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サッカーコートの手前で佇む女子生徒を、倖と柴田はパック飲料をズビビと啜りながら学校の屋上から見下ろしていた。
女子生徒は何をするでもなくコートの横にただ突っ立っている。
「なんか、毎日、何やってるんだろね。りんちゃん。」
「……知らね。」
柴田の問いに倖は興味なさそうな振りで素っ気なく答えた。その言葉に責めるような視線を向けてくる友人に気づいてはいたが、素知らぬ顔でやり過ごす。
そんな倖を呆れたようにみると、柴田は再度下に視線を落とした。
「サッカー部を見てるのかな?」
「さぁ?」
「誰か好きな人ができたとか?」
「知らん。」
「……おまえさぁ、ここんとこりんちゃんのことに関して、知らね、しか言わないけど。」
その柴田の言にも危うく、知らね、と言いそうになって、倖は慌てて言葉を飲み込んだ。
そんなことを言われても、知らないものは知らないのだから、仕方ない。
そのりんはまだ動かずに、コート横にぼけらっと佇んでいる。
……ホントに何やってんだ?あいつ。
りんと連まなくなったおかげで放課後することもなくなり、倖と柴田は毎日のように屋上でだらだらと過ごしている。しかしそうするとりんの行動がイヤでも目に入ってしまった。
とっとと帰宅すればよいものを、この一週間、花壇横で何かを拾う素振りを見せたり、かと思えば右手奥の野球場のあたりでうろうろしていたり。
今のようにサッカーコートの前で立ちすくんでいたり。
2、3日前も同じような場所で立ちすくんでいたが、あの時は、やはり何かを拾う素振りをして花壇横までわざわざ置きに行っていた。
そう。
何かを、わざわざ、置きに行っているように見えたのだ。
屋上からだとりんが手にしているものが見えないのかと思い、試しに花壇横を歩いて帰ったりしたのだが、彼女が何かを置いていたと思われるあたりには、どれだけ目を凝らしても何もなかった。
なんなんだ、いったい。
倖が半眼でりんを見下ろしていた、その時。
サッカーコートの中央で大きくボールが蹴られるのが目に入った。
それが緩く弧を描き、真っ直ぐりんに向かうのがわかると、倖は思わず金網を掴んで立ち上がった。
反射的に声をあげようとした倖よりも早く、サッカー部員がりんの方に走り込みながら何事かをりんに怒鳴った。
彼はボールとりんの間に入り込むと、りんにぶつかりながら胸でサッカーボールをタップする。そのまま足元に落とし込んだボールを思い切り蹴り上げコート内へと戻っていった。
当のりんはといえば、ボールが飛んできたことにも気づいていなかったのだろう。ボールに、というよりもぶつかられたことにびっくりしているようだった。何歩か後ろによろけたものの転ばずにすんだその様子に、大して強くぶつかられたわけでもないだろうことがわかった。
転ばずに耐えたりんが走り去ったサッカー部員の方へと視線を向けている。キョトンとした表情までも目に浮かぶようだった。
倖はほっと胸をなで下ろす。怒鳴られたみたいだが、ぶつかって転んだり怪我などしなかったのならそれでいい。
ずるずるとしゃがみこみため息をつくと、横でニヤニヤとこちらを見る柴田と目があった。
「……なんだよ。」
「いやぁ、倖ってりんちゃんのこと、好きなんだなぁ、て思って。」
「おまえはアホか?」
俺は一目惚れしたあの子のことが好きだっつってんだろ、と睨みつける。
「そりゃそうなんだけど。りんちゃんのこと心配するくらいには、心境の変化があったってことなんじゃない?」
「……ちっと顔見知りなったから気になっただけだっつぅの。」
顔見知りねぇ、と柴田が呟き運動場へと視線を落とした。
コート前でしばらく立ち止まっていたりんだったが、結局くるりと踵を返すとゴール横を通って正門へとむかっていく。
「あれ?今日は変な動きしないんだね。」
「……。」
「毎日、何してるんだろね、りんちゃん。」
「……。」
「ねぇねぇ倖、何してるのってりんちゃんに聞いてみてよ。」
「……いやだね。自分で聞けよ。」
「だって、倖の方がりんちゃんと仲良しさんじゃん。」
僕、話したことないもん、と柴田が口を尖らせた。
「仲良しじゃねぇ。」
こちらを見もせずに呟く倖に、柴田は眉をしかめた。
「あのねぇ、倖、ちょっと大人気なくない?」
「なにがだよ。」
露骨にりんちゃん避けすぎでしょ、と柴田が言う。
倖はぐっと言葉につまり、絞り出すように声に出した。
「……避けてねぇ。」
「避けてるよ。」
「用事がなくなっただけだよ。」
「用事、って連絡先聞くやつ?」
「そうだよ、もう、仲良くする必要ねぇし。」
その手のひら返し、けっこうひどいと思うけどね、と柴田は呟く。
「そういや、眼鏡とって、ってお願いしてみるやつは?」
倖は苦い顔になり、やめた、とだけ返した。
「え、なんで。」
「どう考えても違うだろ、あいつは。」
だからその可能性を消すためにも素顔見せてもらったほうがいいんじゃないの、と柴田は呆れて言う。
