見事ナリ海零式狙撃銃
牧が部下たちに命じる。
「いかん!ただちにあの女性を救出せよ!」
とはいえ、間に合うような距離ではない。目測で六百、いや、七百メートルは離れている。
村の中では、男衆たちが鍬や鋤を手に円陣を組んでいる。が、襲われている女性の位置が分からないのか、櫓の上の見張りに向かって何か叫んでいるだけだ。
陸軍兵たちが、山の斜面を駆け降りていく。
よく鍛えられた足腰だが、彼らが背負っている背嚢の重量を考えると、女性のところにたどり着くまでには五分、いや七分は必要だ。
鋼太郎は息を吐いた。
陸軍の連中に、彼の装備の真価を見せたくはなかったが、人命にはかえられない。
彼は立木の幹にナイフを突き立てると、そこに海零式半自動小銃の先端をそっと置いた。
海零式は、現在、陸海軍で使用されている九九式狙撃銃を海軍陸戦隊の専用工廠にて改良したものだ。
九九式より射程が百五十メートル長く、排ガスの圧力を利用した自動装弾機能まで付いている。
ただし、九九式に比べて部品点数が多いため、三百グラムほど重く、こまめな分解・整備を必要とする。
猟師が恐れの混じった声でいう。
「海軍さん、ダメじゃよ。小鬼を殺したらイカン」
牧が鋼太郎の動きに気づいた。
「おい、如月、貴様いったい何をしとる」
鋼太郎は何も答えず、スコープを覗き込んだ。
十時線ーーレティクルを小鬼の頭部に合わせる。
すべての雑音を頭から追い出し、集中し、引き金を引く。
弾丸は、海風の影響を受け、小鬼の頭上に張り出していた枯れ木の大枝を粉々に砕いた。
見事ッ、鋼太郎の狙い通りである。
落下した枝が、小鬼と女性の上にのしかかる。
小鬼は慌てふためきながら、女性から離れ、一目散に駆け出した。
牧が怒鳴った。
「馬鹿者が、見事に外しおって」
違う。鋼太郎はあえて、小鬼の頭を撃ち抜かなかったのだ。
彼はまだ、小鬼がどういう生物なのか知らない。話せるのか、知性があるのか、そもそも人間なのか。人間だとすれば、警告もせずに射殺していいものか。
何より、彼は猟師の言葉が引っかかっていた。
猟師は彼の問いたげな視線に気づくと、頷きながらいった。
「じいさんのじいさんのそのまたじいさんのころ、山から小鬼の群れが降りてきたことがあったそうじゃ。小鬼の所業に業を煮やした男が、鎌で小鬼の一匹を殺した。すると、残った小鬼たちが、狂ったように暴れまわり、えらいことになったとか」
牧が笑う。
「あんな小さな奴が暴れたところで、何だというのだ」
そのとき、彼らは、小鬼が彼らの方向に向かって駆けていることに気づいた。
牧が部下たちに身振りで合図を送る。
殺害命令だ。
「牧少佐」と、鋼太郎。
だが、牧は命令を撤回しない。
陸軍兵たちは一斉に三八式歩兵銃を構えた。
小鬼はパニックを起こしているのか、それとも銃の存在を知らないのか、射線を平然と横切ろうとしている。
銃が火を噴き、小鬼は、ばたりと倒れた。
が、まだ生きて、もがいている。
小鬼は、小さな体に不釣り合いなほど大きな頭を持ち上げ、最後の力で血も凍るような悲鳴を上げた。
しばしの間を置いて、遠くの山裾で、同じような悲鳴が上がった。ひとつ、ふたつ、悲鳴はどんどん増える。十、二十、いや百、二百か。それらは蝉の鳴き声のようにうわんと共鳴し、ふいに止まった。
鋼太郎の二の腕に鳥肌が立つ。
嫌な予感がする。
牧が口の端を持ち上げた。
「たしかに多少は数がいるようだな。だが、銃も持たない相手が何だというのだ。さあ、さっさと行くぞ!」