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OH MY CRUSH !!  作者: 文月 七
18/32

 早朝の教室。

 10月に入ったばかりではあるが、今朝はかなり冷え込んでいる。

 窓の外には冬空らしい、薄い青空。手前にある裸の桜の木の枝にはぷっくりと肥えた雀が三羽止まり、毛繕いをしている。

 そのふくよかな様は見ているだけでほっこりと暖まるようだが、林田りんが着席する教室内は外よりも寒々としていた。

 りんの他には、まだ誰も登校してきていない。

 そのキンと冷えた空気の中、緊張のあまり汗ばむ手を握りしめ微動だにせずにりんは自身の席に着席していた。 

 一番乗りで登校したのには、理由があった。


 原因は眼鏡である。


 いとこの慶が勧めてくれた縁なしの眼鏡。山とつるは赤銅色で、以前の黒縁の眼鏡に比べると、印象がだいぶ軽やかになった。

   

 視えるものを視えなくしてくれていた、黒縁の眼鏡。


 それが何が原因なのか突然その用を足さなくなってしまい、慌てて慶の勤める眼鏡屋に駆け込んだのだ。

 そこで熱心に薦められたのが、この縁なしの眼鏡だった。

 これなら今日にでも引き渡しできるから、と言う慶は渋々縁なし眼鏡を試着したりんを見て、似合う似合う、と無責任なことを言って笑っていた。

 けれど、実際のところどうなのか。

 結局押し切られる形で購入して、自宅で何度となく、なんなら角度も変えて鏡を見てみたが、到底似合っている自信などつかなかった。

 今日登校するにあたり、印象が違う姿で満員の教室に入る勇気など全くなかったので、いつもよりも大分早めに登校したのだった。

 攻め込むよりも、迎え撃つ方が気が楽、とでも言おうか。

 それに、予習をしているふりをして顔を俯かせていれば、眼鏡が変わったことに気づく人なんて、そうそういないはずだ。

 そうだ、きっとそうだ。

 りんがそう自分を納得させていたとき、数名の生徒が廊下ではしゃぐ声が聞こえた。

 りんはわたわたと横にかけたリュックから手探りで教科書を掴みとり机に広げる。

 予習している振りをしようとするも、掴みだしたその教科書がよりにもよって美術の教科書だとは。

 適当に広げたページには写実的なスケッチが、君も書いてみよう!との文言つきで載っている。やたらリアルな伊勢エビのスケッチに目を奪われながら、これは予習すべき内容ではないかもしれない、と冷や汗をかく。

 他の教科書に変えようとリュックに手を伸ばしたとき、廊下でたむろしていた生徒が引き戸を開けて入ってくる音がした。

 りんは慌てて手を引っ込めて教科書へと視線を落とした。

 挨拶を交わす明るい声が交錯し、やがてその声の主がりんの後ろの席へと到着した。

「りんちゃん、おはよー!早いね??」

 その声に僅かに後ろへと視線をむける。

「おはようございます、迫田さん。」

 チラリと見えた彼女は、珍しく似合いのショートボブを外側へと跳ねさせている。普段はきれいに内側にカールさせているのに。

 りんの視線に気づいたのか、彼女は頬を流れる一房を持ち上げると、眉を下げてそれを見つめる。

「アイロン、壊れちゃったんだよねぇ。櫛とドライヤーで必死に直そうとしたけど、無理だったよ。」

 舌を出して照れたようにそう言った。そのまま席につくと彼女はリュックを降ろしながらりんの机上をちらりと見る。

「りんちゃん、予習?えらいねぇ……えび?」

 怪訝そうな彼女に、絵苦手だから!あは、と笑って誤魔化した。

 すると迫田さんが、あれ?と怪訝そうにりんの方へと顔を近づけてくる。

「りんちゃん、眼鏡変えた??」

 い、いきなり気づかれた!

 ドキドキと視線を彷徨わせながら、意味もなく眼鏡に手をあてた。

「……い、いとこに、勧められて。」

「いいねぇ、いいと思うよ!すっきりしたし、明るくなったよ!」

 前の眼鏡も萌え萌え感じで、ストライクだったけどねぇ、と彼女は意味不明なことを呟いた。

「あれだね。縁がないだけで、ずいぶん印象変わるね。」

「……変かな?」

「変じゃないよ、かわいいと思う。」

 迫田さんは馬鹿にするでもなく、ごく普通にそう答えてくれた。

 りんは拍子抜けしたように全身から力を抜いた。お世辞であるとわかっていても、ほっと安心した。以前通っていた学校ではこういう時、友人達からひどくからかわれたり、あまり似合わない、とばっさり切られたりしていたから。