「まぁ、倖がそこまで言うんだったら、僕は別にいーけどさ。けどなぁ、乗りかかった船じゃないけど、僕、りんちゃんの素顔、めっちゃ見てみたかったんだけど。」
何を言い出すんだこいつは、と、倖は胡乱な目で柴田を見た。
「だってさー、りんちゃん、縁なしの眼鏡にしたら大分雰囲気変わったじゃん。」
「……まぁな。」
倖は渋々頷いた。
「縁なしかけてるりんちゃん見かけたときさぁ、すんごい、眼鏡取ってみたいって思っちゃったんだよね。」
なんだそれ、と今度は倖が呆れて柴田を見る。
「変態か。」
「なんでだよ、倖ほどじゃないよ。ねぇねぇ、倖がさ、もうりんちゃんに興味なくしたんだったら、僕が直接聞いてみてもいい?」
眼鏡とるお願いとおかしな行動の理由、聞いてきてあげるよ、と首を傾げた。
それを聞いて倖が明らかに機嫌を悪くする。ぶすくれて口もへの字、思い切り眉もしかめている。
なんてわかりやすい、と柴田は面白そうに倖を観察した。あまり感情が顔に出るタイプではないと思っていたのだが、こと一目惚れした女の子とりんのことになるところころとよく表情を変える。
倖自身が、そのことに気づいているのかどうか。
やがて、倖が嫌々仕方なくといった体で口を開いた。
「……わかったよ。俺が聞いてみる。」
「お!じゃあ、期待しないで待ってるよ。玉砕したら俺にバトンタッチね!」
そう言う柴田を睨みつけながら、倖が微かに頷いたのを見て柴田は楽しそうににんまりと笑ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
倖は運動場を1人で歩きながら、柴田と話した内容を思い返し悶々としていた。
柴田は沢ちゃんとデートの約束があると行って走って先に帰ってしまって、既に姿は見えない。
校庭にはサッカー部も既にいない。時刻は7時半をまわっていて、人のいないコート内はすでに闇の中で寒々として見えた。
倖は先ほどまでりんが立っていたあたりで足を止めた。
毎度のことだが、何もない。
倖と一緒に帰っているときには、あんな訳のわからない行動はしていなかったように思うのだが。
けれど、ふと思い出す。
そう言えば、この運動場でやたらと押されまくった気がする。……だから何だという感じだが、りんの不審な行動と言えばそれくらいしか思い当たらない。
倖は大きくため息をつくとサッカーコートをそのまま突っ切って歩きだした。
りんを避けているのは、別にあいつのことが嫌になったからとか、用済みだからもう興味ないとか、そんなことではないのだ。
確かに『例の件』のせいで、りんをみる度に多少なりともムカつくし、なぜそうなった、と腹が立っているのも真実なのだが。
改めて考えてみると、倖はりんになかなか情けない姿を晒してしまっている。そこに思い至ったとき、何やらものすごく居たたまれなくて顔を合わせづらくなり。
そして一度、そういう態度をとってしまったら、そこから引き返せなくなってしまった。
ただ、それだけなのだ。
あとは。
自分の無意識の行動を自覚してから、胸のあたりがもやもやする。
そう。
最近、ふと気づけば視線でりんを追っている。
それはドキドキするとか、そういったものとは正直程遠く、本当にただ気づけば視界に入っているのだ。
そういうときには総じて、脳内にまるで絵画のように過去の1コマ1コマが、フラッシュバックのように鮮烈に甦る。
靴箱のとこで振り向いたあいつが、逆光効果で八割り増し、何となく、かわいく見えたような気がしたところとか。
昼食時に大量のパンを平らげる倖を見て、マヌケ面で呆気にとられているところとか。
UFOキャッチャーの台を職人のような眼差しで吟味して、ゲットした獲物をドヤ顔で掲げているところとか。
カーレースで倖に負けて、死ぬほど悔しそうにしているところとか。
図書館で見た、うなじの感じと太ももの白さとか。
……ちょっと待て。
倖はこめかみに手を当てて呻いた。
違う。これは違う。絶対に。
視界に入ると妙にそわそわして落ち着かないが、それはきっと、急に話しかけなくなったことへの後ろめたさからだと、そう、きっとそうに違いない、と自分に言い聞かせて納得させる。
それに、あの子のことを考えているときの胸の高鳴りとりんのそれとは一線を画すのだ。
だから一層、意味がわからず、混乱するのだった。
そうして暢気な柴田との約束を思い出し顔をしかめる。自分がりんと距離を置いているからといって、柴田がりんに近づくのは何故か許容できなかった。
あいつのことだから、容量よくりんに取り入り、あっという間に仲良くなってしまうに違いない。
もしかすると、自分よりも。
ムカつく。
それを想像しただけでイライラとしてしまったので、思わず、自分で聞くと言ってしまった。
自分で聞くと言ってしまった以上、実際に聞かなければいけないのだが、この一週間、あからさまに避けてしまった手前非常に声がかけづらい。
とりあえず、明日。
あした、何て声、かけようか。
なるたけ自然に見える方法はないかと思い巡らしながら、倖は駅へと向かい帰路についた。




