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ふぅ。
りんはスマホを握りしめていた左手からじんわりと力をぬいた。
帰宅してから、入力しては消し、消してはまた入力するの繰り返しで、手のひらも指も知らず力が入り痺れてしまっていた。
そのままLINEをうつ手も止めて画面から視線を外す。
倖と、会ってもらえないだろうか。
それを、どういう文章でお願いすればよいのか、悩んでいた。
はたしてそのまま直接的に書いて、あの人が会ってくれるだろうか。
いとこの性格を考えると、変に濁した言い方をした方が突っ込まれてややこしいことになりそうだ。だけど。
兎にも角にも会ってもらわなければ話にならないのだ。そのためには、少しばかり濁した、というか、そう、婉曲な言い方も必要なのではないか?
もう一度、人差し指を液晶の上に持ち上げかけて、りんは深くため息をついた。
打ちかけの文章を全削除し、新しく入力しようとして、また、手が止まった。
長時間画面を見続けたせいか、目頭の奥の方にずんと鈍い痛みを感じ、りんはゴロンとベッドに倒れ込んだ。
真新しいシーツが目に入り、軽く一撫でする。自然と笑みがこぼれた。
以前使っていたものはディズニーのキャラクターの年季の入ったものだった。引っ越しを機に新しいものに変えたのだ。
無地の、落ち着いた水色のシーツ。
両親が購入したのは一軒家ではあるが、中古で若干古びている。どこもかしこも真新しくとはいかないけれど、身の回りの物が新調されると素直に嬉しく、心が浮き立った。
母などは、あちこちガタがきている、などとブツクサ言ってはいるが、落ち着く間取りで住みやすいこの家を、りんは割と気に入っていた。
そう、以前の環境とは、比べるべくもない。
ただ一つだけ。
転入先である高校で、未だにクラスの女子の輪にうまく入れないのが心配なこと、というか、悩みでもある。輪の中に入るどころか倖と親しくしていたせい?で敵認定されたと感じるクラスメイトもいるので、頭が痛かった。
みんなとも、迫田さんみたいに打ち解けられればいいんだけど。
まぁ、そもそも迫田さんと話せるようになったきっかけというのも、結局のところ彼女の積極的な性格によるものだ。
彼女みたいに明るく話しかけられたいいのに、なかなかうまくいかなかった。
そうそれに。迫田さんとたくさん話せるようになったきっかけも、つまるところ倖の手紙のおかげだった。
ここ最近の学校がとても楽しかったのは、どう考えても彼のおかげだ。いとこの連絡先が欲しくて仲良くしてくれているだけ、というのは分かっているが、それでもやはり、倖のおかげだ。
思い返してみれば、倖と手紙のやり取りをしたあの日以前とそれ以降では、新しい学校の印象はまるで違う。
そう、彼のおかけで、とても楽しい。
だから、出来ることなら倖の役にたってあげたい。彼が信用に足る人だというのは、もうわかっている。
多分、大丈夫だ。
倖の照れた表情を思い出し、ほっこりと優しい気分になる。
きっと、すべて上手くいってお付き合いが始まったとしても、彼はいとこのことを大切にしてくれるだろう。
ただ気がかりなのは、叔母のことである。
りんはいとこにそっくりな叔母の顔を思い浮かべた。叔母は美人で優しくて、りんとは共通している体質もあり昔から親身になって相談にのってくれていた。
飛行機で1時間近くも離れている場所に住んでいたというのに、何かあるたびに文字通り飛んできてくれた。
その悩みが解決してから数年は疎遠になってしまっていたが、感謝していることには変わりない。
お世話になっているから、叔母にもいとこにも幸せになってもらいたい。
しかし、いとこが幸せになっても叔母がそれを喜んでくれるとは限らない。
もし、倖くんの告白がうまくいって叔母さんが悲しむようなことがあったら、いとこと一緒に説得しなくては。
りんはそう決意を固めると、手から滑り落ちかけているスマホを、ぎゅっと握りなおした。
会ってもらわないことには始まらない。
ここはあまり詳しいことは書かず、あなたのことを気になってる人がいる、とだけ伝えよう。
いとこはもう成人しているいい大人だ。
みなまで言わずとも、いろいろ察してくれるだろう。たぶん。