 友人だから遠慮することなく、正直な感想を言ってくれているのだと思ってはいたが、それでも、次第に外見に変化を加えることが怖くなってしまった。

 けれども、てらいのない迫田さんの褒め言葉にりんは素直に、嬉しい、と感じた。

「……よかった。」

 安心したように胸をなで下ろすりんを、彼女は首を傾げて不思議そうに見ていた。

 また教室の扉が開き、昨日までよく一緒にいた金髪の青年が教室へと入ってくるのがチラリと見えた。

 倖は相変わらず眠そうな目で教室へと入ってきたが、途中ぼんやりと倖を追っていたりんと目が合った。

「お、おはよう、ございます。」

 反射的に、蚊のなくような小さな声で挨拶をする。

 倖はむっつりとした顔で、おぅ、と低い声で返事をするとスタスタと行ってしまった。

「ケンカでもした?」

 迫田さんが心配そうに聞いてくる。

「ケンカ、というか、まぁ、いろいろありまして。」

「そっか。ま、つき合ってりゃそういうこともあるよ!」

「つきあってません!」

 そんな恐ろしい勘違いにりんが必死に否定するも、まぁまぁ、と手をヒラヒラと振って、ところで、と彼女は話題を切り替えた。

「りんちゃんさ、コンタクトにはしないの?」

 ぐいっと上半身を乗り出してきて間近で顔を凝視してくる迫田さんにたじろぎながら、りんは答える。

「何年か前に試したんだけど、めちゃくちゃ痛くて、断念しました。」

 そう、1度だけではなく、3度もトライしたというのに。

「そうなの?あたしもコンタクトレンズなんだけどさ、痛くなくて違和感もない新しいのも出てるよ?また、試してみればいいのに。」

「ん~、いとこにも、もう一度チャレンジしてみればと言われてるんだけど、まだあんまり勇気でないというか……。」

 りんはごにょごにょと口ごもった。

「そんなに痛かったの??」

「激痛です。……あとは、痛かった、というのも、あるんですが……。」

 さらにもごもごと口ごもり、煮え切らない態度のりんにかぶせるように、なになに??と迫田さんが問いただしてくる。

 断念したのは、痛かったことだけが理由ではなかった。コンタクトレンズは、眼鏡の端にちらりと視えるアレを100%視えなくしてくれる、りんにとって大きなメリットがある矯正用具だ。

 なのに、断念した。その本当の大きな理由は。

「……眼鏡、取ると、あんまりかわいくないみたいで。」

「なにそれ?」

 迫田さんは怪訝そうな表情で言った。

「かわいくない、というよりも、むしろ、恐い顔になってしまうみたいで。」

「なに、それ?」

 迫田さんが眉をしかめて言った。

「なので、無理にコンタクトにしなくても、眼鏡のままで、いいかなと思」

「なに、それ!!」

 迫田さんが驚きの表情で言った。

「なにそれ、って何が?」

 その剣幕に引き気味にりんがそう尋ねると、あのね、と憤懣やるかたないといった様子で迫田さんが口を開く。

「りんちゃん、それ、自分で自分の顔見てそう思ったの?……それとも、誰かにそう言われた??」

「ま、前の学校の、友達に、」

「……大丈夫。絶対、恐くなんかなんないよ、りんちゃん!」

「そう、かな?」

「そう!あ、ほら、試しに今眼鏡取ってみてよ。」

 私がしっかり見てあげるから、と迫田さんがさらに身を乗り出してくる。

「え。」

「ほらほら。」

「ちょっと、待って!いや、あの、今、けっこう人いるし、無理っぽい、かな。」

「……そう、残念。」

 りんちゃんの素顔、見たかったのにな、と心底残念そうに迫田さんが呟いた。

 その表情に何故か悪いことをしてしまった気分になり、すみません、とりんが頭を下げた。

「いやいや、そんな頭下げるようなことじゃないから!残念は残念だけど、大丈夫だよ、気にしなくても。……りんちゃんは色々気にしすぎたと思うよ。」

 カラリと扉が開き、担任の先生が教室内へと入ってくる。迫田さんとお喋りしているうちに、いつのまにかHRの時刻となっていたようだ。

 りんは慌てて前を向くと日直の号令がかけられた。

 起立して軽く頭を下げながら、そういえば迫田さん以外に眼鏡のことを指摘してくる人なんていなかったな、と思った。案外、友達でもない、ただのクラスメイトの眼鏡など、みんな気にしていないのかもしれない。


 倖は、気づいただろうか。


 ふと、思った。

 倖に挨拶したとき、視線は確かに合っていた。彼は、眼鏡が変わったことに気づかなかったのだろうか。

 りんはそのことを寂しく思った自分に苦笑する。

 クラスメイトに気づいてほしくなくて早く登校したのに、倖には気づいてほしかった、なんて。

 もう、友達でもない、他人に戻ってしまったのだろうか。

 仲良くなりたいと、倖につきまとわれた日々を思うと、胸が痛かった。



  ◇◇◇◇◇◇



 2時間目の現国が終わると、迫田さんが慌てたようにスマホを片手にパタパタと小走りで教室を出ていった。と、すぐに廊下から黄色い歓声が沸き起こる。

 何かあったのだろうか?

