6 お嬢様、親友と再会する
その時、玄関のインターホンが鳴った。
「あ、俺、出るよ」
凌久が話を切り上げ、立ち上がって玄関に行った。
「円華ちゃん!!」
「ほ、蛍ちゃん!?」
ガチャリ、とドアを開ける音がした、と思ったら、凌久のびっくりした声と、女の子の大声が聞こえた。
そのまま、ドドドッと駆け込む足音が響いた。
居間に飛び込んで来たのは、長い艶やかな黒髪を揺らす、清楚な美少女。
その手にあった、大きな花束を居間の入り口でバサッと取り落とす。
大きな瞳を涙で潤ませて私を見つけると、そのまま私に抱きついた。
「よ、良かった~、円華ちゃん! 目が覚めて……! 今日、病院にお見舞いに行ったら、退院したっていうから、もう……! ひどいよ、凌久くん、私に教えてくれないなんて!」
「ご、ごめん、蛍ちゃん。姉ちゃんの目が覚めてからいろいろバタバタしてて、知らせるの、忘れてたよ」
後ろから入ってきた凌久が、落ちた花束を拾い上げて、すまなそうにそう言った。
私はぎゅうぎゅうその娘に締め上げられながら、ふわりと香る髪のいい匂いを感じていた。
「……あなた、誰?」
抱きしめられたまま、私が思わず問うと、その娘がビクリと震えて、私を離した。
「ね、姉ちゃん……!」
「……円華ちゃん……、頭打って私のこと忘れちゃったの……!? ひ、ひどいよ、親友を忘れるなんて……!」
「蛍ちゃん! 姉ちゃん、まだ起きたばっかで混乱してるんだよ……! ところどころ記憶も曖昧みたいで……!」
「そ、そうなの?」
ぽろり、と大きな黒い瞳から涙が零れた。
――ああ、綺麗だな、と私は思う。
そして、円華の記憶を探ると、その娘の記憶は確かにあった。
どこか、温かい感触がする。
――親友だわ。……円華は、この娘のことが、とても好き。
「……蛍。ちゃんと、覚えてるわ、私の親友。……少し混乱しただけよ。心配かけて、ごめんなさい」
「円華ちゃん……! よ、よかった、生きてて! このまま、し、死んじゃったらどうしようかと……!」
蛍の肩越しに、凌久がほっと、息を吐くのが見えた。
そして蛍は、もう一度私を抱きしめて、うわーんと泣き出した。
「蛍ちゃん、落ち着いて。ほら、今、お茶淹れるからさ」
「うん、あ、ありがとう……」
蛍は私にしがみついたまま、思う存分泣くと、真っ赤になった鼻を啜りながら、凌久が差し出したお茶をずずーっと、啜った。そして、不思議そうに私の顔をじっと見る。
「円華ちゃん、眼鏡外したんだね?」
「……メガネ?」
私は、顔に手をやる。
メガネ、ってなんだったかしら。――ああ、そう、視力を回復させるガラスが嵌め込まれた、顔に装着するもの。
でも――なくても、目は良く見えている。
円華の記憶を探ると、確かに眼鏡をかけていた気はする。
自分の顔はあまり何度も見ないから、はっきりしないけれど。
「ああ、池に落ちた時になくしたんだよな。そういえば、それからかけてないな。なくても大丈夫だろ、姉ちゃん?」
「えぇ、そうね。……私、目が悪かったのかしら?」
「ううん、円華ちゃん、両目2.0だよ。あれ、伊達眼鏡だったから。やっと外す気になったかー。うん、いいよ、その方が絶対!」
伊達眼鏡。円華はなんでまた、そんなものをかけていたのだろう。
顔を隠したかったのか。
――確かに。円華の顔って、なんかうっすいのよねぇ。平たい、というか。凹凸が少ない……まあ、それは大半の日本人に当てはまるのだけれども。
あと、なんか髪がぼっさぼさなのよね。前髪が伸びすぎているし、後ろも伸ばしっぱなしで、手入れもされずぼっさぼさ。逃亡中の私みたい。
別に逃げているわけでもないのに、手入れしない、とか有り得ない。
「やっぱねー。もったいないよー、美人なのに」
「美人? ……うっすい顔だと、思うけれど」
「そんなことないよ! アジアンビューティーって言うんだよ、円華ちゃんみたいなのは! ちゃんとすれば、すごい美人になるのに!」
「……そうかしら」
「もったいないなーって、ずっと思ってたの。――いつだったかなぁ、勉強集中したいから、顔を隠す、と言い出したの。小学校の高学年かなぁ? くだらない人間関係全部面倒くさくなった、って言って髪伸ばして、突然伊達眼鏡かけ始めたの」
――ま、円華? 何があったの?
