刑事の奥さんとかが新聞めくってめくって、あった!この記事だ!みたいな。」
ちゃちゃーん、と音程までつけてりんが言う。
「そういうことするんだったら、ちょっと私もしてみたかったなーて。」
そういや、こいつ、推理物が好きなんだったか、と倖が眉をしかめた。
もしかしたら2時間ドラマのサスペンス物にもはまっているのかもしれない、と思ったが突っ込むと話が広がりそうだったので無視して疑問に答えた。
「あー、柴田いるじゃん?隣のクラスの。あいつさ、現国の沢ちゃんとつきあってんだよな。」
と、りんにとってはとんでもない情報を突然暴露しだした。
「えっ、え?先生と生徒さんが、つきあってるんですか?……彼女って、恋人とか、そういうの……?」
狼狽えだしたりんを無視して倖は続ける。
「だから沢ちゃんにちょこっと調べてもらったんだけどさ、学校の歴史、みたいなの。防災のところに、運動場の片隅にあった木造の用具室が火事になって、男子生徒が1人亡くなったらしいってさ。」
さっきの転んで体調悪くなった他の生徒を調べてくれたのも実は沢ちゃんなんだけどな、と倖はペロリと舌を出した。
「何だその微妙な顔は。」
りんは左手で口元を覆い、弁当箱のソーセージをガシガシとフォークで突き刺そうとして失敗している。
「……いえ、あの、沢先生と柴田くんの件の衝撃が、まだ、」
「忘れろそれは。」
忘れろというくらいなら言わなきゃいいのに、とりんは不満そうに口をとがらせた。そして、ようやく突き刺したソーセージを持ち上げた瞬間に素手で倖に奪われてしまう。
「……!?」
「うんまっ。」
あんぐりと口を開けたままのりんを真正面で確認すると、そっぽをむいて倖はおにぎりに食らいついた。
りんはまたもや口を尖らせると気を取り直すように眼鏡の位置をなおした。
「……火事って、用具室って火の気とか、ありましたっけ?」
「あぁ、……用具室の裏が不良?のたまり場になってたらしいから、タバコの不始末とかじゃね?」
そうして倖は自分の前髪をつまみ上げて眺める。
「商店のばあさんが言ってたんだよな。俺みたいな髪したやつに、あんまいい思い出ないって。」
もしかしたら、虐められてたのかもな、そいつ、と倖がポツリと言った。
「もし本当にいじめられてて、火事もそいつらが原因だったりしたら、普通恨むよな?」
「……恨む、と思います。」
りんがおにぎりにかぶりつくのをやめて微かに俯く。
陰になったりんの表情からは何を考えているのか伺いしれないが、そういや本人が認めてないだけで前の学校で虐められてたんだったか、と倖が納得する。
「だからばあさん、俺への対応悪かったらしーぞ。」
りんはチラリと倖に視線をむけると、その金色の頭を見た。
「……じゃあ、おばあさんにとって倖くんて結構なトラウマ対象だったのでは。」
たぶんな、と倖が即答した。
「でもまぁ、和解したっていうか、普通に話はできるようになった。」
りんはその倖の言葉に驚いたあと、また俯いた。
「……倖くんて、すごいですね。昨日駅で別れてからの短い時間で、おばあさんと仲良しになってしまうなんて。」
「いや仲良くはない。」
「……すごいコミュニケーション能力です。わたし、まだクラスにも馴染んでないのに。」
と、食べかけのおにぎりを手で弄びながらうじうじとしだした。
「馴染んでるだろ?」
その一言にりんは大きくかぶりを振った。
「空気のように馴染みたいわけじゃないんですよ。……友達が欲しいんです。」
「迫田は?」
「さ、迫田さんはまだ発展途上かな?」
「じゃ、俺は?」
倖の予想外の自分推しにりんは驚き口ごもった。
「ゆ、倖くんは、えと、前までは友達、だったのかな?で、でも、ある事件があって無視されるに至り、」
「ある事件言うな。……無視したのは悪かったけど、友達でいいだろ、もう。」
そ、そうですね、とりんはしどろもどろになりながら言うと、おにぎりを口に持っていきもごもごと咀嚼した。
その様子を見ていた倖も大きくため息をついて、食事を再開する。
「あのさ、前も聞いたけど、こういうのって解決できたりしないのか?」
「解決?」
意味が分からず首を傾げるりんに倖が続ける。
「除霊とかはできないってお前言ってたけど、やっぱ何か他に方法あったりしないのか?」
「……ないですよ。」
むっとしたようにりんが残り1つのソーセージを齧る。
「少なくとも、私はできませんよ?」
「でもさ視えるんだったら何かできないのかなって、」
「視える、けど何もできません。」
「んー、絶対?」
あくまで軽いノリの倖にりんは脱力する。
「本当に、視えるだけなんですよ。」
「霊と話して未練を断ち切ってあげる、とか。」
「できません。てゆうか、あの人たち人の話なんか聞いてくれないですよ。」
「うーん、あ、おまえ内臓触れるじゃん。」
「触れたから何だって言うんですか。」
げんなりしたようにりんが言う。
触れるのもいるし、急に触れなくなったりするし、こっちが触れないのに向こうだけ触ってこれるという場合もあって、りんだって意味がわからないのだ。