 不思議に思い廊下の方を窺っていると、長いこと胃痛で休んでいた篠田さんが迫田さんを伴い教室へと入ってきた。どうやら連絡を取り合っていた迫田さんが出迎えに行ったようだ。2人の周りをその他の親しい友人達も歓声を上げながら取り囲んでいた。

「おはよー!篠田!もう大丈夫なの??」

「長かったねー!」

「お腹まだ痛い?」

 きゃらきゃらと笑いあいながら、篠田さんを労る声が次々とかけられる。

 篠田さんはくるくると巻かれた色の薄い髪の一房をいじりながら、友人達に照れたような笑みを返した。

「結局なんだったの?胃潰瘍的な?」

「そうだったみたい。なんだろ?ストレス?胃痛がすごくて、起きあがれないくらいだったんだけど、結局小さい胃潰瘍があっただけでさ。でも大きくなる前でよかったよ、てお医者さんさんには言われたよ。」

 照れながら答える篠田さんに、わはは、と豪快に笑いながら迫田さんがバシバシと背中を叩く。

「よかったじゃん!元気になって!もう痛くないんでしょ?」

「うん、おかげさまで。」

 篠田さんははにかんで答えた。

「えー、胃潰瘍て、篠田そんなに繊細だった??」

「繊細だっつーの。……一応本当は一年前くらいからちょっとずつ痛かったからね。」

 自分でもびっくりのナイーブっぷりさ、と篠田さんがおどけてみせた。

 本当に大丈夫ー?と心配する友人達に、大丈夫大丈夫、と手をふり彼女は自分の席へと着席する。

 迫田さんはそれでも気遣わしげに篠田さんに視線を送っていたが、困ったように笑う彼女からガッツポーズを返され納得し自らも着席した。

 りんはそれを眺めながら、ほっと胸をなで下ろす。


 あれから、あれの置き土産は花壇横を通るときだけブロック塀に移動している。


 もう、素通りしてしまおうと思うのだが、どうしても目に入ってしまい、そうすると気になって仕方ないので出来る範囲でどかしていた。

 花壇には今、コスモスが植えられている。

 色とりどりのコスモスは、新しい品種なのだろうか、りんが小さい頃に見ていたものよりも背が低く、小振りだった。それが背後の灰色したブロック塀に映えてとてもかわいらしいのだ。

 ……そこに気持ちの悪いオブジェを並べてしまうのが後ろめたくなるくらいに。

 まぁ、誰にも見えていないということは、わかっているのだけど。

 先生がガラリと扉を開けて入ってくる。次の授業は美術だ。

 スケッチじゃありませんように、と祈りながら美術の教科書を引っ張りだした、その時。

 りんの席の右横から白いひらひらとした物が視界の隅にかかるのがわかった。


 また、だ。


 最近、よく、これが側を通る。

 白い布地はよたよたと前方へ進み、眼鏡の端の視界から消える。最後にひらりと翻るその一瞬、視える、赤。


 絵の具をこぼしたような、真っ赤な。


 りんはぞくりと肌を泡立たせて、ぎゅっと目を瞑る。


 何が、とも、言えないが。

 ただ、その翻る赤がひどく怖かった。白いワンピースがただ、翻る。そこには赤いシミがついている。

 ただ、それだけなのに。

 怖い。


 白いワンピース。

 そういえば。

 同じようなワンピースを、視たことがある気がする。

 どこでだったか。

 小さい頃に? 

 幼稚園とか?

 もしかして小学校で?


 そう思考に没頭していたとき、美術の先生がスケッチ用の画用紙を今から配ると話す声が聞こえ、はっと我に返った。

 どうやら願いむなしく、今日は本当にスケッチの授業だったらしい。絵、下手くそなのに、とさらに憂鬱な気持ちになった。

 暗闇の中、カサカサと画用紙が配られる音がする。


 りんはゆっくりと目を開けた。



 眼鏡の端には、もう何も映っていなかった。


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