「髪切るのも手入れするのもお金かかるし、いいやって。後ろは伸びてきたら自分で適当にザクザク切っちゃうし。私が何度お願いしても切らせてくれなくって!」
「蛍ちゃん、美容師志望だもんな」
凌久が私に情報をくれるみたいに、そう言った。
なるほど、蛍は髪結い師――美容師になりたいのか。
私は顔を覆い尽くすかのような髪を一房摘まんでみた。
……確かに邪魔ね、これ。
「あんなお金持ち学校に入るんだから、絶対綺麗にした方がいいよー! ねぇ、私切るからやらせて! 絶対可愛くするから! プロじゃないからタダだよ!?」
「その話、乗った!」
「……なんで、凌久が答えるのよ。私の髪でしょう?」
「いや、姉ちゃん、イメージチェンジは必要だって! タダで切ってくれるんだから、やってもらえばいいだろ? 蛍ちゃんうまいよ。……それに、俺は、クリストフォロス入るまでに、いろいろ対策が必要なんだって、今、気づいた」
「対策?」
「浮かないようにお嬢様っぽくなる必要だよ! 俺、今からちょっと、対策練るから!」
「そうだよね~。第一印象はやっぱり大事だよ。――よし、お嬢様っぽい髪型、研究してくる!」
来たときと同じように、唐突に蛍は立ち上がった。
「私、いったん家に帰るね! あ、そうだ、凌久くん、今夜、退院祝いする?」
「うん。父さんと母さんが帰ってきたら」
「じゃあ、後でうちのお好み焼きも届けるよ。うちの親も心配してたし、目が覚めたって言えば、喜ぶから。いっぱいスペシャルを焼いてくるよ!」
「おー、ありがとう! 助かるよー!」
「そんで、私はSNSとか雑誌とかで研究してくる! 家にあるヤツ、サンプルに後で持ってくるね!」
あっという間に蛍が出て行き、それを見送った凌久と目を合わせた。
「……良かった。あんまりおかしく思ってなかったみたいだな? この調子ならなんとかなるかも」
ほっと、凌久が息を吐く。
「……ねぇ、凌久。対策って?」
「ああ。うちみたいな庶民がお金持ち学校に混じったらやばいんだって。漫画でもそういう話ある。それ思い出したんだよ。目立たないことが一番安全なんだって。庶民なのは変えようがないけど……、こうなったら、そのお嬢様の記憶は逆に役に立つかもな」
「えぇと、意味がよく……?」
「後でまたゆっくり話す。とりあえず、姉ちゃんは夕飯できるまで『胸キュン』でも読んで待っててよ」
「む、むねきゅん?」
「姉ちゃんがこよなく愛してる漫画、全三十巻。こつこつ買いためて、そろえたやつ。これに憧れたせいで、聖クリストフォロスに行くことになったんだから」
凌久にもうひとつの部屋に連れて行かれ、本棚の前に立つ。手に取りやすい本棚の一番良い場所に、カラフルな本がズラリと並んでいた。
――『愛されて胸キュン』? ……ひどいタイトルだ。
「いい教科書だよ。内容、忘れちゃった? 庶民がお金持ちに紛れたらどうなるかって、いい例だよ。……まぁ、現実にあるかどうかわからないけどね。参考にはなる」
凌久が漫画の一巻を、私に渡した。
「アニメ化されて、ドラマ化も映画化もされて、オリジナルの実写続編も作られた名作だよ。それ、読んだ方がいいよ。――じゃあ、俺、夕飯の買い物に行ってくるから。蛍ちゃん以外はドア開けるなよ。絶対、ひとりで外に出るなよ、危ないから!」
「――わかったわ」
私は一巻を手にして、こくり、と頷いた。