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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第一章 春休み
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8 お嬢様、研究する


 目覚めると、翌朝だった。

 ずいぶん低い、迫ってくるような木の天井に一瞬どきり、とする。


 ――違った、天井じゃない。二段ベッド、だ。


 私は二段ベッドの下の段に寝かされていたようだ。

 部屋には朝日が差し込み、小鳥の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。

 カーテンの開けられた窓から見える空は澄んで青く、晴れ渡っている。

 雲ひとつない晴天だ。

 台所の方からは、カチャカチャという音や、パンが焼けるいい香り、香ばしい……そう、これはコーヒーの香り。ぼんやりと、その香りを楽しむ。時折、楽しそうな笑い声が聞こえた。

 

 ――平和だ。


 私は少し泣きそうになった。


「お? 姉ちゃん、起きたー? よく寝てたなー。心臓に悪いから、突然寝るなよー。起きれる?」


 凌久が部屋を覗いて、私が起き上がっているのを見ると、笑顔になった。


「……蛍は?」

「仕方ないからあの後すぐ帰ったよ。雑誌置いてったから、見といてって。午後、蛍ちゃんちに行くことにしたから、そのつもりでいて。俺、調べものあるから午前中は図書館行くけど、蛍ちゃんちは一緒に行くから。ひとりで出歩くなよ!」


 私はぼんやりしながら、頷いた。


「相変わらず、朝弱いな~。ヴァイオレットも、そう?」


 私はふるふる首を振る。寝起きが悪かったことはない。いつも、侍女が起こしにくるが、大抵は起こされる前から目覚めていた。ただ、お嬢様は勝手に起きてはならないのだ。侍女より早く何かをすると、彼女たちの手順を狂わせるし、余計な仕事を増やしてしまう。天蓋付きのベッドの中にはいつも本を持ち込んで、侍女が来るまで勉強しながら時間を潰したものだった。

 ただ、今日は眠い。円華は朝が弱かったようだ。円華のせいだろうか。


「春眠暁を覚えず、だね。春は眠いんだよー」

「……そうなの?」

「うん、そう言うね。……ごはん、できてるよ。早く食べて」

「えぇ。……凌久、着替えは?」

「知るかよ、お嬢様。それくらい自分でやって。タンスに入ってるの適当に着てよ。姉ちゃんの服なんか、どうせ、どれも同じだって。とりあえず、そのままでいいから、先にごはん食べてよ。片付かないから!」

「……わかった」


 着替えないで朝食など有り得ないが、ここではそうではないようだ。

 夕べ、母さんがパジャマに着替えさせてくれたようだ。そのままの格好で、居間に行く。


「あ、円華、おはよう。大丈夫かい? 昨日はびっくりしたよ。よっぽど救急車呼ぼうかと思ったけど、病院電話したらとりあえず様子見てていいって言われてね。ただ寝てるみたいだったから、そのまま寝かせといたけどね。朝まで寝ちゃうなんて、お寝坊さんだね」


