現世への撤退
鋼太郎の階級は中尉だ。
牧が戦線を離脱したいま、彼が最先任となる。
彼は動ける陸軍兵に命じて、村人と共に負傷者を村に担ぎ込んだ。
牧は重症だった。
彼を襲った小鬼は肩の肉を食いちぎり、脇腹を深く切りつけていた。
応急処置が功を奏し、かろうじて意識はあるものの、早急に本格的な治療をほどこさねば命が危うい。
牧は板間に寝かされた状態で、血の泡を吹きながら鋼太郎にいった。
「第一陣は斥候だったのだ。奴らは仲間を殺されて怒り狂ってはいたが、冷静でもあった。こちらの戦力を警戒して、あえて部隊を分けたのだ。おのれ、一世一代の不覚。この汚名は必ずやそそいでくれる」
「なら、現世に戻るしかありませんね」鋼太郎は残弾数を確認しながらいった。「村の人たちに聞きましたが、こちらの医療術はかなり遅れています。このままでは、汚名を注ぐどころではありませんよ」
「現世に帰還だと!? 馬鹿な! この程度の傷で逃げ帰っては皇軍の名折れ。いいか、如月。わたしは絶対に戻りはせんぞ。戦果をあげるまでは、皇軍に撤退の文字はないのだ。これは命令だ。もし、この程度のことで帰りたいと思うような輩がいるなら、反逆罪で処刑してくれる」
興奮しすぎたのか、牧はそのまま気を失った。
鋼太郎は脈をとり、安定しているのを確認したのち、村の薬師にあとをたくし、牧の元を離れた。
鋼太郎と村人の突撃が早かったおかげか、陸軍兵たちの被害は思ったほどではなかった。重症は牧一人、ほかは負傷こそすれ、戦闘行動は可能な状態だ。
彼らは村の広場で村人たちと共に、鋼太郎の戻りを待っていた。
誰もが沈痛な面持ちだ。
陸軍兵の副官、高瀬川少尉が駆け寄ってくる。陸軍大学校を出た秀才で、家柄も見た目もよい。だが、いかんせん戦場での経験が不足していた。
「中尉! 少佐のお加減は?」と、震える声で問いかける。
鋼太郎は首を横に振った。
「絶対安静だ。とても指揮を取れる状況じゃない」
「そんな。それでは、誰が!?」
「君がよければわたしに任せてくれないか?」
近くにいた商人の正蔵が頷く。
「わしも賛成だ。いまは海軍とはいえ中尉はもともと陸軍の猛者。肝が据わっとる。軍機云々よりも、いまは能力のあるもんに任せたほうがいい。それで、中尉、ここからどうするつもりかな?」
鋼太郎は山を指した。
「撤退です」
村人たちがざわめく。
学者の鉢金が叫んだ。
「ここの人たちを見捨てるというのですか!? 小鬼たちはすぐにでも襲撃してくるのですよ!?」
「違います。村の人たちもあわせて、全員で現世に戻るのです」