死者ノ小隊
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如月鋼太郎は、〝あちら側〟につながる鳥居の前に立ち、四日前に帝都の海軍参謀本部でなされた会話を思い出していた。
「貴様、死んでくれい!」
そういったのは、米山中山大将である。
執務室の開いた窓からは、並木に止まる蝉の声が滝のようになだれ込んでいた。
そのかしましさに負けないよう、鋼太郎は声を張り上げた。
「は、如月鋼太郎、お断りいたします!」
彼は驚いていた。上海事変での爆弾三勇士以降、お国のために命を捧げることが、日本男児の誉れであるかのような風潮が蔓延っているが、まさか、理知的で知られる米山までがこのような物言いをするとは思っても見なかった。
軍人が命をかけるのは当然だが、一人の優秀な兵士を育てるには莫大な金と時間を要する。ましてや、鋼太郎は米山が密かに創設した実験部隊、海軍陸戦隊の一員である。死を前提にするような作戦で浪費していいはずがない。
だが、断られた米山は満足そうに頷き、恰幅の良い体を椅子に沈めた。禿頭をぺちぺちと叩く。
「ふふ、それでいい。そうでなくてはこの任務は任せられん。陸軍の猪武者のような思考回路の持ち主では困るのだ。実のところ、本当に死ねといっとるわけではない。この度のマル秘作戦の実施にあたっては、万一にも情報を漏洩させぬため、特務隊員は死を偽装した上で望まねばならんのだ」
死を偽装してまでの秘密作戦? 鋼太郎は頭を捻った。現在、我が大日本帝国は米英蘭の経済封鎖にあえいでいるものの、まだ開戦にはいたっていない。虎の子の海軍陸戦隊をどこに投入しようというのか?
まさか、米国大統領や英国首相を暗殺して来いとでも?
だが、米山の説明は、鋼太郎の予想を斜め上をいった。
皇紀二千六百年を迎えるにあたり、半年ほど前から全国各地で古事記の記述を裏付けるための大規模調査が行われていた。天皇の権威を強めんと、御伽噺に対し、科学的裏付けを求めたのだ。
そして、紀州熊野に派遣された「八咫烏」の調査隊が「常世」につながる扉を見つけたという。
常世とは古事記に記された、現世と隣接するもう一つの世界である。
調査隊の報告によれば、発見された世界は、異なる時空に存在し、広大さにおいて現世と遜色ないという。さらに、言葉の通じる人間が住んでおり、彼らは皇族の流れを汲んでいるかもしれないというのだ。
米山は重々しくうなずいた。
「やんごとなき方々がいらっしゃるのであれば、ただちに〝保護〟せねばならん。また、資源確保の観点から見ても捨ておけん。我が国は油を求めて南方に進出せんとしておるが、国内で解決できるなら、話がまるで違ってくる」
蝉の声がうわんうわんと響きわたる。
「万一、このことが欧米列強に知られてしまえば、きゃつらが常世の権益を手にせんと、我が国に害をなす事は火を見るよりも明らかだ。なればこそ、絶対の秘密厳守が求められる」
そこで参謀本部では、まず親類縁者のいない者を選抜した。さらに、書類上、支那戦線に送り込み、死亡したことにする。騒ぎ立てる者がいないから、彼らは完璧な〝幽霊〟となる。
軍の動向を探っている欧米のスパイたちも、幽霊の動きは掴みようがない。
米山が禿頭を叩いた。
「ところがだ。いざ、特務隊を編成するに当たり、陸軍の連中がゴリ押しを初めてなあ。常世といえど、向かう先に陸がある以上、兵は陸軍のみで編成するのが筋とぬかしよる。山木長官が粘ったが、どうにか一名ねじこむのが精一杯だった。江田島の秀才を送り込むことも考えたが、これは一種の敵地侵攻。ならば、やはり陸戦隊員だ」
海軍陸戦隊は、米国海兵隊にならって作られた島嶼攻略の切り札だ。これまで海軍には陸上部隊が存在せず、上陸侵攻にあたっては陸軍の協力を仰ぐ必要があった。しかし、頭の硬く判断の遅い陸軍との協調作戦は難しい。
そこで、米山は海軍の精兵を集めて新部隊を組織したのである。
なかでも、鋼太郎は米山のお気に入りだった。
彼は、もともと孤児院の出である。昭輪初期の孤児院は極めて劣悪な環境で、現代の価値観ならば虐待と判断されるようなことも日常茶飯事だった。鋼太郎は、ここを持ち前の機転と用心深さで乗り切り、十七になるや、陸軍に入隊。十八で支那戦線に送られた。
鋼太郎は手柄をいくつもあげ、順調に階級をあげた。
そんな、ある日のこと、上官が戦功に目がくらみ、八路軍の罠と分かりきっている場所へ進軍を命じた。
鋼太郎は意見を具申したが聞き入れてもらえない。
このままでは数百人単位で仲間が死ぬ。
彼は進軍を阻止するため、自軍の弾薬すべてを爆破した。弾薬がなけれは、戦闘行動は行えない。
これが鋼太郎の特質、柔軟かつ合理的な思考と行動だ。ここ〝昭輪〟の世界では異質極まりない才といえる。
かくして彼は、部隊を救った責を問われて軍法会議にかけられ、渋谷の陸軍刑務所送りになりかけた。
そこを、噂を聞きつけた海軍の米山に拾われたのだ。
以降、彼は米山と共に、〝兵一人一人が思考する軍隊〟海軍陸戦隊の立ち上げに尽力してきた。
米山は椅子に身を沈めていう。
「今回の貴様の役割は一つだ。陸軍の連中が愚かな行動をしそうになったら、それを止めるんだ。常世は我が国の生命線になりうる。必ずや進出の道筋を作ってくれ」
「一人で、ですか。やりがいのある任務ですね」
「貴様にならできる。それに、ずっと一人というわけではない。現在、常世への門は陸軍が押さえているが、我々海軍の方でも、当たりはつけておる。準備ができ次第、ドンと増援を送り込む。開門準備を含めると三日というところか」
そして今、鋼太郎は陸軍兵と共に、紀州熊野の〝門〟の前に立っている。
隊員のうち十五人は陸軍兵である。そこに、常世を発見した学者、地元熊野の猟師、新聞記者、財界のお偉いさん、鋼太郎を加えて総勢二十人だ。
「さあ!行くぞ!」
雄々しく吠えたのは、部隊を率いる陸軍少佐、牧康成だ。本来、このような小部隊を率いる階級ではないが、ことが皇室に関わると知り、支那戦線を放り出して駆けつけたのである。
中野陸軍大学出の秀才で、弁が立ち、出世も早いが、じつのところ戦いの才はない。さきほど述べた、鋼太郎が支那戦線で自軍の弾薬を爆破した件は、この男の無謀な命令に端を発したものなのだ。
鋼太郎は奇縁に頭を抱えつつ、陸軍兵たちに続いて苔むした鳥居をくぐった。