 既に着替えて支度も済み、トーストをかじっていた父さんに聞かれる。

 格好については特に何も言われなかったので、いつものことのようだ。円華……だらしないわ。

 台所では、母さんと凌久が忙しそうにお弁当を作っている。

 卓袱台の上には私と父さんの分しか朝食が用意されていない。母さんと凌久はもう済ませたようだ。


「えぇ、大丈夫です。心配かけて、申し訳ございませんでした」


 私が答えると、父さんはかじったトーストを一瞬喉に詰まらせ、慌ててコーヒーで流し込む。


「凌久から聞いてはいたけど……、寝起きでも、やるんだ。お嬢様ごっこ」

「……ごっこ?」

「違うよ、父さん、練習だって!」


 凌久が台所から大声で訂正する。


「いついかなる時も『お嬢様』できないと、すぐボロが出ちゃうからさ!」

「……それ、そんなに重要なの? そこまで大変じゃないと思うけどなー、クリストフォロス」


 釈然としない、という顔を父さんにされたが、凌久と目を合わせ、私はこくりと頷いておいた。


「そうかー、円華は完璧主義だからなあ。やると決めたことはやるよな。誰に似たんだろう? ……うん、まあ頑張って。なんなら『お父様』と呼んでくれてもいいんだよ?」

「そうですか、お父様」

「おお? 意外と悪くないね~」

わたるくん! 時間! ゆっくりしてていいの!?」


 のんびり話していた父さんに、母さんの厳しい声が飛ぶ。


「あっ! そうだった! 今日も早く行かなくちゃいけないんだった!」


 慌ててコーヒーを飲み干した父さんが、コーヒー臭い息をしながら、私の額にキスをする。


「それじゃあ、円華。退院したばっかりだから、無理するんじゃないよ」

「はい。行ってらっしゃいませ、お父様」


 父さんは立ち上がりかけながら、吹き出した。


「ぶはっ! 笑わせないで、円華。いいって、もう、それは」


 大きな手で頭を撫でられた。


「……うん、行ってらっしゃい」


 撫でられたことにちょっと恥ずかしくなって、私はそっと髪を直しながら、言い直した。


 上着を羽織った母さんが、ばたばたとバッグを持ってくる。

 お弁当の入った保冷バッグを父さんに渡し、自分の分も持つ。

 それから、私の頬にそっと触れた。


「顔色は悪くなさそうね。円華、あなたの分もお弁当作ってあるから、お昼はそれ食べてね。よく休んで、無理しちゃダメよ。何かあったら、すぐ電話してね。――じゃあ、行ってきます!」

「ありがとう、母さん。行ってらっしゃい」


 バタバタと出て行った両親を凌久と玄関で見送り、台風一過のようだ、と思いながら居間に戻って朝食の続きを食べた。

 凌久は居間の窓を開けると、ベランダに出て洗濯物を干している。

 ――どれだけの家事をこなせるのだ、この弟は。


 私が優雅に朝食を終える頃、凌久も洗濯物を干し終わる。更に、卓袱台の上を手早く片付けて、さっと洗い物も済ませてしまう。

 私も、シンクに洗い物を持っていくくらいは覚えた。横で洗い物のやり方を見ていた私を邪魔そうにしながら、凌久は朝食の片付けを終えた。

 ――うん、大体やり方はわかったわ。次から手伝えそう。

 使用人がいない家は家族で分担して家事を行わなければならない。

 紫野ゆかりの家では、父さんと私は使い物にならないようだった。

 ――少しは私もできるようにしないとね。


「姉ちゃん、掃除機かけちゃうから、そこ退いて」

「そうじき?」

「掃除するんだよ。とりあえず、着替えてきなよ」

「……うん」


 私がベッドのある部屋に戻ると、ずいぶん煩い音を立てながら、凌久が掃除機をかけ始めた。――掃除機、うるさいやつねぇ。

 ぶおぉん、という音を聞きながら、タンスを開ける。

 色違いの無地のTシャツとパーカーとジーンズが数種類ずつしかない。

 凌久の言った通り、半袖と長袖の違いこそあれ、ほぼどれを着ても同じだ。

 とりあえず、一番手前の組み合わせを引っ張り出し、着替えた。

 それから、顔を洗い、歯を磨いているうちに、凌久の掃除も終わったようだ。


 ――本当に、どれだけハイスペックなのかしら、我が弟は。


「姉ちゃん、じゃあ、俺も出かけてくるから。鍵かけて、誰が来ても開けちゃ駄目だよ? 俺帰ってくるまで、出歩くなよ。あ、お弁当は卓袱台の上にあるからな。お昼になったら食べるんだよ。三時前には帰ってくるからね」