りんは再度スマホに指をすべらせる。
その人差し指が少しだけ震えているのに気づき、苦笑した。
気持ちを伝えるって怖いことなんだ。
こんなことでは、自分のときの告白なんてできないのでは。いや、そもそもそんな機会が果たして自分にあるだろうか……。
思わず自虐に走ってしまいそうになった気持ちを慌てて立て直し、自分なりの精一杯の文章を打ち込む。
うまくいきますように。
願いをこめて送信すると、スマホを横に投げ出す。
倖と仲良くできるのもあと僅かの間かもしれないと思うと、少しだけ胸が痛くなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お、おはようございます、倖くん。」
「おう。」
翌朝教室に入ってくるなり、倖はりんのところへと一目散にやってきた。
……犬ではないが、本当に、一目散に、という表現しか見あたらないような動きだった。
そうして期待に満ち満ちた瞳で見下ろしながら、どうなった?と倖らしくもない小さな声で聞いてくる。
「あの、今朝方返事が来たんですが、連絡先を教えるというよりも、会いましょう、って。」
「……は?」
倖は目を丸くして気の抜けた声を出した。
「……会って、くれるわけ?」
「だそうです。」
「まじで?……いきなり会うのとかって嫌じゃないかな、て俺思ってたんだけど。」
めっちゃ嬉しい、と頬を染める倖を見上げながらりんが手をあげる。
「あ、あの、でもそれには一つ条件があるっていうか、」
「……なんだこの期に及んで。」
いかにも水を差されたという風に倖が盛大な顰めっ面で応じる。
「本当に申し訳ないんですが、私も同席してほしい、と言われて、」
「邪魔。」
「知ってます。」
倖はしばし悩んでいたがやがて諦めたのか、一つ舌打ちすると、しゃーねーな、と口を尖らせた。
「ついてくんのはいいけど、余計なことすんなよな。」
「大丈夫です。ひっそりとついて行きます。」
「それはそれで、なんか、怖いけど。」
「あと、場所なんですけど、駅でもいいですか?仕事終わりにパパッと済ませたいみたいで。」
「……パパッと、済ます……?」
若干悲しそうな瞳で倖が呻く。
しまった。失言だっただろうか。
「パ、パパッとというか、あの、サクッと?会いたいなぁ、みたいな?」
「……サクッと、」
「で、でも!あの!こ、好感触でしたよ?高校生かぁって!」
「そ、そうか?」
だったらいいけど、と倖は口を尖らせたまま照れる。
「それで急なんですが、仕事の終わる時間の兼ね合いで明日でもいいかな、てことなんですが。」
明日が無理だったらシフトの関係上一週間以上あとになるそうです、とりんは恐る恐る口にした。
いくら何でも明日、なんて心の準備的にどうだろうか、と不安そうに倖を見ると意外にも彼は、わかった、と素直に頷いた。
そうしてやおら身を屈めると、あのさ、と憂鬱そうに言った。
「……金髪って、あんま好みじゃない、かな?」
「きんぱつ、ですか。」
そうして近くなった倖の髪をじっと見る。
今日も艶やかでサラサラ、綺麗な髪だ。
羨ましい。
羨ましいし綺麗だけど、いとこの好みかどうかと言われると。
「んと、本人もあまり派手な恰好はしませんし、……好み、ではないかもしれません。」
「……っだっよなぁぁぁ、」
頭をがしがしとかき回して倖はしゃがみこんだ。
「あ、でも、私は好きですよ。倖くんの金髪。」
「……お前が好きでもなぁ、」
「……失礼ですよ。」
せっかくのフォローもあまり効果がないようで、倖は暫く頭をかかえていた。
「よし、染めるか。」
そして唐突に立ち上がりそう言うと、自分の席へと座りスマホを弄りだした。
美容院の予約でも取っているのだろうか。
ともかく伝えなければいけないことは、伝えたはずだ。
後は明日、倖についていくだけだ。
真剣に画面を見つめる倖の顔を眺めながら、りんはため息をついた。
うまくいって欲しいような、欲しくないような。
うまくいったら、きっと、放課後もデートの時間に当てられるだろうし。
うまくいかなかったらそれはそれで、連絡先ゲットという、お友達ごっこをしている理由がなくなるわけで。
そういうのとは関係なく、仲良くしてくれたら嬉しいけど。
無理だろうなぁ。
りんは大きく息を吸うと、倖から視線を外した。