倖は弁当に残った最後の卵焼きを口に放り込んで、ラスト卵焼き食っていいか、と咀嚼しながら聞いてくる。
もう食べてるじゃないですか、とりんも半分ほど残ったおにぎりにかじりついた。
やはり大きいだけあってなかなか減らない、と少し焦りながら。
倖は、やっぱりどうにもできんのか、と呟くと最後のおにぎりにかぶりつく。
「ああいうのって、そこら辺にいっぱいいたりすんのか?」
「……なんか、質問ばっかりですね。どうしたんですか?」
「どうしたって、普通あんなの視ちゃったら、いろいろ気になんだろ。」
からかっている風でもない真剣な顔した倖の質問に、りんは気圧されたようにゆっくりと口を開く。
「……私の感覚からすると、そこら辺にいっぱいいるわけではないと思います。うーん、ぽつりぽつりって感じかな?……定位置にいるのは意識して視ないようして、運悪く視てしまったものは、……恐いなぁて、素直にびびってます。」
「……なんだそれ。」
「だって、それしか出来ないんですもん……。あ、そういえば、この教室にもいらっしゃいました。」
「……いらっしゃるのか?」
「はい。最近よく視えるんですけど、といっても眼鏡の端からしか視れてないので、全身を視たわけじゃないんですが。白いワンピースのようなものを着たのが、ここに座ってると右横を通るんです。」
りんが、すぅっ、と右手を指し示すと倖が首を伸ばしておっかなびっくり覗き込む。
「ということは、俺の席から見たら左を通ってるわけだな。」
「えっと、たぶん。後ろから来てると思うんですけど、あえてじっくりとは視ていないので。」
やっぱり食べきれない、と3分の1ほど残ったおにぎりを再度サランラップに包み直していると、倖がちょいちょいとそれを寄越せジェスチャーをしてきた。
「ふーん。……なぁ、昨日のおまえの眼鏡かけたら、俺もその白いワンピースのやつ、視れるかな?」
おにぎりを手渡しながらの倖の言にりんが驚いた。
「……せっかく視えないのに、なんで視たがるんですか。」
「なんでって言われても、……好奇心?怖いもの視たさ?」
「……わかりました。今度視えたら合図して眼鏡渡しますね。」
知りませんからね、もう、と呆れ顔でりんが言った。
倖は受け取ったおにぎりにかぶりつきながら、よろしくぅ、ともごもごと言う。
「……あの、それ、私の食べかけですよ?」
すでに全量が倖の口の中だが、とりあえず言ってみる。すると、俺気にしない、とあっという間に完食してしまった。
見るとお弁当箱の中身も空だ。
「本当によく食べますね。」
片づけながら、感心します、というりんに、いや男はこれくらいが普通だから、と倖が即答した。
「あ、俺今日一緒に帰れないわ。商店のばあさんのとこ行かんといけん。」
「そんなにおばあさんと仲良くなったんですか?」
「いや、昨日ばあさんとこの洗濯機壊したから弁償の話しに。」
昼は客がいっぱいで話せなかったんだよな、とサランラップを集め始める。
弁当箱をハンカチで包みながら、どしたら他人様のおうちの洗濯機を壊すとかそんなことになるんですか、とりんは呟いた。
「……色々あったんだよ。」
「そうですか……。ちなみに、ほ、放課後ぶらぶらするのって、つ、続けるんですか?」
正直倖から『今日は』一緒に帰れない、と聞いて心臓が跳ね回っているのだ。ということは、だ。それは、明日からも毎日一緒に帰る予定だけれども『今日は』帰れない、ということなんだろうか?
「別にいーだろ、もう。どうせ暇だろ。」
「暇、ですけど……あ、でも今日は図書館に行くんでした。暇じゃありません。」
「図書館~?……おまえ、あの佐藤とかいうやつに愛想よくすんじゃねぇぞ。てか無視しろ。」
「できませんよ、何言ってるんですか。私に愛想よくしてくれる人なんて、そんなにいないから貴重なのに。それに、話しかけてくれてるのに無視するなんて失礼です。」
「失礼じゃねぇ。むしろ向こうが失礼だ。」
「……ちょっと何言ってるかわからないです。」
と、りんは頬を膨らませた。
それを見るなり、倖はりんから視線を外し口元を押さえて呻く。
りんは口を尖らせたまま、水筒からお茶を汲むとふぅふぅと息を吹きかけていた。
猫舌か。
倖もペットボトルの炭酸飲料を手に取りながら、また、視線をそらした。
さっき。
柴田と沢ちゃんの話になったとき。
狼狽えているりんを、一瞬。
本当に、一瞬。
か、かわいいとか、思ってしまった。
そして今目の前でぶーたれてんのも、ちっとかわいい、とか思ってる自分がいて死ぬほど嫌だ。
かわいくないのに。
小顔ではあるが、眼鏡とその奥に収まった目が全てを台無しにしているのだ。
客観的にみれば。
そうだ、客観的に考えればかわいくないだろ、どう考えても。かわいいと思ってしまったのは主観であるから、えっと、客観と主観てどっち優先すればいい?
それに、俺には一目惚れした〝あの子〟がいるし、いるのにな。
また軽く混乱する思考をりんに気取られないように、ごっそさん、と倖は手をあわせた。
それにりんも、ごちそうさまでした、と倖ににっこりと笑ってみせたので、倖はさらに客観と主観の狭間で悩むのだった。