「えぇ」


 どちらが年下なのだろうか、と私を完全に子ども扱いする凌久に首を傾げたくなる。

 でも、別に嫌ではなかった。

 私は素直に頷いて凌久を見送ってから、部屋の隅に置かれた紙袋に手を伸ばした。

 袋からガサガサ音を立てて、雑誌やヘアカタログを取り出してみる。

 ――どれも、若い女性が表紙で、色鮮やかな平たくて大きな本ばかりだ。

 表紙を捲ると、ツルツルした紙に目次、そして女性の写真がたくさん載っている。


「ほぅ……」


 私は思わず感嘆の溜め息を漏らした。

 ――素晴らしいわ。この雑誌という物。流行のものがたくさん紹介されていて、これを読めば、今どんなファッションが流行っているかが、わかるようになっている。

 ――流行に乗り遅れない、というのはヴァイオレットだった前世では非常に重要だった。特に女性の社交界では、何が自分に似合うのか、その中でさらに新しいものを生み出していくのも必要だった。同じ派閥内では似たものを身につける。……大抵身分の高い令嬢のものを真似るのだけれども。


 ふと、自分の今着ているものを見下ろす。

 ……やぼったいわね。

 別に地味なのが悪いとは思わないけれど……、円華はもう少し服に興味を持っても良かったのではないだろうか。もったいない。

 自分に似合うものを探すのは、楽しいことだ。それをしない、というのは何か理由があるのだろうか。


 ファッションをざっと見た後は、ヘア特集やカタログも見る。

 女性の髪の長さに特に規定はないようだ。

 長い髪の人も男の子のように短い人もいて、どれも可愛い。

 日本人の地毛はほとんどが黒髪のようだけれど、茶色っぽく染めている人が多いようだ。カラーリングについても記載がある。薬液のバリエーションがすごいのだろう。金髪、赤髪、青系、緑系、奇抜なものまで含めると、本当にいろいろあった。明るい、暗いの違いはあるが、主流は茶系のようだ。

 私は蛍の艶やかな黒髪を思い出す。

 ――黒髪は綺麗だ。なぜ、染めてしまうのだろう。……もちろん、似合っていれば、違う色も可愛いけれど。


「……さて」


 私は、洗面所に行って、鏡に自分の姿を映してみた。

 目覚めてから数日経つが、未だに鏡に映った自分の姿に慣れない。

 覗き込むたびに、この冴えない女の子は誰なのだろう、と思う。

 顔の造作については仕方ない。変えようがないから。でも。


 ――うーん。なんか、もっさりしてるのよねぇ……。

 

 油気もなくぱっさぱさの髪は前髪が伸びすぎて目にかかり、隙間から外を眺める、という感じ。ほとんど、顔形もわからないくらいだ。髪は背の中ほどまで伸びきっていて、毛先はガタガタ。

 前髪をかきあげてみる。

 

 ――うーん……、やっぱりうっすい顔よねぇ……。蛍は美人、と言ってくれたけれど、どうなのかしらね。こちらの美醜の基準がよくわからないわ。


 ただ、化粧映えはしそうな感じだ。なにしろ、あっさりした顔だから。

 私は、雑誌の『ナチュラルメイク特集!』というページをちらりと見る。

 素顔に見せかけた、実は手の込んだ化粧だ。濃すぎる化粧は良くないらしい。

 ……なるほど、と思いながら、メイク手順を頭に入れた。


 雑誌やカタログを隅々まで読んで、おおよその流行はわかった。

 そして、円華がこういったものに手を出さない理由のひとつは見当がついた。


 ――高い……!


 そう、お金だ。可愛い服やコスメには、円華の基準では馬鹿みたいに高い値段がつけられている。この家の経済状態は大して良くはないらしい。こんなものに手を出せるだろうか。

 

 お金。こいつが曲者だ。『胸キュン』でもお金のあるなしがとても重要なポイントになっていた。愛があればお金なんかいらない、というのは幻想だ。公爵家はもちろん、お金に困っていなかったが、それは領民から預けられたお金だ。私に自由にできるものは、父から借りたお金を元手に、私が個人的に商売をして手に入れていた分だ。――働かなければお金は手にできない。どれだけ、家が金持ちだろうと、それは忘れてはならないことだ。特に、逃亡中はお金がどれほど大切なものか、身に染みてわかった。世の中、何をするにもお金がかかる。


 それは、この世界でも同じようだ。

 ……どうにかして、お金を手に入れる方法を考えなければならないわ。


 午前中いっぱいかけて、蛍が持ってきてくれた雑誌を読んで研究した結果得たことは、そんな世知辛いことだった。


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