13
いつもと変わらない学校の屋上で、倖はフェンスに寄りかかって雲を眺めていた。
青い空、白い雲。
朝晩の気温も下がってきた初秋の頃。夏の元気のよい暑苦しい青空に比べて、青みが薄れてきた空を見上げながら、倖は苦々しい気持ちで心中で毒づいていた。
昨日うまくいっていたら、今頃は清々しい気持ちで空を眺めていただろうに。
どこまでも晴れ渡った空、それと相反して倖の心の中は、梅雨かと思うほどの雨がしとしとと降っている。ちなみに昨日は台風だった。
それもこれも、あのバカ女のせいだ。
倖は左手に持っていた煙草を口元に運ぶ。思い切り吸い込み、けほ、と少しだけ咳き込んだ。続けて咳込みながら、吐き出した煙を右手で扇いで飛ばしていると、横から、ぶふっ、と吹き出す声が聞こえた。
「あーあー、荒れちゃって。せっかくやめてたのに、いいの?」
同じように紫煙をくゆらせながら、からかうように柴田が言った。
ちっ、と舌打ちして倖が肘で芝田をこづく。
昨日のことはあまりにもあまりな展開だったので話したくもなかったのだが、挙動不審すぎると放課後無理やり屋上に連れてこられて口を割らされたのだ。
「なんていうか、おまえって見てて飽きないよね。話題提供に余念がないっていうかさ。」
こないだから笑いっぱなしで休む暇もないよ、と言うので、じろりと睨んでみたものの笑いやむ様子はみられない。
「でもさ、りんちゃんのことは許してあげたら?絶対、悪気はなかったって。おまえのために、よかれと思って、男紹介してくれたんだから、さ、ブッ……くっくっくっ。」
そして堪えきれずに、また大爆笑する。
倖は、はあっとため息をつくと横で笑い転げる柴田にもう一度睨みつけた。
「許せんだろ。あいつが、いとこは男だけど、って一言いえばこんなことにならなかったのに。」
まぁな、とニヤニヤしながら柴田が言う。
「でも、おまえもさ、気になるやつがいるってじゃなくて、気になる女の子がいるって、言えばよかったんじゃねーの?」
と、またもや爆笑する。それに突っ込むのもいい加減疲れたので無視をして呟いた。
「普通、わかるだろ。」
煙草の吸い口をがじがじと噛みながら、倖は柴田を睨みつけた。
「そっちこそどーなんだよ。沢ちゃんとは仲直りしたのか?」
笑われっぱなしも面白くない、意趣返しとばかりに倖が言うと、柴田は途端に鼻白んだ。
「……沢ちゃんとはどうもなってない。別に、ケンカしているわけでもないし……、現状維持……て、オレのことはいいだろ?そうだ。そういや、昨日逆ナンされたんでしょ?久しぶりに抱いた女の子はどーだったの??」
ニヤリとしながら、下世話な反撃を柴田がしてきた。
昨日はあまりにもむしゃくしゃしてたので、林田りんを送った帰りにあからさまに誘ってきた女と、ついついヤってしまったのだ。
「スッキリはしたけど、あんまりだったな。」
なんだよあんまりって、と柴田が呆れたように言った。
あんまりはあんまりだ。
あんまり、よくなかったのだ。
はぁ、と気落ちしたように倖が俯いた。
あんまり良くなかった上に、やけに虚しかった。
「で、どーすんの、次は。」
横をむくとフェンスに顔がつく。網に食い込んで少し痛いが、冷たくて気持ちがよかった。
その冷たさを堪能しながら、どーしよっかな、とぼそりと呟いた。
「あのさー、ここまで来たら、りんちゃんに全部正直に話して、りんちゃん家に入っていった子のこと直接聞いたら?」
「聞いた。」
「おぉ、倖にしては素早い対応だね。で、なんて?」
「心当たりないってさ。即答。」
「……つんだな。」
「つんだ。」
これで手詰まりだ。
にっちもさっちも行かなくなった。
林田りんに、そんな子は知らない、と言われればそれ以上どうしようもない。
倖は少しずつ西に傾いてきた太陽をまぶしそうに見た。つい先ほどまで青空だったというのに、随分と日が落ちるのが早くなったものだ。
煙草をふかしながら見るともなしに徐々にオレンジ色に染まりつつあるグラウンドを眺める。
グラウンドではサッカー部やら陸上部やらが奇声を上げながら走り回っていた。
確か、サッカー部も陸上部も県内でも上位の強豪校で、その練習はとにかく厳しいと有名だった。
夏の終わりとはいえまだまだ暑いというというのに、ご苦労なことだ。
校庭の内周、ブロック塀に沿ってランニングをする陸上部をなんとなく目で追っていた倖は、ふと視線を止めた。
左端の塀にある花壇のそばで、ランニングに巻き込まれた女子生徒が1人、走り抜ける部員の直中にいるのが目に入ったのだ。
立ち止まり、何とか横に抜け出そうと右往左往しているが、列をなして走る陸上部の隙間を抜けるなんてことが出来るはずもない。
やがて所在なげに立ち竦み列がぬけるのを静かに待ち始める。どうやら諦めたらしい。
陸上部員も走り去り棒立ちしていた女子生徒もまた、ゆっくりと歩き始める。
スカートの丈は今時の膝下で、ぶっといおさげが背中で揺れるのが遠目にもはっきり見えた。
林田りん、だ。
視界に入れば昨日のことが思い出されて腹がたつ。ちっ、と舌打ちして思いきり顰めっ面でりんを目で追った。
すると彼女は少し歩いただけで立ち止まった。しばらくすると、その場にしゃがみこみ地面に手をのばす。そうしてすぐそばの花壇のブロック塀の上へと手をのばす。またふらふらと違う方に歩いていっては、しゃがみこむ。
何、やってんだ、あいつ?
カバンを持っているので帰宅しようとしているのだとは思うのだが、やたらしゃがみこんでは何かをしている。そして、横の塀に手をのばす。
地面に落書きでもしてんのか?
それか、なんか落としたか。
……あぁ、何か落としたのかもしれない。しゃがんで拾って塀に置く、という動作を繰り返しているような感じだ。
りんが気になって無言でじっと見ていると、倖のすぐ横に柴田が顔をだした。
同じように金網に額をくっつけて、倖が見ているものを追おうとする。
「あれって、りんちゃん?……何してるんだろ。」
「さあ。」
2人して口を閉じると、しばらく沈黙が続いた。
りんは人に見られているとも知らず、門に近づいてからもふらふらとしてはしゃがみこんでいる。よくよく見てみると両手でそっと何かを持ち上げ、生け垣の上に置いているようにみえた。けれど屋上からでは、両手で持たなければならないようなものが運動場に落ちていたかどうかさえわからない。
倖と柴田は揃って眉をひそめた。
こういう不思議な動きをする女子には、今まで出会ったことがなかったので反応に困る。やっと門前まで到達したりんは、ようやく普通に真っ直ぐ、道路を歩いて帰り始めた。
「うーん、りんちゃん、わけわかんないね。」
「……。」
返事をするのもバカらしくて黙っていると、おもむろにこちらに顔を向けた柴田が、割と真面目にこう言った。
「あのさ、りんちゃんさ、確かにかわいくないけどさ。眼鏡とったらちょっとはましなんじゃないの?」
「お前も意味わからんことを。」
柴田はりんが帰って行ったほうに視線を向けると重ねて言った。
「だって、もう可能性としてはそれくらいしかないんじゃないかな?」
眼鏡とったら美少女系ってやつ、とつけたす。
「美少女系、ねぇ……。」
やる気なさそうに倖が呟いた。
「ダメ元でとってみれば?眼鏡。簡単じゃん。」
「簡単か?眼鏡外してみ、って言って拒否られたらどうすんだよ。」
「拒否らないよ、そんなこと。だいたい倖に、眼鏡外してみて、って強請られたら大概の女は即外すと思うけど。」
大概の女というカテゴリに入るのか?あれが。
と思ったのが露骨に顔に出ていたのか、ムッとした表情で柴田が畳みかけてくる。
「どうせ打つ手ないんだし、やってみたら?嫌がられてもいいじゃん。無理やりとっちゃえば。」
「……無理やり取って彼女だった場合、そこで嫌われて俺終わりじゃない?」
「面倒くさいなぁもう!無理やれヤレっつってるわけでもないのに。」
「……だなぁ。可能性はかぎりなくゼロに近くても、他にできることもないしなぁ。」
そうそう、と柴田が頷く。
正直、少し疲れてきてもいる。
手詰まりになったってことは、やはり彼女とは縁がなかったということなのだろう。このまま諦めるか、また偶然の再会に期待するか。
それとも。
一縷の望みを託して、りんの素顔を拝見してみるか。
おさげが消えた正門に目をむけながら、倖は延々と1人考え込んでいた。